死ねない少女
公園のベンチにて。
『立会人かい? 確かに、さっき電話がかかって来て、アンデルセンの奴がそんなことを言っていたね』
店を出た俺達は、適当に理由をでっちあげて、杏と別れた。それからすぐに、小奇麗な公園で、今日あったことをナルミ先輩に電話で伝えた。
明らかに俺の手に負えるものではないし、専門家に頼るのが普通だろう。それに、三碓の言う様に、ナルミ先輩も関わっている問題である。連絡をしないわけにはいかない。
ちなみに、三碓は自販機に飲み物を買いに行っている。一人にするのは少し不安だったけれど、わざわざ果たし状のようなものを送りつけてきたくらいだ。襲ってくるようなことはないだろう。
「それで、どうしたんですか?」
『どうしたもなにも、普通に受けたよ? 少し面倒だとは思ったけれど、面白そうだったからね』
「面白そうだったって……本気で言っているんですか?」
推定、アンデルセンさんは三碓のストーカーもとい、一昨日の夜、三碓を一度は殺した犯人である。そんな人間からの依頼を受け、まして、俺や三碓が関わっていることを、俺達に相談もなしに引き受けるというのは、道理が合わないだろう。
それも、理由が面白そうである。納得がいくわけがない。
『ははは。そんな怒らないでおくれよ、鬼ノ寺君。確かに面白そうだというのが一番の理由だけれど、私は、君や三碓ちゃんの安全を思って、引き受けたということもあるのだからね』
「安全? 相手は三碓を刺した犯人ですよ? 今回だって、俺や三碓が危険に巻き込まれているのに、安全だなんて……」
『いいかい? 私の知るアンデルセンは普通にいいやつだけれど、かなりのアーティファクト好きでね。不死身のアーティファクトなんていう激レアを、そう簡単にあきらめるとは思えないんだよねぇ』
ナルミ先輩は深刻そうに考えていないようで、普段と変わらないような、明るい声でそう語る。
「……何が言いたいんですか?」
『だから、今回の勝負でアンデルセンが負けたら、不死身のアーティファクトからは手を退くという約束を取り付けておいたんだ。もちろん、君が負けたのなら、おとなしく不死身のアーティファクトを渡すという条件でね』
「でも、話を聞く限りじゃ、アンデルセンがそれを守るとは思えませんが……」
『大丈夫、大丈夫。私があいつに協力しているという話を君は聞いたと言っていたけれど、あれは協力というより、仕事を一緒にしただけだ。まあ、その関連で、私はあいつの弱みを知っているから、約束は破らないと思うよ?』
「……その仕事については教えてくれないんですか?」
『それは守秘義務があるから、君にも言えないね。ただ、私の副業……スキルやアーティファクトに関わることだとは言っておこう』
「はぁ……」
ナルミ先輩の仕事。それは、いわゆるなんでも屋だ。なんでも屋と言っても、非日常にかかわること限定らしい。たとえば、アーティファクトの収集だとか、スキルを悪用する人間の捕縛だったり、様々だ。ただ、依頼はなんでも受けるというわけではなくて、気に入った依頼しか受けないようだ。アンデルセンの依頼で、気に入ったもの、興味を引いたものでもあったのだろうか。
多分、非道なことではないとは思うけれど。
「……あれ?」
まあ、それは置いておいて、アンデルセンとの勝負は、つまりは一回勝負。あとくされなく、互いが納
得する形で決着させるというのが、ナルミ先輩の目的ということだろう。確かに、約束を守ってくれるというのなら、筋は通っている話だ。けれど、
「三碓の持っているアーティファクトを素直に渡せばいい話なんじゃないんですか?」
それが一番の解決法だと思える。無駄に賭けをする必要もないし、何より、互いにメリットがある。まあ確かに、三碓を刺したというのは許されることじゃないし、何かしらの落とし前はつけてもらいところだけれど。
『ところがどっこい、話はそう簡単じゃあない。三碓ちゃんのアーティファクトは、心臓と同化しているのさ』
『それって……』
三碓から、赤ん坊の時の事故の時には既に不死だったという話を聞いた時、三碓は何がアーティファクトなのかわかっていない様子だったから、彼女はそのころからずっと肌身離さずアーティファクトを持っていたのかと思ったけれど、まさにその通りだったらしい。
生きている人間は、心臓を手放すことなんてできはしないのだから。
『察しがついたかな。当然、これを取り外すということは、つまり、三碓ちゃんを殺すということになる』
「それでも、ナルミ先輩には三碓を死なせずに不死性を取り除く手段があるんですよね」
不死身ではなくなることが、三碓の望みだった。ナルミ先輩は、これができると言っていたはずである。ただ、それをすると、三碓が本当に死ぬ。つまりは、そういうことだろう。
『へえ、私が三碓ちゃんの心臓を抜き取って、自分のものにしようとしていたんじゃないか、とは思わないんだね』
「……ナルミ先輩を信じてますから」
『……恥ずかしいことを平気でいうなよな、私が恥ずかしいじゃないか』
そんな考えは伝わるはずもなく、ナルミ先輩は声がにやけさせていた。これは想像だけれど、多分、顔も赤らめていることだろう。電話であることが、少し残念だ。
『こほんっ。確かに、私はその方法を二つ知っているよ。一つは、そこそこ時間のかかる手順を踏んで、三碓ちゃんを殺してから心臓を物理的に抜き取ること。二つ目は、数か月単位で時間はかかるけれど、三碓ちゃんを殺さず、無事に不死性を取り除く方法だ』
「二つ目は時間がかかる……それで、立会人、ですか」
時間がかかる。それがネックなのだろう。その間、アンデルセンが傍観しているとは思えない。
『そ。だから、三碓ちゃんの不死性を安全にとりのぞくとなったら、鬼ノ寺君にはちょっと頑張ってもらうことになるかな』
「……死にはしないんですよね」
『さあね。アンデルセンがやりすぎて君を殺すかもしれないしさ。まあ、もちろん、決闘を受けるかどうかは君の自由意志だ。普通のストーカーなんてスキル持ちである君の敵じゃないだろうから、三碓ちゃんとデートをさせてみたけれど、アンデルセンはスキルをもつ能力者だ。どうなるかはやってみないとわからない』
「…………」
『まあ、一応、相手を死なせたら反則いうルールはつけておくし、死にさえしなければ、大抵の怪我は私が治せるから、君自身はそれなりに安全だと思っていていいよ。まあ、本当に、君自身は、だけどさ』
それはつまり、俺自身は負けても、最悪死にはしないけれど、三碓は最悪死ぬということだ。
他人の命を懸けた賭け。けれど、それに乗らなければ、問答無用で、いつでもどこでも、隙さえあれば、アンデルセンは三碓を襲うかもしれない。
「やるしか、ないんですか」
『おいおい、だから、やるしかないなんて、誰も言っていないじゃないか。君が三碓ちゃんを見捨てるのなら、別にやってもやらなくてもかまわないさ……さて、どうするんだい?』
「…………」
やらなければ、三碓は十中八九、殺される。でも、俺が頑張りさえすれば、三碓の安全を保障することができる。
それなら、やらないなんて選択肢は、ない。
「決めました、俺は――」
「そんなの、やらなくていいわよ」
「うぉ!?」
突如、耳元で三碓の声が聞こえた。
見れば、いつの間にか、三碓が俺の耳元、もとい、俺のスマホへと顔を近づけて、隣に座っていた。
どうやら、ナルミ先輩の話に夢中になりすぎていたようだ。
「いつからそこにいたんだ?」
「そうね、『何が言いたいんですか』あたりからかしら」
「……一言くれよ。びっくりするじゃないか」
「ごめんなさいね、話に夢中なようだったから」
「…………」
……あっけらんとしたその態度は、どう見ても悪びれている様子には見えない。
『おや、三碓ちゃんもそこにいるのかい?』
スマホ越しで、ナルミ先輩が尋ねてくる。
「え、ええ。隣にいますよ。大体の話は聞いていたみたいです」
そう言って、俺はスピーカーモードに切り替える。それなりに広く、開けた公園なので、こっそりと誰かに聞かれるといったことはないだろう。
『ふーん。でも、鬼ノ寺君に賭けを受けなくていいというのは、どういうことだい? 言っておくけれど、アンデルセンは間違いなく君を襲うと思うよ? 実際、一昨日は襲われているんだろう?』
「ナルミ先輩の言う通りだ。また襲われたりしたら、今度こそ本当に死ぬかもしれないんだぞ?」
一昨日は、三碓は腹を割かれていた。俺が通りかかったからかどうかは分からないけれど、アンデルセンが言うには奪い損ねたと言っていた。今度こそ、アーティファクトを盗まれる、つまり、本当に殺されるかもしれない。そんなリスクを冒すくらいなら、俺が勝負を引き受けた方がいいに決まっている。それが、最悪の事態を避ける、一番の方法だ。
なのに、それをしなくていいというのは、こいつのことだから、昨日の夜に言っていたように、無関係の俺がしゃしゃり出てくるなということだろう。そうでなければ、まるで――
「…………」
ここでなぜか、洋服店で三碓が昔のことを話していた時の顔を思い出した。
思い出して、一つの可能性が、思い至った。
「まさか、お前……」
思い至って、願う。
この推測が、間違っていますようにと。
俺の顔を見て、三碓は、どこかあきらめたような表情を浮かべ、言う。
――私は、死にたいのよ。
それは叶わなかった。
それから、三碓は何でもないように、言い訳をするように、言葉を紡ぐ。
「だから、鬼ノ寺君が痛い思いをする必要なんてないし、むしろ死ぬのに迷惑だから、すっこんでいてほしいわ」
「っ……」
俺が三碓と話すようになって三日と立っていないけれど、こいつが死にたいというような人間ではないというのは分かる。むしろ、自分をそのようなものに追い込む存在を蹴散らすくらいのことはやってのけるだろう。けれど、こいつは死にたいと言った。死にたい。死にたいから、俺が勝負を受ける必要はない。むしろ、邪魔だと、こいつは言った。
『死にたい、ね。もしかしなくても、不死性を取り除いてほしいと言っていたのも、自殺が目的かな?』
「まあ、そうね」
少し不思議だった。
三碓は、喫茶店で俺に不死性を示す際、カッターナイフで自らの手の甲を刺した。
けれど、なんでカッターナイフを携帯していたのか。最初は、俺に不死性を示すために用意したものかと思っていたけれど、今の話を聞いて、想像できた。
三碓は俺に怪我を見せるためではなく、自分自身のために、自傷するために、カッターナイフを持っていたのではないか。ある日突然に不死性を失うかもしれない。その時、すぐにカッターナイフで死ねるようにと。
『ふーん。まあ、私は私のできることはするよ。不死性を取り除きたいというのなら、一度は受けた依頼だし、プロとして、きちんと最後まで面倒は見よう……あ、鬼ノ寺君、やるかやらないかは、明日の夕方までには決めておくれよ』
それだけ言って、ナルミ先輩は電話を切った。
「……なんでだよ」
俺は通話の切れたスマートフォンをだらりと下げて、三碓を小さく睨み、呟く。
「?」
三碓は「なにか?」と言いたげな表情をこちらに向けた。
「なんで死にたいだなんていうんだよ! 生きてれば楽しいことだってあるし、死んじまったら全部終わりじゃねぇか!」
それが、その何でもないような顔が、無性に苛立たしくて、無性に、悲しくて。
俺は思わず、怒鳴りつけていた。
「……はあ」
三碓は、めんどくさそうに溜息を吐く。そして、俺と買い物をしていた時のその顔で、
「だから、何もかも終わりにしたいのよ。死んで、終わりにしたいの。私が死のうが生きようが、あなたには関係がないじゃないの。むしろ、どうしてそんなに怒っているのかが、私にはわからないわ」
「っ……何がお前をそこまで……」
「私、言ったわよね。私は私を育ててくれた人たちが好き。でも、あの人たちは私のことが嫌いだって。でも、一緒にご飯も食べてもらえない。一緒に喋ってくれない。一緒に寝てもくれない。学校でだって、この不死身のせいで友達も作れない……私はずっと一人だった。そして、これからもずっと、ずっと、死なないまま、独りぼっち。もう、もう、つらいのよ。耐えられないの。このままじゃ、あの人たちを恨むようになってしまう。それは嫌。絶対に嫌」
「っ…………」
三碓は、少しずつ、少しずつ、泣いたような、怒ったような、そんな表情になりながら、声を震わせて言った。
わからない。俺には、ナルミ先輩や家族もいて、独りぼっちになったことがないから、三碓の気持ちはわからない。
わからないから、何も言えない。わからない人間が諭そうとしても、どうにもならないと思うから。
何も言えない俺を見て、三碓は最後に、笑ったような、困ったような顔で、言う。
「だから、いいでしょう? もう、楽になってもいいでしょう?」
この日、俺は最後まで三碓に何も言えずにいた。
鬼ノ寺君かっこよくしたい(なるといいな