こうして非日常は
少女がいた。
三月二五日。高校一年生として参加した卒業式が終わり、来年度から二年生となる、この春休み。そんな日の深夜二時頃、日が変わって今は二六日になるけれど、俺は、自宅からコンビニへと向かう途中、人通りの少ない道を歩いていると、薄暗い、蛍光灯が切れかかっている電灯の下で、壁を背に座っている少女を見かけた。
少しのくせ毛のある、黒髪ロングヘア―の、俺と同じくらいの年の少女だった。その長い前髪は、目に入らないようにするためか、熊のキャラクターの細工が施されたヘアピンで止めてある。彼女の服装は長めのスカートと薄いセーターらしいけれど、薄暗くてよく見えない。ただ、上下とも暗めの赤が目立つ、少し奇抜なデザインだった。うにくろ愛用者である俺から見れば、どう見ても、うにくろで売っているような感じではないのだろうと、一目でわかる感じであった。どこかのブランド物だろうか。
少し近づいてみれば、どことなく見たことのある顔だった。
俺と同じ一年生、新二年生になる、三碓三鈴だった。
あまり人と関わることがない俺でさえ名前を覚えるくらい、彼女は目立つ人間だった。確かに美少女と言っていい顔立ちはしているし、学校でも密かに人気があったけれど、美人だとか、かわいいだとか、そういう目立ち方ではなく、ただ、変人として、目立っていたのである。
彼女は、とにかく危険なことが嫌いらしかった。
暇つぶしに教室で盗み聞いた噂によれば、席外の際、窓際の席は落ちるかもしれないから嫌だ――といっても、ベランダがあるのだが――だとか、体育の水泳の授業でも、足をつって溺れるかもしれないから嫌だだとか、家庭科の授業の時は火事になって焼死してしまうかもしれないから嫌だだとか、とにかく、身の危険を感じれば、それを異常なまでに避けていたらしい。
といっても、別に強情な性格をしていたわけでも、我儘な態度をとっていたわけでもなく、むしろ、物静かで、クールというより、内気な感じの雰囲気がある。だから、おそらくは極度の怖がりなのだろうというのが、俺を含めた周りの人間の認識だった。
そんな彼女が、春休みの半ばの日の深夜帯、人通りの少ない道端で、壁を背に座り込んでいる。体育座りではなく、脹脛をコンクリートの地面につける形で、座り込んでいるのだ。いくら春とはいえ、深夜帯は少し肌寒い。幸い、最近雨は降っていないので、地面が水浸しということはないけれど、直に肌で触れるというのは、些か体が冷える行為に思える。
「深夜に女の子が一人でそんなところに座っているなんて、危ないんじゃないんでしょーか!」
とりあえず、俺は声をかけた。
一年もの間、同じクラスにいながら話したことのない同級生の女子に話しかけるというのは、なんとも微妙な感じの恥ずかしさがある。思わず、変な緩急が付いてしまった。
「…………」
ただ、彼女から返事はない。
「えーっと、聞こえなかったませんですかね? ……あ、そっちから見たらこっちは暗くて見えないか、俺は同じクラスの鬼ノ寺、鬼ノ寺納、です」
俺はスマホのライトを自分の顔に当てながら、言う。
「…………」
返事はない。
「あのー……もしかして眠ってたりします?」
「…………」
やはり返事はない。どうやら、本当に眠っているらしい。
なにはともあれ、このままにはしておけない。俺は彼女へと近づき、眠りを覚まさせるつもりで、
「えーっと……風邪ひくから、起きたらどうだ? 近くなら俺が家まで送る……ますから」
言えた。女の子に家まで送ってやる、だなんて、一生言えないと思っていたけれど、言えた。夢が叶った。もう死んでもいいまである――いや、死にたくはないな……。
ところで、まだ三碓が起きる様子はない。
「流石に、このまま放置なんてできないしな……」
これが顔も見たこともないような酔いつぶれたおっさんであったなら、普通に素通りするのだけれど、知り合いとなれば、スルーなんてできないし、普通はしない。
ところで、話は変わるけれど、女の子の体って、どう触るのが正解なのだろうか。
起こすのは確定事項だとして、女の子は無防備な状況の時、少しでも襲われないことにプライドが傷つ
くのか、それとも、襲われるのがそもそも嫌なのか、わからない節がある。
この場合、仮に俺が肩を揺らして起こしたら、三碓は、無防備なところで襲われないなんて、私って魅力がないんだ、なんて思うかもしれない。でも、彼女のプライドを守るために、胸の一つでも揉んで起こすなんてした場合、最悪、俺が通報されるまであるわけだ。つまり、どちらにしても、バッドルート間違いなし。
なら、とするなら、ここで触る場所は、肩でも胸でもない。
ここで触るべきは、おなかだ。
おなかならば、「ちょっとくすぐって起こそうとしただけなんだよテヘペロ♪」で済むし、三碓も、私の体に興奮して抑えきれなかったのね、なんて思うはずである。
三碓のプライドを傷つけることなく、かつ、俺が逮捕されない、触るにして完璧な箇所だ。ついでに、
俺も女の子のおなかを触ることができる。
何も問題はないな。
「おーい、起きろよー。こんなところで寝てたら、襲われたって文句は言えないぞー(棒)」
そう言いながら、俺は彼女のおなかを揉む、もとい、くすぐるために、手を彼女のセーターへと触れさせた。
「……ん?」
そこで、少しだけ、手に違和感を覚えた。
手に伝わるのは、何か、濡れたものに触れた感触。水に濡れたセーターに触れる感触だった。
俺は反射的にセーターに触れた手のひらを見る。
そこにあったのは、赤い液体。
鉄の臭いを発する、滑りのある液体。
それは、血液だった。
「……は?」
血液。血。ち。チ。
「なんだよこれ……なんだよこれ……」
呟きながら、彼女のセーターをめくり、腹を見てみる。
腹からは、縄のようなものが飛び出ていた。
肉性の縄。腹部から飛び出ている縄。
つまりは、腸。
内蔵が、飛び出ていた。
つまり、彼女は、否、これは、死体だ。
そして、気づく。
そうか。
あの奇抜だと思っていた、セーターとスカートの赤いデザイン。
あれは――――
「はは……ははははは」
俺はその場でぺたりと座り、そのまま体を引きずるようにして後ずさる。後ろに壁があろうが、離れようと、試みる。
クラスメイトが死んでいた。その事実に、俺の動悸が激しくなるのを感じる。
「……そ、そうだ、救急車、それと警察に連絡しないと……」
少しして、平静を取り戻しつつあった俺は、手に持っていたスマホで、まずは一一九へと電話を掛けようとする。が、
「くそ、震えてうまくできない……くそ、くそ……」
どれくらいスマホと格闘していただろうか。ようやく一一九と入力できた俺は、発信ボタンを押そうと、指を動かす。
「待って」
だが、それは叶わなかった。
あと数ミリというところで、上の方から声が聞こえたと思ったら、スマホを上から誰かに奪われたのである。もしかしたら、三碓を殺した犯人かもしれない。
「なっ……だ、だれだよ――――」
俺は恐る恐る、けれど、反射的に振り返る。すると、
「大丈夫。大丈夫だから、警察と救急車は呼ばなくていいわ」
「……え?」
大丈夫と言いながらそこに立っていたのは、死んでいたはずの三碓三鈴だった。
導入を呼んでいただき、ありがとうございます。ブクマ、感想等をすると、もれなく私が悦びます。
追記;三碓→みつがらす です。 なろうのフリガナの振り方がわからないです(´・ω・`)