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2-02:氷竜の背中



 真っ白な氷竜は、砦を旋回しながら高度をあげていく。小さくなる景色に、マリスタは身を乗り出していた。


「危ないよ」

「高い!」

「もっと上まで行くよ」


 オルヴェールの腕に、体が引き寄せられる。それよりも、美しい景色が魅了した。空は広く、前を飛ぶ竜の鱗に、陽光がしっとりと反射する。息を吸い込むと、地上よりも空気が冷たい。ひっくり返っていた胸の中に、清涼な風が吹くようだ。


「高いところ、本当に怖くないんだね」


 感心したよう言われる。竜が見た景色だけなら、何度か見た事があったのだ。


「怖くない、です」

「男でも悲鳴を上げたり、失神したりするんだよ」

「騎士様なのに?」


 不思議に思って尋ねると、騎士でも人間だからね、と真っ当な返事をいただいた。


「高さ速さの耐性と、信頼感。どれが無くても、竜には乗れない」

「わたしは?」

「どれが無くても平気だよ。それとも、軍に興味があった?」

「え、わたし、軍人さんになれそう?」

「なってどうするの」


 くすくす笑われて、それはまるで普段の彼で、肩から少し力が抜ける。


「わたし、悪い人を退治するかも」

「頼もしいけど、心配だから駄目。内勤だな」

「それじゃあ、軍に行く意味が…………」

「事務も立派な仕事だよ。でもそうだな、マリスタが新兵にいたら、僕の助手に引き抜こう」

「えぇー」

「そういう反論は出来ないよ。上官命令は命よりも重いんだ」

「上官…………上官になったら、オルヴェールさまに命令できる?」

「なに、僕にさせたい事でもあるの?」


 ふふっ、と意味深い笑われて、マリスタは身近な事しか思い付けなくなった。


「えっ…………えっと、肩もみして!」


 とうとう吹き出されてしまった。普段の彼は、屈託なくよく笑う、そんな人でもある。


「ちょっとマリスタ、手元が狂う」

「肩もみなのに?」

「軍警に捕まるよ」

「上官命令なのに?」

「それは反則! ほら、もうすぐ領都が見えるから、大人しくしていて」


 焦ったように言われ、渋々黙る。軍もなかなかに、込み入った事情があるらしい。でも良かったと、安堵が胸に広がっていく。マリスタの知っている「オルヴェールさま」は、ちゃんとまだ居るようだった。




 安心して背中を預けてくる少女に、歳上の皇子様は苦笑する。興味が好意になった時すら、自覚の無かったマリスタだ。多少迫ったところで、流されるとすら踏んでいたのに。


 だから警戒してくれた事は、正直に言って嬉しい。


 箱入りの中の、箱入りみたいな女の子。


 どうしたらそれ程、俗世に触れないのだろうと、不思議に思っていた。その答えが、想像を絶した事は言うまでもない。市井に逃げる事を見逃したのは、償いでもあった。


 やり過ぎだと思わずに、学院内の日報を上げさせていれば、辛い目に合わせずに済んだのだ。無視や悪態のみならず、公然と暴力まで振るわれて。しかも彼女は、誰にも助けを求めなかった。


 三年もの間隠し通していたのだ。


 呆れるような忍耐力の、使いどころが間違っている。そういうズレは、とてもマリスタらしいのに。可愛らしいとは、口が裂けても言えないような代物だ。


 出会って三年。


 少しずつ表情を取り戻していったと、馬鹿らしい自己満足など捨てれば良かった。国が誇る学院の腐敗に、傷だらけになりながら、耐える必要など無いというのに。


 どうして。


 その疑問は、市井で毎日のように問題を起こす彼女の処理に追われてから、気が付いた――――加護が強すぎるのだ。


 氷域のディアバーグ学領家に表れやすい、巡りの力。それは一言で言えば幸運のようなものだが、そうと気付かなければ、役に立たない。いっそ力が強すぎる分、見逃した全ては不運となって彼女を襲っていた。


 たまたま乗った馬車は、不定期運行の他領行き。ぶつかった男は御忍び中のそこの領主で、道を聞いたのは報奨金まで付いた犯罪者。そこに通りかかった巡回騎士は、本来あり得ない左官職で、その後は大捕物と一騒動。


 本人はと言えば、騒動の中で追跡を巻き、何故か古書店の老婆に捕まっていて…………どんな人物かと調べてみれば、最近問題になってきている反貴族派組織のリーダーだった。


 これでは、箱にも入れたくなる。


 穏便に救出しようとしている間に、マリスタはすっかり問題の古書店に居着いてしまい、もともとその組織を探っていた軍とは接触するし、祝福と加護が合わないと平気で忠告し、気軽にそれを訂正するものだから堪らない。


 市井に出して数日後、オルヴェールの公務の量はマリスタ案件で膨れ上がった。


 これはマズいと別部署を新設したら、何故か父が、隣に政務机を持ってくる。祝福装飾師の質低下は、皇帝の管轄だ。芸術を司る学領ソフィリアの腐敗が明らかになり、やっと手が出せると喜んで…………いる訳ではなく、その被害者ばかりを釣り上げて、指摘し、聖殿送りにする娘の報告書を、いち早く見る為らしい。


 国が調べて祝福絵画を再発行する前に、マリスタが神殿に行かせてしまうのだ。国の威信に係わる事なので、父も頭が痛いだろう。


「三ヶ月以内に回収しろ」


 その手には、マリスタに住み着かれた領主からの嘆願書まであった。竜域のレンダーク、あの領主が泣きを上げるとは相当だ。ぶつかった時に気づき、確保しなかった事を、さぞや嘆いているだろう。


「氷竜の数が急激に増えているそうだ」

「まさか」


 加護不明のマリスタ。しかしその強い加護は、土地の中心に居れば居るほど、全体にも行き渡って力に変わる。竜が増えるという事は、星神の影響が強いのだろう。レンダークとの相性は、良すぎて最悪だ。


「オルヴェール!」


 数日後には、兄が怒鳴り込んで来た。祝福は父、軍は自分が抑え込んでいる。他にもまだ、見落としがあったらしい。


「ちょっとこれ見て!」


 机に置かれたのは、数冊の画集だった。粗末な表紙にしては、中の絵画は見事なものだ。複製品…………にしては、描かれた景色が時折動く。淡く光ったのには、頭が痛くなってきた。ただの画集ではない、祝福加工品だ。


「複製者のマリスタって、あのマリスタちゃんだよね?」

「そのマリスタです」

「今すぐ回収してきて! こんなもの市井にバラ撒かれてる、俺の身になれ! しかもどうして本名なワケ!?」


 兄の管轄は市井。そして、加護の力を物に留める祝福加工品だ。帝国内の加護取得者は九割以上。逆に、近隣諸国は一割居れば多い部類だ。その加工品の扱いは、効果の大小に関わらず厳しい管理がされている。


「この子、加護の制御出来てない?」


 勘の良い兄が気付いてしまう。その時、部屋の扉が激しく叩かれた。入室を許すと、荒い息のまま伝令が飛び込んでくる。


「申し上げます! レンド・ディアバーグ学領伯が、領間制裁に入る手続きにお越しです!」

「領間制裁だって!?」


 叫んだ兄の横で、父が口角を釣り上げた。飛んで火に入る夏の虫、とでも言いたげだ。隠そうと平等に接した結果、マリスタを苦しめつづけた愚かな養父。その秘密を、皇家が知らないとでも思っているなら、今こそ利用するだろう。


「中会議室に通せ」


 父は秘密裏に処理するらしい。それにほっと息を吐く。


「おい、オルヴェール。マリスタちゃん、いつ此方に連れて来る?」


 兄に聞かれて、父に提示済みの答えを返す。彼の顔色は、みるみる悪くなった。


「つまり国の中心に、震源地みたいな状態で、一年置くの?」

「…………あぁ、そうなるね」


 机に積まれたマリスタ案件。これが一年続くとなると、もう今から新しい大臣を立てて、別部署を任せた方が良いかもしれない。父と目が合う。何を言われるかは、流石にもう分かっていた。


 あのマリスタに、望まぬ場所を強要するのだ。


 これ以上の役職は要らない、とは言えない。しかしそれを知ったら、本当にマリスタが逃げて行きそうだ。どうして自分には、マリスタの嫌がるものばかりが揃うのだろう。


「オルヴェール、ウサギは罠の中でも暴れるぞ」

「存じておりますよ、父上」

「一思いに殺してやるのも、優しさだ。鮮度も落ちぬ」


 親に既成事実を望まれるとは、どういう事か。マリスタ案件は婚姻したくらいでは減らせない。むしろ市井に出した結果、今後の被害を想定しやすくなって助かるだろう。


 哀れなレンダーク学領主には、報奨を出さねばならないだろうが。


「生きているから、愛らしいのですよ」


 そう自分にも戒める。閉じ込めたら養父と同じ、無理強いなどすれば暴力だ。大体、学領が腐っているなど、誰が思うというのだ。


「落ち着けよ、オルヴェール。仇はしっかり取ってやるから」

「…………分かっていますよ、兄上」

「上手くいくから、力を抜けよ。過去は過去だ、未来で幸せにすればいい!」


 良い事を言っているのに、この兄は女性恐怖症である。それで不覚にも吹き出した。マリスタは、こんな風に笑った事がないなと、そう思いながら。






「ようこそおいで下さいました。聖帝の若き竜よ」


 レンダーク学領主は、かくしゃくとした白髪の男性だった。老年の領主は珍しく、マリスタの養父は、自身が最年長になれずに愚痴を零した事もある。この国の高位貴族は、さっさと家督を代わり、後生を楽しむ傾向が強いのだ。


「マリスタ、おいで」


 景色に徹していたのに、名前を呼ばれてしまった。どうして呼ぶのだろう。マリスタは他人の如く、騎士の列に紛れて隠れていたのだ。それなのに早くと急かされて、渋々前に進み出る。


 相手は領主、未成年は口を開いてはいけない。着ぶくれした防寒コートの裾をつまみ、重さを出さないように夜会用の礼をした。


「可愛らしいお嬢さんですな」

「レンド・レンダーク伯にそう言ってもらえるなら、彼女の父も喜ぶでしょう」


 オルヴェールが、背中に手を添える。それで姿勢を戻し、差し出される手に子どもらしく、ちょこんと手を添えた。


「彼女が、マリスティア・レンド・ディアバーグです」


 氷面などといわれる無表情な自分に、マリスタは初めて感謝した。昨日、もののついでみたいに、籍が変わったと言われたけれど、まさかの高位貴族にされていたのだ。身分差の問題は、無いに等しい。


 しかし、叫ぶのを我慢した人物は、もう一人いた。


「ま、まさか…………!」


 震えるように言ったのは、目の前の学領主だった。面識は無いと思う。それなのに、今にも飛び掛かって来そうな勢いだ。


「この、お嬢さんが!?」

「ええそうです」


 何か、肯定してはいけないものに頷かれた気がする。


三月みつきの悪夢!?」


 それは絶対に、自分ではない。マリスタは一人安堵した。しかし、顔を覆ってブツブツ言い始めた白髪の領主は、このままでも良いのだろうか。見上げた笑顔は変わらない。いや、なにか良くない方向に変わった気がする。


「夢は、いつか覚めるものですよ。それにレンド・レンダーク伯? 知っていますよ、御子息が大層な加護を得たそうで」

「なっ!」


 オルヴェールが、更にマリスタを抱き寄せる。重ねていた手は持ち上げられて、逃げる間もなく口づけられた。


「この可愛いらしい人が、その恩人です」


 マリスタは震え上がった。結婚は嫌だと言ったのに。堂々と追い詰めてくるなんて、あんまりだ。しかも、聞き分けのない子どもを諭すように目を細め、じっと見つめてくる。負けじと、聞き分けのない大人を睨み返してみたものの、何故か体温だけが、ぐんぐんと上がっていった。


 おかしい。頭の中がいっぱいになる。あれ、顔が近いような。近いのに動けない。吸った息が吐けなくなった。


「殿下、子供にそのような扱いは…………」


 咳払いと共に、見かねた領主が苦言を呈す。よろめいたマリスタを、彼が放してくれるはずもない。周囲の生暖かい視線を受けながら、会話が終わるまで一人、羞恥に震えるしか無かった。


 知っている。こういうのを、外堀を埋めるというのだ。


 お店に来ていたお客さんから、聞いた事がある。好きな子に逃げられないよう、逃げ道を潰していくのだと。そして追い詰め、捕まえて、妻にしてしまうのだと。


 この恐ろしい嫁取り物語は、どうやら物語では、無かったらしい。


 早急に、埋められた外堀を修繕する必要があるようだ。この学領伯の館は、ちょうど城塞形式に造られていて、もちろん外堀もある。これが無くなったとして、城への被害はどうなるのだろう。


 マリスタは攻城戦について勉強しようと、心に決めた。




 休憩にと案内された部屋には、何故か、領主と一緒に行くはずだったオルヴェールが笑顔で付いて来た。


「あの…………?」


 疑問を持った頃には、護衛を追い出し、扉を閉められてしまう。マリスタは、まさかと身構えた。


 彼は流石に、無理強いをするような人ではない。そういう祝福を持っていて、自ら踏みにじったりもしないはず。たぶん。きっと。


「そこまで怖がらなくても…………」


 苦笑混じりに言われたが、なぜ信用が揺らいでいるのかを、考えて欲しい。外堀を埋めてくる皇子様は、本当は一声で堀どころか、お城までぺちゃんこに出来る権力を持っている。


「こ、こないで」

「固定具と防寒具、一人では外せないだろう?」


 そうかもしれない。けれど、なにも直々に外して欲しい訳じゃない。マリスタは更に後ずさる。それに肩をすくめて、彼は自分の装備を外し始めた。


 手慣れた様子に感心していると、次は君、と言わんばかりに視線が絡む。慌てて逃げたが、三歩もせずに捕まった。


「きゃーっ!」

「こら、逃げないの」


 暴れている内に、ドサリと装備がずり落ちた。躓きそうになったマリスタを軽々と抱え上げ、彼はすぐに床へと降ろしてくれる。


「ほら、おしまい。少し下がって」


 何事も無く開放され、しかも、下がれと言われたマリスタは面食らってしまった。本当に、言った事以外はされてない。終わってみると、そこまで嫌がった自分の方が恥ずかしい程だ。


「オルヴェールさま…………」


 彼はにっこりと、いっそ爽やかに微笑んでいる。ありがとうございますと、マリスタが頭を下げる律儀な性格だと知っているからだ。


「あ、ありがとうございます」

「うん、どういたしまして」


 しかも領主と話しがあるからと言って、すんなり部屋から出て行ってしまうのだ。すごく普通の対応だった。それで警戒心を解きかけて、ふと思い出す。


 この機会をのんびり過ごしてはいられない。


 マリスタの外堀は、埋められているのだ。あんなに素敵な皇子様の妻になどなったら、国中の人々から非難されるに違いない。市井での生活など、夢のまた夢だ。


 急いで扉を開け、廊下に顔を出すと案の定、左右に騎士が立っていた。


「如何されましたか?」


 その一人はレンダーク卿だ。見知った相手に嬉しくなって、廊下に滑り出るとマントをしっかり掴む。逃げられてはたまらない。


「あの」

「はい」

「お、お話し、しても?」


 大人なので、一応聞いてみる。彼はもちろんです、と頷いて跪いてくれた。そこまでとは思ったものの、マリスタには時間がない。皇子様が来ては困るのだ。


「あの…………」

「はい」

「…………城塞は、どうやったら、攻め落とせます?」

「はい?」


 騎士は笑顔で固まった。


「まずは、お掘りを埋めるんですよね? その後は、どうするのです?」


 マリスタは真剣だ。真剣に詰め寄った。


「ええと、姫様?」

「レンダーク卿は騎士伯のはず。ならば、高等院をご卒業されたのでは?」

「それは、そうなのですが」

「教えて下さい。オルヴェールさまに秘密で!」


 そこまで言うと、もう一人の騎士が納得の声を上げる。


「もしかして姫様、外堀が埋められた後の対策を、お知りになりたい?」

「そうです!」


 勢いよく返事をすると、二人は何故か諦めきって遠い目をした。


「だ、だめなの? お掘りが無くなったら、城塞でも、やられちゃう?」

「えー、そこからは籠城戦かと」

「おいナンシス、もっと効果的な戦略を練ってやりなよ」


 そう言ってくるもう一人。確かデガルと呼ばれていたはずだ。癖のない真直ぐな髪は青紫で、涼やかではあるが、冷酷そうな水色の瞳。薄い笑みを浮かべてマントを払い、右手を胸に当てる仕草をすると、片足を引き腰を落とす。この礼は、どう見ても貴族のそれだ。


「自分は、デガル・ヒュア・エルヴェシスと申します。宜しければ姫様の、参謀となりましょう」

「ほ、本当?」


 騎士なのに、貴族の礼で名乗るのだ。しかもヒュア・エルヴェシス…………辺境伯家ではないか。王爵家に次ぎ、公爵と同列位にあるがい貴族。学爵家の第一位を戴くマリスタの故郷、氷域のディアバーグとは同階位でもある。


「騎士として忠誠は、別に捧げておりますので。個人的に、とはなりますが…………それと、自分とは普通にお話し下さって構いません。ただの警護要因ですので」


 にこりと笑う顔は、先程よりも親しみやすい。時間のないマリスタの警戒心は、あっという間にほころんだ。


「その、どう戦えば、良いのでしょう?」


 上目遣いに聞いてみる。彼は、勝利条件を聞いてきた。よく分からずに首を傾げる。


「こうなれば勝ち、というものですよ。例えば、外堀の再建完了でしょうか? 相手との休戦条約でも良いですね」


 そう言われて考える。もとの友人に戻りたい。でもオルヴェールさまは皇族だ。本当は、夜会嫌いでは無いかもしれない。そうなると結局、どうなれば良いのだろうか。


「外堀が無いのは、不利なの、ですよね?」


 自分で言って、きっと必要だからあるはずだ、とも考える。それならば答えは簡単だ。


「外堀が必要です。お掘りを作り直します!」


 マリスタがきっぱり答えると、それは一番難しいですよ、と彼は難色を示した。


「その手の攻城戦は、堀が埋まった時点で詰みなのです。掘り返すまでに、城が落ちます」

「そ、そんな」

「ですから姫様。必要なのは、相手が把握していない堀を持つ事ですね」


 それだ、とマリスタは心の中で飛び上がる。要するに、女の秘密というやつだ。酒場の女将も言っていた。秘密は女の武器なのだと。ただ問題なのは、秘密ならばいくらでもあるとは言え、バレた場合は身も危ない。さっそく壁にぶち当たってしまった。すでに首も危ないというのに。


「そんなお掘りは、ありません…………」


 マリスタは悲嘆に暮れた。好きでも結婚は出来ない。そもそも彼ならもっと、歳の近い素敵な女性がいるはずだ。こうなったら、目移りしてもらう他ないだろう。


「あの、攻めているお城よりも、もっと素敵なお城があったり」

「それは無いです」


 途中で意見を遮られ、でも、と不平をこぼす。


「いいですか姫様、攻城戦は大変な戦いです。余所見をする余裕など、ありません」

「そ、そんな!」


 ショックを受けるマリスタを、デガルは不思議に思った。


 どう見たって両思い。身分差はなく、領主へ態度も完璧だったところを見るに、教養面でも苦労しないはずだ。そもそも皇族からの婚姻は、誰も断る事が出来な絶対的なもの。


 一度目はオルヴェールの間が悪かっただけだとしても、まだ拒むのであれば、別の問題があるのだろうかと、疑いたくなる。デガルはオルヴェールの幼馴染だ。親友の為に、その秘密を聞き出してしまおうと考えた。


 しかし意外にも、少女の口は硬そうだ。


「殿下にご不満が?」


 直球を投げると、ぎょっと銀の瞳が見開いた。氷面の一族とはいえ、まだ子供。多大な被害をもたらした市井での月日で、その氷は解けかけている。


「聖帝の若き竜、オルヴェール様は立派な方ですよ?」


 畳み掛けると、瞳に警戒の色が浮かぶ。デガルは口角を僅かに上げた。皇族に対する一般教育は、しっかりされていると分かったからだ。ならば皇族が、恐ろしく一途なのも知っているだろう。それを分かっていて拒むのであれば、相当なものだ。


「姫様は婚姻にあたり、不都合をお持ちなのですね?」


 言った途端に背中を向けて、少女は逃げ出した。その、見事な肯定ぶりに笑ってしまう。ナンシスが追ったので、残された方は主人に報告しないといけない。


「まずいな」


 万が一泣かせていたら、後が大変だ。確かにあの少女には、一癖も二癖もあるオルヴェールの相手は大変だろう。


 だが、見初めたら赤子にすら求婚するというのが、聖ヴェシール帝国の皇族だ。逃げられないウザキをいたぶるよりは、さっさと既成事実作って、諦めさせた方が拗れないような気さえする。


 ただあのオルヴェールが、そんな分かりやすい事をするとも思えなかった。


 どちらかと言うと、泣いて迷って逃げ込む先に罠を張り、味方のような顔をして待っているような性格だ。


 もしもその性格に気付いているのなら、逃げたい気持ちも理解できるな、とデガルは思った。


「さて、なんて言おうか…………」


 オルヴェールは基本的に寛容な性格だが、敵とみなせば容赦も慈悲も与えない。攻城戦の理屈を教えたくらいで、ヘソは曲げないだろう。彼女が、泣いていなければ。


 平穏な日々の為にも、早くくっついて欲しいものだ。




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