第二章 ホロスコープ
京都駅を出発してトンネルをふたつ抜けると、視界が急に開けて右側の窓に大津の街と琵琶湖が見えた。左側の窓には日本仏教の聖地である比叡山の山並みが見える。
美姫は後部座席の客に一声掛けてリクライニングシートを少し倒すと、足元の網袋からペットボトルを取り出して、お茶を飲みながら窓の外の風景を眺めた。
ふうっと、美姫が小さく息を吐く。
しばらくすると、左側の窓に比良山系の高い山並みが見え、右側の窓に奥琵琶湖の広大な風景が見えてきた。そして電車が右に大きくカーブして琵琶湖の湖岸沿いを走り始めると、水泳場やキャンプ場が近くに見えた。
美姫はしばらくの間、奥琵琶湖の風景を眺めた。
「お弁当にお茶はいかがでしょうか、富山の鱒の寿司に、あんころ餅、アイスクリーム――etc――」
ワゴンサービスの売り子が通路を通り過ぎると、窓側の席に座っている青年が売り子に声を掛けた。
「お姉さん、コーラ下さい!」
「はい」
売り子はワゴンを少し後ろへ戻して、缶コーラを青年に差し出した。
「それと、その苺味の柿チョコをひとつ」
青年は美姫の前で売り子からコーラと柿チョコのお菓子を受け取ると、美姫に「失礼」と声を掛けて、窓の張にそれを置いた。
他の乗客達は座席シートの背面にある折りたたみ式のテーブルにお弁当や飲物を置いているが、青年はテーブルにモバイルPCを置いているので、置き場所が無いからだ。
※モバイルPCは持ち運びが可能な軽量パーソナルコンピューターのこと。
「私もその柿チョコ下さい」
美姫は苺味の柿チョコが美味しそうに見えたので、自分も売り子に注文を出した。
売り子が美姫に苺味の柿チョコを渡す。
「五百五十円になります」
売り子が青年に金額を言うと、青年は胸のポケットから千円札を取り出して売り子に渡した。
「この娘も一緒でいいよ」
青年が美姫の柿チョコを指差して売り子に話し掛ける。
「えっ、いいですよ。私、自分で払いますから」
美姫が驚いて振り向くと、彼は美姫に右手を小さく振った。
「まあ、そう言わずに。お姉さん、一緒にお勘定ね」
青年は売り子に支払いを済ませると、お釣りを胸のポケットに入れて美姫に話し掛けた。
「何処まで行くの?」
「えっ」
「ぼくは直江津まで行くんだ。君は?」
「はぁ」
「旅は道連れって言うじゃない」
青年は美姫にそう言うと、前を向いてモバイルPCの画面を眺めた。
「私も直江津ですが……」
「そうなの、偶然だね」
「ええ、まあ、偶然ですね……」
(これって、もしかして、ナンパかしら?)
「君、美人だね。うん、とっても美人だ。イケてる」
「はっ?」
美姫が青年の言葉に戸惑う。
「ねぇ、君、誕生日を教えてくれない?」
「はいっ? 誕生日……ですか?」
「そう、誕生日と時間。それに生まれた場所」
青年はモバイルPCの画面を見つめながら美姫に尋ねた。
(なんか、変わった人だわ、初対面なのに誕生日を教えてくれだなんて、頭のネジが一本はずれているんじゃないかしら……)
「そんなの初対面の人に教えられません」
「あはは、そりゃそうだな」
青年はモバイルPCの画面から目を離すと、上を向いて愉快そうに笑った。
「それじゃあ、自己紹介するよ。僕の名前は雅奉生。年齢は二十歳。誕生日は八月一日。星座は獅子座。血液型はAB型。職業は自由業だ」
「自由業?」
「占い師をしているんだ」
「占い師ですか……えっ、雅奉生?」
美姫は雅奉生と言う名前に聞き覚えがあった。A社の女性ファッション雑誌エイティーンの占い相談室によく出てくる名前だ。確か、専門は西洋占星術。
「もしかして、エイティーンの占い相談室とかやってる人ですか?」
「大当たり。そうだよ、良く知っているね」
「私、エイティーンは毎月読んでますから」
「そりゃどうも」
奉生は振り向くと、右手を少し上げて敬礼をしながら美姫に頭を下げた。
「じゃあ、話しが早いね。誕生日を教えてよ」
「えっ、なんで?」
「まあ、いいから」
奉生が催眠術師の様な眼差しで、美姫の瞳を見つめる。
「XXXX年八月十五日」
(あれっ? 私は彼に誕生日を教えているわ……)
「生まれた場所は?」
「京都」
「時間は?」
「時間は……夜の八時二十分だったかしら」
(なぜ、私は生まれ時間まで覚えているのかしら……)
美姫が首を傾げて客車の天井を見上げる。
「完璧!」
奉生がモバイルPCに美姫の誕生日を入力すると、PCの画面に丸い円盤が表示された。
円盤には分度器の目盛の様な線があって、円の外周部に星座の記号が入っている。そして円の内周部には特殊な記号が表示されていて、記号と記号を結ぶ線が縦横斜めに引かれ、幾何学的な模様を描いている。
「んっ、何だこれ? グランド・セクスタイル……ソロモンの印章か……初めて見たな……」
「どうかしました?」
奉生が腕を組んでモバイルPCの画面を眺めると、美姫は奉生に顔を近づけて、モバイルPCの画面を覗き込んだ。