序
神々は、かつて世界を掌に収めていた。
彼らは空を裂き、海を割り、大地に命を吹き込んだ。
その創造の最期は、誰も目撃していない。
ただ、灰色の空の下に、無数の欠片が降り注いだという。
人々が後に「終焉の断片」と呼ぶようになった残骸だけが、静かに地上に根を下ろした。
それから数百年。
文明は崩れ、都市は風化した石の墓標となり、森は枯れた枝を伸ばして空を覆う。
人々は小さな集落に寄り集まり、火を囲んで古い話を囁き合う。
「断片に触れた者は、エンダーになる」
「エンダーは、触れたものを終わらせる」
「終わらせたくないなら、誰も愛してはならない」
噂は、事実よりも速く広がる。
そして事実よりも、残酷に人々を縛る。
荒野の東端、かつて街道だったはずの崩れた石畳の上を、一人の女が歩いていた。
リル。
長い黒髪は埃にまみれ、灰色の瞳は常に遠くを見据えている。
厚手のフード付きのぼろ布が、彼女の身体を覆い隠していた。
肌を晒さないのは、習慣ではなく、掟だった。
胸の奥で、何かが脈打つ。
それは、神の心臓の欠片。
致命傷を受けても、数時間で肉体を繋ぎ止める再生の力。
だが、その鼓動は、決して優しいものではない。
近づく者を、ゆっくりと、確実に、霧のように溶かしていく。
リルは立ち止まり、風に混じる微かな焦げ臭さを嗅いだ。
遠くの丘に、黒い煙が細く立ち上っている。
村か、集落か。
いずれにせよ、火を焚く人間がいるということだ。
彼女は視線を逸らし、道を外れて枯れた草むらへ足を踏み入れた。
人間の近くに留まることは、呪いを広げる行為に等しい。
日が傾く頃、リルは古い石碑の陰に腰を下ろした。
碑文は風化して判読不能だったが、かつては神の名を刻んでいたのだろう。
彼女は膝を抱え、目を閉じた。
眠るわけではない。ただ、時間をやり過ごす。
感情を抑え、記憶を薄め、存在を希薄にする。
それが、彼女の日常だった。
胸の脈動が、少しだけ速くなる。
それは、警告でもあり、誘いでもあった。
「誰かを、終わらせろ」と。
リルは唇を噛み、息を吐いた。
吐息は白く、霧のように周囲に広がり、草の先をわずかに白く染めた。
遠くで、狼の遠吠えが響く。
それは、生き物の声だった。
リルはそれを聞きながら、思う。
生きているものは、いつか必ず終わる。
自分が触れなければ、少なくとも今は、まだ終わらない。
だが、世界は静かすぎた。
断片が散らばった大地は、まるで息を潜め、次のエンダーを待っているかのようだった。
他の継承者たちは、どこかで動いている。
心臓を宿した者、目を宿した者、血を宿した者。
彼らは、呪いを武器に、あるいは鎖にされながら、己の終わりを探している。
リルは立ち上がり、再び歩き出した。
足音は乾いた土に吸い込まれ、すぐに消える。
彼女の影は、長く伸びて、霧の中に溶けていく。
まだ、何も始まっていない。
だが、胸の脈動は、確実に速くなっていた。




