3-01:マリスティア
人は、内なる祝福を育てながら生きていく。
だから聖ヴェシール帝国の民は、滅多な事では子を捨てない。祝福が傷付き加護を無くせば、罪人のような扱いを受けるからだ。
幼い頃に養子と知ったマリスタは、ずいぶんと泣き暮らした覚えがある。
加護を失ってでも捨てたい子供。
そんな自分が嫌いになった。大人になっても加護などきっと、授かる事は出来ないと。それで誰にも頼れずに、早とちりしてしまったのだ。
「知らなければ、よかった」
嫌な事は必ず追いかけてくる。だから逃げて、逃げた先に良い事があると、しがみつく。
口下手で、会話も苦手なくせに。
レンダーク城の中を走りながら、マリスタは胸の苦しさを、息の苦しさに書き換えようとしていた。どうして、大人の騎士と話そうなどと、思い上がってしまったのだろう。軽はずみにも程がある。
きっと、浮かれていたのだ。
お店に来た人とは違うのに。みんな優しかったから、何処かで同じ人だと間違えた。
好かれるはずがない。
気味の悪い髪色で、人には言えない加護を持ち、話せば話すほどに嫌われる。ここはもう貴族の世界だ。愛想笑いは嫌味に、お節介は無礼だと言われてしまう。
散々走って、絡まりそうな足に治癒をかけ、それも限界になってくる頃、マリスタは人気のない外回廊に飛び出した。荒い呼吸に耐えきれず、隅の方に座り込む。
「姫様、中へお戻り下さい」
聞こえた声に振り向くと、困ったように微笑む、レンダーク卿が立っていた。
「私は護衛ですので、追わぬわけには」
もう走れない、と思うマリスタに対し、彼は息さえ乱れていない。多分、途中で捕まえる事も出来たのだろう。それをせず、何故か、側に居る事だけを選んだようだ。
変わってるのかな、と少し失礼な事を考える。大体、逃げると叱られるからだ。
分かっていても会話の苦手なマリスタは、言葉で勝てなくなると、話せない距離に行くしかない。それでも嫌われるし、殴られる。撤退も戦略の内だと、街の兵士も言っていた。
「さあ姫様、こちらに」
「…………レンダーク卿、わたし」
イヤだと言おうとた時、長い足が一歩近付く。
「壁側にお戻りいただければ十分です。今の私は、姫様の行動を制限する権限を持ちませんので…………それからどうか、ナンシスと、名でお呼び頂きたく。レンダーク姓は、たくさんおりますからね」
見上げると、困った笑顔の中に、マリスタを見つめる灰色の瞳があった。悪意はない。ただ、すごくしっかりと見られている事に気が付いた。
観察でもないし、値踏みされている訳でもない。ただ、なんとなく居心地が妙に悪くなる。どうして良いのか分からずに、マリスタは再び俯いた。
「この先に、小さくはありますが、庭園がございますよ。そちらへ行かれては?」
どうして帰れと、言わないのだろう。不思議に思っても、聞く勇気は出てこない。伏せた頭に感じるのは視線だ。そんなに見たって、面白い物も無いはずなのに。
それでふと、彼の足元を見てしまう。随分と強い、水の加護があるようだった。今更だがこの騎士は、帯剣すらしていない。護衛なのに?
マリスタは首を捻った。
彼の内なる祝福は、とても強くて美しい。それと同時に、息苦しそうにも見えた。
気分や体調によって、加護は揺らぐ事がある。祝福はそうした加護を、本来の場所に戻すような力もあって、道を踏み外さないようにする役割も担っている。
ただ、内なる祝福は育つもの。
この騎士様の場合は、明らかに今ある祝福ではキツすぎるのだ。祝福絵画を描き換えて、加護の上書きした方がいい。そんな状態だ。
「どうされましたか?」
「…………い、いえ」
古書店の老婆店主も、加護の描き換えは滅多に行われない、と言っていた。祝福絵画が貴重だからだ。大出世して、余程内なる祝福の成長に自信のある者だけが、国に願い出てするのだと。
「あの、お庭に行っても、いいの?」
「どうぞこちらに」
マリスタは、当然とばかりに差し出された手を見やる。どうやら騎士様に追い付かれると、手を繋がれるらしい。貴族の未成年者は、基本的に家族以外からのエスコートを受けない。庶民だと、思ってくれているのだろうか。いや、巡回騎士がエスコートする姿など、見たことがない。
そういえばこの人、竜に乗るときも手を差し出してきたな、と思い出す。どう見ても成人には見えないのに、成人みたいな扱い方をしてくれているようだった。
やっぱり、変わっているのかも。
そっと手を差し出すと、ぎゅっと掴まれて引き上げられる。急に立たされて、たたらを踏んだマリスタは回廊内の壁側に連れて行かれた。騎士様はやっと気を抜いた様子で、スカートの埃を払ってくれる。あまりに手慣れていたので、口を挟めなかった。
「さあ、参りましょう」
微笑みよりも、笑顔に近い表情だ。嫌悪も敵意も感じない。マリスタはこの騎士が、やっぱり変わっているのだと思った。
古書店の店長は、良い人、悪い人、普通の人という分類以外に、変わった人がいると教えてくれた。自分の経験では判断出来ない、学びになる人だと。
話しかけてみたい。でも、また失敗したら…………
「ときに姫様」
「っ!」
心の声でも聞こえたのかと、マリスタは震え上がった。彼の足元を再び確認する。音神の加護は無いはずだ。
「私の足元に、何か?」
「…………」
言っても良いのだろうか。ちょっと一人で考えたい。半日くらいは。それとも、また逃げるのかと、弱気な自分が問いかけてくる。取られた手には、力が入っていない。引っこ抜けば自由になるものの、ここはレンダーク城で、彼の姓もレンダーク。実家である。地の利すらない。
「あの、いえ…………」
マリスタは口を噤んだ。やはり言わない方がいい。ここで失敗すれば、迷惑をかける。その責任の行く先は、間違いなく秘密の婚約者になるだろう。
口にせずとも、公然と唇を寄せてくるような皇子様だ。失点など取れば、更に外堀を埋められそうで怖かった。
そうなってしまえば、一族連座を覚悟してでも、出自を話さねばならない。口は災いのもと。硬く閉じるに限るのだ。
「では参りましょうか」
「えっ?」
彼は、何事もなかったかのように歩き出した。それに驚いたマリスタは、逆に混乱してしまう。どうして、問い詰めて来ないのだろう。沈黙を責めないのだろう。雰囲気に嫌悪すら無いのは、もはや異常だ。
これが変わった人なのか、と衝撃が走る。
一体、何を学べというのだろうか。考えている事すら、分からないのに。それで穏やかな横顔を見上げ、足元を見て、時々目が合えば微笑まれ。庭園に着いたマリスタは、すっかり参ってしまって、ベンチに倒れ込んだ。
そんな少女を、護衛騎士のナンシス・レンダークは、ニコニコ顔で観察している。
些か繊細すぎるものの、好感しか持てない。男どころか人慣れすらしていない様子は、銀の瞳とも相まって、世間知らずの子竜のようだ。竜好きには、もはや反則級の色である。
「姫様、お休みになられるなら、部屋に戻りましょう?」
声をかけると、突っ伏していた頭が動く。銀とも灰色とも言えない髪色は、赤毛だと思っていた少女を、より神秘的に見せていた。しかしその話題は禁物である。染める程嫌っていたのを、知っているからだ。
「姫様、僭越ながら、お抱えしても?」
尋ねると、慌てて起き上がり、項垂れた様子で座り直した。笑いを堪えるのに苦労する。昼食の呼び声が掛かるまで、悩める少女見守る仕事は、実に楽しかったと言わざるを得ない。
部屋に戻ったマリスタを待っていたのは、当然ながらオルヴェールだった。会えて嬉しいのに、喜べない現実に気づいて悲しくなる。気持ちは転がされてはかりだ。
「おかえりマリスタ。今日は、日向ぼっこ日和だね」
「た、ただいま戻りました」
どうにか礼を取ったのに、堅苦しいよと手を引かれ、ソファーに連れて行かれる。目の前の机には、綺麗に作り込まれた軽食や菓子、果物などが所狭しと並べられていた。
「好きな物が、あるといいけど」
彼に微笑まれると、キュッと胸が締め付けられて、心配事が逃げ出していく。痛いくらいの恋心に逆らえない。隣に座って、低く滑らかな声を聞いているだけで、真実を告げる勇気はぺたんこになった。
なんて恐ろしい人なのだろう。
何も言えないまま、丸め込まれたら…………マリスタの心には、それでもいい、言わなければバレない、と考える不届き者が住んでいる。しかも一向に追い出せない。そんな自分が嫌で仕方ないのに。
「これが美味しいよ」
考え事をしていたせいか、オルヴェールさまは皇子なのに、手ずから料理を取り分けてくれた。嬉しさは心に舞い降りて、嫌われなければと、そう思った事さえ、吹き飛ばすように踊りだす。また一段と苦しくなった。
「マリスタ。もう一人にしないから、お昼を食べよう? ごめんね、少し時期が早かったみたいだ」
時期とは何だろう。思っても声は出なかった。代わりにグラスを手渡され、水を注がれる。
「水分補給だよ。ナンシスを撒きたかったら、あと三倍早く走らないとね」
絶望しかない。どう考えても全力で走ったし、疲れた足がじんじんと脈打っている。途中で加護まで使ったから、対価に疲労は加算され、ずしりとのしかかるように重かった。俯いたマリスタのグラスが、カチンと音を立てる。
「ほら乾杯したよ。飲まないのは、ナシだ」
「…………は、はい」
口に含んだ水は、びっくりする程冷えていた。ぎゅっと目を閉じると、こめかみの方まで痛くなる。
「ふふっ、びっくりした?」
「つ、つめた…………」
「手が滑ってね、冷やしすぎたんだ」
気になって水注ぎを見ると、中身の大部分が凍りつき、白い冷気が立っている。どれだけ冷やしたのだろう。
「オルヴェールさまが、したの?」
「うーん、気付いたら、やっていたような?」
曖昧に誤魔化す彼は、余程気まずいのか、マリスタの方を見なかった。良い事をしたのに、失敗だと思っているらしい。
「冷たくて、美味しいです」
「そう?」
「ほんとうですよ!」
「マリスタは、冷たいのが好きだからね」
何故か苦笑される。豪雪地帯であり、人の住めない限界領域に接する、ディアバーグ領の生まれだ。確かに寒いのは気にならないが、冷たい物が好物だと思われるのは、納得できない。
「冷たければ、好きってわけじゃ」
「そうかな? 雪の積もってるテラスで、アイス食べてたの誰だっけ?」
「わ、わたしですけど」
「やっぱり?」
「でも!」
「ぬるくても好きか、試してみようか?」
そう言って、カラフルなゼリー寄せを取り分けてくれる。それも、冷えているように見えた。
「もっと冷やそうか?」
「オルヴェールさまは、冷たい方が好きなの?」
「僕? うーん、どうかな? あまり気にした事、無かったよ」
スティックに酢漬けを突き刺して、彼は瞬時に凍結してみせた。加護の気配はほどんどしない。制御が上手いのか、本来の威力がかなり高いのだろう。
「意識すると、凍り過ぎるよね」
カチカチになった酢漬けは、白い冷気を帯びている。しかも妙に皺くちゃだ。凍結系の加護は、水が氷る程度から、空気自体を冷やし固めるようなものまである。これの場合は、間違いなく後者だ。
「すごい」
「食べられないよ。ガチガチなんだ」
オルヴェールは苦笑してから、別のスティックに酢漬けを刺して、ぱくりと口にした。マリスタもそれを見て、慌てて手近にあった菓子パンを取る。なんだか、同じ物を食べる勇気が、出なかった。
皇族の加護は、決して公開されない。
見ても良かったのかなと、今更心配になってきた。皇子様と知って彼を調べた時も、軍関連の功績以外は見つけられなかったのだ。芸術系の高等院だからか、それもと皇室の記録が外に出ないのか。そこから分からない、という事が分かっただけだ。
けれど本人からは、何故か聞きたくないとも思ってしまう。
近くに居るだけで満足だった。
それなのに、近くにも居られなくなって。これで良かったと思えた頃に、また近付いてしまった。
ふと見た水差しは、汗をかきながら、氷の面積を減らしている。溶けてしまった氷は、何処へ行くのだろう。
「また冷やそうか」
皇子様は、マリスタに微笑みかけてくれる。首を振って断わると、パンは美味しいかと聞いてきた。
「あ、あまくて」
「何か入ってる?」
「リンゴの、コンポート」
「ふふ、甘そうだ」
目を細め、彼はとろりと笑みを深めた。薄紫の視線は、睫毛が少し隠していても、体温を上げるには十分だ。マリスタは急いで俯いた。
どうして、じっくりと見てくるのだろう。それだけで恥ずかしいと、何故分かってくれないのだろうか。誤魔化すように齧ったパンは、先程よりも甘く感じる。煮詰めたリンゴは蜜のように柔らかく、気を緩めるとこぼれ落ちそうだ。早く食べ切ろうと、無理やり口に押し込んだ。
「ゆっくりでいいのに」
くすくす笑いながら、グラスを手渡されてしまった。お願いだから、見ないで欲しい。いっそ、マナーの悪さを叱ってくれればいいのに。色々なものがいっぱいになり、マリスタは急いで水を飲み込んだ。
「大丈夫?」
無自覚な犯人の視線は、まだマリスタに注がれている。指摘したら、もっとひどくなりそうだ。
「僕に見られるのが、苦手になってしまったね」
ぎょっとして、その顔を見る。自覚のあった犯人は、困った様子で微笑んでいた。
「わっ、わかってて…………!」
「僕が見つめてしまうのは、今に始まった事じゃないよ」
「…………」
よく分からない熱で、のぼせそうになる。こんなはずじゃなかった。嫌われて、嫌いになって、さよならしなければいけないのに。コロコロ逃げ回る恋心を、捕まえる事が出来ない。
「――――ねぇ、一つ教えてあげようか」
「っ!」
それは突然やってきた。ドンと、嫌な予感に殴られて、マリスタの手からグラスが落ちる。逃げなきゃと、焦燥が思考を支配して、考える前に体が動いた。突き飛ばされるように立ったところで、オルヴェールに腕を引かれる。
「マリスタ!」
逃げろ逃げろと、全身の血が騒ぎ立てる。水に落ちた猫のよに暴れる体を、後ろからきつく抱きしめられた。
「怖くないよ。君の出自に、恥じることは何もない」
息を飲んで声も詰まって、見開いた瞳に正気が戻る。ほろりと涙が落ちた。
「マリスタの加護は、強すぎて辛いね」
囁く声は優しいままだ。この加護が働いて、逃げきれなかったのは、初めてかもしれない。思考すら体力に変わるよう、やや危険な調整をしてしまったものだ。その代償が重い疲労感だとしても、逃げたかった。聞きたく無かったのだ。
ただ、悪い事をしてでも、近くに居たかったのだと、分かってしまう。
知られたくなかった。知られるくらいなら、逃げて消えてしまいたかった。
「オルヴェールさま…………」
出自を知られてしまったのなら、もうどうにも出来ない。
「僕はね、悩んだり迷うくらい、いいと思っているよ。マリスタに、無理な要求をしている自覚はあるからね。ただ、食事もまともに出来ないようなら…………この件は、終わりにしよう」
ぽたぽたと、苦しい涙が落ちていく。マリスタはとうとう、泣くことしか出来なくなった。これで全部、終わってしまう。大好きな皇子様に、軽蔑されるかもしれない。罪人として、今度こそ無事では済まないだろう。
小さくなって震えていると、更に後ろへと引き上げられる。ソファーとは違う硬さの、オルヴェールの膝に乗せられたのだ。
「君に泣かれるのは、堪えるな」
彼は困ったように微笑んで、呆然としているマリスタを抱きしめた。息が更に詰まって、残った空気が口から抜ける。
嫌われていないような、むしろ今も、求められているような。胸に、根拠の無い安堵と幸福感がやって来て、慌てて背中を向けようとする。そんなはずはないのだと。ずっと覚悟してきた自分に、必死に言い聞かせた。期待するなと。
産みの親は、ヴェシール帝国の敵、ラダ国の人なのだ。
それもただのラダ人じゃない、王族だった。調べれば更に悪い事に、母親の母はヴェシール帝国の皇女様。マリスタとオルヴェールは、似ていなくとも遠縁の親戚にあたる。
どれを取っても、婚姻など出来ない。
どうせなら家族として産まれたかった。そうでなければ、母の望み通りに地面の上で生き、皇子様に会うこともないところに居たかった。
何も知らなかった子どもの頃のマリスタは、唯一優しかった養父に甘え、勉学の道を選んだ。後に母の望みを知ったとしても、もう期待が重すぎて、地面に、平民になど降りられない場所に立っていた。
「君の血筋に、問題なんて無いんだよ」
彼は優しいから、そんな事を言うのだ。
「ラダに出た皇室の血が、在るべきところへ戻るのだから…………おかえりなさい、だね」
何を言っているのだろう。ラダは敵国だ。二年前の紛争に出陣したのは、他でもない第二皇子率いるの竜騎軍。彼の部隊なのに。
「ヴェシール皇族はね…………同族を好きになりやすいんだ。母のきょうだいか、親子でなければ、婚姻は許されるんだよ」
それは、家族以外なら結婚出来る、という事だ。親近婚を禁じる帝国法とは異なっている。
「え…………?」
意味を理解して、マリスタは唖然とした。何か、とんでもない事を聞いてしまった。
「ごめんね。皇室の不文律たがら、知らないと思っていたよ。そもそも僕らは、三親等にも含まれない関係だけどね」
「…………そんな」
オルヴェールは腕の力を緩めると、マリスタの目尻を指の腹で拭った。誰かに泣かされるくらいなら、自分で泣かせた方がマシだろう。そう思ってこの話題を選んだというのに、後悔と罪悪感は増すばかりだ。赤くなってしまった目元が、痛々しい。
――――もしかしたらマリスタは、知っているのかもしれない。
思い至るのに、さして時間はかからなかった。マリスタは真面目だ。皇族に望まれれば、本来断れない事を知っている。それでも嫌がるのなら「真面目に」駄目な理由があるのだろうと。
孤児だと言われないよう、身分は先に、上がる所まで上げてしまった。
それでも駄目なら出自しかない。
記録にすらないそれを、マリスタならば、どうにかして知り得たのかもしれないと思った。
今現在、ラダ王国と帝国の関係は、過去最悪に冷え込んでいる。生まれながらの罪人にして、幾度も戦を仕掛けてくるような蛮族の国。そこの出身者などと言えば、誰からもいい顔などされないだろう。
謂れのない中傷に苦しんできたマリスタには、重すぎる出自だ。言えないのもよく分かる。それに加えて、父親の出自にも問題があった。
何処まで知ってしまったのだろう。
オルヴェールは、マリスタの瞳を覗き込む。涙に濡れてきらめく、銀に僅かな紫と水色を持つまだらな虹彩。氷竜に似たそれは、遠い昔、ラダ王族だけが持つ特別な色だった。
「マリスタ」
名を呼ぶと、迷いながらも視線があがる。退路を無くしたばかりの少女に、もう追い打ちなど出来るはずもなかった。
「眠っていいんだよ」
頬に手を添え、重そうに瞬きする様子をじっと見つめる。強すぎる加護。知る筈のない出自。どちらも懸命に生きようとしたマリスタが、自力で得た、得てしまったものだ。緊張が解けて、疲れが一気に来るだろう。
オルヴェールは、眠るまいと力む瞼に口づけた。
「っ!」
非力な抵抗は、抱きしめてしまうと続かなかった。震える身体も、疲れと諦めでだんだんと身を委ねてくる。とうとう眠気に勝てなくなったマリスタは、くたりと弛緩した。
彼女が落ちるのを、どれだけ待っただろうか。
いけないと、一度は思った事だ。
けれど、諦める理由もない。
皇族が持つ唯一の自由――――竜の婚姻。見初めた相手を選ぶこと。帝国で産まれた全ての人が、子供の頃から教え込まれる、国のしきたりだ。
「…………」
穏やかな寝息が聞こえてきたので、オルヴェールは腕を緩めた。余程疲れていたのだろう。ぐっすりと寝入った顔は、泣き濡れたせいか、より幼く見える。
加護の原動力は体力だ。午前は随分と走ったようだし、あの逃避一択の妙な加護。相当無理な調整をしているはずだ。
「おやすみ」
額に口づけて、抵抗されない事に笑ってしまう。もしも性癖が歪んだとしたら、マリスタのせいだ…………そう言ったら、銀の瞳を丸くするのだろうな。きっとかわいい。もう手遅れかもしれないが。
頬に唇を寄せた時、咎めるように水注ぎの氷が音を立てる。不格好な氷が揺れていた。
「三年も待ったのだから、あと一年くらいは待ってあげるよ…………マリスティア」
彼女が失った本来の名前、それもあの領主から取り戻した。残るは、得る事の出来なかった、祝福装飾師の国家資格だけだ。
逃げ道など残さない。
どんなに拒もうとも、他に道がなければオルヴェールを選んでくれる。それをもう、知っているのだ。