煙
リルはミラの肩を支え、井戸の縁から引き起こした。
少女の身体は軽く、骨が浮き出たような細さだった。
触れた部分から、霧のような薄れが広がり始めている。
色が失われ、輪郭がわずかにぼやける。
呪いの進行は静かだが、確実だ。
リルはミラを井戸の陰に座らせ、すぐに手を離した。
「…動くな」
声は低く、抑えたものだった。
ミラは頷き、息を整える。
灰色の瞳が、リルの顔をじっと見つめる。
「…リル…さん…」
名前を呼ぶ声に、リルは視線を逸らした。
繋がりが、深まっている。
集落の灯りが、遠くで揺れている。
夕食の時間か、人影が家々の間を動き始めている。
焚き火の煙が、夜風に混じって強くなる。
リルは耳を澄ました。
足音はない。
声もない。
ただ、静かな日常の気配だけ。
しかし、胸の脈動が、再び速さを増した。
今度は、集落の奥から。
何かが、近づいている。
ミラが、かすかに身を震わせた。
「…寒い…」
リルはぼろ布の端をミラにかけ、集落の方向を観察した。
中央の広場に、火が灯されている。
数人の村人が集まり、低い声で話している。
言葉は聞き取れないが、緊張を含んでいる。
一人の男が、広場から外縁へ向かって歩き出す。
手に、松明のようなものを握っている。
光が揺れ、影を長く伸ばす。
リルの胸の熱が、増した。
それは、断片の共鳴だ。
男は、エンダー。
あるいは、断片に近づいた者。
いずれにせよ、追手だ。
男の影は、井戸の方向へ近づいている。
村人たちが、後ろからついてくる。
武器らしいものは持っていないが、表情は警戒に満ちている。
「…見つけたか?」
遠くから、声が届く。
「…脈が強い。ここだ」
リルはミラを引き起こし、井戸の反対側へ移動した。
集落を巻き込む。
村人たちは、予言を知っているのかもしれない。
エンダーを恐れ、鍵を求める。
あるいは、呪いを避けるために、排除しようとしている。
リルは歯を食いしばった。
胸の鼓動が、戦いを促す。
再生の力が、目覚めようとしている。
だが、まだ、終わらせたくない。
男の影が、井戸の近くに到達した。
松明の光が、水面を照らす。
男は周囲を見回し、声を上げた。
「…出てこい、エンダー!」
村人たちが、ざわめく。
「呪いを…終わらせてくれ!」
一人が叫ぶ。
それは、絶望の叫びだった。
集落は、呪いの影に怯えている。
断片の影響か、病が広がっているのかもしれない。
ミラが、リルの袖を掴んだ。
「…逃げて…」
弱い声。
リルはミラを抱え、集落の外縁へ後退した。
灌木の陰を伝い、丘の斜面へ。
松明の光が、遠くで揺れる。
男の声が、追いかけてくる。
「…鍵はどこだ!」
胸の脈動が、最大限に速くなった。
影は、集落を巻き込み、広がり始めていた。
リルはミラを背負い、夜の荒野へ足を踏み入れた。
逃亡の始まり。
だが、追手の影は、決して消えない。
世界は、静かに、二人の終わりを加速させていた。




