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1-01:テラス逃避会の二人



 彼の一言で、会場から全ての音が無くなった。

 

 さらさらと膝を折る、衣擦れだけが妙に響いて、静寂までもが息を吞むようだ。


「おいで」


 その声は、いつも通りにマリスタを呼ぶ。


 けれど動けない。信じられないと、心も体も悲鳴を上げた。泣くまいとした、まだらな銀の瞳。望んで染めた赤髪は、蒼白になったマリスタを勇気づけてはくれない。


「ほら行くよ?」


 触れる温もり。穏やかな彼の、薄紫の眼差しすらも、知らないものでは無いはずなのに。


 人々の頭を下に見ながら、マリスタだけが連れて行かれる。苦手な夜会。そんな時間の唯一の救い。紫がかった黒髪の、明るくお喋りな歳上の人。


 いつもは、暗がりでしか見たことのない、夜会嫌いの同胞だった。


 知り会ってから、もう三年は経っている。兄のようでいて、時には教師みたいに諭してくれる。友達みたいに笑い合える、ただただ憧れるだけの、そんな人だった。


 でも今日。失恋をして初めて、それが恋だと知ってしまった。


 本来は顔すら見てはいけないような、高貴な身分だったのに。夜会嫌いなどあり得ない。皇族の一員が仲間だなんて、思ったりはしなかった。


 聖帝の若き竜、第二皇子殿下。


 どうして気付かなかったのだろう。知っていたら、仲良くなんてしなかった。ましてや恋など…………氷面の一族と、表情に乏しいマリスタはよく揶揄される。子どもの頃から、ずっとずっと、どこに行っても嫌われ者だった。


 隠していたのに。


 今日それを、絶対に知られたく無かった人に、知られてしまった。もう何が辛くて悲しいのかさえ、分からなくなっていた。


 何も受け入れられない。何もいらない。こうして何も残らないなら、初めから無ければよかった。






 加護不明。


 そのせいだろう、教室に行っても、誰もマリスタを見なかった。挨拶くらいしてもいいのに。そう思わなくなったのは、何時からか。


 くすんだ赤髪を二つに編んで、瞳を隠す長い前髪。見た目のせいか、見た目を偽るせいなのか。赤髪ならば、この部屋にだって数人はいる。だからやはり、それ以外のせいだろう。


 マリスタは変わらない光景に、胸の内で溜息をついた。


 中等院では、生まれ持った色のせいでイジメに遭った。だから、高等院ではそれを隠して染めたのだ。


 功を奏したのは、入学した十歳の春だけで…………次第に話せる友すらいなくなり――――無視されるのは当たり前。鞄に土を入れられたので、荷物の持ち込みをやめ、備品を使うようにした。それすら壊されたが、制裁は学院側のした事だ。


 八つ当たりの相手を間違えている。そう指摘すれば、顔を殴られた。


 身に覚えのない悪評に、班別行動での嫌がらせ…………見かねた教師が仲裁に入った翌日からは、何故か学院中が敵だらけ。


 高等院には、学力でしか進めない。


 だから通う学生の多くは、十分な家庭教育を受ける事が出来る、貴族中心だ。マリスタのような孤児は滅多にいない。嫌々勉強をさせられてきた貴族子女にとって、勉学に励むマリスタは、気に障る存在となっていたのだ。しかも優秀だとなれば、鼻にもつく。


 学院の異変に気づける者は転校し、親に力があれば告発もあった。


 しかしその声は、最後まで学院長には届かない。それは記録が無かったからだろう。加護という、この国では誰もが持つそれを、マリスタは公表出来ないのだ。故に「加護不明」と言われ、罪人よりも嫌われる。


 醜悪な環境の中で、マリスタは十三歳になっていた。


 誰とも仲良くできない。


 そんな自分に辟易して失望し、それでも養父の励ましを思い出す。夜会嫌いの優しい彼の、役に立ちたいと小さく願う。卒業まではと、耐えて耐えて。とうとう同じ職を目指す事すら、苦痛になっていた頃だ。


 夜会で、彼の身分を知ってしまった。

 

 何もかもが悪夢のようで、いつか目が覚めるのではないか。そうであって欲しいと、願う事しか、もう出来ないでいる。何処までも無力な自分が恨めしかった。


 とぼとぼと学院の外廊下を歩いていると、冷たい水を掛けられる。それも割とよくある事だ。


「お前のせいで、俺の加護がッ!」


 叫んだ男子の足元には、影とは別にいびつに曲がり、消えかけている線画があった。濡れた前髪の隙間から、マリスタは「なんて醜いのだろう」と溜息をついた。


 人は、内なる祝福を育てながら生きていく。


 それを持って神々の加護を願うのだから、卑劣なイジメや暴力に加担している以上、無傷でいられるはずもない。分からないようだから、加護を喪失するのだ。


「お気の毒」


 瞳を細めたマリスタに、今度は拳が飛んできた。痛みと衝撃に、意識はあっという間に遠のいていく。


 学業など、どうでもいい。消えてしまいたい。醜い人間が、どんなに学んだところで、加護を飾れるはずもないのに。それなのに、退学にすらされないのだ。


 ここは要らない。この手には、何もないのだ。




 いつの間にか泣いていて、寮の自室で目が覚める。


 頭や体がそこら中痛んで、マリスタはそっと自分の加護を動かした。そうすれば痛みや腫れは引いていき、元通りの肌に戻っていく。


 寝台から降りると、癖で足元をじっと見た。万華鏡を覗いたような、美しく華やかで、どこか冷たげな祝福の線が震えている。


 加護不明。


 それは、加護が無いというわけではない。けれど今更、説明するもの面倒だった。なんと、教師すら知らないと言う。面倒な自分の加護に辟易し、けれどもそれに助けられ。


 無ければと望んだこれが、醜く壊れてしまう前に、自分の心が死んでしまいそうだ。気絶した、無抵抗の同級生に暴力を振るう。そんなクズ以下の人間が、祝福を描くような国になるのは…………イヤだな。


 清廉な祝福を持つ、彼もきっと許さないだろう。


 二度と会えない皇子様。あの人が、この学院の状況を知ったら、どうするだろう。マリスタの受けた仕打ちを知って、あの夜のように怒ったら…………学院そのものが、無くなるかもしれない。


 なにせ、夜会で悪口を言ってきた義兄達は全員、三年間の労役送りになったのだ。皇族でもないマリスタに、悪口を言ったくらいで。


 それを、やり過ぎたと思ってしまった。


 手が出ない分、聞き流せる程度だったのに。マリスタのせいで、まともな人生は、二度と歩けなくなってしまった。


 皇子の彼が、この学院の状態を知ってしまったら。一体どうなるだろう。マリスタが居るだけで、必要以上に不幸になる学生が出るかもしれない。


 助ける義理はない。


 でも、彼らが不幸になったところで、受けた仕打ちが報われる事もないのだ。辛さや悲しみは、彼らが処刑されたとしても、マリスタの中からは消えないだろう。


 やめてしまおうか。


 すとんと、答えが落ちてくる。


 目指した夢は既に霞んで、身も心も擦り切れそうな毎日で。むくいるものも失くした今、この生活を耐える必要など、あるのだろうか?


 マリスタが目障りなら、要らないならば、出ていけばいいのだ。最初からこうすれば、全部丸く収まった。居なければ良かった。居なければいい。


「わたし、もう、頑張れない」


 マリスタは養子だ。それも、親さえ居ない本当の捨て子だった。養父が気にかけてくれたのは、マリスタの価値を知っていたからだろう。その価値だって、高等院を中退したら、全て無くなる。


 さして可愛くもなければ、加護も伏せられているマリスタは…………幼いころからイジメられていた。それなのに養父は、住まいを他とは分けるだけ。それが更に、マリスタの立場を悪くする。特別扱いを許せるほど、養子の心は広くなかった。


 気づいているはずだ。


 けれどやはり、養父は何もせず、マリスタの学院行きを渋るばかりだった。だから、他領にまで来た。頼るものは何もない場所に。


 そこで思い知ったのは、一人でやっていけると、甘く見ていた事だった。上手く行くはずなんて、初めから無かった。こんなに人から嫌われるのに。


 わたしは、わたしが一番嫌いで、それなのに大切なのだ。悔しい程に、自分の心を裏切れない。だからもう、辞めたい気持ちを、無視なんて出来はしなかった。


「…………行こう」


 手紙を数枚書いてから、マリスタは寮の部屋を出た。ポケットには硬貨だけ。気崩れた制服姿は、夜遊び組の生徒に紛れるだろう。


 門限は近いものの、出入りに制限はない。ただ漠然と、遠くに行きたいと思って、ふらふらと道を曲がってみる。


 それで、行先も分からない乗合馬車に飛び乗って、さして無い有り金を払う羽目になった。




 金貨しか持たない、世間知らずなご令嬢。


 マリスタという少女は、誰が見ても貴族令嬢にしか見えない、繊細な美しさを持つ少女である。


 本人は孤児だと卑下していても、一流の教育を受けているのだ。そんな娘が軽装で、しかも釣り銭を貰う事すら知らずに去ったとなれば…………慌てた御者は、巡回騎士に報告せざるを得なくなる。


 寮から消えたマリスタを探していた高等院の教師や警護の兵達は、その報告を最後にレンド・ディアバーグ学領主の養女である女生徒の失踪を認め、彼女を巡る事件は、ついに明るみに出たのだった。


 祝福汚しのソフィリア学院。

 

 逃亡から三ヶ月後、マリスタはそんな噂を耳にした。


 一人の女生徒を集団暴行したとして、関係者全員が退学処分になったらしい。そこには学生のみならず、教師も含まれたというから大変だ。


 問題を重く見たソフィリア学院長は、事件の中心となった女生徒を探すよう命じたという。


 成績と才能を兼ね備えた、将来有望な赤毛の少女らしいが、マリスタの本来の髪色は白と灰色に薄紫を混ぜたような、微妙すぎる色合いだ。見つけられる訳がない。


 事実ソフィリア学院の生徒は、異常ともいえる人数が祝福を喪失し、加護を失っていた。


 そんな悪評が立てば、中域のソフィリアと言われる学領であっても傾きかねない醜聞となる。学院側が次に打つ手は、両親への通達だ。それを見越してマリスタは、遺言めいた手紙を送っておいた。


 これで事態は悪化するに違いない。


 そんな思惑は、マリスタの自己評価の低さゆえに、想像以上に悪化した。


 言い訳作りに学院は、国に保管されている戸籍証明を取り寄せるだろう。加護不明の意味を知らないならば、確実に――――それを見た者は、みな顔色を無くしていったばかりか、祝福を損なう者が更に出る被害となった。


 マリスタ・ディアバーグは加護不明。


 学院では、誰もが一度は耳にしたであろう噂だ。しかし加護不明とは、加護が無いという事ではない。国から秘匿を求められるほど強い加護があり、無暗に公にしてはならない、という不文律だったのだ。その生徒を失った学園側の責任は大きい。


 国益を損なったに等しい罪だ。


 何人かが処刑されたとか、敵国ラダの陰謀だったとか、噂は物騒なほどに盛り上がる。しかも異例の速さでソフィリアは皇帝領とされたのだから、口から口へと面白おかしく広がっていくのは止められなかった。


 こうして第四学領の名誉は地に落ち、そこから更に墓穴まで掘ったと馬鹿にされ、他領に隠れ住むマリスタにまで届く事件に発展していった。


「大変ですね」


 他人事のように言ってから、しれっと料金を受け取り商品を渡す。マリスタは古書店の居候になり、今は従業員もこなせるようになっていた。


 客の少ない店は、隠れ住むにはちょうど良く、本の修繕や複写という作業も意外と性に合っている。何より、庶民の暮らしが出来る事。それが嬉しくてたまらなかった。


 毎日知らない事ばかりで、色々な人がいて、色々な事がある。


 当初のマリスタは、炊事洗濯など出来る訳もなく、水汲みを頼めば井戸の存在を知らない為に、広場の噴水に桶を持って行くような状態だった。一枚の硬貨が釣り銭という、紙幣と別の硬貨に変わる事に驚き、市場に行けば人が多いと蒼白になる。


 それを馬鹿にして笑っていた人々も、貴族に生まれるのも哀れだと思えるくらいには、ズレていた。


 ただ不思議なことに、この場所ではどうしてこうするのかと、見たかのように聞いてくる事もあった。それも、ズレていると思われた原因だ。


 家出令嬢のマリスタは、さしたる衝突もなく住民に受け入れられ、古書店の店主である老婆の寿命を縮めるような努力の末に、ギリギリ平民としてやっていけるまでになったのだ。


 問題があるとすれば、その店主には後ろ暗い副業がある事だろう。


 芸術を司る学領、ソフィリア高等院の制服を着ていたマリスタは、店主の老婆にとって願ってもいない相手であった。それで攫うように店に連れ込んでみれば、匿って欲しと本人から言ってきた。利害は一致した上、悪意の「あ」の字も知らないような少女は扱いやすい――――筈もなく、問題しか起こさないポンコツだった。


 平民に偽装など、とんでもない。


 失せ物探しをすれば、何処にあろうと必ず見付けて来るし、盗まれた書籍が持ち込まれれば、即指摘して乱闘騒ぎ。肝心の絵を描かせればキラキラと輝き、祝福絵画など専用紙が無くとも描きあげる上、加護と祝福が合っていないと指摘する始末なのだ。


 そこまでやれるとは、思わなかった。


 むしろ、そこまでやらないでくれと、頼まざるを得なくなるのに時間はかからなかった。店主はたちまち、聖殿から聖女でも攫ってきたのかと、疑われだしたのだ。


 それで苦労に苦労を重ねて、どうにか平民のような行動が取れるように面倒をみた。マリスタは初めこそ、祝福絵画の制作には慎重だったものの、あまりに酷いと言って、積極的に店主の副業を手伝ってくれるようになったのだ。


 高等院卒業者の一握りだけが得られる特殊な資格、祝福装飾師。祝福絵画を描く、国公認の職人だ。


 無資格の製作は禁じられてこそいないものの、販売を許されてもいない。何しろそれは、国からの指示がなければ、まず作られない代物なのだ。


 人が加護という奇跡の力を得るために、祝福絵画は国から民へと贈られる。


 基本的には一生に一枚。


 他国で買えば非常に高価な巻物だ。一人一人違った祝福の描かれる絵画は、それを描く祝福装飾師の腕により、得られる加護にも差が出るらしい。


 貴族はより腕の良い祝福装飾師の派遣を求めて国に尽くし、褒賞として装飾師を指名する栄誉を願う。それが出来ない庶民は、運良く高い祝福を得られた者だけが出世できるのだと、老婆はマリスタに教えた。


 その真偽の程は分からない。


 ただ聖ヴェシール帝国は、一応のところ実力主義を謳っている。


 生まれも実力の内ではあるものの、納得できる者ばかりではない事も確かだ。そこで重宝されるのが、国に属さない、もぐりの祝福装飾師なのだった。


 もちろん依頼料は高額になる。


 問題は、国に届けられない職業という事だ。税が絡まないという時点で、黒よりの灰色だろう。マリスタにも分かっている。だから、ある程度の資金を溜めたら、違う場所に移ろうと思い至った。


 逃げないように監視を付けられてからでは、手遅れになる。昼間に堂々と逃げてしまえばいい。


 十三歳で出奔を成功させた実績が、マリスタを幾分かしたたかにした。三ヶ月を市井で暮らし、十四歳ともなれば、準成人年齢だ。悪知恵を働らかせ、どうすれば疑われないかを、ずっと考えて準備してきた。


 例えば、部屋に私物を増やす事。


 引っ越しなど簡単に出来ない荷物を溜め込み、大切にしている鉢植えの存在を匂わせる。カレンダーに未来の予定を書きつけて、洒落っ気はなくこもりがち、出かける服装にも変化がない。街で何か事件でもあれば、なお良いだろう。


 だからその行事がある日に、マリスタは出奔を実行に移した。






お久しぶりです(生存報告)。

半分くらい書き上げているので、いけるのではないかと思っています。


感想&誤字報告は閉鎖中。

完成したら、少しだけ開放します。

糖度高めですが、暇つぶしになれば幸いです。

2025.06.02 秀月



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