方舟なき天の勇者
少なくとも俺が生まれた時には、この世界はクソだった。
土地はどこもかしこも荒れ果てていて、水も枯れていく一方。増えていくものと言ったら災害だけだ。
当然、人も毎日毎日バカみたいに死んでいく。飢えて、渇いて、奪い合って殺し合って。
明日は我が身だってのに誰も他人の死なんか気にしちゃいない。むしろ「食う肉が増えた」なんて思ってやがる。
誰かが「こんな世界になったのは善神と邪神の両方が死にかけているからだ」とか何とか言っていた。
善神は人間と亜人族と精霊を守るため、邪神は魔族と魔物を守るため、この世界が始まった時から争い続けているらしい。
結果、どちらも自分の命を繋ぐので精一杯なくらいに弱って、世界の安定を保てなくなってるんだとか。
まあ理由は分からないし、確かめようもないからどうだっていい。
俺にとって大事なのはこのクソ世界をどう生きるか。つまりは「誰から何をどう盗むか」、ただそれだけ。
俺は盗賊だ。それも伝説に謳われるような大悪党や義賊なんかじゃない。
ガキや女、運良く生きてる老人や怪我人病人。そういった弱者を狙ってその日の糧を自分の為だけに稼ぐ、典型的な小物。
罪悪感? そんなもんは母親ごと魔物に食われたさ。
恥? 子供の頃、他の盗賊に家と一緒に焼かれたさ。
「生きる」ことに比べたら他の全てには何の意味もない。
だから俺は「小物」と罵られようが動じない。卑怯で卑小、大いに結構。俺を救わない奴に俺の生き方にケチをつける資格はないんだよ。
そういうわけで、俺は今日も盗みを働こうとして――失敗した。
忍び込んだのは、昔はたくさんあったらしい森。その中に構えられた集落。
まだ荒廃が進んでいない土地の集落ってのは大抵、良い物がある。
そのぶん盗みに入るのは難しいが、女が一人残ってただけだから何とかなると思っちまった。
そんな甘い見立てを罰するかのように男たちが集落に帰ってきて。
何の術技も使えない、腕っぷしも大したことない俺一人じゃ敵う筈もなく。
俺は手足と片目を潰され、皮膚も焼かれ、かつて川だったと思われる死体置き場に放置された。
そして、腐臭を浴びながら痛みと死への恐怖で泣き叫び続けた。
それからどれだけ経っただろうか。
一年? 一ヶ月? 一日? 分からないが、とにかく長く感じる時間を過ごし、もう叫ぶ体力もなくなったところで。
「……まだ息がある!? お待ち下さい、すぐにお助けします!」
――俺は、その女と出会った。
可憐さの中に凛々しさもある顔。爺婆の昔話でしか聞かない清流を思わせるような青い長髪。肉感的な身体。真っ白な衣服。
何より、そいつは妙な力を使って俺の身体を元通りにしていったんだ。
神を信じたことはないが、「もし居るのならこいつがそうなんだろう」と思った。
「身体の方はじきに完全回復する筈です。でも体力まで分け与えることはできませんから、私の家でしばらく療養してください」
俺みたいな盗賊を怖がらない、避けない女ってのは基本的に詐欺師か娼婦、或いはその両方だ。
一瞬、こいつもその手合いかと疑ったが、今まで感じたことのない第一印象と疲労感には抗えず、言われるままに付いていくことにした。
陰鬱とした雰囲気の村に到着すると、女はさっそく村人共から詰め寄られた。
「イオ様! 勝手に村を抜け出したと思ったら、そのようなみすぼらしい男を連れてくるとは! 『勇者』に相応しい行動をしなさいと何度言えば……」
イオ。それがこの女の名か。
「『勇者』だからこそ、です。私は人を救う力と意志を持っている。それを閉じ込めておくことなんてできません」
「力を使ったのですか!? なんということを……しかも、その男……もしやこの辺りで活動していると聞く卑劣な盗賊、グワルガンでは……」
「俺みたいな小悪党のことを知ってんのか。そりゃ光栄だ」
そう茶化すと村人は激昂し、「戦士達を呼んでこい」「この場で斬り殺してしまえ」などと喚き始めた。
イオは、それを毅然とした態度で抑える。
「彼もまた私が救うべき人です。あなた達は勇者が救った人間を害するのですか?」
「ですが……」
「大丈夫、私が全ての責任を取りますから」
「……分かりました、そこまで言うのであれば。ですが規則に反したことは事実。罰を受けて頂きましょう」
罰。どういうことだ? 俺を救うことは罪だってのか? この女は何をされるんだ?
困惑していると、イオは優しい笑顔で村の一角にある廃屋にしか見えない家を指差した。
「あそこです。先に行って安静にしていてください。私もすぐに行きますので」
「おいてめえ、罰って……」
「大丈夫です」
有無を言わせぬ返事。
俺は考えることを放棄して、ボロ家に向かった。
あぁ、他人の事情なんて知ったことか。助けてくれるっていうなら望み通り利用してやるよ。ついでに盗めそうなものを探す。俺はそういう人間だろうが。
狭苦しく、盗む価値のある物が一つもない家のベッドで呆けていると、イオがやってきた。
身体に傷はない。となれば何があったかは大体想像がつく。それなのにこいつは眩しい笑顔を見せている。
なんだ? 村人もこいつも頭がおかしいのか?
「勇者」と呼び、恐らくは敬愛しているであろう女を束縛し、そこから逃れようものならおぞましい方法で罰し。
イオもイオで、人を救う機会を奪われることを嫌がっているだけで自分自身については全く顧みていない。
「てめえ、いつもこんな目に遭わされてるのか?」
「ええ、まあ。でも大丈夫です」
「なんで怒らない? なんで黙らせない? なんで殺さない?」
「私、勇者ですから。勇者は人々に奉仕するものです」
「なんであいつらの怒りを買うと分かってて俺を助けた?」
「私、勇者ですから。勇者は困ってる人を助けるものです」
「……話になんねえ」
「そうですか? 話したいことがあったら何でも言って欲しいのですが」
こいつと話していると疲れてくる。「勇者」ってなんだ? 完全に理解の埒外の存在だ。
だが、嫌じゃない。いや、この意味が分からない女のことをもっと知りたい。
数日後。体力が充分に回復してくると、失われていた欲求も自然と戻ってきた。
だから、俺は。
「てめえは『勇者』とやらで、そいつは人に奉仕するものなんだよな。だったら……」
イオをベッドに押し倒した。
これまでも気に入った女に何度かやってきた行為。俺がショボい男であることはすぐに見抜かれるので、関係が長続きしたことは一度もなかったが。
「ええ、良いですよ。それであなたが救われるのなら」
イオを上から見下ろす。いつもと同じ優しい笑顔。
こんな女は知らない。拒絶も恐怖もしていない、かといって男に媚びる淫猥な笑みでもない。
全てを受容し、奉仕する穢れなき聖性。
俺の方が上に居るのに見下されてるみたいだった。
なんだか嫌になってきて、結局、手を出さないことにした。
俺らしくない。手に入るものは全て手に入れる。好機を逃さない。そうやって生きてきた筈なのに。
「あれ。私、あんまり好みじゃありませんでした?」
「うるせえ」
***
しばらく経っても、俺は一度もイオを抱くことができなかった。
望めば多分、いつだって受け入れてくれるのに、俺はあいつの眩しさに目を焼かれて自分から触れることすらできないでいる。
とはいえ盗みをしなくていい、ただ最高に良い女に世話を焼かれるだけの生活はそう悪くなかった。
だが、そんな日々はいつまでもは続かない。
ある日、イオは唐突に告げた。
「勇者として役割を果たす時が来ました。もうお世話はできなくなってしまいますが、既に傷は完治しているので大丈夫でしょう」
「はぁ? てめえ何を言って……」
「私が居なくなったらきっと村の方々はあなたを攻撃するでしょうから、今のうちに外へ」
「おい待て、イオ!」
「では、さよなら」
そう言って、家を出ていって。
「ふざけんな、もっと傍で俺を救い続けろ」と思って、追いかけた。
あいつが向かった先は村の中央にある広場。
村人全員が石の台を囲み、跪いている。
イオは台の上で仰向けになり、祈るようなポーズを取った。
そこにナイフを持った村人の一人がゆっくりと近づいていく。
これから何が行われるかは明らかだった。
村長が「世界はもうすぐ終わりを迎える」とか「勇者の犠牲をもって救いを」とか何とか言葉を並べ立てているのを無視して、俺はイオを救おうと村人を薙ぎ倒して突き進んだ。
だが、村の戦士数人に組み伏せられる。
「弱くてもいい」と思いながら生きてきた俺だが、今だけは己の弱さを呪った。
村長がどうでもいい話を終えるや否やナイフが降ろされ、イオの胸を抉った。
流石のあいつもこの痛みには耐えられず、悲鳴を上げる。
泣いて、叫んで、でも恨み言は一つも吐かない。
せめて怨嗟を振りまいてくれればまだ救われたのに、まだあいつの心に近づけたのに、人の本性が現れる死に際になってもなおあいつは「勇者」だった。
やがて、イオは何も言わなくなった。
そうなって初めて気付いたんだ。あいつは俺にとってただ一つの価値あるものだった、と。ただ生きているだけの俺の人生に意味を与えてくれそうな女だった、と。
自棄になって暴れた。全員殺してやろうと思った。
でも、俺の怒りなんかじゃ何一つ変えられなくて。
俺はイオと出会う前みたいに痛めつけられて、村の外に捨てられた。
なあイオ。てめえは許せるのかよ。
てめえは「勇者」なんて持ち上げられていたが、その言葉の本当の意味は「生贄」だったんだぞ。
てめえはちゃんと人を救える力と意志を持っていたのに、くだらねえ妄信でそれを無駄にされたんだぞ。
俺は。俺は――
***
息絶え、途切れた筈の思考が復活している。
目の前には巨大な人形の影。周囲には闇以外の何もない。
「なんだ? 俺、どうなっちまったんだ……」
影が揺らぐ。
「我は……そう、お前たちが邪神と呼ぶ存在。魔の庇護者」
「邪神」だぁ? バカかよ。走馬灯ならこんな空想じゃなくてあいつを見せてくれよ。
「お前の憎悪、無念、聞き届けた。人間族ではあるが、お前の絶望はそれを補って余りある」
まさか、これは現実なのか? てめえは本当にあの邪神なのか?
「グワルガン。お前には我の後継者に……二人目の邪神になってもらう」
笑えるぜ。俺なんかにどうしろって言うんだよ。こちとらただの盗賊だぞ?
「今はもう違う。お前は全知全能だ……同等の力を持つあの神さえ討てばな。さあ戦え。そして天を征服しろ」
そう言って影が消えていったと同時、背後から凄まじいプレッシャーを感じた。
振り返ると、そこには死んだ筈のあいつが居た。
イオ。
おいおい、「てめえを見たい」とは思ったけどさ、こういうことじゃないだろうが。
「どうしてグワルガンが……」
「そりゃこっちの台詞だ、イオ。何がどうなってやがる?」
「私は善神に捧げられたあと、滅んでしまう寸前だったあの御方の後継者となりました」
「で、邪神にトドメを刺したってところか?」
「はい。村の方々はこれを望んでいたのでしょう」
「そこまで考えてねーだろあの能無し共は。ただ誰かを犠牲にして安心したかっただけだ。何の生産性もねえよ」
「だとしても結果的にはこうなった。私は皆さんに感謝しています。それで、あなたはやはり……」
「あぁ、どうやら邪神とやらになったらしい」
言葉にして、やっと実感が湧いてきた。
身体の痛みや疲れが消え失せたどころか、力が際限なく溢れてくる。
ああ、良い気分だ。
しかも都合の良いことにイオも同じなんだろ? だったらさ。
「イオ……提案がある。てめえや俺にやりたい放題やってくれたクソ世界に復讐しねえか?」
「グワルガン……」
「今の俺たちは最強だ、自由だ! 誰にも束縛されねえ見下されねえ! あんな奴ら気にすることはねえ! 無様に死んでいくのを絶対的な立場から見下ろして嘲笑ってやろうぜ!」
「それはできません」
イオは眉を吊り上げ、拒絶した。俺にこういう顔を見せたのは初めてだ。
「なんでだよ」
「私、勇者ですから」
「勇者!? そんな肩書に何の意味がある!? てめえを生贄にするための口実だろうが!」
「たとえ誰かが与えた役割でも、私は勇者であることに誇りを持っています! それが私の存在理由なんです! あなたに何が分かるんですか!?」
イオの怒った顔。俺を否定する本音。そのどれもが、見下した笑顔よりも嬉しくて。
俺はこいつをもっと怒らせたくなった。
手を伸ばし、いつも使っていた短剣に究極の攻撃力を持たせたものをイメージして――できた。
俺、邪神の才能あるんじゃねえか?
「てめえが嫌なら俺が一人でやる」
「ならば私があなたを止めます!」
どこで戦い方を覚えたのか、イオは様々な種類の剣を作り出し、襲いかかってきた。
舐めるなよ。俺はもうてめえに見下されていた頃とは違う。やっと対等になれたんだ!
あれから一万年。
俺とイオはその間、ずっと戦い続けた。
俺たちだけじゃない。世界内でも自身の眷属に力を与え、争わせてきた。
その中でも特に強い存在は、イオの側が「勇者」、俺の側が「魔王」と呼ばれるようになった。
どちらかが死んだらまた新たな勇者や魔王が生まれる。戦争が無くなることはない。
戦いを重ねる中で俺はイオの本質を理解していった。
こいつは人間だった頃から《始原識》と呼ばれるものを持っていた。これは出生時に神から与えられる「運命」であり「異能」だ。
イオの持つ《始原識》は《奉仕》。己を犠牲にして他者を救う運命。己の命を削って他者の生命力を回復する異能。
そう、こいつは生まれつき「こう」なんだ。
だから平気で自分を犠牲にできる。勇者なんていう「多数の為に犠牲になる道」を誰かに押し付けられる。それを嫌がる奴の気持ちなんか考えもしない。
全部まとめて見下して、一方的に救う対象と見做して、「個人」のことなんて――俺のことなんて見やしない。
でもさ、俺知ってるんだぜ。
イオは地上の王国に生まれたとある男を勇者にするため、あらゆる困難に立ち向かい続ける運命を与えた。
それだけじゃなくて、その王国のお姫様にも「姫らしく『守られる存在』で在り続け、勇者を立てる」運命を与えた。
このことを突っ込んだらイオの奴、「勇者としての強度を高めるため」とか何とか言い訳していたが、本当は違うんだろ?
イオ、自覚していないんだろうが、てめえの心にはあるんだ。
勇者でも何でもない、「ただの女」への憧れが。
どうせ股濡らしながらお姫様にクソみたいな運命を押し付けたんだろ? 自分の雌の部分を投影してたんだろ?
だったらいい加減、俺のものになれよ。てめえを抱けるのは同じ神である俺だけなんだから――!
本作は筆者が別名義で公開したフリーゲーム『HollowSky』の関連作品となっております。
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