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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

因果の種

作者: 柚子ジャム
掲載日:2026/10/11


 ───樹木がしげり、先も見えない暗闇の森の中、一人の幼い少年がさまよっていた。

 年の頃は七歳前後。上着もなく、シャツとズボンと、靴。その小さな体格にはやや大きい短剣一本だけが握られていた。

 それは、少年が生まれた時からそばにいてくれた乳母が、当主の男の目を盗んでこっそり渡してくれたものだった。

 本当ならあの場で殺されていたところを、この“死の森”に放り捨てて処分する形に計らってくれたのもまたその乳母だ。

 当主の決定に逆らえない彼女が必死に言葉を紡いで、ほんの少しでも残してくれた、生きることができるかもしれない可能性だった。


 ………死んでなんて、やるものか。

 生き延びてやる。

 絶対に…!


 幼い身ながら、少年は己を捨てた男のあまりの身勝手さに腹をたてていた。 

 だからこそ、いまここで死ぬものかと心を奮い立たせる。

 少年の存在を恥とし抹消しようとした男。

 それはほかでもない、少年自身の父親だ。

 ここに捨てられたのは貴族にとってもっとも恥ずべき存在である『魔無し』であると判明したからだったが………そもそもその前からずっと、愛されていなかった。

 生まれて来る前からそうだった。

 少年はそれを身を持って知っていた。



 ───少年は、一人の伯爵の位を持つ領主の元に生まれた。

 産みの母親は、少年を産み落としたその場で殺されてしまったと乳母は言った。


 少年の父であるエミリオ・モードリス伯爵は、政略結婚が多い貴族には珍しく恋愛の果に得た妻を、どこまでも一途に愛する男だった。

 しかし彼の最愛の妻は、婚姻して三年たっても子供を身ごもらなかった。

 どの医師に伺っても、妻も伯爵も身体的に問題はないはずだという診断がくだされる。ならばいつか授かるときが来るだろう、気長に待とうと伯爵は落ち込む妻を慰めた。

 しかしそれからも妊娠の兆しはないまま、婚姻七年が経過した。


 さすがに伯爵の親や周囲は彼女と離縁、もしくは妾を持つようにと打診した。

 妻一人を想う伯爵は身体的に問題がないという医師の診察を盾にそれを拒否しつづけていたが、他でもない妻自身からも離縁か妾をほのめかされるようになり、日々苛立ちを募らせ酒を多く煽るようになる。

 そしてそれは、背格好が妻に似た、酒を運んできた一人のメイドに無体を働く凶行を引き起こした。

 そしてそのメイドは、そのたった一度の凶行で、子を身ごもってしまったのである。


 その命を伯爵が祝福しなかったのは当然だった。彼が望むのは妻との子であって、周囲のように伯爵の子であれば産む腹は誰でもいいなどそんな訳がないのだから。

 それでもついに実った伯爵の種に、他でもなく一番喜んだのは伯爵の最愛の妻であったのだが。

 そしてメイドは男児を産み、その場で首を斬られて殺されたが、そのことを妻は知らない。

 妻からすれば子が無事に生まれた事実だけが大事だった。ゆえに出産で死んだと言う話を疑うこともなく受け入れた。

 五体満足で生まれてきた健康な男児は“フェリクス”と名付けられ、伯爵家の嫡男として育てられることとなる。


 だが、それから一年後。

 伯爵が長きに渡り待ち望み続けた吉報がついにもたらされた。

 最愛の妻の懐妊である。


 吉報を聞いた伯爵が最初に行ったことは、メイドの産んだ子を縁切りして教会に放り込めという命令を下すことであった。

 妻の懇願で実行はされなかったが、伯爵は元々ろくに顧みることもしなかった長男を存在自体無視するようになった。

 妻はそんな夫に悲しみ、ふたりになる子供たちを母として平等に慈しむことを決めた。


 しかし………、妻は死んだ。

 三日に及ぶ難産の末、自身と同じ髪の色を持つ女児を産み、その元気な産声に安堵の息を吐いた瞬間に意識を失い、二度と目覚めなかった。

 妻の死を知った伯爵は、生まれたばかりの娘を殺そうとした。

 妻を失ったその瞬間に、伯爵にとってその娘は最愛の女性を殺した悪魔に成り下がったのだ。

 

『どうか、どうかそのような恐ろしいことはおやめください! 奥様がお命を賭けて残された忘れ形見ではございませんか!!』

『愛する夫が、長きにわたり待ち望んだご自分とのお子さまを殺すなど、他でもない奥様が一番お嘆きになられましょう』

『きっとご成長なされば奥様によく似た、お美しいお嬢様となられます』

『さすれば旦那様のお心の慰めにもなりましょう』



 侍従たちの必死の説得により娘は生きることになったが、ひとりの乳母とともに屋敷の離れへと追いやられ、命令がない限りは本館に顔をだしてはならないと決定付けられた。

 そして伯爵はそれまで無視していた、長男フェリクスに厳しい教育を施し始めたのである。


 そこに、子に対する父としての愛などない。 

 最愛の妻を殺した娘に自分の後を継がせたくないという嫌悪感から、たまたまいた丁度いい存在を使おうという傲慢さだけだ。

 彼が愛していたのはあくまでも妻ただひとり。子供は妻が妻であり続けられるようにというための、また家を繋ぐための、ただそれだけの“もの”でしかなかったのだ。

 まだ言葉を覚え始めたばかりのフェリクスに次から次へと課題を与え、できなかったら叱咤する。それでいて離れで生活する、“イヴマリア”と乳母が名付けた娘には見向きもしない。

 教育が厳しすぎる、お嬢様のお顔くらい見てさしあげてください、若様にもう少しお優しく───。

 伯爵は乳母や侍従たちのそんな申し出に耳を貸すこともなかった。



✱✱✱


 

 イヴマリアが誕生して三年がたった。

 五歳になったフェリクスは、父親からの厳しい教育に必死に取り組み、幼子とは思えない聡明な子へと育っていた。

 元々頭がよかったのもあるが、やはり父親から向けられる目が恐ろしかったのが大きい。

 何せ父である伯爵は、フェリクスが出した課題をこなせなかったら、射殺さんばかりの冷たい目を向けながら堂々と言いはなつのだ。

 

『こんなこともできぬのか。役立たずめが』

『お前はなんのために生まれてきたのだ。私はお前なぞ望んでなかったというのに』

『母親の出来が悪いとやはり子もでき損ないか』


 それらの言葉を聞きたくないが故に、フェリクスは必死に勉強に取り組んだ。

 五歳になってから始まった勉強には、魔術に関するものがあった。

 貴族は生まれながら魔力をもち、術を操る。その力は自身や領地、国を守るために使われる。

 それは貴族として生まれたものの義務である。魔力は貴族としての証。魔力を持たぬものは貴族にあらず。

 貴族の子は七歳になると、教会で魔力や属性を調べる儀式を行うのだ。

 この時、フェリクスは疑問をもって家庭教師に聞いた。 


『貴族でも、魔力を持っていないということはあるのですか?』


 家庭教師は顔色も変えずに答えた。


『貴族は必ず魔力を持って生まれます。持っていないなどありえません』


 その断言した様子に、フェリクスは妙な違和感を覚えたが、それ以上聞くことは出来なかった。





 それから二年後。七歳になったフェリクスは教会で魔力判定儀式、貴族としての最初の洗礼式を受けることになった。

 モードリス伯爵家の属性は炎と雷。攻撃魔力としては最強の部類であり、それはモードリスの誇りであった。

 フェリクスはどちらなのか。立ち会っていた伯爵も、乳母も、黙って見守っていた。

 そして。


 魔力量と属性を調べる魔水晶は、フェリクスが触れても一切の反応を示さなかった。


 神父も、神官も、伯爵も、乳母も、フェリクス自身も、目を見張り場が固まった。

 先に赤か黄金に光りますからねと乳母から聞かされていたフェリクスは首を傾げ、一度魔水晶から手を離し再度触れてみたが、やはり魔水晶はなにも反応を示さなかった。

 フェリクスにはそれが何を意味するのかわからない。

 困惑して目をさ迷わせた先で、これまでで一番ひどい父の冷たい目があるのに気づいた。

 目があった瞬間に、伯爵はフェリクスに近づき平手で張り倒した。


『この魔無しがッ!! どこまで私の恥をさらすッ!!』


 床に倒されたフェリクスにむけて、強大な魔力の炎がぶつけられそうになったが、神父が『清らかなるこの場で殺傷はなりませぬ』と冷静に止めた。

 彼の目にも、父親からのひどい平手を食らって床に倒された子供に対する心配はなく、そもそも目にもくれていなかった。

 唯一フェリクスを心配したのは乳母で、床に倒れた彼にかけより、そっと抱き締めた。

 彼女の目にあったのは、どこまでも深い悲しみと憐れみ。

 フェリクスは彼女のその目で、自分がどうなるのか悟った。


『……まなしって、なに?』

『……貴族ではないものでございます』

『……ぼくは父様の子供じゃなかったの?』

『……そんなことはありません。ただ……ぼっちゃまはもう、お家には帰れません……』


 目に涙をためた乳母はフェリクスの金髪をそっと撫でる。そこに伯爵の冷たい声が響く。


『それを渡せ』

『……旦那様……どうか、どうかおやめに』

『この場ではやらん。外で焼き捨てる』

『旦那様……』


 乳母はフェリクスを抱き締めながら、必死に言葉を紡ぐ。


『判定の儀式の直後に殺すなど、子が魔無しと公言するも同じ事。どうかこの場ではおやめに』

『東の死の森に捨てるのはいかがでしょうか。あのような場では魔無しの子など生きてはいけません。旦那様がお手を煩わせることなく終わりましょう』


 乳母はその説得の間、そっとフェリクスの腰に、己の護身用の短剣を差し込んだのだった。

 それはまさに、母代わりであった彼女が託してくれた一縷の生存の望みだった。




 そして少年は、フェリクスはこの魔の森に棄てられた。

 もうどれくらい森をさ迷っているのか。暗く視界が悪いこの森では、まだ昼なのかすでに夜になったのかも不明だ。

 張られた頬がじんじんと痛い。口の中の切れた箇所が、血が乾いて口をひきつらせる。喉もからからだ。頭がくらくらする。足の感覚も鈍くなってきていた。

 けどその感覚が、鼻に届く土や木々の匂いが、ぎゅっと握った短剣の感触が、フェリクスがまだ生きていると伝えてくれている。

 ふと、その時だった。

 前方から、ぐるると荒い鼻息が聞こえてきたのは。


 「………」


 霞んできた目を向けると、フェリクスよりずっと大きな体格をした猪型の魔物がいた。

 フェリクスは知らないことだが、この死の森は魔物の巣窟。傭兵ランク上位者でないと生きて帰れないと伝えられている。

 このさ迷ってた数時間……かは定かではないが……その間まったく魔物に遭遇しなかったのはただの運だった。

 フェリクス短剣を両手で握りしめ、己を餌として喰らおうとしている獣に構えた。


 ………ここに捨てられた当初は、ただ悲しかった。

 だが、時間がたつにつれ、その悲しみは怒りへと変わってきた。

 望まれて生まれてきたわけでないことは知っている。

 愛されてないこともわかっている。

 だが、それでも。

 こんな風に扱われて、自分が憤るのはおかしなことではないはずだ。


「生きてやる……」


 死んでなんてやるものか。

 生きて、いつか絶対に!

 復讐してやる!


 魔力はまとわない。それでも身を焦がしそうな炎のように熱い心が、フェリクスの内をくすぶる。


「ぐるおおおおッッ!」


 魔物が、大きな身体を振り回しながら突進してくる。

 フェリクスも威嚇するように吠えた。

 

「うおおおッ!!」


 森の木々を揺らした鈍い音。

 飛び散る血と肉片。

 それが魔物とフェリクス、どちらのものであったのか、知るのは森だけ。





✱✱✱





 ───彼女の記憶は、一人の女性から始まっている。

 自分の世話をしてくれた乳母である。

 乳母に髪をすかれ、服を着せられ、食事を与えられ、オモチャや書物を差し出される。

 乳母以外は誰もいない小さな屋敷が、彼女の世界だった。

 彼女の名はイヴマリアと言った。



 母は自分を産んだ時に死んだ、父は忙しいので会いに来られないのだと乳母はイヴマリアに聞かせた。

 本館には兄もいるけれど、跡継ぎなのでやはり忙しく会うことはできない、とも。

 よってイヴマリアにとって親や兄弟とは、書物のみで知る存在だった。

 乳母がくれる書物に出てくる親兄弟は、主人公に対して優しく、頼りになるキャラクターだった。

 イヴマリアが、自分の父と兄もこうなのだろうかと夢見るのも当然であった。

 乳母自身イヴマリアに二人のことを訊かれるたびに、二人がいかに立派で素晴らしい方なのかを語るのだからなおさらである。


『旦那様は建国時から存在するモードリス伯爵の二十代目の当主であり、民にも優しく接し善政を施して、とても尊敬されてらっしゃいます。王族や他の貴族の方からも大変覚えがめでたい方です』

『ぼっちゃまも幼いながら頭がよろしく、記憶力も優れております。きっと旦那様のようないいご領主になられましょう』


 そう二人の素晴らしさを語ったあと、乳母はイヴマリアに言うのだ。

 

 『お嬢様も、お二人がご自慢とされるような立派な淑女にならなくてはいけませんよ。お隠れになられた奥様のように』


 イヴマリアの部屋には、死んだ母の肖像画が飾られている。

 美しく輝く黒髪に、透き通った緑の瞳。卵方に整った顎、すっと通った鼻筋。少し小さく細い唇に色気を感じさせる、色白の美女。

 それがイヴマリアを産むと同時に、その美しさを永遠のものとした母親、ジョセフィーヌだ。

 まだ幼いイヴマリアにも、その美貌は受け継がれている。


『お嬢様は今後、奥様にもっと似てこられるでしょう。きっと旦那様もお喜びになります。旦那様は奥様をとても愛しておられましたから』


 イヴマリアは二人に会うことができる日を楽しみに待っていた。

 会ったときに幻滅されたくない。

 素晴らしい娘だと、可愛らしい妹だと褒めてもらいたい。

 そう思ってお勉強も、乳母から教えられる淑女教育も怠らなかった。

 そうして、イヴマリアが五歳になる少し前。近いうちに兄に会えるようになるはずだ、と乳母が言った。


『ほんとう? お兄さまと会えるの?』

『ええ、もうすぐ洗礼式ですからね。それが終われば、きっとお会いできるようになりますわ』

『? ……洗礼式ってなあに、ばあや』

『貴族の子が七歳になったら受ける儀式です。お嬢様も二年後にお受けになられます。五歳になられたら、お勉強を始めましょう』



 ━━━もうすぐ、お兄さまと会える!



 この時のイヴマリアの心は、それまでの短い人生の中でも一番はずんでいた。

 生まれてはじめての兄との対面を、あれやこれやと想像を巡らせて。


(ああ、ちゃんとご挨拶できるかしら。きんちょうしすぎて失敗したりしないかしら)


(お兄さまはどんな方かしら。頭がよろしくて、お父さまとよく似た金髪だとばあやがおしえてくれたけれど……)


(私のこと、妹だとよんでくださるかしら?)



 そんな彼女の気持ちは、希望とは少し違う形で叶うこととなる。

 イヴマリアの五歳の誕生日を明後日に控えた日。

 乳母が手作りしてくれるささやかなケーキと贈り物が楽しみなその日を、兄に会えるようになることと同じくらいうれしく待っていた日。

 庭に散歩に出たイヴマリアは出会った。

 鮮やかな金髪と、深い蒼の瞳をもった少年に。



 ✱✱✱



『………だあれ?』


 深い木々の間から見える本館と離れ屋敷を分け隔てた、頑丈で大きな鉄柵。

 本館のある向こう側で、その柵に身を預けて、こちらに背を向ける形で金髪の男の子がうずくまっていた。

 イヴマリアにとっては、乳母以外の人間を初めて見た瞬間でもあった。

 ……イヴマリアの声に、男の子はそっとふせていた顔をあげ、柵を通した後ろに振り向いた。

 イヴマリアの手のひらより大きい柵の間から見えた瞳の色は、蒼。

 イヴマリアはその色を見て、男の子の正体を察した。



『おにい、さま?』



 乳母が言っていた。兄は、金髪に蒼い瞳をしている、と。

 イヴマリアはまだ見ぬ父親の色をそのまま受け継いでいる、と。

 そして、本館にいる男の子なんて、自身の兄しかいないはずだ。

 お兄様という呼び掛けに、男の子もまた呟いた。



『……ええと……妹がいるって聞いたことあるけど、……君が?』

『イヴマリアです。……お兄さま、ですよね?』

『…うん、そうだね。僕は君の兄になる、フェリクスだよ。……そっか、イヴマリア……そんな名前だったんだね……』



 やはり兄だった男の子は、軽く笑った。

 おもわぬ兄との邂逅と、笑ってくれたことが嬉しくて、イヴマリアは思わず鉄柵に飛び付いた。


『お兄さま、どうしてこちらにいらっしゃるの? おべんきょうや洗礼式のじゅんびで大変なのではないの?  ……もしかして、私にあいに来てくださったの? 』


 フェリクスは首を横にふった。


『とても、………とても忙しいよ。だからちょっと…休みたくなったんだ。ここが君のいる離れの近くだとは知らなかったよ。………でも、会えたのは嬉しいよ、イヴマリア。ぼくの、……妹……』


 兄は、柵の間からそっと手を伸ばし、イヴマリアの整えられた黒髪を撫でてくれた。

 イヴマリア、と呼んでくれた。妹だと、言ってくれた。頭を撫でてくれた。

 イヴマリアの心にほわほわと暖かいものが宿った。


『ばあやが言っていたの。お兄さまの洗礼式がおわったら、私とお兄さまは会えるようになるはずだ、って』

『うん、そのはずだよ。洗礼式が終われば、ぼくは正式にこの家の跡継ぎになるからね。妹に会いたいってちょっとしたわがままくらい、叶えてくれるようになる……よ、きっと……』



 最後の方は、何故か悲しげな表情で言われた。頭を撫でてくれていた手もそっと離れてしまう。

 イヴマリアは、自分と兄の間を横切る鉄柵が非常に邪魔に感じた。



(お兄さま、どうしてそんな顔をなさるの?)


(よほどおつかれなのかしら)


(こういうときは、ぎゅってしてあげるのがいいんだって、本でよんだわ。でも、これいじょう近づけない……)


(……このさく……じゃまだわ。いらない……)



 イヴマリアのほわほわと暖かかったはずの心に、熱が籠りはじめる。


『?  イヴマリア?』


 フェリクスは様子の変わりはじめた妹に首をかしげ………温暖な気候をしているこの国ではありえない熱を感じ、イヴマリアが小さな手で握ろうとしている鉄柵が、うっすらと赤くなっていることに気づいた。

 それにフェリクスがぎょっとした時。


『お嬢様ッ!?』


 イヴマリアを探していたらしい、彼女の乳母が駆け付けた。

 イヴマリアはその声に反応し、母親によく似た大きな緑の瞳を向ける。


『ばあや。私、このさくがいらないの。お兄さまぎゅうってしてあげられないじゃない』

『え?  …ぼっちゃま!?  何故こちらに!?』

『あ……えと、その……ごめんなさい……!  すぐ、すぐに帰るから……!』


 フェリクスは慌てて立ち上がり、イヴマリアから離れた。


『お兄さま、まって』


 イヴマリアが握ろうと触れる鉄柵がさらに赤くなり、ありえない音がした。

 熱気がぶわりと回りに広がり、乳母とフェリクスの顔に、熱気によるものと背中が粟立ったことによる汗が浮かぶ。


『ッ! お嬢様、落ち着いてくださいませ!』

『イ、イヴマリア!  今はまだ僕らは会っちゃダメだけど、洗礼式を終えたら会いに行くから……!』

『……洗礼式っていつですか?』

『二週間後くらいだよ。絶対、会いに行くから。……その時まで、待っててくれる?』

『まちます。イヴマリアはがまんします。だから、ぜったいに会いに来てくださいませね、お兄さま』

 

 イヴマリアは笑って頷く。そして彼女のまとっていた熱気が消えたことに、乳母とフェリクスはほっとした。

 フェリクスはイヴマリアに、今日この場で会ったことは内緒にするよう言い含めて、本館に向けて去っていった。

 イヴマリアはその後ろ姿を見えなくなるまでじっと見つめていた。


 彼女が触れていた鉄柵は、その部分だけ真っ赤に焼け爛れ、握っていた手の形に変形していた。

 

✱✱✱


 二日後、イヴマリアは五歳の誕生日を迎えた。

 そして洗礼式とは、魔力量と属性を調べる儀式なのだと教えられた。

 兄とあった時に、イヴマリアの中からあふれたあの熱気こそが、魔力であるということも。


『モードリスは炎と雷に優れた一族です。お嬢様も炎属性なのでしょうね。まだ幼いのにあれだけの力を見せるなんて、すごいことなんですよ』

『そうなの?』

『ええ。魔力は持っていて当たり前なものですから、意識しないと感じられないのです。ですから大半の貴族の子供は、お勉強を始めてから魔力を操れるようになります。でもお嬢様は見事に使って見せました』


 頑丈な鉄柵を焼き、変形させるほどの力を。


『あのときはお兄さまをぎゅってしたくて、でもこの柵がじゃまだなぁって思ったら、からだが熱くなっていったの』

『ですが、あのままではぼっちゃまもお怪我をされていたと思いますよ』

『えっ! 私、お兄さまにけがをさせようなんて思っていなかったわ!』

『それでも、あのままならそうなっていたと思います。魔力はハサミやナイフと同じなのです、お嬢様。使い方を間違えたら大変なことになるのです。ですからきちんと使い方を覚えなくてはいけません』

『……どうすればいいの?』

『正式なお勉強は七歳になられ洗礼式を受けてからになりますが、基礎はばあやがお教えしますから、覚えてくださいね、お嬢様。でないと、今度こそぼっちゃまにお怪我を負わせてしまうかもしれません』


 まだ五歳にも関わらずあれだけの力を見せたイヴマリアは、とてつもない魔力量を秘めている。もしかしたら将来的には、父の現当主をも上回るほどの。乳母はあの場でそれに気づかざるを得なかった。

 そして、このままでは危ないことも悟った。魔力は精神で操るものだ。未熟な精神で魔力を暴走させてしまい、自他共に惨事になるようなことは避けなければならない。

 

『お兄さまにおけがをさせるなんてイヤだわ。おしえて、ばあや。どうすればいいの?』

『まずはですね……』


 イヴマリアが魔力の基礎勉強を教わるようになって、二週間ほどが経過した頃。

 いつものように乳母と勉強をしていたイヴマリアの元に、一人の侍女が現れた。

 困惑した乳母とイヴマリアに、侍女は無表情と感情のない声で宣告したのであった。

 

『イヴマリアお嬢様。明日から本館に移って頂きます』

 

 その日から、イヴマリアの乳母と物語だけで形成されていた小さな世界は終わりを告げた。

 兄フェリクスの死と、引き換えにして。





✱✱✱



 第二王子が、やらかした。

 王により定められた侯爵令嬢との婚約を、一方的に解消すると宣言したのだ。

 それも成人祝祭の真っ盛り、大勢の貴族たちがいる前でだ。

 その醜態を見せつけられた参加者の一人は、ある事情から領地を離れられない父親の名代として祝祭に出席したイヴマリアであった。

 到底続けられる状態ではなくなった祝祭は王の命によりおひらきとなり、王都の屋敷へと帰宅したイヴマリアは、令嬢として取りつくろった仮面を投げて呆れた顔で吐き捨てた。


「元から出来のよろしくない方なのはわかっていたけれど、あそこまでだったなんて思わなかったわ。救いようがないとはあのことね」

「お嬢様………」

「あら、あなただってそう思うでしょう?」

「…わ、私の口からはとても…」

「それ、肯定してるのと同じよ? いくら王太子殿下がご立派な方でも、支えるべき弟君がアレで、その取り巻きもアレ。どうしようもないわね。エレーヌ様もお気の毒なこと」

 

 エレーヌとは件の婚約解消宣言をされた侯爵令嬢だ。イヴマリアは友人である彼女の不幸を嘆く。

 婚約者の第二王子ラファエルが最近、ある没落寸前の子爵令嬢とやたら親しくしているらしいことは手紙で聞いていたが、まさか公の場でその令嬢を隣に侍らせながらあんなことをやらかすとは、イヴマリアも驚愕した。

 確かにラファエル王子は王から深い愛情を受けているせいか、夢見がちでロマンチストなタイプであると言われていたが…。

 別に子爵令嬢をそばに侍らすこと自体は構わないのだ。エレーヌを妻とし、尊重するのならば。

 だがラファエルはエレーヌを捨てて子爵令嬢を妻とすることを望み、それを大勢の貴族たちの前で宣言してしまったのである。

 

 それがどういうことなのか彼はわかっていないのだろう。

 わかるのならばやらかすはずがないのだ。少なくとも公の場では。



 婚約解消は成立するとイヴマリアは予測する。ラファエル王子のためではなく、エレーヌのために。

 王は盲目的に息子を愛しているわけではないのだ。エレーヌ及びメルマ侯爵家の名誉を守ることを選ぶだろう。

 息子を想うために定めた縁談だったというのに、当の息子から最悪の形で台無しにされるなんて、なんとも気の毒なことである。

 

 

「着替えさせてちょうだい」

「かしこまりました」

 

 イヴマリアの艶やかな黒髪を引き立てていた銀の髪飾りや、上品なダイヤモンドのイヤリングとネックレスが外され、こたびの祝祭のために仕立てさせた最先端の流行を取り入れたドレスが、侍女の手により脱がされていく。

 女性らしい身体の線がよくわかるドレスの下からは、きめ細やかな白い肌が現れる。

 紅を引かなくても紅い細めの唇、少し銀の粉をつけて光らせていた長い睫毛。大きい翠の瞳。

 すでに亡き母の美貌に加え、自身の若さと力強さを備えてさらに磨きかかっている大変美しい少女。

 かつて、別館で乳母一人にひっそりとそだてられていた孤独な幼い少女……イヴマリア・モードリスは、十六歳になっていた。

 

 

 ✱✱✱

 


 知らない侍女が突然現れたあの日。

 そのまま本館へと連れていかれたイヴマリアは、自身の父と初めての対面を果たした。

 何がなんなのかわからないながらも、乳母から教えられた挨拶を幼いながらもがんばってこなしてみせた。

 

『はじめまして、お父さま。イヴマリアでございます』 

『……最低限の教えはできているようだな。まあそれくらいでなくては困る。顔を上げろ』

 

 初めて聞いた父の言葉は冷たいものだった。

 許しをもらい、そっと顔をあげた娘の容貌を見た父は、はっきりと不快感を示した。


『……忌々しい顔をしよって……!! 彼女の命を奪って生まれてきた悪魔なだけある』


 

 悪魔。それがなんなのかイヴマリアも知っていた。

 本に出てきた、主人公たちをいじめて苦しめる悪い存在だ。


(あくま? ……私が?)


 

『不本意ではあるが、アレがいなくなった以上、お前が跡継ぎだ。お前は憎たらしくはあるが、それでも私とジョセフィーヌの娘。アレのような失敗作ではあるまい』


 

 不本意。憎たらしい。

 五歳のイヴマリアには難しい言葉もあったけれど、父のその目が、その声が、嫌でも娘に対してどのような気持ちを抱いているのか彼女にわからせた。

 そして、ひっかかった言葉。

 

『お父……さま』

『………なんだ』

『アレとは……なんですか』

 

 アレがいなくなった。アレのような失敗作。

 まさか、という気持ちが、イヴマリアのなかに上ってくる。

 

『まがりなりにもお前の兄だったもののことだ。もういないがな』

『……ッ!  ……お、お兄さまはどうなさったのですか……』

『もうこの家にもこの世界にもおらん。それだけだ』

『……!!』

 

(お兄さま……!)

 

『ど、どうしてそのようなことになられたのですか。洗礼式は……』

『私はこれ以上、お前のために時間をさくつもりはない。連れていけ。部屋はアンナが整えている』

『お父さま!』

 

 父はそれ以上イヴマリアと話してくれることはなかった。

 そしてイヴマリアには数人の教師がつけられ、彼女を跡継ぎとする教育が行われていくこととなる。

 その間に、さりげなく侍女たちや教師がこぼす情報から、イヴマリアは一度だけ会った兄がどうなったのかを知るところとなった。



 ✱✱✱ 



 第二王子の醜態から二週間がたった。


「エレーヌ様のご様子はいかがですか? リュシオン様」

「二日くらいは落ち込んでいたけれどね。今はなんだか、吹っ切れたような顔をしているよ」

「そうですか」 

「陛下の計らいで、隣国の貴族との縁談が裏で奨められている。姉上に非はないのは明らかなんだし、うまくいくと思うよ」

「ようございました。……王子殿下は謹慎中だそうですね」

「ひどく暴れたらしいからね。自分から姉上を捨てて、あの品のない下層の娘と結婚したいと望んでそれが叶ったというのに。往生際の悪いことだ」


 意地が悪い笑みを浮かべながら、リュシオンはモードリス産の紅茶を飲む。


 イヴマリアが予測したとおり、第二王子ラファエルとエレーヌの婚約はすみやかに解消された。そしてラファエルは己が望んだ通り、相愛の恋人の子爵令嬢と新たに婚約した。

 しかしその婚姻はラファエルが彼女の家に婿養子に入り、次代の子爵になるということだと聞いたラファエルは、何故そうなるのかと暴れ出したらしい。

 当人以外からすれば何を言ってるのかわからないのはお前だと思う話である。


 第二王子ラファエルに王位継承権はない。

 彼の母親は王妃ではなく愛妾だからだ。

 没落同然の貧乏な子爵令嬢であり、魔力もさほど高くない女性。そんな彼女が愛妾といえども王のそばに迎えられたのは、他でもない王からの愛が理由だ。太子時代からの秘密の恋人であったらしい。

 王が正妃よりも彼女を寵愛していることは自他国でも知られていることであるが、王はけして正妃をないがしろにしているわけではなく、むしろ敬意を見せながらとても大事にしている。

 正妃が魔力の優れた第一王子と王女二人を出産した後に正妃自身の認可も得て、彼女は城へ召し上げられた。

 正当な手順を得て迎え入れられた存在であり、己の立場も弁えていて、けして表に出ることも寵愛を正妃に見せびらかすような品のないこともしない愛妾。

 彼女自身にはなんの問題もない。

 しかしその彼女が出産した息子、第二王子ラファエルはなんとも言えなかった。

 

 愛妾であり元の身分も低い母親から生まれた子供に王位継承権は与えられない。第一王子を凌駕するほどの魔力を供えたならばあり得たが、そのようなこともなかった。

 彼の行く先は王弟として城で次期王たる兄の補佐になるか、爵位と領地を受けて一貴族として独立するか、外交として他国の貴族に婿入りするかの三択だった。

 そのなかで王は、愛する女性との息子に、王座以外の出来る限りのものを与えようとした。

 公爵位と領地を授けるため、後ろ盾となれる立場や優秀な次代が生まれることを望めるメルマ侯爵家の令嬢、エレーヌとの婚約を定めたのだ。

 ラファエルは成人の儀の後エレーヌと結婚し、メルマ領地の一部をもらい受けて新たな公爵となるはずだった。

 エレーヌとの婚約が無くなったのならば、その話は消えて当然だ。

 しかしどういうわけなのかラファエルは、エレーヌとの婚姻が無くなっても自分は公爵になると、なれると思っていたらしい。


「それは確かに、陛下とメルマ侯爵にきちんと取り次いでお話をなされば婚約が白紙になっても、公爵位を得て愛する女性を夫人に迎えることも叶ったかもしれませんけれど……。

 公の場での一方的な王命の破棄宣言、メルマ侯爵家への盛大な侮辱………あのようなことをしてしまっては叶うはずもございませんでしょう。

 なんであのような愚かなことをなさったのかしら?」

「ラファエル殿下への陛下の愛が深いのは確かだから、赦してくださると勘違いしたのかもしれないね。相手の娘が母君と同じ没落しそうな子爵令嬢だったから特に」

「………それなら尚の事正当な手段を取るべきでしたのに」


 頭のよろしくない方の考えはわからないねとリュシオンはため息をつき、イヴマリアも何も言えなかった。

 

「この話はそろそろ終わりにしようか。君の好きな作家の本のデビュー作を見つけたんだよ」

「まあ! 本当ですか? もう絶版でしたのに」

「いい巡り合わせがあってね」

「ありがとうございます、リュシオンさま」

「そういえば、モードリス伯爵は来られないのかい」

「………ええ。領地で少し問題ごとがあって。おそらく今期間は来られないかと」



 イヴマリアの婚約者であるリュシオン。

 先週までは第二王子の婚約者であった侯爵令嬢、エレーヌの弟である。

 兄二人に姉ひとりという家庭の末子である彼は、一人娘であり伯爵家の後継となっているイヴマリアに婿入りするために定められた相手だ。

 魔力の高さを重視するこの国は女子も爵位を継げる。伯爵当主はイヴマリアのものでも、その婿となるには釣り合いのとれる魔力と相性のいい属性が前提条件となる。

 モードリスが得意とする属性は炎と雷。イヴマリアは雷はあまり使えず、ひたすら炎に特化した魔術師だ。そしてその魔力は伯爵家としては高く、この年頃にしてすでに現当主の父をも上回っている。

 ゆえに同等の貴族とは釣り合わなかったため、恐れ多くも上位となる侯爵から、どの属性とも相性のいい風属性であるリュシオンとの婚約が決められたのだ。



「またね、イヴマリア」

 

 手に取ったイヴマリアの髪の一房に口づけをして、リュシオンは帰っていった。


「………」


 貴族の立場。美貌。高い魔力。慈しんでくれる優しい婚約者。

 端から見たイヴマリア・モードリスという少女は、恵まれた存在だろう。

 だが彼女は、自分の心が凍っているような気分を持ち続けている。

 それは己の高い炎の力でも、溶かせない大きな氷の塊のようだった。



 

 ───イヴマリアの運命が変わったあの日からの日常は、ただ厳しい教育と、寂しさだけが積み重なった日々だった。

 父はイヴマリアと話の場をもうけることも、食事を共にすることもほとんどなく、外出の出迎えも無視した。

 月に二度のみ呼び出され、教育の成果を訊かれて新しい教師の派遣だったり、伯爵令嬢として視察に地方に向かうようにといった、一方的な命令だけが下される。

 父はその間イヴマリアの顔を見ようとせず、たまたま目に入ったら眉を潜めてそらした。

 年々母と瓜二つになるイヴマリアの容貌が、父には堪えられないようだ。


 そんな父の態度は十一年が過ぎた今でも変わらない。

 イヴマリアの名を呼ぶのは公式な場や他者に紹介するときくらいで、家のなかでは呼び掛けることはほとんどない。

 まるでイヴマリアの存在を受け入れることは、愛することは罪なのだと言わんばかりに、父は彼女を拒絶しつづけている。

 その父は社交界が始まる少し前に起こったある"事件"のため、出席を辞退した。


 よってイヴマリアは一人でこの王都まで来た。

 もっとも、共に来たとしても会話もないのだから、いつもと対して変わりはないが。



 あの別館から連れ出されて十一年少し。

 今でも彼女は…………孤独なままだった。



✱✱✱


 エミリオ・モードリス伯爵は、そこにただ立っていた。

 目の前に転がるのは大きな、二つの白の瓦礫。

 この十数年必ず毎年訪れて、奉公人に欠かさず手入れをさせて、変わらぬ美しさを保ち続けていた墓所。

 モードリス伯爵最愛の妻、ジョセフィーヌが眠るその墓は、いま無惨な姿と化していた。

 王都の社交界に出向くための準備していた矢先に、飛び込んできた墓守りの奉公人。

 

『お、奥様のお墓が荒らされております……!』

 

 青ざめて慌てていた彼から告げられた言葉に、物静かぬ伯爵の気配は変化した。

 傍に控えていた、常に平常心を心がけた使用人たちが思わず肩を震わせ、墓守りの奉公人は自分が炎に焼かれるのではないのかと恐怖に包まれたほどの熱気を感じさせた。


 伯爵夫人ジョセフィーヌの墓は最高品質の純白の石に丁寧な細工が彫られ、芸術的にも価値のある美しさを持っていたが、いまその墓石は横に二つに割られ、飾られていた花を踏み潰していた。

 

 伯爵は感情をさらけ出すことが恥とされる貴族ゆえに、表だって感情をあらげることは少ない。だが、その身に宿る強い魔力が感情を物語る。

 最愛の妻の墓を荒らされたモードリス伯爵は、見た目こそ平静に見えるが、激怒していた。

 墓荒らしの日からずっと、彼からは炎が見えるのではないかと思えるほどの熱気が発せられつづけている。

 モードリス伯爵は、王都の祝祭には娘イヴマリア一人が赴くように執事へ言付け、自分は墓荒らしの犯人を探すと宣言した。


 この墓荒らしがただの墓荒らしではないことは明白だった。

 墓荒らしの目的は棺の中の貴金属、もしくは死体そのものだ。おもに生活が苦しい最底辺の貧民がする卑しい行いである。

 だがジョセフィーヌの墓は外の飾り石だけか破壊されており、土に掘り起こされた形跡はなかった。念のため土属性に特化した部下に確認させたが、深い底に埋められている豪奢な棺には何も変化はなかった。


 そもそも、最底辺の貧民が貴族の墓を狙うこと自体考えられにくい。貴族の墓は貴族の領地内にあるので入り込むのも至難であり、厳重に保管されていて掘り起こすのにも苦労する。さらに武器を携帯した墓守りも必ずいる。発見されたらその場で切り捨てられる。


 そして棺の中の貴金属は貧民どころか平民すら手に入れられるはずのない、恐ろしく高価なものだ。そのようなものを換金に持っていったところで、換金所も手にするのは拒否するだろう。賢いものほど貴族に関わることは避けるものだ。

 よって、この墓荒らしはモードリス伯爵家に向けられた私怨が動機であろうことは明らかであった。


 すでに十年以上前に死んでいる伯爵夫人の墓に目をつけた辺り、現在のエミリオ・モードリス伯爵に対するものだと推測された。彼が亡き妻をどれほど愛していたかは伯爵や貴族に関わる者なら知っていることだ。


「どこの愚か者が知らぬが、骨も遺さず燃やし尽くしてくれる……」


 ジョセフィーヌの墓にばかり注目していた伯爵と周囲は、気づかなかった。

 あるモードリス家の者の墓もまた、その墓石を真っ二つに叩き割られていたことを。

 その墓に刻まれていた名前は、フェリクス。

 “十年前に病死”した、モードリス伯爵の“長男”の墓だ。

 叩き割られた小さな墓石の前では、数日前に長女のイヴマリアが供えたマーガレットの花だけが揺れていた。



✱✱✱



 愛とはなんだろうと、イヴマリアは思う。

 分からないから、恋愛を主体とした物語をあさり続けている。

 けれど今でも、はっきりした答えは見つけられていなかった。


 

 

「相も変わらず読書家なのね、イヴマリア」


 少々疲れた顔をしながらも、変わらない華やかな美貌を持つエレーヌ。

 己の黒髪とは違う、光に当たってまぶしく輝く金髪はイヴマリアの憧れだ。父とは違うある人を思い出す色合いなのもある。

 

「あら? この紅茶、いつもと違うわね」


 エレーヌの言葉にイヴマリアは微笑む。


「さすがですわね。先日、新しい侍従を雇いましたの」

「そういえば知らない顔がいるわね。この紅茶はあなたが?」


 エレーヌに声をかけられた、新顔の侍従が微笑みながら頷く。背がスラリと高く、鍛えられた体格。どちらかというと護衛のほうが似合いそうだ。


「テオです。紅茶を淹れるのがとても上手なのです」

「いい腕ね、テオ」

「恐れ入ります」


 テオの所作は凛として美しかった。

 美味しいお茶とお菓子に一息ついてから、イヴマリアはエレーヌに尋ねる。

 

「あの、エレーヌさま。エレーヌさまは………殿下のことお慕いしていらした?」

「一応六年は婚約しておそばにいたんですもの。恋慕ではなかったと思うけれど、それなりに情はあったわ」


 夫婦として、ともに国を守るもののとして歩めると信じられる程度にはね、とエレーヌは応える。


「少女みたいに恋にあこがれているところは確かにおありだったわ。それを知っていたから、あの子爵令嬢のこともかまわないと思ったの。……私をきちんと尊重してくださるのであれば、ね」


 まさかこんな事になるなんてね。恋はあそこまで人を愚かにしてしまうものなのね、とエレーヌはため息をつく。


「………」


 イヴマリアが読んでいる物語でも、恋という感情はときに人を狂わせ過激にさせる。

 彼女の身近にも一人いる。

 彼女を愛してくれない父親は、昔も今もずっとただ一人だけを想い続けている。あれも一種の狂気だろう。

 “普通”は、愛し合っている妻との間に生まれた子供のことは愛するものらしい、から。

 


 婚約者のリュシオンと同じエレーヌの紫の瞳が、じっとイヴマリアを見つめてきた。


「ねえ、イヴマリア。あなた、ずっと忘れられない方がいるのよね?」

「………!」

「いいのよ、リュシオンも気がついているわ。ちゃんとあの子と結婚して伯爵家当主をまっとうするのなら、誰を想っていても全然いいのよ。

 心は、どうしようもないものなのだから」


 ただ、あの方のように愚かな真似だけはしないでね、と諭すようにエレーヌは言った。


「……ええ、もちろん」



 エレーヌは誤解している。

 確かに忘れられない人はいる。エレーヌやリュシオンの金髪に、似た髪の人を思い出す。

 でもそれは、エレーヌが考えているような相手ではない。

 しかしイヴマリアは訂正しない。

 リュシオンに対して親しみ以上の感情を持てないでいることも、また忘れられない人が心中にいることも確かだったからだ。






 たびたび思い出す、忘れられない面影。

 あの日一度だけ会った兄。

 やはり、抱きつくべきだったと思う。

 どうして触れ合えなかったのかと、考えずにいられない。

 撫でてくれた手の温もり。

 もしもう一度あの温もりに触れられたなら、今凍りづけの心が、少しは溶けるのではないのかと錯覚する。

 もう叶うことのない夢物語だ。


(フェリクスお兄さま…)



 ───母の墓が壊された。そして兄の墓も。

 あの小さな墓に参拝するのは自分だけ。だから墓守が自分にだけこっそり伝えてきたことだ。

 父は兄の墓の方は気づいてもいないし、知ったところで何も思いはしないだろう。

 モードリスの人間であっても、ジョセフィーヌの実子ではない子供。父に殺されたも同然の形で世を去ったわずか七歳の幼子。そんな幼子が墓を壊されるようなことをしたというのか。


 ………兄の生母は屋敷のメイドの一人であったという。しかし彼女に兄が宿ったことは不幸な出来事であり、また産ませたのはまだイヴマリアがいなかった自身の母だったらしい。

 子供を置いて退職を願い出ていた彼女は、表向きはそのとおり退職したとされているが、実際は父が殺して燃やしたという事実をイヴマリアは掴んでいる。

 考えてみれば、その兄の生母、彼女にも家族がいたはずだ。

 その家族がどうなったのか、何を思ったのか、そこまではまったく知らない。

 

(調べてみましょう。………でも、それが動機なら、どうして今になってなの?)


 その女性が死んで十八年。母が死んで十六年。兄が死んで十一年。

 何故今になってなのか。


「ねえ、テオ」


 最近新しく雇った侍従に声をかける。

 イヴマリアより少しばかり年上らしい青年が応じる。


「何でしょうか」

「ある人物に恨みを持っていたとして、十年以上もたってから、その人物の墓を壊す。その理由は何かしら」

「………その人物が死んでいたことに腹を立て、墓に怒りをぶつけたといったあたりかと」

「それをするのに十年以上もたっているのは?」

「………その人物の居所を突き止めるのにそれくらいの年月がかかった。あるいは」



 その復讐をするための年月が、それくらい必要だったのかもしれません──




 新しく雇った侍従の青年。

 黒髪に蒼の瞳。その蒼の瞳は、イヴマリアが忘れられない誰かを思い起こさせた。

 



✱✱✱



 魔物を切っても切っても収まらない。

 女をいくら貪っても収まらない。

 美味いもので腹を満たしても収まらない。

 この火山の溶岩のごとく煮えたぎる感情は、どうすれば落ち着くのか。


 (知れたことだ。奴を殺せばいい)


 長きに渡り溜めてきた荒々しい塊根。

 対抗できうるほどの力も手に入れた。今こそ時が来たのだ。

 そう思って、手始めとして、あの男が最も愛した女性が眠る墓を叩き壊した。

 その時は気分が晴れたものだったが。

 

 その晴れた気持ちを後悔させたのは、黒髪の少女だった。

  


 八つ当たりを兼ねてついでに斬った、誰にも忘れ去られた小さな墓に、悲しみを抱えた顔でやってきた少女。

 懐かしい面影を宿した美しい少女。


『あなたのきょうだいですよ。どうか仲良くしてね』


 華奢な身体に見合わない、大きくふくらんだ腹を愛しそうに撫でる女性。


(ジョセフィーヌ夫人。…かあさま)


 二人でいるときだけ赦してくれた呼び方。

 優しく頬や頭を撫でてくれた滑らかな手。


 そのときはじめて、あの女性の眠りを妨げたことを悔いた。 

 そうだった。

 彼女は自分のことを、とても慈しんでくれた人だったじゃないか。

 

 憎悪に支配された過酷な生活に忘れてしまっていた。


 そしてもうひとり。


(あの娘の存在も、忘れていた)



 ようやく思い出した彼女は、荒らされた小さな墓に涙を見せていた。

 どうしてこんなことを。おにいさま。





「………イヴマリア………」




 自分ののぞみはあの男の抹殺だ。

 それをあの娘がさまたげるのなら、自分はどうすればいいのだろう。




✱✱✱


「今のところ有力な情報はございません。申し訳なく…」


 ジョセフィーヌの墓が壊されてからすでに二週間以上経過したが、いまだ捜査に進展はなかった。

 とりあえず、相当な手練であることだけは間違いない。

 柵で囲まれ墓守も数人いる貴族の墓所。無論その墓守たちも腕は立つ。だというのに、夜の見回りの二人、殺されていた。

 首を一閃。二人とも死んだ自覚すら得られないまま事切れただろう。


 殺したのも、壊したのも───剣、それのみ。


 剣の達人には石をも切断できる猛者がいるという話は聞く。

 だが剣使いだとしたら、その犯人は魔法を使えないのかもしれない。

 いや、そう決めつけるのは早計だ。属性の痕跡を残さないよう、あえて魔法を使わなかった可能性もある。そもそも複数犯かもしれないのだ。


 中立派のモードリス伯爵家はあまり政敵と呼べる存在もないが、恨みを買っていないとは言い切れない。

 しかしまだ有力な容疑者は上がっていない。


 魔法が使えない犯人かもしれないと考えたとき、ふとモードリス伯爵は思い出した。

 十一年前に棄てた己の恥さらしを。


(……………まさか、) 


 そんなことあり得るのか。

 魔無しの七歳の幼子が、あの死の森で生き延びるなど。

 

「………」

「旦那様?」

「…………念の為だ。十一年前に、解雇した乳母がいただろう」

「…………フェ、いえ。長子どのの、乳母ですか?」

「その後の動向を調べろ。また接触した者も」

「………かしこまりました」



(あくまでも、念の為だ)


 生きていたなんてあり得ない。


 そう思いながらも、モードリス伯爵は胸のざわめきを抑えきれなかった。



✱✱✱


 

 最近お気に入りの侍従に入れてもらった紅茶を楽しみ、深く息を吸ったイヴマリアは静かに言った。


「………私にはね、兄がいたのよ。会ってお話できたのはただ一度だけだったけれど」

「………左様ですか」

「美しい、蒼い瞳をしていたわ」


 そこで、侍従の顔をまっすぐ見つめる。

 

「あなたの眼も、とても美しいわね。テオ」

「恐れ入ります。お嬢様の最高級のエメラルドとは比べるも烏滸がましいですが」


 テオの世辞にイヴマリアはいたずらっぽく笑う。

 実はね…、と子供が内緒話するように、口に指を立てて侍従に顔を寄せて。

 そっと囁いた。


「お兄さまの蒼い眼にはね、うっすら金色が混じっていたのよ。

 お父様のお父様……お祖父様のお色なんですって。


 あんな眼を持つ人は他にどれくらいかしらね? ───ねえ、テオ」




 侍従の蒼い眼が、揺れた。

 



✱✱✱



 件の乳母は仕事を降ろされたあと故郷に帰り、四年前に病没していた。しかしその死の前に、ひとりの男が接触していたことが確認されたと従者は報告を上げる。

 

「その男が病に苦しむ元乳母に薬や医師を手配し、死にも葬儀にも立ち会ったとのことです」

「……何者だ?」

「いきなり現れたそうで情報はございません。元乳母は家族に尋ねられても知り合いとしか応えなかったと。その家族のものも、何か事情があるのだと考えて名前も聞かなかったと」

「何か特徴は」

「黒髪に剣を携えた若い男だった、と。ただ───」



「背が高く鍛えられた体格をしていたので若い男と思っていたが、今思えば彼は、まだ十代の少年だったのではないかと思う。……と家族のものは話していました」



「………そうか」


 どうやら『あり得ない』ことが起こっていたらしいとモードリス伯爵は結論づけた。


 なら、必ず近いうちに己の前に現れるだろう。

 生まれたときから恥だった存在だ。やはり己の手で焼き尽くさねばならなかったのだ。

 

「今度こそ灰にしてやる」



✱✱✱



 それは妬みであり憎しみだった。

 

『なんであの程度の女が、旦那様の子を身ごもり産むというの』


 結婚して何年立っても子に恵まれない正妻。周囲が離縁か妾を求めるのは当然のことである。

 当の伯爵がそれを受け入れようとしなかったが、自然と彼の周りには見目麗しく年頃の見合う女が侍女として集められるようになった。

 後妻もしくは妾を担うために親族、又は野心ある貴族から選ばれた伯爵家に釣り合う身分の女たち。彼女たちは伯爵の機嫌を損ねない程度に彼の気を引こうとした。


 モードリス伯爵は誰にもなびく事はなかった。

 しかしある日、それは起こった。


 一人のメイドが伯爵に襲われた。本人からすればそれは手篭めであったが、彼の子を望む周囲にはそんなことは関係ない。

 妻一人への愛を一心不乱に守り続ける男がようやっと別の女に手を付けた。その事実だけが大事だった。

 これを機に私も私もとなった『候補』の女たちは少なくなかった。

 しかし伯爵はその行い自体を恥としより頑なになり、妻の寝室に入り浸った。


 そして二ヶ月ほどたったころ、当のメイドの懐妊が判明した。

 当然その子供は本当にそうなのか疑われた。

 一番疑ったのは他でもない、モードリス伯爵自身だった。

 

 そして生まれた男児は、蒼に金色の混ざった瞳の色をしていた。

 それはエミリオ・モードリスの実父。すでに亡き先代伯爵の瞳と同じだった。

 その眼の色が確認されたことで、伯爵の子であると証明されたのだ。


 

 


 妬ましいと感じたのはおかしくない。

 だってあの女は別に美しいわけでもなかった。

 そもそも妾候補として選別された女でもなかったのだ。

 ただ行儀奉公に来ていただけの、一代限りの男爵家の娘だった。

 その父親は男爵でも本人はただの娘。


 そんな女が、伯爵の子を、男児を産んだ。

 自分たちよりもずっと血筋も容貌も劣る女が。

 

 妬ましくて憎らしかった。


「でも、私は何もしていないわ!」




「首を切ったのも燃やしたのも旦那様がなさったことよ。べつに遺品にだって手を付けちゃいない。あの女の持ち物なんて貧相なものしかなかったし。

 少し睨みつけるくらいはしたかもしれないけどそれくらいよ! 私はあの女に何もしてない。こんなことされる謂れはないわ! 早く放しなさい!」


「………」


 ヒステリックにわめく女を前に、男はため息をついた。


「別に俺がいましていることに、母のことは関係ないぞ」


 ただ可哀想な人だと思うだけで、それは復讐の動機ではない。

 

「あんたは母には何もしなかったかもしれない。だが、俺には?

 俺にはあんたは何をした」



 待望の伯爵家の長男といえども、過ちの果てに生まれ当主から顧みられもしない子供。

 ようやく見たかと思えばただただ厳しく育てられるようになった子供。

 一部の使用人はそんな子供に同情と哀れみを向けて、せめてもの優しさを見せた。

 一部の使用人は、そんな子供を軽んじ、蔑んだ。たとえ傷をつけても伯爵が何も言わないのをいいことに、鬱憤のはけ口にした。

 この女は生みの母を罵りながら、何度も自分の身体に爪を立てて肉をえぐった。その跡は今も身に残っている。

 女はそれが何よと鼻で笑ってみせた。


「そんなの、あんたの生まれが悪いからじゃない。なんでそんなことで憎まれることになるのよ? やっぱり貧相な女から生まれた魔無しなだけあるわね。理解できないわ」

「そうか」


 男はよく手入れされた剣を振り上げた。


「理解できないなら理解できないでいい。なぜ自分が殺されるのか理解できないまま、こんなこと理不尽だと思ったまま、死ね」


 まだ何かわめこうとしていた女の首がごとりと転がる。

 まず一人。


 次は従者の一人にする。

 ───服で隠れる場所ににムチをうち、タバコによる火傷もおわしてきた男。教科書や答案用紙を汚されて破られたこともあった。あの男からすべて自分の不手際だと、叱咤を受けるのはただ自分だけだった。


 その次は自分に料理を配膳していた、当時は料理人見習いだった男。

 ───自分の食事を横取りして残飯を出したり、床にわざと落として代わりも寄越さないことを何度もした男。熱いスープをわざとかけられたこともあった。


 きっとこの女だけじゃなく、他の者たちも何故自分が殺されるのかわからないまま死ぬことになる。

 ただの庶子だったあの時でさえそんな態度をとってきた者たちだ。後から『魔無し』と発覚したのなら、より自分たちがしたことは間違いではなかったと思っていることだろう。

 魔無しとはそれほど蔑んでいい存在なのだ。

 それで別にいい。悔いて謝ってほしいわけではない。

 自分はただ殺したいだけだ。

 

 元々復讐なんてそんなものだ。

 誰を憎み、誰を殺すのか。 

 誰に罪があるのか。


「それを決めるのは被害者(俺)だ。加害者(あんた)たちじゃない」



✱✱✱


 

 モードリス家の侍女が死んだ。

 殺されたのだ。

 路地裏から首を切られた死体で発見された。

 彼女はモードリスで二十年努めてきた、子爵家の三女であること以外は特に目立つところもない、いってみればただの女だった。

 

 イヴマリアはその侍女をよく知っている。かつて自分を離れから呼んだ侍女、ずっと常に父のそばに侍っていた侍女だ。

 父の後妻を狙っていたひとりだ。


「可哀想に」


 知っているといってもとくに思い入れのある相手でもない。イヴマリアはその一言ですませた。

 内心では苦しまなかっただけいいわよねと思った。


「テオ、紅茶をお願い」

「かしこまりました。ご希望はございますか」

「飲み心地がスッキリするお茶がいいわ」

「レモングラスを混ぜたものをご用意します」


(………次は誰かしら?)


 

 


 


 モードリス家の使用人が死んだ。

 長年仕えてきた侍従の男だった。

 私用で買い物に出たところを首を落とされていた。

 

 モードリス家の料理人が死んだ。

 五年前に料理長に昇格した男だった。

 珍しい食材を受け取りに屋敷から外に出た後すぐに姿が見えなくなり、首を切られた死体で発見された。

 

 立て続けの殺人事件に、世間も貴族社会も騒ぎ出した。


「モードリス家はどうなっているんだ」

「たかが使用人といえどもこれは……」



「………モードリス家の長男は、魔無しだったんだよな……」


 一人の貴族がつぶやく。

 

 七歳の洗礼式の後に何らかの形で急死(・・)する子供は、希にいる。

 それは世間では、「魔無し」であったから処分したのだという暗黙の了解となっていた。


「魔無しが呪いでも起こしてると? あり得ん」

「しかし他に、あの家にあのようなことをする存在があるのか?」



「次は、伯爵本人か、もしくはイヴマリア嬢なのではないのか」






 

 侍女の事件の時点ですでに馬車を走らせ、モードリス伯爵は王都の屋敷にやってきて、


「イヴマリア。領地に帰るぞ」


 珍しく娘の名前を呼んで、問答無用で告げた。


「……了解しました」


 イヴマリアは反論せず承諾する。頭を下げたままの侍従たちに荷物をまとめてくれるよう支持を出す。

 取りまとめの荷物とともにすぐさま走り出した馬車の中で、いつもは黙っているイヴマリアは口を開いた。


「お父様。発言をお許し頂けるでしょうか」

「………なんだ」

「………お兄様は、処分、したのですよね?」


「……………死体は確認していない」


「………」


 イヴマリアはそれ以上話さなかった。


 

 



 それは、イヴマリアが領地に帰った次の日の夜に屋敷に現れた。

 伯爵はイヴマリアをけっして自室から出さぬよう言いくるめ、かつ門番や使用人達に、剣を下げた黒髪の男が現れたならそのまま通せと通達した。

 思っているとおりのものが犯人なら、あれが狙うはまず自分だろうからと。


「私自らの手で、燃やし尽くす」

 


 ………侍従たちは主人の意向に従ったのだろう。それは伯爵の私室の扉を堂々と開けて現れた。

 背がスラリと高く体格のいい、剣を下げた若い男。

 髪は黒くなっているが、じっと自分を見てくるその目には蒼に薄っすら混じる金色が見えた。

 亡き父の色と同じ色合い。紛れもなくモードリスの血を引く子だと、自分の子だと証明されてしまった色。

 時には涙目で、時には悔しさをにじませて、つねに自分に向かってきた色だ。


「やはりお前だったか。フェリクス」

「ええ。お久しぶりです。父上」


 若い男……フェリクスは見事なボウアンドスクレープを見せて、挑発するように笑ってみせた。

  

「あなたの命を、貰いに来ました」


「いくら剣を磨こうとも、魔無しごときが勝てるとおもうか!!!」


 伯爵は一気に燃やしてやろうと炎の塊をフェリクスにぶつけたが、フェリクスは剣で一閃し退けた。

 耐火のマジックアイテムか。だがあれには受け入れられる容量がある。火力をさらに上げればいいだけだ。

 部屋の空気が熱に包まれたとき、

 

「お父様!!!!」


 異変を察知したのか閉じ込めていたはずのイヴマリアが飛び込んできた。

 お前は引っ込んでいろと叫ぼうとした瞬間、

 エミリオ・モードリス伯爵の下半身が一気に炎に包まれた。


 モードリス伯爵は否応なしに床に転がった。

 ほぼ一瞬の出来事だった。

 腰から下が焼失したが痛みすら感じない状態で、床に転がる伯爵は目を見開き、つぶやいた。


「………イヴ、マリァ?」


 途端、

 イヴマリアは───最愛の妻そっくりの顔で、よく似た笑顔で言った。


「さようなら、お父様」


 次の一瞬。エミリオ・モードリスの首は剣で断ち切られていた。

 壁にぶつかり転がる首は、ただ驚愕の表情をしていた。

 その首も、首をなくした上半身も、一気に燃える。

 のこったのはわずかな灰。

 もうそこに人間がいた痕跡すらわからなくなった。


 








 モードリス伯爵家の館が燃える。

 当主はおろか、使用人も誰も外にでてくるものはいない。

 切り捨てられた門番も庭に転がっている。

 周囲が魔法で消火を試みているが、効果は芳しくないようだ。このままイヴマリアの強い魔力の炎は、文字通りすべて(・・・)灰に帰すだろう。

 

 離れた場所からその光景を見ながら、テオ………もといフェリクスは言った。


「あの人(・・・)は、どうしてイヴマリアが自分を攻撃したのかわからないまま死んだだろうな」

「そうでしょうね。あの表情(かお)は。

 でも、お兄様からは憎まれる自覚があったのね。ごめんなさいね、お兄様。私、ほんの少しだけ………お兄様がいいなと思ってしまったわ」

「………イヴマリア」

「あの人は、私が自分のことをどう思っているのかすらも、どうでも良かったことの証明だもの」



 なんと思われていても、気にしてもいなかった。

 殺されるだなんて、思ってもいなかったのだ。

 それくらい、あの人はイヴマリアという娘のことを見ていなかった。


 





 テオに目の色のことを指摘した日。

 固まった侍従に、イヴマリアは笑顔で続けた。


『テオ、私ね、お父様のこと………大っ嫌いなの。憎んでると言ってもいいわ』

『お、お嬢様?』

『当たり前じゃない。あの人は私のことなんて愛してない。それでどうして、私があの人のことを好きにならなくちゃいけないの?』


 

 最初は自分を見てほしかった。愛してほしかった。

 しかし何をしてもただただ忌々しい目を向けてきた。

 存在そのもの許せないのだと、いつもその目は言っていた。

 ならどうして私は生まれてきたのだろうと、己の存在意義がわからなくなった。

 死んだほうがいいのかと思うこともあった。

 婚約が決まったリュシオンから向けられた優しい態度で、父は、あの人は本当に自分を愛していないこと、愛してもくれないのだと悟らざるを得なかった。

 なら、自分も求めるのをやめようとようやく思った。



『あの人が死んだって、どんなふうに惨めに殺されたって、なんとも思わないわ。

 お母様のお墓のことについては、私はそれほど思うことはないわ。冷たいようだけど、私にとっては知らない人と変わらないもの。

 それよりも、お兄様のお墓のほうがお可哀想』

『………』


『ねえ、あの人を殺したいなら、私にもやらせて』


 その言葉にテオは息をのむ。


『私も、あの人を殺してやりたいの』


 あんなひとだいきらい。と子供っぽく言ったイヴマリア。


『……イヴマリア……』


 テオ───フェリクスは、わかってしまった。

 イヴマリアは、父のことを憎んでいるから殺してやりたいのだと思っている。

 だが、それは違う。

 イヴマリアのその“殺意”は、自分のものとは違う。


 ───この娘は、父に自分を見てほしいのだ。

 

 自分が殺す攻撃をしたのなら、その時には間違いなく、父は自分を見てくれる。

 そう思っているから、殺したいのだ。

 

  “わたしのことをみて”


 それが、彼女が自分と一緒に、父を殺したいと望む理由。

 ───哀れな、妹。

 フェリクスは、イヴマリアを抱きしめた。

 十一年前のあの日、イヴマリアがそれをしたいと望んだように。

 イヴマリアは驚いたが、少し照れながら、腕をフェリクスに回して抱きついた。


『わかった。一緒にあの人を殺そう』

『ええ、お兄様。…その後のことなんですけど…』

『大丈夫だ。犯人は俺一人に見せて逃げるから。お前は何も気にせずに、伯爵家の後を』

『お兄様』

『ん…?』

『私、お兄様と一緒に行ってはいけませんか?』

『…………』

『私は正直モードリスに思い入れはございません。それでも、モードリスを継がなくては、なりませんか?』

『………』


 フェリクスは、妹の艷やかな黒髪を撫でた。


『いいよ。───俺と一緒に行こう、イヴマリア』

『ッ! はい、お兄様……!!』








 

 イヴマリアは愛がよくわからない。

 しかしそれはきっと、あの日少しだけ邂逅できた兄が撫でてくれたときのぬくもりが、

 再会した兄が抱きしめてくれたときに得た暖かさが、近いものなのだろうとは思っている。

 だって、ずっと心のうちにあった大きな氷の塊が、溶けた感触がしたのだから。

 あの人はくれなかったもの。

 一生それをくれないあの人は、もういらない。


 燃えるモードリスの館から目を離し、イヴマリアは自分から兄に深く抱きついた。

 兄弟相手といえど貴族令嬢がはしたない、なんて言葉を言うものはここにはいない。そもそももう、イヴマリアは貴族令嬢ではない。

 これからモードリス家がどうなるかなんて、もはやどうでもいいことだ。

 兄と一緒にいられる。それだけで良かった。


「行きましょう、お兄様」

「ああ」


 微笑んで頭を撫でてくれる兄がどうして、優しさの中に憐れみをこめた目を向けてくるのか。イヴマリアにはわからなかったけれど。

 そんなことはどうでもいい事だった。

 











 遠い遠い国で、ともに黒髪の傭兵の若い男女が活躍していた。

 美しい娘は業火を操り、蒼い目の男は見事な剣裁きで魔物を屠る。

 美しい娘は、それはそれは嬉しそうな美しい笑みを浮かべながら、男のことを兄と呼んだ。




              ✱完✱


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