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夢を叶えた娘

作者: 肺魚
掲載日:2026/03/28

「ヴィクトリア・ヴェルディス! どこだ! 出てこい!」

 王都の王立学園卒園式の後のパーティー会場。最近のお気に入りである、可憐な男爵令嬢フェリシアと側近たちを侍らせた王太子レオナルド・ヴァレントリアの声が、舞台俳優のように響き渡った。さわさわと会話でさざめいていた場が、一気にしんと静まりかえる。

 レオナルドの婚約者である公爵令嬢ヴィクトリアは、飲んでいた果実水のグラスを卓に戻すと、背筋を伸ばし、教育された通りの優雅さでレオナルドの前に進み出た。お手本のように、失礼ではない程度の浅いカーテシーをする。

「お呼びでございますか?」

「顔を合わせるたびに公務だ勉強だとうるさいお前では、王になる重責を負う俺の心は癒やされぬ。よって、お前とは今宵で婚約破棄とする!」

 婚約破棄——本当に言ったわ……。予想はしていたとはいえ、ヴィクトリアは思わず呆れた。

「だが、お前が態度を改めると泣いて縋るのなら、この男爵令嬢フェリシア・カルディアを側妃として迎えるのと引き換えに、婚約破棄を撤回してやっても——」

「婚約破棄、承りましてございます」

 レオナルドが得意げな様子でなおも謳い続けるのを、ヴィクトリアはバサリと切り捨てた。王太子そのものを切り捨てるように。

「何!?」

 この婚約破棄は作戦なのだ。ヴィクトリアは知っている。結婚と同時に、恋人である男爵令嬢を側妃に認めさせるための作戦。あらかじめ王太子たちの身辺を探らせた際、裏で側近たちと笑いながら決めていたという。

 王太子レオナルドは軽率だが、公爵令嬢のヴィクトリアと結婚することで得られる公爵家の後ろ盾の意味くらいは、さすがに理解していたからだ。

 ずいぶんと舐められたものだな、と、予想していない展開に慌てた様子の王太子を見ながら、ヴィクトリアは思う。

 視界の端で、会場の大きな扉が静かに開き、尊きお方が入室して来たのが見えた。

「婚約破棄、認めようではないか。……王家の者が一度放った言葉を安易に撤回するなど、そうそうあってはならぬ」

「えっ!? 父上!?」

 王太子レオナルドたちを囲う卒業生たちの衆人環視の中、重厚な声がレオナルドの背後から響き、全員がハッとする。

 ヴィクトリアは声の主に向かって、深く敬愛のカーテシーをした。それを見た周囲の生徒たちも次々と礼を取る。慌てふためくばかりの王太子と側近の傍ら、男爵令嬢フェリシアも深くカーテシーをする。特徴的な赤みを帯びた金髪が、はらりと肩にかかった。

「よい。顔を上げよ」

 鷹揚に軽く手を振って国王が言うのに合わせて、礼を解く。王は背後に宰相と、魔道具らしきものを複数抱えた従者、護衛を連れて、王太子レオナルドたちの元へとやってきた。

「ち、父上……! いったい何を」

「話はヴィクトリアからすでに聞いておる。ガイウス! 証拠をここに」

「はっ」

 王に名を呼ばれた宰相が側に控えた従者から、魔道具の一つを受け取る。宰相ガイウスは王太子の側に控えた息子を一瞬だけ物言いたげに見つめ、すぐに手に取った魔道具を操作し始めた。

『王にならなきゃいけない重圧が辛いんだ』

 宰相の手の内から、不意に王太子の声がポロリと溢れる。宰相の手にあるのは、声を保存する魔道具だったのだと、皆に分かった。

『王になんかなりたくてなるわけじゃないのに、ヴィクトリアときたらいつも勉強、勉強ってうるさくてさ』

 どこか芝居掛かった、恨めしげな調子の声。調子を合わせるように、側近たちの軽口が続いた。

『もっと殿下のやる気を出させるような言い方というものがありますよね!』

『フェリシアみたいに、控えめで穏やかで、ただ優しく微笑んでいれば良いのに』

 パーティー会場の隅々まで響き渡る軽口の類は、学園で男爵令嬢フェリシアを囲んでは散々繰り返されたもの。その場に居合わせた卒業生たちは、聞きなれたそれらがこの場で再生されていることに戸惑いながら、互いに何が起こっているのかと視線を送り合う。

「なっ……これは!」

「声を保存する魔道具!? いったいなぜそんなものが!」

 目を白黒させる王太子たちを、ヴィクトリアは冷めた視線で見つめた。もう、何もかもが遅いのだ。

『王になるのなんてやめて、本当は君とこうして2人で、どこか景色の良い田舎で、日がな一日絵でも描いて過ごしたいよ』

 王太子の軽口に、側近たちの軽妙な声が返る。

『良いですね。領地経営は任せてください。我々はどこまでも王太子殿下とフェリシアにお供しますよ』

 宰相の息子であるユリウスがウインクをしながらそう言えば、

『田舎でのんびり牛を追うのも悪くない』

 騎士団長の息子、レオンハルトがそう言って笑い、

『では私は田舎でも困らないように、新しい商会でも立ち上げますか』

 大商人の息子、マルコが肩をすくめる。

 声だけで、彼らが日々どんな様子で過ごしていたか、その場にいる全員が思い出せるような、それくらい何度も繰り返された軽口の数々だった。

『まあ、皆さん頼もしいのですね』

 仕上げにフェリシアの、心底感心したような声が響く。

『フェリシアの笑顔はやはり良いな』

『本当に』

『可憐で心が洗われますね』

 笑い混じりの軽口は、彼らの鉄板ネタだ。レオナルドは実際には王になる気満々なのに、他になり手がいないから仕方がなく王になってやるのだというポーズをいつもとっていた。

 現実にはレオナルドは側妃の産んだ第一王子で、今では王妃の産んだ第二王子もいるのだが、歳が八つも離れているということもあり、自分が王になるのが当然だと思っている節が、ヴィクトリアには常々感じられていた。

 単に公爵家としての後ろ盾だけではなく、王になるのにやや足りない資質を、幼い頃から優秀で真面目の評判だったヴィクトリアに支えさせるための婚姻だったのに、だんだんとその事実を都合よく忘れていったようだった。

『子供の頃は画家になりたかったんだがな。王になる運命が時折憎らしいよ』

『まあ、殿下……お可哀想に。わたくし、殿下の描かれる絵が好きです』

『フェリシアは本当に優しいな。冷たいばかりのヴィクトリアとは大違いだ』

『ヴィクトリア様は凛となさっていて、優秀で、皆さんからも尊敬されていて素敵な方ですわ』

『なりたくもない王になるために押し付けられた許嫁だ。王位と同じで重たいばっかりさ。なまじ私に王になる才能があったために……この辛さ、君が和らげてくれるかい?』

「な……こんな、フェリシアと二人きりの時にしか言った覚えのないことまで……!」

 宰相の手によって、次々と従者が入れ替えた魔道具が、かつて王太子たちが口にした戯言の数々を露呈させていく。ザワザワとしている人々に向かい、王が軽く手を上げて注目をさせた。

「皆、これらの証拠を聞いたか」

 その場にいた全員が、戸惑いながらも頷く。再び静かになった場を一瞥して、王は話し出した。

「これまで知らずにいたことを申し訳なく思うが、どうやら王太子レオナルドには王位が重たすぎたらしい。他の娘にうつつを抜かし婚約者を冷遇し、王命たる婚約を勝手に破棄したことの責任を取らせ、まずは第一王子レオナルドの王位継承権を剥奪する。そして王妃の産んだ第二王子、 アレッサンドロを新たな王太子とする」

「なっ!」

「その上で、レオナルドをそこな男爵令嬢フェリシアの元に婿入りをさせることとする! 側近三名も、どこまでも供をすると言ってくれていたな。カルディア男爵領にて、王子レオナルドの領地経営を支えよ。——良かったな、レオナルド。景色の良い田舎で絵でも描いて暮らしたいと言っていた、お前の『夢』が叶うぞ」

 冷めた眼差しと淡々とした口調で王が言うと、レオナルドは慌てた様子で王に言い訳をした。

「そんな……あんなの、ただの冗談だったのに!」

 記録された舞台役者のようなわざとらしさがある声とは違う、本心からの悲鳴のような王太子——元・王太子の声を笑う者はいない。側近たちはただ青ざめて、呆然とした様子で王を見ていた。

 粛々と、王の声が続く。

「王家の人間の言葉は軽くてはならない。カルディア男爵令嬢フェリシアと、その父であるカルディア男爵アントニオに感謝するといい。お前の隠していた本音である『夢』を叶えるために、この場を整えるために証拠を集め、この一年ずっと男爵領を王子が暮らすのに不自由なく豊かにし、そして絵を描くにふさわしく景色の良い土地を作ると尽力してくれた——まさに、忠義の親子よ」

「えっ、フェリシアが!?」

 レオナルドが思わず背後を振り返ると、いつの間にか、フェリシアに面差しの似た赤毛の男が、フェリシアのすぐ背後に影のように控えて立っていた。

「光栄でございます」

「わたくしはただ、レオナルド様の本当の夢を叶えて差し上げたかった一心でございます」

 王の言葉を受けて、フェリシアと共に男爵も深々と一礼をする。

 周囲の人々は誰もが固唾を飲んでそれらを見ていた。フェリシアとその父親であるアントニオのみ、やり遂げたとでも言うように誇らしげに口元に微笑を浮かべている。

 ——本当にやり遂げてしまった……。王太子レオナルドは、決して手を出してはいけない、手に負えない娘に手を出してしまったのだわ。

 ヴィクトリアは、誇らしげに胸を張る親子を見つめて、そう思った。脳裏には、つい先日、彼らが屋敷に訪ねて来た時のことが蘇る。



「ヴェルディス公爵家令嬢ヴィクトリア様におかれましては、急な手紙に応えこうしてお時間を取っていただき、誠にありがとう存じます」

 その日、ヴェルディス家の屋敷を訪れた親子は、開口一番に揃って深く頭を下げた。

 カルディア男爵家の令嬢フェリシアと言えば、この一年以上も王太子殿下のお気に入りである、赤みのある金髪に、瑞々しい新緑のような明るい緑色の瞳をした、小柄で可憐な見た目の少女である。

 王太子たちから声をかけられ始めたばかりの最初のうちは、あくまで戸惑いと困惑を隠さない様子でいたので、ヴィクトリアとしては助けを求められれば間に入ってやろうと考えていたが、途中からはフェリシアのほうからも王太子に対する恋に見える好意が見え始めたため、放置していた。

「本日は我が娘フェリシアと共に、父親である私めもヴィクトリア様への謝罪のために訪れましてございます」

 頭を下げたままの口上に、ヴィクトリアは手にした扇を緩く振った。

「謝罪……何についてのことかしら? でもまずは頭を上げて、席についてくださる? このままでは落ち着いて話もできないわ」

 先に部屋の奥に位置するソファに腰を下ろし、扇で向かいのソファを指し示す。

「失礼致します」

 カルディア男爵家の二人は、恐る恐るといった具合に顔を上げ、そっとソファに浅く腰を下ろした。

 二人の顔つきはどちらも真摯で、特にフェリシアの顔にはどこにもヴィクトリアに対して王太子を奪ってやったというような、勝ち誇ったりした様子がない。どこまでも神妙な様子であった。

 てっきり王太子と側近たちに言い寄られて良い気分になっているお花畑の娘だと思っていたけれど、違うのかしら。ヴィクトリアは扇を開き、口元を隠して小さく首を傾げた。

「カルディア男爵、先ほど謝罪、と仰いましたけれど、何に対しての謝罪ですか?」

「娘が原因の一端を担い、王命による王太子殿下と公爵令嬢の婚約を駄目にしてしまうことに対しての謝罪でございます。本来ならば王家にも謝罪に伺わねばなりませんが、すぐに国王陛下とのお約束が叶うはずもなく、まずは婚約者様であるヴィクトリア様の元へこうして参りました」

「婚約者であるヴィクトリア様を差し置いて、王太子殿下と長らく親しく接しましたことを、わたくしからもまずお詫びいたします」

 ソファの上で、改めて二人揃って深々と頭を下げられる。

「あら、婚約者がいることはお忘れではなかったのですね」

 扇を口元に当ててやや嫌味を込めてそう言うと、フェリシアは恐縮した様子でさらに深く、膝に顔がついてしまうのではないかと思えるほど、頭を下げた。

「殿下と親しくなってからは学園では殿下が常に近くにおり、また、正式に挨拶もしていないわたくしから公爵令嬢たるヴィクトリア様へ直接会いに行けるはずもなく、高位貴族へ言伝を頼める友人も見つからずに、こうして今日まで経ってしまいました」

 それは確かにそうだ。本来ならば、男爵令嬢の立場で、知り合いでもない高位貴族に気安く声をかけるなど、許されないことだった。

 王太子に対しては、王太子たちからフェリシアに声をかけて絡んでいったから会話が可能だったが、なんの付き合いもないフェリシアから、公爵令嬢のヴィクトリアに声をかけることは容易ではない。身分を問わないという建前のある王立学園でも、爵位の差は簡単には乗り越えられないのだ。

「顔を上げてちょうだい。あまりに卑屈な態度も、逆に失礼に映るわ」

 ヴィクトリアがそう言うと、フェリシアはすぐに顔を上げて、真っ直ぐに姿勢を伸ばした。隣の席に座ったカルディア男爵が、大きな鞄から一枚の書類を取り出す。

「これで許されるとは思いませんが、謝罪の気持ちだけでも示したく、慰謝料として、金貨二万枚を用意しました」

「二万枚!?」

 カルディア男爵が机の上に差し出した目録と共に告げられた言葉に、思わず令嬢らしからぬ上擦った声が漏れてしまう。

 金貨二万枚と言えば、裕福な男爵家でも軽く三年分ほどの運営予算である。公爵令嬢であるヴィクトリアにとっても、端金と言える金額ではなかった。

「申し訳ないことでございますが、領内の銀鉱山は王家に対する謝罪として差し出す所存ですので、これでお心を慰めていただけると幸いに存じます」

「元々、当家にとっては益のない婚約でしたから、それに対して怒りはないのですが……。あなたとお付き合いがあるからといって、私が婚約解消されるほどのことかしら?」

 学内では軽口で散々王になどなりたくないと嘯いているが、実際は王になる気満々のレオナルドだ。ちょっと気に入った娘ができたからといって、婚約自体までが駄目になるとは思えない。

 それを聞いた親子は、二人で視線を交わし合うと、お互いに決心した様子で頷き合った。

「証拠がございます」

 男爵が鞄からさらに魔道具をいくつも取り出す。そのうちの一つを手に取ったフェリシアが、慣れた手つきで操作を始めた。

『王になるのなんてやめて、本当は君とこうして2人で、どこか景色の良い田舎で、日がな一日絵でも描いて過ごしたいよ』

 飛び出したのは、ヴィクトリアも聞き慣れてしまった王太子たちのいつもの戯言だ。

 フェリシアは続けて他の魔道具を手に取り、次々と音声を再生し始めた。

『王になんかなりたくてなるわけじゃない』

『ヴィクトリアじゃなく、君と結婚したいな』

『私が、日々の政務に追われずに美しい風景をゆっくり描いているところへ、君が笑顔で手作りの差し入れを持ってやってくるんだ。そんな暮らしができたら、夢のようだな』

 どれも、王太子たちの鉄板のジョークの類だ。これらがどうしたと言うのか。

 そう思って、向かいに座るフェリシアと男爵の顔を見る。二人とも、どこまでも真剣に、憂いるような表情で座っていた。

「最初は、わたくしに愚痴を聞かせて、殿下はどうされたいのかと戸惑いました……。でも、毎日のように殿下からお話を聞いているうちに、わたくしは気がつきました。殿下たちは、わたくしにだけ、こうして隠された本心をおこぼしになっているのだと」

 どこまでも憂いるような面持ちで、吐息混じりにフェリシアが言う。

「わたくし、だんだんと殿下たちの願いを叶えて差し上げたくなったのでございます」

 忠義にほのかな恋心を乗せるような潤んだ瞳で、フェリシアはそっと重大な秘密を漏らすように、告げた。

「え、あなた、殿下たちのあんな言葉をまさか信じて——」

「殿下のお言葉を、疑ったことは一度もありません」

「娘が嘘を言うとは思えません」

 ヴィクトリアの目を真っ直ぐに見つめるフェリシアの潤んだ瞳には、王太子に対するほのかな思慕が覗くばかりで、そこには疑念のかけらもなかった。信念に裏打ちされた真摯な表情で、フェリシアと男爵は静かにヴィクトリアを見つめている。

「フェリシアが証拠となる音声を魔道具で集めている間に、まずは王子殿下が不自由なくお暮らしになれるだけの環境を作るために、領地の特産物を増やして収益を増やしました。幸い、暖かな気候で貴重な砂糖の原料になるサトウキビの栽培が上手くいきました。また、王国内でも珍しいオレンジと、レモンの果樹園を増やすことができたので、ジャムや乾物の加工まで行い、王都向けに販売経路を作ることで、これまでの三倍の収益を上げることができるようになる見込みです。元々、男爵家としては豊かなほうでしたが、これで王子殿下に相応しい屋敷と使用人を揃えられます。すでに景色の良い丘の上に、建築が始まっております」

 熱っぽい口調で、誠実さそのものの顔をした男爵が説明をする。

「肝心な王太子殿下の夢である、絵を描くためのモチーフとしての一面の麦畑は元々ありましたが、その奥にちょうどよく湖が見えるように、人を雇って丘と森を削ったりもいたしましたわ。かなり大掛かりな工事になりましたが、景気が良いと評判になったおかげで領民も増えましたの」

「ついでに領内の道も整備して、領内の作物が王都に流れやすくなるように工夫しました。おかげで、大きな商隊も立ち寄ってくれるようになりました」

 どこまでも真摯に、純真に言い募る彼ら二人を見て、ヴィクトリアの背筋に寒気が走った。これはきっと天啓だ。そう思った。この二人を、絶対に敵に回してはならないと。

 ——ならば。この状況を上手く使えば、両親共々あまり乗り気ではなかったこの婚約を解消することが、本当に可能になるかもしれない。

 王太子レオナルドは、季節ごとの豪華な贈り物をねだるくせに、こちらに寄越すのは簡単な——従者が書いたカード一枚に小さな花束が一つ程度。舞踏会の際のドレスや宝飾品は最低限の予算だけ伝えられて全部こちら任せ。エスコートも入場の時だけで、ヴィクトリアの補佐が必要な最低限の挨拶が終われば、すぐにどこかへ行ってしまう。

 王城では、本来側近たちがやるような王太子の政務の書類の下読みと分類まで手伝わされた。優先順位の並び替えを行い、案を出し書類の下書きをする。当の王太子は、側近に清書させて最後に署名をするばかり。

 月に一度の茶会では、自慢とヴィクトリアへのダメ出しばかりで、チヤホヤしないとすぐに機嫌を悪くする。フェリシアを侍らせ始めてからは、それすら面倒がって二回に一度程度の頻度に落ちていた。

 その上で、ヴィクトリアなどとは本当は結婚したくないと、学園では悪口のようなものまで吹聴している。

 本当に、王命でなければこんな一方的に搾取されるような婚約はとっくに終わっていたものを。

「あなた方の本気の具合に感服いたしましたわ。……よろしければ、わたくしがその証拠をお預かりいたしましょうか? 国王陛下に婚約解消のお話をする際に、きっと役に立つと思いますの」

 口元を隠していた扇を閉じて机に置き、背筋を伸ばして二人に告げる。少し野心的な言い方だが、二人とも疑うような人間ではないと、もう存分に知っていた。

「本当でございますか!?」

「ヴィクトリア様も王太子殿下の夢を叶えようとしてくださるなんて、なんとお優しい!」

 二人ともに両手を祈るように組み、感激した様子で目を潤ませ、喜びの声を上げる。他の者がやったのなら芝居がかりすぎていて嘘っぽいと思うところだが、この二人はどこまでも真摯で、空恐ろしいほどの善意と誠実さに溢れていた。

 そして、ヴィクトリアはこれまでは我慢していた王太子との婚約での不平不満の類を、一つ残らず丁寧に書き連ね、父親とも話し合った上で国王陛下への奏上を行うことにした。

 その時には、王太子たちが卒業を記念したパーティーの席で、フェリシアを側妃に迎えるための愚かな計画を立てていることも判明していた。そのため、もしも本当に王太子が公の場で婚約破棄を叫んだ場合には、直ちに婚約を破棄しても良いという許しを受けることをひとまずの目標に決めたのだった。

 フェリシアの用意した証拠の多さが、まずものを言った。次いで、国王も認めていて注意を繰り返していた婚約者への態度の悪さも、全てをヴィクトリアが書き示したことで改めて問題となった。

 そして、本当は王としての資質の低いレオナルドではなく、王妃の産んだ真面目な第二王子を王太子としたいと考え始めていた王にとっても、この奏上は実に都合の良いものであった。

 王族の言葉が軽いものであってはならない。それを理由に、もしもレオナルドが公の場で婚約破棄を唱えたのならば、その時は——。レオナルドと側近たちの行く末は、こうして彼らの知らぬところで定められたのだった。

 恐ろしいまでに誠実な親子を思い出していたヴィクトリアは、改めて茫然自失としている元・王太子殿下を眺めた。「そんな……だって……」と、厳しい表情の国王陛下を見ながらうわごとのように口にするばかりで、いつもの自信に溢れた姿は見る影もない。側近たちも顔を青ざめさせたまま、いつものような軽口を叩く気力はないようだった。

 これで、全てが終わった。ヴィクトリアは晴れがましい気持ちでそう思った。




 季節は初夏。どこまでも続くような、黄金色をした収穫前の麦畑が広がっている。小さくて牧歌的な家々が並ぶ、さらにその奥の方に、宝玉のように輝く青い湖がチラリと見えていた。まるで、絵画を切り取ったような穏やかな景色である。

 レオナルドは見晴らしの良い丘の上から、キャンバスを立てかけたイーゼルの向かいに小さな折り畳みの椅子を置いて、牧歌的で美しい景色をじっくり眺めた。

「なんでこんなことに……」

 あの卒業パーティーから、すでに二ヶ月ほどが過ぎ、新たな王命による婿入りを済ませたレオナルドだったが、いまだに現実を受け止めきれていないようだった。

 遠くから、時おり側近たちの悲鳴のような声が聞こえる。どうせまた、やり手のカルディア男爵からのみっちりと厳しい領地経営の勉強にユリウスが根を上げ、慣れない牛追いにレオンハルトが泣き言を言い、王都とは勝手が違いすぎる商隊との交渉にマルコが悲鳴を上げているのだろう。レオナルドは舌打ちをした。

 彼らが側近としての役目を果たし、レオナルドの軽口に調子を合わせたりせずにきちんと注意してくれていれば、こんな結末にはならなかっただろうに。ヴィクトリアだって、婚約者としてフェリシアとのことをもっと早い段階で忠言をするべきだったはずだ。

 そうだ。ヴィクトリアさえもっと早く忠告してくれていたら——まさか、あんなに恐ろしいことをする娘だとは思わなかった。

「レオナルド様〜!」

 あの娘が、フェリシアが笑顔で走り寄ってくる。

「片手でも食べられるような、簡単な差し入れをご用意いたしました」

 麦色をしたバスケットを両手で捧げ持ち、どこまでも純真そうな笑顔で告げられる。

「そうか」

 レオナルドはやや顔を強張らせながら、小さく頷いた。

「絵の進み具合はいかがですか? もう少しで収穫の季節なので、今だけの景色になります」

「同じような風景が多いからな。少し飽きてきた」

 やる気が浮かばないのを誤魔化すようにそう言うと、フェリシアの顔が真剣になった。

「それはいけませんね。では、これから湖まで馬車をお出ししますか? それとも、オレンジの果樹園に参りましょうか? 創作意欲が湧くような、いつもと違う風景をご覧に入れたいと存じます」

 すぐにでも移動をさせようとする姿にギョッとする。いつでも、どこまでも本気なのだ、この娘は。

「いや、やはり収穫前にこの風景を描いてしまいたい。少し一人にしてもらえるか」

「わかりました! では、日が暮れる頃にまた迎えに参りますね。これからも、ご希望があればいつでも言ってください。わたくし、ずっとレオナルド様の夢が叶えられるように全力を尽くしますわ!」

 これからは迂闊に軽口も叩けない——。レオナルドは、フェリシアのどこまでも真摯で誇らしげな微笑を見て、背筋に震えが走るのを感じた。

「レオナルド様の夢は、これからも必ず叶えます。——それが、私の夢です!」

 彼らの『夢』は、確かに叶ったのだ。


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