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《婚約時代 2》  1  研修医一年・一月〜二月

時代背景は、世紀を跨ごうと言う1999年頃となります。(実際の地名なども出て参りますが、フィクションです)ごゆっくりお楽しみ下さい。

《婚約時代2》

      1  研修医一年・一月

               一


 新しい年が明けた。 利知未は今日、倉真に連れられて、始めて館川家の敷居を跨ぐ。 朝美からレクチャーを受けた通りに、薄化粧も施した。


 前日の大晦日から、利知未は元日の準備に大童だった。 洋服を決めて、バッグの準備をし、出勤前に手土産も準備をした。 何を持って行けば良いのか悩み、倉真の実家が和菓子屋を営んでいる事を思い出した。

『って事は、定番の和菓子とかは、持って行けないよね……?』

 それで、考えた。 お年賀代わりにも、成る物が好ましいだろうと思った。


 珈琲ギフトを持って行く事も考えたが、果たして、館川家では飲むのだろうか? 倉真に聞いても、八年近く親元を離れていた彼は見当が付かない。

 それなら、商売屋の事だから日本酒はどうかと考えたが、婚約者の両親に始めて会うのに、日本酒も無いだろうと直ぐに却下した。

 結局ベターに、海苔と鰹節と顆粒ダシの入った、乾物セットお年賀を用意して見た。 本当にそれで良かったのかどうかは、元旦に目を覚ました時もまだ不安だった。



 朝は、倉真の為に雑煮を作って出した。 利知未本人は緊張で胃が萎縮してしまい、何も入らない気分だ。

 倉真には心配をさせたくなくて、無理矢理、小さな餅を一切れだけ腹へ収めた。 けれど、誤魔化し切れる事でも無い。

 食欲の無さは、見ていれば判る。 倉真は、何時も通りの食事量だった。

「お前、大丈夫か?」

「ん? 平気だよ。 昨夜も遅かったから、そんなにお腹、空いてないだけ」

聞かれて、利知未は緊張を押し込め、少し無理をして笑顔を作った。

「心配するな。 お前には家族全員、感謝してるんだ。 胸張って堂々としていてくれれば良い」

倉真はそう言って、優しい笑顔を見せてくれた。

 その目を信じて、利知未は少しだけ気持ちが安らいだ。


 全ての準備を終え、アパートを出る前に思い出した。

『写真、今日、持って行って上げた方が……、きっと、良いよね?』

 玄関へ出掛けて、リビングへ引き返した。

「どうした? 忘れもんか?」

「うん、ちょっと。 直ぐ行くよ」

リビングから、利知未の声が聞こえて来た。


 プロポーズをして貰う前に整理をしてあった倉真の写真を、書棚の隣に置いてある物入れから取り出した。

 中身を確認して、ハンドバッグの中へ仕舞った。

『手土産やお年賀より、これが一番、嬉しいよね? きっと』  ……倉真の、ご両親は。

恐らく、家を出てからの息子の様子を、ずっと気にされていただろう。


『一美さんにも会えるのか。 ボロが出なければ良いけど』 それを思って、少しだけ気が楽になった。 ご両親との初顔合わせは確かに緊張しているけれど、将来、義妹となる一美とは、すっかり仲良しだ。

『友達に会うくらいのつもりで、行こう』  責めて、館川家の門を、潜るまでは……。


 気持ちを切り替えて、玄関で待っていた倉真には笑顔を見せた。



 館川家では、朝からそわそわした空気が流れていた。

 今日、始めて。 長男が、将来のお嫁さんを連れて来てくれる。


 散々、息子の腕白振りとヤンチャ振りには、手を焼かされて来た。 彼が父親と大喧嘩をして家を飛び出してから、八年近い月日が流れている。


 二ヶ月前、七年半振りに連絡を寄越した息子は、その後、七日間かけて、喧嘩別れした父親と将来の事を話し合う為に、通い続けて来た。 あの時の長男は、すっかり落ち着いた大人の男に育ってくれていた。

 その成長が今日、連れて来てくれる女性のお陰である事は判っている。 まだ顔も知らないその女性に、家族一同、心から感謝をしていた。


 長女・一美は、家族には内緒で、すっかりその人に懐いてしまっている。

『利知未さん、今日はどんな格好してくるんだろう?』

 想像して、楽しみが膨らんでいる。 緊張気味の両親に比べて一人、気楽なニヤケ顔だ。

「あんたは、肝が座っていると言うか、何と言うか……」

呑気な娘の様子に、母親が呆れてそう言った。

「どうして? ワクワクはするけど、緊張はしないよ」

 一美は茶を啜り、お節の煮豆を摘んでいた。


 利知未に会いに行った事は、まだ言っていなかった。 父と兄の話し合いが、もう少し延びてしまう様なら、折を見て報告しようと思っていた。

 利知未の言葉も、二人の話し合いが思いの外にスピード解決をしてくれた事で、伝える機会を逸していた。


「一美を見習って、少し落ち着いた方が良さそうね」

 母はそう言って、気を落ち着ける為に、夫と自分の茶を入れた。

 家族三人は、居間に揃っていた。 テレビには、今年の初日が映っていた。



 利知未と倉真がアパートを出たのは、九時半頃だ。 バイクでも片道一時間半掛かる。 今回は利知未の服装もワンピースだ。 バイクで行く訳にも行かない。 前日の内に、倉真が準一の車を借りて来てくれた。


 車に乗り込んで、ハンドルは倉真が握った。

「ジュン、正月に車、使う予定は無かったの?」

「バイクがあれば、用は足りるって言ってたぜ」

「樹絵と、どっかへ初詣に行ったりしないのか」

「樹絵ちゃんは、流石に実家へ帰ってるらしい」

「そっか、普段はジュンの所へ泊まってるんだから、正月くらいは実家に帰るよね」


 自分には、下宿時代から、正月に帰る場所が無かった。 裕一の生前、二年間だけは、裕一の一人暮らしのアパートが実家代わりになっていた。

 年末年始に家族の元へ帰ると言う行為自体、縁の無い事だった。


「そう言う事だ。 樹絵ちゃんは、俺とは違うからな」

「北海道は今頃、雪が深いんだろうな」

「だろうな。 今度、夏にでも行ってみるか?」

「和尚は毎年、行ってるんだよね。 働いてる所、見に行ってみようか?」

「今年も行く気なのか?」

 どうせ行くなら、由香子の所へ行った方が良いのではないだろうかと、倉真は思った。

「今度、聞いてみようか? で、今年も行くって言うなら、遊びに行ってみるのもイイかもね」

「休み、取れるのか?」

「それが、問題かな」

「取れたら、行くか」

「お盆休みくらい貰えるんじゃないかとは、思うけどね」

倉真も同じ事だ。 有給休暇はあるけれど、家族持ち以外の従業員一同は消化し切れずに、たんまりと残ってしまっている。


 元日で道は空いていた。 車は順調に、東京の東の端へと距離を伸ばす。 利知未は成るべく気を紛らせるように、余り関係の無い事を選んで話題に載せていた



 一美は、二人が来る予定の時間を聞いて一端、自室へ引っ込んでいた。

 居間での両親の雰囲気は、そわそわしていた。 緊張の所為か、父も新聞を上下逆さまにして手に取ったり、母も、まだ茶が残っている湯飲みに、ついうっかり注ぎ足して溢してしまったりと、小さな失敗が多くて面白かった。

 けれど、それに釣られて自分まで緊張し始めてしまった。


 自室で定期購読している雑誌の、『新年特大号・今年の運勢』のページを、自分と全く関係ない星座欄まで熟読してしまった。

 それから時計を見た。 十時半に成る所だった。

「あと、三十分くらいかな?」

呟いて、他にすることは無いか考えてみた。 思い付かなくて、衣装換えなどしてみた。 部屋着から普段の外出着へ着替えて、髪を直す。

『そう言えば、利知未さん。 化粧はそんなにしてなかったよね』

スッピンに近い感じで、それでも綺麗な顔立ちをしていた。 少し中性的な感じだったかもしれない。

 お客様を迎える支度を整えて、五十分頃、階下へ降りて行った。


 キッチンへ顔を出すと、母親の緊張は天辺まで届いてた。 落ち着けなくて、お客様の食器を色々と引っ張り出して並べて、比べていた。

「一美、どれが良いと思う?」

「どれでも一緒じゃない? だけど、その桜の湯のみ、綺麗だね」

白い地に、淡い桃色の八重桜の花が描かれている湯飲みに、手を伸ばした。

「こんなの、あったんだ」

「出て来たのよ。 棚の奥の方へ仕舞いっ放しだったわ。 それにしようか?」

「良いんじゃない。 そろそろ、来るかな?」

時計を見て母も頷いた。

「そうね。 お父さん、早く戻ってくれば良いけど」

「どっか行っちゃったの?」

「散歩してくるって、十時過ぎに出て行ったのよ。 落ち着かないみたいでね」

そう言って、くすりと笑う。

「落ち着かないのは、お母さんも一緒でしょ? 緊張がこっちにまで、移ってきちゃいそうだったモン」

「そりゃ、緊張するわよ。 どんな人何だろうね? 利知未さん」

利知未が来る前に、あの言葉を伝えてあげた方が良いかも知れないと、一美は思った。

 もったいぶるように間を置いてから、言い出した。

「背が高くて、綺麗な人だよ。 で、凄く優しくて、お料理が上手なの」

娘の言葉に、母親が目を丸くする。

「まるで、見て来たみたいな言い方をするじゃないの?」

「会いに行って来ちゃったから」

 母はビックリして、言葉が一瞬、出なかった。

「…いったい、何時の間に」

「お兄ちゃんが、まだ通って来てた時」

「どうやって探したの?」

「病院、六軒回って、足で探しました」

「……あんたって子は」

娘の行動力に、呆れ果ててしまった。

「利知未さんに言われていたの、伝えるの忘れてた。 自分が言う事じゃないかも知れないけど、お母さんに、息子さんをもっと自慢にして下さいって伝えてくださいと、言ってました」

「……自慢出来るような息子じゃ、なかったわね。 ……昔は」

 言葉の裏を良く考えて、母親は、そう呟いた。



             二


 二人が到着する寸前に、父親が帰宅した。自宅へ向かって歩いて行く後姿を、倉真は車の中から見付けてしまった。

「親父だ。 何処、行ってたんだ?」

自分達が来る事は、判っていた筈だ。

「お父さん?」

一気に、利知未の緊張が復活してしまった。

 少し前を歩く後姿を、じっと見つめてしまう。 狭い道で、車の速度はゆっくりだった。

『背、高い人なんだ……。 身体も、ガッチリしている方なのかな』

 そんな感想を持つ。 利知未の視線は、その背中に釘付けだ。

「追い抜いちまうな。 ……緊張、してるか?」

チラリと利知未の顔を横目で見て、倉真が言う。 ギアから手を離して、利知未の膝の上に置かれている手を取る。

 掌の向きを変え、倉真の手を確りと握り返した。 緊張で震えていた。

「…平気だ」

呟いて、倉真は、自宅前へ車を止めた。

 ギアを切り替える為、一度確りと利知未の手を握ってから、その手をそっと解放した。



 自分の横を通り過ぎて行った車に、神経は届かなかった。 今の気持ちは、それ所ではない。 数メートル先の自宅前で止まった車を見て、始めて運転席と助手席の後頭に注目した。 足が止まる。

 車のドアが開いて、頭をぶつけないように少し身を屈める様にしながら、息子が姿を現した。

 倉真は振り向いて、父親にニヤリと笑って見せた。

「よう、親父。 何処まで行ってたんだ?」

「…散歩だ。 挨拶も出来んのか?」

「明けましておめでとう」

肩を竦めて言いながら、助手席側へ周ってドアを開く。 利知未の緊張した顔を覗き込んで、もう一度囁いた。

「平気だ」

小さく頷いて、利知未は漸くシートベルトを外した。 倉真が身体を開いて、車を降りる利知未の手を取ってくれた。


 父親は、自宅の玄関に向かって、漸くゆっくりと歩き出した。

 助手席から、すらりと背の高い、綺麗な女性が、息子に手を取られながら降り立った。 さわやかな水色のワンピースが、良く似合っていた。

 女性は自分の姿を認めて、深々と頭を下げた。 顔を上げて、緊張した声で挨拶をしてくれた。

「始めまして。 明けまして、おめでとうございます」

 落ち着いた声質だ。 聞いている方も、少し気が落ち着けそうな声だった。

「…うむ」

そんな声しか、出て来なかった。

 倉真の父親は、利知未に小さく頷くような会釈を返して玄関へと消えた。

 利知未は動けなくなってしまった。

「大丈夫か?」

言いながら、後部座席から利知未のバッグとお年賀を取り出して、ドアを閉めた。 バッグを受け取って、利知未は小さく頷いた。


 自宅前で車が止まる音と、その後の、兄と父の声を聞いて、一美は急いで玄関へ向かった。 母親は小さく深呼吸をしてから、ゆっくりと動き出す。


 娘から、今日やってくる女性に会いに行った時の話を聞いた。 兄には内緒にしてと、頼まれた。

 話を聞いている内に、益々、これから会うのが楽しみに成っていた。

 今日、漸く。 その女性を見る事が出来る。


 一美は、パタパタとスリッパの音を響かせて、廊下を行く。 父親が何とも言えない顔をして、靴を脱いでいた。

「お父さん、お帰り! 利知未さん!?」

父親には言い流して、一美がサンダルを引っ掛けて顔を出した。

 玄関に向かっていた利知未は、一美の笑顔を見て気持ちが和らいだ。

「明けましておめでとう、一美さん」

笑顔が自然に出てしまった。 二人の様子を見て、倉真が変な顔をする。

「初めてじゃ、無いのか?」

つい、聞いてしまった。 一美と利知未は視線を合わせて、しまった顔をする。 母親が漸く玄関へ到着した。 散歩から帰宅した夫に声を掛けた。

「あなた、お帰りなさい」

夫は無言で頷いて、居間へ引っ込んでしまった。


 兄に突っ込まれて、一美は小さく舌を出していた。 二ヶ月振りにやって来た息子と、その場の様子を見て、母親は小さく笑ってしまった。

「もう、ばれちゃったのね」

「失敗した」

「倉真、ごめんね」

利知未は素直に、倉真に頭を下げていた。

「いらっしゃいませ。 お待ちしてましたよ」

倉真の母親に声を掛けられ、慌てて身体の向きを変えた。 恥ずかしくて赤くなってしまう。 深々と頭を下げて、顔を上げる。

「始めまして。 瀬川、利知未と申します」

「息子が、お世話になっております。 兎に角、上がって下さいな」

倉真にも、お帰りなさいと声を掛けた。


 一美の登場で、利知未の肩の力が抜けてくれた。 いくらかリラックスすることが出来て、漸く利知未の頬に笑顔が浮かびだした。

「ったく」

 倉真はそう呟いたが、内心で、少しだけ一美に感謝していた。



 居間に通され、改めて倉真の家族と挨拶を交わした。

「新年早々、お邪魔致しまして」

確りと三つ指を突いた利知未を見て、両親は感心した。

「こちらこそ、元日からお呼びたて致しまして」

母親も頭を下げた。 顔を上げて、ニッコリとしてくれた。

「ご挨拶代わりに」

利知未は用意して来たお年賀を差し出した。

「ご丁寧にどうも」

 受け取ってくれた。 利知未は、ほっとした。

「彼女が、結婚したい人だ」

倉真も少し気恥ずかしい。 利知未が、自分で名乗ってくれた。

「瀬川 利知未と申します。 宜しくお願いいたします」

自分から言うべき事は、他には何だろうか……? 少し考えてしまった。


 父親は何を言うべきか、全く判らない。 元々、口が達者な方ではない。 母親が、今までも上手にフォローして来たのだ。 お得意様になってくれたお客様へのご挨拶も、いつも母親の仕事だった。

 それから、母親が上手く舵を取ってくれた。


 結婚しても、同居する事にはならない。 姑として言うべき事も、特には無い。 そのつもりで、色々と彼女の人となりを知りたいと思った。

 利知未は素直に、母親からの質問に答えた。

「一美が、行き成りお邪魔したんですって? ご迷惑お掛けしました」

「いいえ。 尋ねて来てくれて、嬉しかったです。 とても、良いお嬢さんですね。 彼女が妹に成ってくれるのなら、本当に嬉しいと思いました」

「我が侭で、困ってますよ。 利知未さんのご家族は?」

 その質問は、少し怖かった。 けれど、それにも素直に答えた。

「お恥ずかしい話ですが、私の両親は、私が幼い頃に離婚してしまいました。 兄が二人居りまして、三人とも母に引き取られました」

「そう……。 お兄さん達は、何をされているの?」

倉真が、心配そうに利知未を見ていた。 その倉真へ小さく頷いて見せて、利知未は話し出した。

「長兄は、もう十一年前に事故で亡くなりました。 もう一人の兄は食品会社の営業職へ就いております。 結婚が早くて、二人の子供と、奥さんと、今は練馬におります」

「お母様は、お兄様とご一緒に?」

「…母は単身、ニューヨークで働いております」

目を伏せてしまう。 利知未にとって、家族構成は一番聞かれたくない事かも知れない。

 言葉が無くなってしまった。

「彼女の事情は承知の上だ。 利知未と結婚するんだから、関係ないだろ」

利知未の変わりに、倉真がそう言ってくれた。 その言葉に勇気を貰って、利知未は続けて話し出した。

「そう言う事情で、幼い頃から両親とは離れて暮らしておりました。 小学校までは大叔母に引き取られ、育てて頂きました。 大叔母夫妻が亡くなって、中学から十年間、神奈川の下宿でお世話になりました。 ……倉真さんとは、その頃に知り合いました」

 利知未の事情に、両親は何も言葉が出ない。 一美も始めて聞いた。

「……私は、彼の優しさに救われました。 感謝してます」

「…利知未」

 倉真が呟く。 母親が、漸く言葉を見つけた。

「感謝だ何て……。 それは、私たちの言葉です。 どうし様も無かった息子が、こんなに確りして、戻って来てくれて……」

 そして、言ってくれた。

「貴女の、お陰です。 利知未さん、本当に、…本当に、有り難うございます」

 深々と利知未に頭を下げる。

「そんな、…あの、頭をお上げ下さい」

どうして良いのか判らなくなってしまった。 倉真を見て、一美を見て、父親を見て、母親に手を伸ばす。

 腰を浮かせて、倉真の母の身体へおずおずと触れる。 その手を取り、頭を上げて貰った。 母親の目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。

「ごめんなさい、……つい」

一美も手を伸ばして、母の背中をそっと撫でた。 男二人は、どうして良いやら判らない。 父親は言った。

「泣くヤツがあるか」

「ごめんなさい、あなた。 いい年をして、見っとも無いですね」

母は泣き笑いの顔を見せる。 父は目を逸らす。

 暫らくして、漸く利知未を見て言ってくれた。

「息子を、頼みます」

それまで、全く利知未に対して口を利いてくれなかった。 利知未の目にも涙が滲んで来てしまう。 瞬きして、涙を払った。

「……はい。 有り難うございます」

 再び姿勢を正して、深く頭を垂れた。 立ち上がり部屋を出掛ける父親に、倉真が声を掛ける。

「親父!」

 足が止まる。 倉真は向きを変え、姿勢を正して無言で頭を下げた。

『有り難う』 心の中で、そう言っていた。

 ふん、と小さな息を漏らして、父親は部屋から出て行ってしまった。

「ごめんなさいね、あの人は不器用な物で……。 利知未さんに、どんな顔をして見せれば良いのか判らないのよ」

「いいえ。 ……倉真の、お父さんらしい」

首を横に振り、呟いてしまった。 母親は、にこりとして言った。

「本当に、そっくりなのよ。 これから先も、ご迷惑を掛けてしまうと思うけど……。 息子を、どうか宜しくお願いします」

 再び頭を下げられて、恐縮してしまった。


 利知未の事情は、確かに複雑だ。 格式ばった家庭では、その身を受け入れるのも難しいのかもしれない。 けれど、家庭の事情よりも、何よりも。

 今、こうして目の前に居る息子の成長を思えば、その人柄一つが大切だと思う。 他の事など問題にする気は、毛頭なかった。


 暫らくして、倉真が立ち上がる。

「親父、探してくる」

「じゃ、お昼の用意、しておくわね」

「おお」

短く返事をして、倉真は居間を出て行った。

「あの、ご迷惑でなければ、お手伝いさせて頂けますか?」

言い出してくれた利知未に、母親は素直に手伝ってもらう事にした。

「そうですか? じゃ、遠慮無しで、お手伝いして貰おうかしら」

「あたしも、やろうか?」

「そうね。 三人で、急いで準備してしまいましょう」

 女三人は連れ立って、キッチンへと引っ込んだ。



 父親を探して、倉真は先ず家中を歩き回った。 玄関に父親のサンダルがなくなっているのを見つけて、靴を履いて外へ出た。

『何処へ行ったんだ?』  考えて、家の裏手にある店へ周る。 そこにも居なくて、考えた。

 徒歩、十五分ほどの所に、父親のお気に入りの釣りスポットがある。 この寒空の下、流石に釣りはして居ないのだろうが、散歩にも丁度良い距離だ。

 思い付いて、河原へ向かった。


 父親は、考えながら歩いていた。

 息子が、もしも途中で挫折したら、その時は改めて自分の跡を継がせるのも、これから先の考えの一つだった。

 その時、彼女はどうするのだろうか?

 その考えと、別の思いが、もう一つ。

『あの利知未さんが、倉真と一緒になってくれるのなら……』  何事にも中途半端だった不祥の倅も、本当の意味で一人前に成ってくれるのかも知れない……。

 息子よりも、一つ年上だという。 現在は大学病院で、外科医として働いていると言うのは妻から聞いていた。

 その生い立ちも、中々、苦労をして来た女性のようだ。 ……あの若さで。

『アイツには、丁度良い女性かも知れないな……』 勿体無いくらいだ。 そう、感じた。


 息子と引き比べて、結婚したばかりの頃の自分達を思い出した。

 妻は、昔から確り者で明るく、頭の良い女性だったと思う。 思い遣り深い女性で、長年、自分を信じ、文句一つ言わずに着いて来てくれた。

 妻の協力があり、自分は店を立ち上げ、軌道に乗せることが出来て来た。 結婚して二十九年。 普段は口には上せないが、深く感謝をしている。


『少し、昔の母さんを、思い出すな』  利知未に関して、そうも思う。

 やはり、血は争えない。 息子と自分は、女の好みも似ているらしい。 ……外見よりも、その中身を指して。

 それにしても、アイツは随分と面食いだったんだな、とも思った。


 考え事をして歩き、ふらふらと河原まで来てしまった。

 何時も釣り糸を垂れている辺りに腰を下ろす。 川面は、昼近くの高さから射す太陽の光を照り返している。

 少し先で、少年達が凧揚げをしていた。 風は強い。 それでも日の光は暖かく、新春の青空には、飛行機雲が、たった一筋……。



 何時もの、お気に入りスポットで。 背中を丸めて、座り込んでいる父親を見付けた。 倉真は近付いて行く。

「親父」

 声を掛けられ、後ろを少し振り向いた。

「お袋が昼飯、準備してるぞ」

「判った」

返事をした切り立ち上がらない父親を見て、倉真はタバコを取り出した。

火を着け、呑気に吸い付け煙を吐き出した。 父親の眺めている川面に、自分も視線を向ける。

 父親がポツリと、溢すように言った。

「お前は随分、面食いだったんだな」

「外見に惚れたんじゃ、ネーよ」

「……判っている」

ゆっくりと立ち上がり、もう一言、漏らした。

「母さんの、若い頃を思い出した」

「お袋は、美人だったのか?」

少し、ふざけて聞き返してやった。

「そう言う意味じゃない」

「…判ってるよ」

 父親は立ち上がって、まだ川面を眺めて止まっている。

「腹、減った。 戻ろうぜ?」

 息子に促されて、漸くゆっくりと歩き出した。



 昼食の準備を整えて、まだ戻らない二人を待ちながら、倉真の母が入れてくれた茶を飲んでいた。

 思い付いて、利知未はバッグから封筒を出した。

「あの、部屋を整理していたら、出て来たのですか……」

言いながら、封筒を母親の前へ差し出した。

「これは?」

「写真です。 倉真さんとは昔からの仲間だったので、友人達と一緒に旅行へ行った事もあったので。 ……私も同じ物を持っているので、宜しければ、こちらへ彼の分を置いておいては、頂けませんか?」

ニコリと微笑んだ。 母親はビックリして、封筒へ手を伸ばす。

「……有り難う。 何よりの、贈り物です」

「二人が戻るまで、見てませんか?」

「何? お兄ちゃんの写真?!利知未さんも写ってるの?」

「写ってるよ? 余り、自分の顔は見られたくないけどね」

「早く開けてよ、お母さん!」

 一美にせっつかれて、母親は封筒の中身をテーブルの上へ出した。


 そこには、自分達と離れていた間の、息子の活き活きとした笑顔が写っていた。

「それは、倉真さんが十九歳の頃の写真です」

キャビンの写真を指して、利知未が教えてくれた。

「この子、この頃まで、あの頭のままだったのね……」

母親は嬉しげに、恥かしげに微笑んでいる。

 一美は兄よりも、隣に写っている利知未に興味を示す。

「利知未さん、格好イイ!」

「オートバイ、乗るの?」

母親にも驚かれて、利知未はややバツが悪い感じもする。

「お恥かしいながら……」

「元は、お兄ちゃんのツーリング仲間だったって」

「それで……」

何故あの息子が、こんな確りしたお嬢さんと知り合えたのか、漸く理解した。

「利知未さん、活発なお嬢さんだったんですね」

母親はそう言って、笑顔を見せてくれた。

 それよりも前は、里真達と倉真達が知り合った、彼らが十七歳の頃の写真までがある。 それは倉真が焼き増し分を貰ったまま、仕舞いこんでいた中から数枚を、利知未が勝手に入れてしまった。

「その辺りからしか、有りませんが……」

「十分です。 本当に、有り難う。 ……あの子、家を飛び出してからも、良いお友達に囲まれて……。 楽しそうな顔してるわ」

 まだ、少しあどけなさが残る、その頃の写真を。 母親は、長い時間じっと眺めていた。

 一美は、利知未が一緒に写っている写真をピックアップして、自分の手元へ引き寄せて、眺めて騒いでいる。



 散歩からの帰り道、倉真と父親は殆ど話をしなかった。 家が近付いて来た時、父親が言った。

「……お前には、勿体無いくらいのお嬢さんだな」

「会社でも、言われ続けてるよ」

「職場では、上手くやっているのか?」

「問題ない」

「そうか」

 それ切り、言葉は続かなかった。

 玄関を入った途端、一美の笑い声が、居間から響いて来た。


 一美は、鳩ノ巣渓谷での集合写真・三枚セットを目聡く見つけて、大笑いしている。

「利知未さん、ビショビショ!」

「悪戯されたんだよね、そこの双子に」

「この人達は利知未さんの、下宿の仲間だったんだ」

「そう。 一人、普段は日本に居ない女の子が居るけど」

「成る程ね。 沢山、妹みたいな子が居たんだ」


 下宿の仲間の話や宏治達の話を、楽しそうに聞いていた。 母親も、家を出ていた間の息子の様子を、興味深く聞いていた。


 ただいまと、玄関から呼ばわる倉真の声に反応したのは、利知未だった。

「帰って来たみたいですね。 …仕舞っちゃいましょう?」

「そうね」

母親は利知未に声を掛けられて、写真を集めて封筒へ仕舞い直した。 そのタイミングで、二人が居間へ姿を現した。

「お帰りなさい。 直ぐにご飯、食べられますよ」

妻の言葉に、低く唸る様な声で返事をして、父親は腰を下ろした。 女三人、再びキッチンへと引き返して、昼食を居間へと運んで来た。

 昼食までよばれ後片付けを手伝って、帰る前にチラリと、倉真の部屋を見せて貰った。

「ここで、十七歳になる前まで寝起きしていたんだ」

 母親は、あの頃、倉真が読んでいた雑誌も、そのまま取って置いてくれていた。 一冊手に取って、利知未が言う。

「この音楽雑誌、買ってたんだ」

「おお。 俺の好きなバンドが、良く特集されてたからな」

「あたしは、立ち読みしてたな。 小遣いが勿体無くて」

「これも、懐かしいぜ?」

倉真がバイク雑誌を手に取る。 流石に、漫画雑誌だけは片付けられていた。


 倉真の勉強机は、勉強する環境では無かったらしい。 教科書の類よりも、音楽雑誌、バイク雑誌が、卓上を埋めている。

 利知未は、その勉強机の椅子を引いて、腰を下ろしてみた。

「成る程。 勉強机じゃなくて、趣味の机だった訳だ」

あの頃の倉真を思い出して、小さく微笑んだ。

 後ろから利知未の肩へ、倉真が腕を回した。 そっと抱き締める。

「倉真?」

「緊張、解れたみたいだな」

「一美さんの、お陰かな? ……ね、怒らないでね?」

「何を?」

「一美さんが、倉真に黙って、あたしに会いに来てくれた事」

「……そうだな。 役には、たったみたいだからな」

「…うん」


 それからまもなく、二人は館川家を後にした。 帰りの車で、倉真が言う。

「今日は、有り難う」

「あたしこそ、有り難う。 ……倉真のご家族、好きだよ」

 利知未は倉真に、笑顔でそう言ってくれた。



              三


 翌日・二日は、利知未の用事だ。 倉真は今年も、一緒に来てくれた。

「正式にって訳じゃ、ねーけどな。 優さんにも、挨拶しないとな」

「高笑い、してくれるんだよね?」

「…マジ、やるか?」

 バイクを降りて、玄関へ向かう前に、そんな事を言っていた。


 今年も二人揃って顔を出してくれた事に、優夫妻は喜んでくれた。

 去年と違って、今年のお年玉は利知未から出ている。 去年と同様、新年の挨拶をして同時に手を出す真澄を見て、明日香が呆れていた。

 長男・裕一も四歳。 今年の六月で五歳になる。 姉の真似をして、挨拶と同時に手を出したりする。

「早いな。 もう、こんなに大きくなったんだ」

倉真が感心してそう言った。 真澄は倉真にも懐いている。 裕一は、真澄よりは少々、引っ込み思案な様だ。 利知未からお年玉を貰って、そのまま母親の後ろに隠れてしまった。

「裕一。 貰ったら、何て言うの?」

明日香が自分の後ろに隠れた長男に、優しく問い掛ける。

「…ありがとお」

小さな声で、そう言ってくれた。

「どーいたしまして」

利知未は、笑顔で答えてやった。

 新年の挨拶を終えて、改めて倉真が優に報告をした。

「俺達、結婚します」

「そうか。 そうしてくれると、有り難い。 コイツは、並みのヤツじゃ相手に成らないだろうからな」

「あれ? 高笑い、しないの?」

利知未は照れ隠しに、倉真に突っ込んでみた。

「出来るか」

そう、少し剥れ顔で返事をする倉真を見て、利知未は笑った。

 館川家に挨拶に行った時に比べて、気楽な物だ。 倉真は既に優一家とも顔見知りで、兄・優とも仲が良い。


 冗談交じりの挨拶をおえ、今年も三人で大叔母夫妻と兄・裕一の墓参りへ向かった。 出掛けに、明日香が言った。

「利知未さん、良かったわね」

今度は素直に照れた笑顔を見せて、利知未が頷いた。

「倉真と利知未が結婚したら、倉真はお兄ちゃんじゃなくて、叔父さんに成るんだ」

「賢いな。 学校で習ったのか?」

真澄の言葉を聞いて、倉真は感心して言っていた。

 真澄は、利知未も倉真も呼び捨てだ。 明日香は、流石に咎める。

「全く。 お母さんが、さん付けで呼んでるのに、どうして真澄は年上の二人を呼び捨てにするの?」

「だったら、お母さんも呼び捨てにすれば?」

「そう言う問題じゃ無いの」

 軽く、頭を小突いてやった。 母子の会話に、利知未と倉真は笑う。

「いいぜ? 呼び捨てで。 どーせ、近所のガキもそうだし」

「あたしも、気にしないよ。 だけど、真澄。 他の人達の前では、一応、さん付けで呼んでね? そうしないと、お母さんが恥かしい思いをするから」

「はーい。 判りました! 利知未、叔母さん!」

「……ま、イイか」

肩を竦めて、利知未が言う。

「行くぞ?」

 外から優が声を掛けた。 返事をし、兄を追い掛けて二人は玄関を出た。


『利知未さん、すっかり女らしくなったのね』

 後姿を見送りながら、明日香はそう感じていた。


 今年も、始めに大叔母夫妻の墓参りを済ませた。 倉真は後ろから、優と利知未を見守る。 暫らくすると優が立ち上がり、利知未が振り向いた。

「お前も挨拶しておいてくれ。 このじゃじゃ馬を自分が引き受けたって、ばあさん達にも報告してやってくれ」

「じゃじゃ馬って、言う?」

「じゃじゃ馬じゃなけりゃ、跳ねっ返りでどうだ」

「…ま、イイけど」

優の言葉に少し剥れて、倉真には笑顔を向けた。 利知未に呼ばれて、二人で並んで墓前に手を合わせた。

 利知未は今年も、長い時間、頭を垂れていた。


 それから瀬川家の墓所へ移動して、三人で手を合わせた。 倉真は四度目の墓参りだ。

 始めて利知未に連れられて、この場所へ来た時から、そろそろ三年を数える。 つまり、お互いの思いが通じたあの日からも、そろそろ三年。

 始めの一年は、お互い一人暮らしをしていた。 利知未の勉強とアルバイトの都合で、中々、会えない日々が続いた。

 一緒に過ごす時間がもっと欲しくて、生活を共にし始めた次の一年間には、沢山の思い出が出来た。

 そして、同棲生活二年目だったこの一年間。 本当に色々な事が有った。


 漸く、始めて墓参りした時の、約束の中間報告をする事が出来た。

『婚約しました。 俺の家族は、利知未に感謝しています。 ……家族揃って、裕一さんの大事な妹さんを、大切にして行きます』

手を合わせて、倉真は裕一に、そう伝えた。

 先に顔を上げた男二人は、相変わらず長話の利知未を、後ろから見守っていた。


 利知未も、裕一に報告中だ。

 倉真と知り合ってからの、十年以上の年月を振り返っていた。

『始めて会った時には、昔のあたしみたいな、どうし様も無い感じの男の子だった。 守ってやらないとならないヤツだって、思ってた。 ……裕兄の苦労、少しだけ判ったと思うよ。 これも、倉真のお陰なのかな?』

 小さく、微笑んでしまった。

『……今は、倉真に守られてる。 その方法は、裕兄とは違うけど……。 昨日は、倉真のご家族に始めて会って来たよ。 凄く、緊張したけど……。 倉真と、妹の一美さんに助けてもらっちゃった。 ご両親も、素敵な人達だった。 お父さんが倉真にそっくりで、お母さんは、お父さんの事、確りと立てていたよ。 あんなご夫婦に成れたらいいなって、思った。 裕兄。 あたしは。 ……倉真に一生、着いて行くから』

 ……だから、もう心配しないで、ゆっくりと休んでね。


「相変わらず、利知未は話が長いな」

 優は、少し呆れ顔だ。 倉真は、その利知未の後姿に微笑んでいる。

「一年振りだ。 積もる話が、あるんでしょうよ」

ポケットから、タバコを取り出した。

「一服する暇、有りそうだ。 優さんは、吸わないンすね」

「体育会出身だからな。 酒は飲むが、タバコは吸わない」

「良いっすか?」

「おお」

返事を貰って、火を着ける。 吸い付け煙を、優に掛からないように気を付けて吐き出す。

「美味そうに吸うな」

「長過ぎて、止められないんす」

「始めて家に来た時は、モヒカンだったよな」

「メタルで、好きなバンドが有って。 そこのドラマーが、ああ言う頭してたんすよ。 ボーカルとギターはロン毛で、流石にそれは気が引けた」

「モヒカンの方が、気合、要りそうだけどな」

「長髪の方が、気合、要りそうっすよ」

男二人は、そんな話をして時間を潰していた。

 漸く利知未が頭を上げて、立ち上がる。

「お待たせ」

「おお、行くか」

「っすね」

 頷いて、タバコを消して携帯灰皿へ吸殻を捨てた。

「確りしてるじゃないか」

「利知未に、躾けられました」

「利知未に、ね」

 この妹はタバコも吸っていたのだろうと、改めて思った。


 優宅へ向かう車の中で、結婚の話が出た。

「何時、結婚するんだ?」

「あたしが、研修医終わるまで待ってて貰う事になってる」

「と言うと、少なくても来年の三月以降だな」

「そうなるっすね。 利知未のお袋さんにも、挨拶しねーと」

「家の母親は、日本に戻って来る気は無さそうだ。 親戚の顔合わせと結婚式に位は、出て貰わなきゃな」

「……優兄は、明日香さんと式、してないんだよね?」

「まぁ、事情が事情だったからな」

「ウェディングドレス、着たかったんじゃないかな……」

 ポツリと、利知未が呟いた。

「……そうだろうな」

 それについては、優にも心当たりが、無い事もない。


 二人の結婚は、書類上の手続きだけで終わってしまった。 一人目の子供、真澄がまだ腹の中に居た頃。 明日香は、偶に結婚情報誌を開いていた。

 大学と、当時のアルバイトから優が帰宅すると、慌ててクッションの下へ隠していたのを見てしまったことがある。


「あたし達の前に、明日香さんと写真だけでも、どっかで撮って貰う?」

「写真か……」

「カメラマンには、当てが無いことも、無いんだけど」

準一の事を思い出していた。 その師匠に頼む事でも、出来ないだろうか?

「……明日香に、聞いておくか」

それ位は、感謝の気持ちとして、表してやっても良いかも知れない。

「そうして。 あたしも、アテに当って見るよ」

「ジュンか?」

「その、師匠。 ジュンから、聞いて見て貰おうよ?」

「…そうだな、また、その内に行って来るか。 昨日の車の礼もあるし」

「夕飯に呼んでしまっても、良いんじゃない?」

「それもそうか」


 利知未と倉真の会話を聞いて、優は安心した。 倉真のお陰で、どうやら妹も、随分と女らしく成ってくれたらしい。


「倉真。 妹を、頼む」

 ふと、優が言い出した。 倉真は、確りと頷いてくれた。

「絶対、幸せにします」

兄と婚約者の会話を聞いて、利知未は少し照れ臭かった。

「……普通、移動中の車の中でする会話じゃ無いかも」

「そりゃ、そーだな」

 利知未に突っ込まれて、男二人、小さく笑ってしまった。


 優宅へ一端、戻り、明日香に挨拶をして、バイクへ跨った。 優達はこれから子供を連れて、明日香の実家へ顔を出すと言う。

「正月くらい家族で顔を出しなさいって、夕食に誘われてるのよ」

「そっか。 孫とも、遊びたいんだろうね」

「それが、一番の目的でしょうね」

明日香はそう言って、少し呆れた笑顔を見せていた。



 帰宅して、新年二日目の夜を、のんびりと過ごした。

 リビングで新年らしく日本酒で晩酌をしながら、話をしていた。

「やっと、落ち着いたね」

「そうだな」

「次は、顔合わせをどうするか、考え始めないと……」

何時もの落ち着く姿勢で、背中を倉真の身体に預けている。

「昨日は、その辺りの話は余り出なかったな」

「うん。 だけど、結婚は来年に成る事、倉真のご家族、残念がってたよね」

「お前、親父にもそう感じたか?」

「何と無く。 …気の所為かな?」

グラスを口に運びかけ、止まった。 少し視線を上に泳がせて、利知未が首を傾げている。

「気の所為じゃ、無いと思うぜ」

散歩からの帰り道、父親が言っていた事を思い出した。

 お前には、勿体無いお嬢さんだ、そう言っていた。 河原では、昔の母さんを思い出したとも。

 早く、嫁に来て貰いたいのかも知れない。 同居の予定は無いけれど。


「ガキ、作っちまえば早まるな」

「また…! ……今日は、駄目だよ?」

「残念だ」

 倉真に言われて、それも良いかも知れないと、利知未も一瞬だけ思ってしまった。

「それより、あたしの母親には、どうするの?」

「挨拶、行かないとな」

「態々、ニューヨークまで行くのも面倒臭いな」

「お前の、お袋だろ?」

「……そうだけど」

母親に対する思いは、直ぐには変らない。

 この事に関しては倉真も、利知未に強く言うのも可哀想な気もするが、ケジメはつけなければ成らない。

「もう少し、先でもいいよ?」

「何時だよ?」

「……じゃ、結婚式の目処をつけて、その半年前。 ……それじゃ、駄目?」

「親戚の顔合わせってのは、その位にする物なのか?」

「結納すれば、それが顔合わせって事に、成るんだろうけど」

 暫らく考えて、倉真が言った。

「結婚は何時、してくれるんだ?」

「……早くても来年の九月、かな?」

「もう少し、早まらないか?」

「……早く、したいの?」

「早いトコ、自分のモノにしちまいたいのが、本音だよ」

「……ごめんね」

 目を伏せた利知未の表情が、色っぽく見える。

「不安になるよ。 ……お前、また最近、綺麗に成り過ぎだ」

自分で言って、照れ臭い。 そっぽを向いて酒を飲む。 赤くなった利知未が、俯いて呟いた。

「…倉真の、所為だよ」

その雰囲気も、女らしい。 始めて会った頃を思うと、驚くばかりだ。


「……寝るか」

 何と無く照れ臭い空気が流れて、倉真は寝室へ逃げることにした。



 その夜、夢を見た。

 夢枕に立ったのは、倉真が始めて見る、落ち着いた雰囲気の優しげな目をした青年。 少しガッチリした体格を見て、その年を憶測して、倉真はその正体を微かに知る。

「…い…うと…、」

「何だ? 声、はっきり聞こえねーよ」

その青年は、少し困った顔をして笑顔を見せる。

「……妹が、世話になってる…。…漸く、女らしくなってくれたみたいだな。 ……やっと見る事が出来た」

「……あんた、裕一さん、か?」

 微笑して、頷いた。

「君の、お陰みたいだな。 ……あいつの事を解ってくれて、有り難う」

「……これは、夢か……?」

「夢枕に立つしか、出来ないだろう? ……杯を、交わそう」


 何も無い空間に、青年・裕一が腰を下ろす。

 杯と徳利が、いつの間にか、その手に握られている。


 気付くと、向かい合って杯を酌み交わしていた。

「ヘンな夢だな。 ……利知未じゃなくて、何で俺の夢に出て来るんだ?」

「妹を、頼みに来た。 幸せにしてやってくれよ」

倉真の杯に、裕一が酒を満たす。 自分の杯にも酒を満たして、軽く掲げる。

「……言われるまでもない。 あんたと、約束した」

「信じている」

 真摯な瞳の光は、何時か利知未の瞳に感じた、信頼の光と同じだった。

乾杯の仕草をして、二人、酒を飲んだ。

「俺の方こそ、利知未には感謝している。 ……アイツを幸せにするのは、俺の役目だ」

「……これで、やっと落ち着いて眠れる」


 杯を空けた裕一は、既に倉真の夢の中で、消えかけている。


「待ってくれ! ……利知未にも、会ってやってくれよ」

 ……魂の存在など、信じたことも、無かったが……。

「そうしよう」

 優しげな笑顔を見せて、裕一の姿は、霧の中へ掻き消えてしまった。


 同時に、目が覚めた。

 隣の利知未の、寝言が聞こえた。

「……裕兄?」

 利知未の寝顔が、安らかな表情へと変わって行く……。

「裕一さん、今度は、利知未に会いに行ったのか……」

 利知未の頬が、笑み崩れて行く。



 利知未の夢にも、数年振りに裕一が現れた。

「昔、俺があれほど言ったのに、中々、女らしくなってくれなかったよな……。 随分、長い事掛かった物だ。 あれから、もう十一年だ」

 懐かしい裕一の、困ったような表情。

「裕兄……」

「やっと、見たかったお前が、見られるようになったよ」

「……待たせてごめん。 倉真の、お陰だよ」

「……良い、青年だな。 少し、口惜しい気もするが」

 小さく、笑ってしまった。

「それ、焼き餅?」

「ああ。 ……けど、嬉しいよ」

 何も言え無い。 ただ、懐かしい兄の表情を、じっと見つめてしまう。

「……俺は、お前達の父親代わりのつもりで、生きて来た。 本来、父親の変わりに、妹はやらんと我を張る立場だ」

 そう言って、自分の冗談にくすりと笑う。

「……うん、そうだね。 じゃ、裕兄。  ……私を、倉真と結婚させて下さい」

 何も無い空間で、利知未がキチンと正座をして、三つ指を着いている。

 裕一は、その利知未を見て、穏やかな笑顔を浮かべた。

「お前の事は、頼んで来たよ。 ……幸せに成れよ」

「……うん。 有り難う、裕兄」

「結婚式は、早めに見たいな。 ……あの世から、利知未達の事を見守っているよ……元気で」

 顔を上げた利知未の前で、裕一はゆっくりと、消えてしまった。



 倉真の前で、利知未の目から、一筋の涙が流れていた。

「……利知未」

 優しい声に、利知未が薄っすらと目を覚ます。

「……倉真。 裕兄に、会ったよ」

「俺も、会った」

「……幸せにしてね?」

「裕一さんとも、約束したよ」

「……うん」

頷いて、倉真の首筋に腕を回した。 キスをして、唇を離して囁いた。

「愛してるよ。 ……倉真」

「一生、大切にするよ」

 小さく頷いて、身体を離した。


 横になり直して、倉真の身体にピタリと寄り添った。

「……あのね、良い青年だなって、言ってたよ」

「…期待に、応えなきゃな」

「うん。 信じてる」

「……裕一さんにも、言って貰ったよ」

 魂の存在など、信じて来なかった。 けれど、倉真は始めて、その存在を信じようと決めた。

「優しそうな、兄貴だったんだな」

「……うん」

頷いて、もう一度お休みのキスを交わした。

 寄り添ったまま二人は、朝まで、ぐっすりと眠った。



 翌日、倉真は準一に連絡を入れた。

「正月休みが明けたら、聞いてみる」

利知未の兄夫婦の話を簡単に聞いて、準一はそう言ってくれた。

 電話を切ろうとした時に、利知未が受話器を受け取った。

「ジュン? 今度、ご飯食べにおいで」

「マジで? 行く行く!」

「何時が、都合いいんだ?」

「俺、正月休みが七日まであるんだ。 師匠、沖縄旅行中だから」

「じゃ、その前が良い? それとも、その先なら、」

 今月のシフトを思い出して、利知未が言う。

「今月は、十三・十四と、二十七・二十八が土日休みだな」

「倉真、日曜は休みだよね?」

「そう。 土曜は、完全にずれ捲くってるから」

「んじゃ、十四・十五はスタジオが忙しいから、二十八日」

「スタジオが有るんだ」

「有るよ。 ポスター撮りとか屋外で撮影する時以外は、そこ使う。 空いてる時は証明写真とか、お見合い写真とかも受けてるし」

「そっか。 じゃ、そこで頼めば、優兄達の写真も撮れるんだ」

「ウェディングドレスは、どっかで借りて来て貰わなきゃだけどね」

「了解、兄貴に言っておくよ。 じゃ、二十八日、夕方六時くらいに来て」

「アイアイサー!」

「樹絵とは、会ってるの?」

「明日から、四泊の予定」

「上手く行ってるんだ。 何より、何より」

「倉真とは違うから」

「倉真の方が、確りしてると思うけど」

「電話でまで惚気ないでよ。 んじゃ、月末に」

「うん、待ってる」

 電話を切って、倉真に伝えた。


 利知未達の休みは、明日までだ。

 仕事が始まる前に、映画にでも行こうと約束をした。



        2  研修医一年・二月


               一


 二月は、十一・十二日の日・月曜日の連休に、利知未の休みが丁度良く噛みあった。


 先月末に準一が来た時、成人式、七五三、夏祭り辺り以外の連休なら、比較的スタジオが空いている情報を貰い、直ぐに優へ連絡を入れた。

 少し照れ臭いながらも、利知未の申し出を聞いて喜んでいた明日香の為に、優も覚悟を決めた。

 優の休みは、カレンダー通りだ。 明日香は専業主婦である。 日曜祝日ならば比較的簡単に、夫婦の予定が立てられる。 利知未と倉真も同行させてもらう話しに成って、二月十一日・日曜日に、写真撮影の予約を入れた。



 当日は、子供も一緒に写真を撮る事に成った。 優一家は自家用車を使い、利知未と倉真はバイクを使って現地へ向かう。

 スタジオに着くと、準一が休みを返上して利知未達を迎えてくれた。

 準一の師匠は、眼鏡をかけ、鬚を生やした、優しげな男性だった。 弟子から今日の話を聞いて、二つ返事で引き受けてくれた。


 明日香の化粧は、利知未が朝美からレクチャーを受けて来た。

会社のパソコンを使い、利知未のパソコンとメールをやり取りして、予めウェディングドレスのデザインを知った。

 数日前、利知未自身が自分の顔を使って練習をして来た。 朝美の休みと利知未の休みを合わせて、下宿まで行って教わった。

「後は、あんたの感性で、モデルさんの顔考えて工夫してね」

そう言われて来た。

 その日、レクチャーの授業料変わりに、利知未が下宿の夕食の準備をしてやった。



 当日は、明日香の緊張もさる事ながら、利知未も緊張してしまった。 早めにスタジオへ入り、用意されていた控え室でメイクを施した。 緊張で、手が震えてしまった。 仕上がりを見て、明日香は満足してくれた。 それで、漸くほっとした。

 着替えも手伝い、スタジオに入ると、花婿姿の優が照れ臭そうに待っていた。 準一と倉真は、子供達のお守り役だ。 裕一もすっかり倉真に慣れた。

 準一は元々、子供達にとってはヒーローみたいな奴だ。 得意のカードマジックで、待ち時間の気を逸らすのに役立った。

 撮影が始まると、利知未と倉真に出番前の子供達を預けて、師匠の助手に早代わりだ。 中々、確りとした働き振りを見せてくれた。


 母親の姿を見て、真澄は感動した。

「ママ、綺麗! 利知未がお化粧したの?」

「そうだよ。 友達に、教えて貰って来た」

先ずは、夫婦だけでの撮影だ。 その間、利知未とお喋りをしていた。

 裕一は、倉真に男の子遊びをして貰っている。 少し騒がしく成りそうで、スタジオの外へ出ている事にした。


「ソーマは、おじさんになるって、お姉ちゃんが言ってた。 おじさんって、なに?」

 聞かれて、教えてやった。

「裕一の親父さんの、妹の旦那だ」

「おとうちゃんは、リチミの、お兄ちゃん?」

「そうだ。 お前も、賢いな」

頭をかいぐってやった。

 それから肩車をしてやって、スタジオの周りを一周して来た。 裕一は、元気にはしゃいでいた。

「おとうちゃんと、おんなじくらい、高い!」

頭の上ではしゃいでいる裕一を見て、何時か自分の子供にも、こういう事をしてやる日が来るのだろうと思った。

 倉真達が戻る頃、夫婦の撮影は終わった。 明日香は母親の顔に戻る。

「裕一、涎たらして……」

倉真の頭から下ろされ、母親にハンカチで顔を拭かれた。

「お前の頭、裕一の涎が落ちてるぞ?」

少し伸びをすれば、倉真の頭の上は見える。 優に言われて、倉真が参った顔を見せた。

「俺の頭は、昔からガキの涎を垂らされ易いンすよ」

利知未が手を伸ばして、ハンカチで倉真の頭を拭いてやる。

「いつか、由香子を見送りに行った時も、凄かったよね?」

 クスクスと、笑っていた。


 二人を待っている間に、真澄にせがまれ、薄く口紅を塗ってやった。 真澄が倉真のズボンの裾を引っ張って、気を向けてセクシーポーズを取ってみせる。 イッチョ前な様子に、夫婦と利知未は笑ってしまう。

「倉真、どう? 利知未に少しだけ、お化粧して貰ったの!」

倉真も小さく笑って、腰を曲げて視線を合わせてやった。

「将来、美人に成りそうだな」

「へへ」

照れ臭そうな笑顔を見せる真澄に、もう一言、言ってやった。

「利知未には、負けるけどな」

直ぐに剥れる。

「いいよーだ。 利知未より、綺麗になってやるんだから」

「明日香さんの血を引いてるんだから、きっとで可愛く成れるよ」

利知未が、優しい声でそう言った。

「利知未、倉真は意地悪だ。 結婚、止めちゃえ!」

真澄が利知未の近くへ寄って来て、倉真に向かって舌を出した。

「折角、綺麗にして貰ったのに、舌出してどうするの?」

 母に言われて、照れ臭そうに笑った。

「準備、整ったよ!」

準一に声を掛けられ、家族はファインダーの前に並んだ。


 家族の撮影まで順調に済んで、サービスと準一の修行で、利知未と倉真も加わって写真を撮った。 ファインダーを覗くのは準一だ。 ピントや光彩の調節には、師匠のチェックが入る。

 ゴーサインを貰って、準一が一瞬、顔を上げる。 変な顔をしていた。 真澄が吹き出すのを逃さずに、シャッターを押した。

 真澄に釣られて、我慢していた全員が笑ってしまう。 再び、シャッターの音が響いた。 師匠は準一の撮影を、苦笑いして眺めていた。



 全ての撮影が終わり、着替えを始めた。 手伝ってくれる利知未に、明日香が改めて礼を言った。

「利知未さん、今日は有り難うね。 夢が、一つ叶ったわ」

「…そんな。 ただ、家のバカ兄貴が考え無しで、……明日香さんには、寂しい思いさせていたかなって、思って」

自分の結婚が身近な物に成った事を受けて、利知未の心に当時の明日香の思いが、浮かんで来たのは確かだ。


「ね、折角、借りて来た衣装、このまま返すの勿体無いし。 利知未さんも、着て見ない?」

 言われて、ビックリしてしまう。

「サイズ、合わないよ。 明日香さんと十五センチ以上、身長差があるんだから」

「平気よ。 私だって十センチヒール何だから、五センチ位、短くたって」

「…けど」

「ね、着てみてよ? 見てみたいから!」

半分、無理矢理、押し付けられた。

「……じゃ、少しだけ、ね」

興味は出始めていた。 それでも、恥かしいのも確かだ。

「ここで着て、直ぐに脱ぐからね?」

「はいはい。 着替え、手伝ってあげるわ」

明日香はニコリと微笑んで、利知未の着替えに手を貸した。


 着替えてみると、ドレスの裾は利知未の踝辺りだ。 ウエストが少し大きくて、胸が余ってしまう。 それでも始めて袖を通したウェディングドレスに、利知未は鏡を見て頬を染める。

「……素敵。 やっぱり、いいデザインのドレス選んで来たわね、私」

明日香は少しふざけて、自分の見立てに対して自画自賛している。

「ね、もう、脱いでいいよね?」

「ちょっと待って!」

明日香は利知未を控え室へ置いて、スタジオへ出て行った。



 優を見つけて倉真の行方を聞いて、喫煙所でタバコを吸っていた倉真を、こっそり呼んで来た。

「何すか?」

「いいから、チョットだけ、ね?」

 背中を押して、控え室のドアを開けた。


 倉真は控え室へ入って、利知未のドレス姿を見た。

 利知未はスタジオまでライダーブーツだったので、靴は履かずに裸足のままだ。 少し裾は短かったが、シンプルなデザインのドレスは、利知未にも良く似合っていた。

「……倉真!」

「……着て、見たのか?」

利知未はビックリして、姿見の影へ隠れてしまった。

「明日香さん! 直ぐに脱ぐって言ったよね?」

「勿体無いでしょう? 予行練習よ」

倉真は、利知未に見惚れてしまった。

 冴吏のパーティーへ行った時のワンピース姿以来、何も言えなくなってしまった。


 ノックの音がして、真澄が控え室のドアを開ける。

「ママ? 利知未、ドレス着たの? ずるい!」

自分も着たいと思う。

「真澄には、まだ大き過ぎるでしょ? それに小学生の内からウェディングドレスなんか着たら、パパが卒倒しちゃうわよ」

 明日香の声を聞いて、優も顔を出す。

「どうした?」

「利知未さんに、ドレス着てみて貰ったのよ。 見る?」

利知未は益々、恥かしくなってしまった。 準一まで顔を出した。

「あれ? 着たの?! 折角だから、オレが写真、撮ってやるよ」

 カメラを構えて、行き成りシャッターを押した。

「あ、待って! 倉真君、利知未さんと並んで!」

「あ? いや、俺は……」

「おれの衣装、貸すか? サイズは合うだろ」

「いいわね、そうしましょう! スタジオは、まだ平気?」

「今日は、この予定だけだよ。 師匠に断って来るよ」

「ちょっと、ジュン!」

利知未が慌てて、声を掛けた。 …けれど、遅かった。


 本人達より、周りが盛り上がってしまった。 倉真を連れて行き、優が自分の服へ着替えさせてしまった。

 明日香が、さっきのお返しにと言って、利知未のメイクを直し始める。

 真澄は楽しそうに、その様子を眺めていた。 裕一はスタジオの準備をし直している準一に、くっ付いていた。


 準一の師匠も、利知未と倉真を見てアドバイスをくれた。

「靴は履いていないのか。 それなら椅子を使って、バストアップと上半身だけ収めてやればいい」

サービスとお遊びだ。 ファインダーは、準一が覗く。 けれど師匠も、優達が持って来た家庭用のカメラを使って、数枚フィルムに収めてくれた。


 全ての撮影が終わり、着替えてスタジオを出る時。 ついでに自分達で撮ったピンナップ写真も、現像へ出して行った。

「現像できたら、オレが持って行ってやるよ」

準一が、そう言ってくれた。 利知未達へ渡しに行き、優達には、利知未がまた休みの日にでも、届けに行く事にした。


 準一の師匠は、モデルとして、利知未と倉真の姿を気に入った。

「お二人の結婚式の時は、私に撮影させて下さい」

利知未達に言って、名詞を渡してくれた。

「来年の、春以降になってしまいますが……」

「早めに教えて下さい。 予定を空けて、待っています」

 そう言って、笑顔を見せてくれた。



             二


 写真は、一週間で出来上がって来た。 優と明日香の分は、キチンと結婚式の時のように表装してくれてあった。

 準一が写真を届けてくれたのは、翌週の日曜日、午後の事だ。

その日、夜勤だった利知未は仮眠を取っていた。 準一と倉真の声を聞いて、目を覚ました。


 眠そうな目を擦りながら、利知未がリビングへ顔を出す。

「あ、利知未さん、邪魔してる」

「おはよ。 写真、出来たんだ」

「おお。 見るか?」

「うん、見たい」

ニコリと頷いて、利知未がソファに腰掛ける。

「珈琲でも、入れるか。 インスタントでイイか?」

「うん、お願い」

倉真がキッチンへ出て行く。 準一が写真を差し出して、指を指している。

「これ、オレが撮った家族写真。 結構、上手く撮れてるっしょ?」

「本当だ。 腕、上がったの?」

「コイツはね。 師匠も褒めてくれたよ」

嬉しそうに、ニコニコしている。

「被写体がリラックスしている、いい写真だって」

「あの顔、今、思い出しても笑えるよ」

カメラから顔を上げた時の、準一の顔を思い出した。 改めて吹き出してしまう。

次に、準一が撮った利知未と倉真の写真を見せてくれた。

「これも、良い出来だって言ってくれたよ。 けど、同じ所を取った師匠の写真の方が、やっぱ上手いよな。 家庭用のカメラだったのに」

師匠の写真と、自分の写真を並べて見せてくれた。

 利知未は、少し照れ臭い。 けれど確かに、良く撮ってくれてあった。

「何か、改めて見るのは、恥かしいな」

「似合ってるじゃん? 本番は、何時になるんだ?」

「来年の春以降。 そこは、変えられない」

「研修医終わるまで、待つのか? 結婚しても、研修医は続けられるんじゃないの?」

準一の言葉は、一理ある。 それでも、中途半端にはしたくない。

 倉真が、三人分の珈琲を持って来てくれた。

「ありがと」

笑顔で受け取って、口をつけた。

「研修医って、勉強中って事だから。 中途半端なままで結婚して、その後の生活をするのは、やっぱり出来ないよ」

準一と利知未の話の流れを、倉真は考えた。

「それで良いぜ。 気にするな」

利知未の隣に腰掛けながら、倉真はそう言ってくれた。

「ま、本人達がいいなら、良いんだろうけど」

「そー言うことだ。 で、こっちが優さん達の写真か」

「そう。 オレの師匠、良い仕事するんだ」

「そうだな。 正直、驚いた」

待ち時間の時、少し今までの作品を見せて貰っていた。 写真集も何冊か出している。 売れ行きも中々、良いらしい。

「得意なのは、人物や動物だけどね。 風景写真も良いよ」

「アイドルの写真集も、出した事が有るみたいだったな」

「引く手数多。 だから、撮影旅行も頻繁に行ってる」

「お前は、着いて行かないのか?」

「時と場合によるよ。 先輩もいるし。 先輩も最近、いくつか仕事抱えてるから、手が足りない時はオレも行く」

「仕事は、ちゃんとやってたんだな」

利知未が呟いた。 あの日の準一の働き振りを、思い出していた。

「給料貰ってるから。 確り、やらないとな」

「お前の口から、そんな殊勝な言葉が聞ける様になるとは、思いも寄らなかったよな」

倉真が突っ込んだ。 準一が、ニヤリとして言い返す。

「倉真に言われるとは、思わなかった」

「そりゃ、どー言う意味だよ?」

「言葉通り」

「テメ、偶に褒めてやると、直ぐに調子に乗りやがる」

「ジュンだから、仕方ないよ」

二人の会話とじゃれ合いを見て、利知未はクスクスと笑っていた。


 それから三人分の夕飯を作って、準一も誘って夕食を済ませた。

 利知未が出る時に、準一も一緒に暇した。



 倉真は二人を見送ってから、のんびりと一人、酒を飲んだ。 酒の摘みに利知未のウェディングドレス姿を、眺めていた。

「この写真、お袋に見せてやるか?」

ふと、そう呟いた。

自分の姿は気恥ずかしいが、あれ以来、偶に母は連絡を寄越す。 その度に利知未を気遣い、結婚式の事など心配している。 一美もすっかり利知未に懐いている。 父親も、利知未の事は気に入ってくれたようだ。


 結婚が来年の春を過ぎる事を、やはり残念がっている。

「利知未は、家に連れてくと緊張する見たいだしな……」

その内、利知未が夜勤明けで仮眠を取っている時を狙って、写真を数枚、持って行ってやろうかと思った。

『利知未にバレたら、怒られそうだ』 そう感じて、苦笑が漏れてしまった。


 今月の利知未の日曜休みは、来週だ。 その後の日曜日と言うと、三月に入ってからになってしまう。

 シフトの変更が無い限り、来月頭の日曜が利知未の夜勤明けになる。

 その前に一度、実家へ連絡を入れようと思った。



 利知未は、その週の平日休み・火曜日。 優宅へ写真を届けに行った。

 連絡をした時、利知未達の写真も見たいと言われて、渋々ながら一緒に持って行った。

 数枚、足りなくなっている様な気はしたが、あの日は利知未も仮眠から目覚めたばかりで、多少、寝惚けていた。

 気の所為だろうと思い、大した違和感も覚えずに持って行ってしまった。


 明日香は大層、喜んでくれた。

 義姉の嬉しそうな笑顔を見て、利知未も気持ちが明るくなった。 自分達の写真だけは、あまり見られたくなかったのも、本音ではあったけれど……。



 足りなくなっていた数枚は、準一が撮った二人の写真の一部だ。 倉真が選んで抜いて置いた分だと言う事は、勿論、思っても見なかったのだった。




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