CASE3 本物のお守り 3/4
近所の高校で新学期が始まって数日。私は品揃えの増えてきたレコードの陳列を大幅に変える作業を任せられていた。
蓮池さんが言うには、アンティークショップの雰囲気に合ったクラシックやレトロな洋楽、後はジャズのレコードくらいしか陳列していないとのことだけど、それでも意外とスペースを食っている。
というか、クラシックがやたらと多い。店頭在庫の半分以上がこれだ。
ベートーヴェンやモーツァルト、ショパンやバッハといった私でも知ってるメジャーどころだけじゃなくて、ラヴェルとかシベリウスとか私の知らない作曲家の作品もたくさんある。
もちろんそれは『クラシックに興味のない私が知っているかどうか』の話であって、愛好家にしてみれば知らない方が信じられない有名人なんだろうけど。
ひょっとしたら、聞いたことがあるけど曲名や作曲家の名前を知らないだけかもしれない。そう考えると、ちょっとだけ興味が湧いてくる。
「……ふう」
紙ジャケットに入ったレコードの束を動かして、小さく息を吐く。大量のレコードの移動は結構な重労働だった。
レコードの一枚一枚は割と軽い。紙ジャケットもただの厚紙なのでもちろん軽い。なのにそれが束になると信じられないくらいに重くなる。きっと、古本や古新聞の束がやたらと重いのと同じ原理なんだろう。
一度、買い取ったばかりのレコード満載のダンボール箱を持ち上げようとしたことがあるけど、油断していたのもあって腰が抜けるかと思った。
「明日は筋肉痛かもなぁ」
小さな声でつぶやきながら、疲労の溜まってきた肩を回す。
この前のカップルはまだお店に来ていない。今度こそしっかり接客しようと思って絞り出したやる気は、今のところこんな感じの肉体労働に費やされている。
嫌というわけじゃないんだけど、何となく不完全燃焼だ。
「すみません」
不意に、若い男の子の声が遠慮気味に投げかけられた。気付かない間にお客さんが近付いていたらしい。私は慌てて振り返り、気持ちを接客モードに切り替えようとした。
……あっ。
驚きのあまり切り替え失敗。そのお客さんは例の高校生カップルの男の子の方だった。今日は休日だからか制服ではなく私服だけど、顔を見た瞬間にこの前の記憶が蘇った。
「探してるレコードがあるんですけど……」
「えっ? あ、レコードですね! 何をお探しでしょう?」
動揺を精一杯押し隠しながら、探しているレコードについて話を聞く。
彼が求めている商品は、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』が収録されているレコード。それ自体は何枚も在庫がある。とんでもなく有名な作曲家のとんでもなく有名な一曲なのだから、クラシックを取り扱っているくせにそれがない方が珍しいんじゃないだろうか。
しかし、どうやら彼の探しているレコードとは、その曲が収録されているのなら何でもいいというわけではないらしい。
「実は、親戚のおじさんが持っていたレコードを探してるんです。地元のお店に引き取ってもらったってことしか分からなくて……」
「ええと……つまり目当ての曲が入ったレコードだとか、何か目当ての品番のレコードがあるとかじゃなくって、売られちゃった特定の一枚を探している……ということでしょうか」
「はい、そうなんです」
「……とりあえず、お店に出てないか探してみますね」
レコードコーナーを漁りながら、もう少し詳しい事情を聞いてみると、なかなか面倒なことになっているのが分かってきた。
彼の親戚のおじさんはレコードの収集家で、彼もよく音楽を聞かされていた。その中で彼の一番のお気に入りだったのが、とある指揮者のアルバムに収録されていた『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』だった。
やがて彼のおじさんは病気で亡くなり、集めていたレコードは生前の約束のとおり身内と収集家仲間に形見分けされた。彼も数十枚ほど貰えることになっていて、大学進学まではおじさんの実家で預かってもらうことになっていた。
ところが、実家の人が物置を掃除したときに、彼の取り分のレコードの一部を処分してしまったというのだ。
不幸中の幸いで、廃棄したのではなく中古業者に売ってしまったらしいのだが、どこの店の手に渡ったのかが分からない。
原因は売った人がかなりの高齢だったことだった。どこの店に売ったのかはもちろん、そもそも預かり物だったことすら忘れていたらしい。彼が気付いて指摘するまで売却の事実まで忘れていたくらいだったそうだ。
「……何だか大変なことになってるんですね……」
「あはは……親戚中が大騒ぎでしたよ。おじさんの遺品を売っちゃったわけですから」
急に気が重くなる。ひょっとしてこれは私の手に余るんじゃないだろうか。
幸運だったのは、彼の取り分のレコードの名前が全て控えてあったので、何が無くなったのかすぐに確認できたことと、レア盤は無事だったのでレコード店や収集家仲間からの再調達が容易だったこと。
不幸だったのは、彼が一番のお気に入りだった例の一枚が売却されてしまっていたこと。
「他のは代わりを買ってもらえたんですけど、あれだけは代わりのモノじゃ駄目なんです」
「うーん……」
紙ジャケットの裏の小さな落書きが目印とのことだけど、それらしきものは見当たらない。一つだけ全く同じ品番のレコードがあったものの、それは彼のおじさんの遺品ではなかった。
レコードの山を前に悪戦苦闘していると、商品の配送に出ていた蓮池さんが帰ってきた。
「おや、どうかしましたか」
「実は……」
さっそく事情を説明する。すると蓮池さんは二つ返事で手伝いを申し出てくれた。
蓮池さんは手慣れた手付きでレコードをチェックしながら、自然な流れで雑談を持ちかける。
「音楽が好きだそうですね。ひょっとして進路もそちらの方に?」
「はい。音楽学校を目指そうかなと」
「それは素晴らしい。ぜひ頑張ってください」
彼はしっかりした将来の目標を持っているらしい。何も考えずに高校生活を過ごして、思考停止で就職先を決めた私が駄目な奴に思えてくる。
いやまぁ、実際盛大にドロップアウトしかけたわけだから、ダメ人間だと言われたら反論のしようがないのだけど。
ダメ人間の自虐は置いといて、彼が音楽学校を目指すというなら、確かに彼女が思い悩むのも無理はないかもしれない。もはや学力がどうこうという問題ではないのだ。
普通の大学なら、学科は違っても同じ大学に通うことができるかもしれない。けれど音楽学校――つまり音楽大学や芸術大学となると、同じジャンルの夢を持っていないと難しいだろう。
彼女も音楽や芸術の道を進むのでない限り、彼が夢を叶えれば同じ学校に通うことはできない。けれど夢が破れるように願うこともできない。
私の勝手な想像だけど、彼女はこんな板挟みに悩んでいるんじゃないだろうか。
「僕はそのレコードを聞いたことがないんですが、さぞ良いものなんでしょうね」
「うーん……実は割と普通なんですよね。指揮者もオーケストラも有名なところじゃなくって。あんまり価値は無かったんだと思いますよ。裏に落書きしても叱られなかったくらいですし」
「それでも君の『一番』なんですね。良いことです」
「不思議ですよね」
私はごく自然な流れで会話からフェードアウトして、クラシック以外のレコードの箱に紛れ込んでいないかチェックしながら、二人のやり取りに耳を傾けていた。
失せ物探しの片手間の雑談は終始なごやかな雰囲気で進んでいた。この辺りは流石の蓮池さんと言うべきだろうか。私なんかとはトークスキルの経験値が桁違いだ。
けれど会話の弾み具合とは裏腹に、レコード探しの成果は完全な空振りだった。
「ここにもなかったかぁ……すみません、仕事の邪魔しちゃいました」
「いえいえ、お気になさらず。こちらも心当たりをあたってみましょう」
結局、彼は手ぶらのまま帰ることになってしまった。やる気を出してもこの結果とは、自分に少しがっくり来てしまう。
けれどそのことは蓮池さんには言わない。きっと『無いものはどうしようもないのだから、君のせいではありませんよ』とか反論できない慰めをかけてもらうことになってしまうだけだ。
私が気にしているのは、間の悪さとかめぐり合わせの悪さというか、そんな感じのアレだ。実力とか努力とかとは関係ないところで『上手くいかない』運命なんじゃないかとか、そういう――
「――いやいやいや、流石にネガりすぎでしょ」
悪い考えを振り払おうと頑張りながら、もっとポジティブなことに頭を使おうとしてみる。
例えば、そう。店頭になかったのは偶然じゃなくて、何か出せない理由があったからとか。
「蓮池さん。ひょっとしてそのレコードってマルトクだったりとかしません? だからどの店を探しても見つからないとか」
「可能性はないわけではないですね。僕も全てのマルトクを把握しているわけではありませんし、未発見のものというのも否定しきれません。中古業者だけでなくそちら方面の同業者にも問い合わせてみましょうか」
蓮池さんの反応から察するに、どうやら例のレコードのマルトクは蓮池さんが知る限りでは存在しないらしい。
これは期待薄かもしれないな――そんなことを思いながら、ひとまず普段の仕事に戻ることにする。
そして何事もなく一日が終わり、次の日、そのまた次の日と時間が過ぎていく。事態が動いたのは三日目の午後。蓮池さんの携帯に入った一本の電話がきっかけだった。
「綾香さん、朗報です。例のレコードらしきものが知人の店にあったそうですよ」
「ほんとですか!? ど、どこのお店に!?」
「普通のリサイクルショップですよ。古着や中古家電を中心に取り扱っているところで、僕達が買い取った『店に合わないジャンルのレコード』を引き取ってもらっている業者でもあります」
見つかってほっとした反面、レコードがマルトクだったんじゃないかという仮説が盛大に大外れだったことが少しだけ残念だった。
「それじゃ、あの子に連絡しないと……!」
「いえ、待ってください。もしも勘違いだったときにぬか喜びをさせてしまいます。これから受け取りに行ってきますので、ちゃんと現物を確認してからにしましょう」
蓮池さんに正論で諭されて、考えなしに突っ走りかけていたのを踏みとどまる。見つかりましたと連絡を入れた後で、やっぱり間違いでしたと訂正するのは想像するだけで気が引ける。
レコードを取りに行くのは蓮池さんにお願いして、私は店番をしながら蓮池さんが帰ってくるのを待つことにした。
――カランカランとベルが鳴る。
入ってきたのはセーラー服姿の女子生徒が一人。なんていう偶然なんだろう。その女子生徒は、例のカップルの女の子の方だった。
その女の子は、顔見知りがいないのを確かめるかのように店内を見渡すと、足早に私の方に駆け寄ってきた。
「……あの、本当に効くお守りって置いてありますか?」
「え? えっと……パワーストーンのアクセサリーなら入口のところに……」
「そうじゃなくって……その……まるとくっていうんでしたっけ。それを探してるんです」