小雨のガゼボと白い花
小雨が柔らかな宿根草をしとど濡らし、オルゴールと振り子時計の合間の音が背景に在る。ガゼボの中央には白いクロスのテーブル、その上には銀のティーポットと、曲線の優雅なティーカップが置かれていた。
白百合は雨音に耳を澄ませていた。白薔薇はほのかに香っていた。ポットの中では、琥珀色の夢がほどけている。あたたかく内密で、香りは祈りのそれであった。
白百合がテーブルの端にこぼれた雫に視線を落とし言葉を紡いだ。
「泣いたことはあるの」
白薔薇は答えを二重に包み、頷いた。
「あるわ」
それ以上は言わない。白百合は続けた。
「一度だけね、朝、紅茶の香りに包まれたとき、『ただ生きている』ってーー、解かれていた気がした」
白薔薇は音もなくティーカップを持ち上げ、その手の影は雨粒の光と重なり真珠と成った。白薔薇は言った。
「わたしたちは祝っているの。『誕生日以外を祝うお茶会』よ」
二輪は目を合わせ、静かに微笑んだ。雨は柔らかく、布をなでるように降っていた。
***
「ねえ」
白百合がポットの蓋をそっと持ち上げると、香りが空気の膜を揺らした。
「茶葉が、ひらいているわ。わたしたちみたい」
白薔薇は銀のティースプーンを指先で転がした。
「あなたは、閉じていたの」
「ええ、ずっと。でも、あなたとお茶を飲むようになってから、呼吸を始めた」
白薔薇は、沈黙ののちに唇を開いた。
「怖くなかったの。ひらいてしまったら、香りが飛んでいってしまうって」
白百合はカップの中の揺らぎを見つめた。
「香りは、閉じ込めていても腐るだけ。香りが漂うということは、私は今、ここにいるということ」
「それは、失っていくことでもあるわね」
「ええ。でも、その香りを誰かの記憶に残せたらーー『紅茶の香りがするたびあなたを思い出す』ーーそんなことが起こったなら、それは永遠だわ」
雨音が少し強くなりつつ、二輪の語らいに溶け込んでいく。白薔薇はカップにそっと口をつけ、瞳を閉じ、呟いた。
「わたしの香りは、誰の時間に宿るかしら」
「わたしの時間に」
「……あら」
「紅茶を淹れるとき、あなたの手つきが脳裏に浮かぶ。カップを口に運ぶたび、あなたの声がよみがえる」
そしてまたひとしずく、時が降る。
***
白薔薇が、空になったティーカップを見つめていた。手元には、もう注がれる予定のないミルクピッチャーと、濃い紅が乾きかけたリネンのナプキンが置かれている。
「あなたは、怒ることはあるの」
唐突な問いに、白百合はスコーンに載せようとしたクロテッドクリームの匙を宙で止め、ゆっくりと答えを編んだ。
「わたしは、怒らないわ。怒るより先に壊れてしまうから」
白薔薇は、白百合という存在の輪郭をなぞりながらうなずき、問いを重ねた。
「あなたが壊れているとき、誰か気づくの」
「……いいえ」
白百合は紅茶に視線を落として微笑んだ。
「音を立てて壊れないから。壊れるって、ガラスの音がするとは限らないもの」
笑みは、テーブルに落ちる雫のように静かに垂れた。カップ越しに、白百合が白薔薇に問いかける。
「あなたには、見えるの」
「いつ、どんなふうに壊れたかはわからない。けれど、壊れたことのある人の手はわかるわ」
「……怒れたら、楽だったかもしれない」
白百合は、雨のように穏やかに言った。
「でも、怒るには誰かを信じていないといけないから」
白薔薇はおもむろに手を伸ばし、百合の皿に残されたスコーンのかけらを半分に割った。そしてそれを、自分の口に運ぶ。
「半分こね」
そう言った白薔薇の声は、雫だった。土に染み込み、花の開花をうながす。
白百合はその残りのスコーンを、何も塗らずに口に運んだ。