選択お題小説「指飾り」
小さい頃からの夢だった。
純白のドレスを身に纏い、バージンロードを好きな人と歩く。
途中に見えるのはお世話になった人の祝福。泣いている父さんの顔。嬉しそうに微笑む母さんの姿。そして、すぐ横にいる最愛の人。
ブーケを投げるとそれは私の大切な友人の手元に。
空を見上げれば色とりどりの風船がいくつもいくつも上がってる。そんな幸せな結婚式。
しかし、現実はそんな順調には行かないのだ。
私のお腹はピークだった。
朝食を食べなくてはならないとは言われたが、何を根拠に大丈夫だと思ったのか――腹が出ては困ると思ったのもあるが――来る前にコーヒーだけ一気飲みし、現在挙式三十分前にしてグウグウと鳴きだしそうな勢いだった。
「果咲、もうすぐ始まるわね。……どうしたの?」
「なんでもないわ。ちょっと……そう、緊張してるの」
母さんのこの上なく嬉しそうな顔を見てしまっては、今更お腹がすいたなんて言えない。
……じっと我慢するしかない。披露宴まで、何時間あるだろうか。
「姉ちゃん、顔の作成終わったのかよ」
コンコンとノックする音と共に、弟の咲哉が入ってきた。
作成ってなんだ。しかもまだ入っていいなんて言ってないのに……。
「こういうとき、なんつうの? 馬子にも衣装だっけ?」
「もっとマシなこと言えないのあんたは?」
私の弟はこんな時にも憎まれ口を叩く。
急にしんみりされても困るが、少しくらい……そう、ほんの少し褒めてくれたっていいんじゃないだろうか。
「果咲。打ち合わせ終わったよ……」
ノックもせずに入って来た玲――私の旦那――は、ドアノブから手を放さずこちらを向いて少しの間硬直していた。
「……玲?」
何も言ってくれない玲に対し不安になった私は、彼の名前を恐る恐る呼んだ。
「すごい。……綺麗だ」
真っ直ぐに私の目を見て言った玲は、少し頬を染めて照れたように笑った。
それがすごく愛しくて、くすぐったくて、私もつられて笑ってしまった。
「イチャイチャするのは式でね」
姉の咲姫は悪態をついていながらも、表情はとても優しかった。
父さんと一緒に、玲の元へゆっくりと歩いていく。白い裾を引きずりながら、今にもこぼれ落ちそうなくらい涙が滲んでいる。
……お腹のペットも鳴き出しそうだわ。
ようやく玲の隣につき、賛美歌を合唱する。ああ、なんか涙が……ダメだ、まだ我慢。
聖書朗読中、心地よい睡魔に襲われ、少し気を抜けばすぐ寝そうになった。
牧師の声はまるで高校の時の国語教師に瓜二つだ。
いい先生だったんだけど……結局寝まくってて仮進級だったんだよなあ……。
なんて考えてたらいつの間にか玲が「誓います」と言っていた。
最悪だ私……。女失格。
牧師がこちらを向いて聞いてくる。決まってるじゃない。
「誓います」
玲の優しい笑顔が見える。ああ、ダメダメ、また涙が……我慢よ!
手袋とブーケを預け、純銀の飾りを玲の手で薬指にはめる用意をする。その時、涙が一滴頬を伝った。
グウウウ……
恐れていた事態が起こった。
静かだった教会は、私のお腹のペットの鳴き声で更にしんと静まり返った気がした。
とんでもないことをしでかした。私はあまりの恥ずかしさに、玲の顔が見れなかった。
私が手を引こうと指を曲げたとき、玲はすっと私の手を取り、薬指に飾りをはめた。
「……緊張してご飯食べて来なかったんだ。すいません、お騒がせして。……果咲、怒った?」
玲のあまりの状況対応力に、私は感謝を通り越し、感心してしまった。
そんなことしてる場合じゃない。謝らないと。
「何やってんだ玲! 身内の恥だぞ」
「ごめんって」
周りがどんどん盛り上がっていく。ああ、違うのに。
私があんぐりと口を開け、間抜けな顔を晒しているとき、玲は私に向かってにっこり笑った。
――そうだ。
私はずっと玲のこの優しさに護られていた。
意識しても私が気づかないようにして護る玲に、私はいつまでも甘えてしまう。
「玲……」
ごめんね。ありがとう。
いつも思っているのに、いつも言えない言葉。
私は玲がいなければ、きっと何もできない奴だっただろう。玲がいたって、何もしてあげられないけれど。
バージンロードを今度は玲と歩き、教会を退場する。
噛みしめるようにゆっくりと歩いていく。
私の左薬指には指飾りがキラキラと光っている。
式も無事終わり、私は玲に謝った。
「ごめんね……これからしばらく噂が絶えないね。……きっと食いしん坊って呼ばれちゃうわ」
「できれば勘弁してほしいな」
私の予想はお気に召さなかったようだけれど、花嫁が噂されるよりは恥ずかしくないだろうね、と玲は笑った。
どうしてこんなにも、自分を省みないのだろう。
「ごめんね、本当に……ありがとう」
「果咲、さっきからそればっかり。もう済んだことだよ。そんなことよりもっと言いたい言葉があるんだ」
にこりと笑い、玲は私に向き直り口を開いた。
「ふつつか者ですが……」
私のセリフだよ! 言おうと思ってたのに!
似た者同士だからって、結婚生活がうまくいくとは限らないんだけど。
ケンカだってするし、不安がないなんて言ったら嘘になる。
それでも。
不安よりも期待が、私の胸の大多数を占めてるなんて、やっぱり愛なのかなあ?
「気持ち悪いって」
声に出てたらしい。
終わり。
H17.07.02.