63・ロングトーンはとっても大事な基礎練習
「ミヤネはこの間の女の人……灰野先生っていうんだけども、どう思った?」
帰りのバスで一緒のショウくんに聞いてみる。
「物言いが粗野だと思ったくらいだ」
「そっかー……いや、あの先生が前に話した変な音楽の先生なんだけどさ」
「ああ……そんな事を話していたな。特におかしいとは思わなかったが……」
「上井先生の前だと少し大人しいっていうのかな……あ、そういえば上井先生の元生徒だったんだ」
「そうなのか? 意外だ」
「まぁ、その先生がさ……吹奏楽部の指揮を全然やってくれなかったんだけども、やっと指揮をしてくれるようになったんだよね」
「吹奏楽部の皆は音大に行くとかは無い、趣味で楽器を触ってる人たちだと思うんだよね。だから技術が足りないとかあるのは前提として……。
灰野先生の指揮とその指導、何もおかしくないんだよね……
どんな音を出したいのか考えるとか、周りの音を聞くとか、主旋律で走りがちとか……」
「それは前から何度もで……その……だから……いや、でも……」
「……言いたい事はわかる。だが、ハッキリとお前の口で言え」
ショウくんはジッと俺を見る。
こんな事を言っていいのか、深く深く考えてから口に出す……
「……上達したい意思を、その人たちから感じられなくて……」
それぞれの事情や音楽へのスタンスとかもあるだろう。だから、むやみに口出しなんてしない。目標も何も無くて、個人で楽器を触って楽しいからという理由なら全く問題は無い。それに対してああした方が良いこうした方が良いっていうのはお門違いだ。
しかし、合奏をするし目標――今回なら体育祭――もあるなら、相応に動いてほしい……と思ってしまうのは贅沢なんだろうか……
「放っておけばいいだろう。むしろ、お前がどうこうしようとして動くのはお節介という奴だ」
「うん、わかってる……」
思えば練習で振ってた指揮、事なかれで深く言う事を俺はずっとしていなかった。だから今更、俺が灰野先生にどうこう言うのはただの責任の擦り付けで……
「少なくとも、僕からはそれ以上は言えない。時間の無駄だ。」
「聞いてくれるだけで助かってるよ……ありがとう……」
「……しかし、どうしてマイナはそこまで気にするんだ?」
「……そんな中でも、がんばりたい人たちがいるんだよね。少しでもいい物をやりたいってがんばってる人たちが。それを見てると……俺もできる事をやりたい……」
「そうか」
吹奏楽部なら近藤さん、応援団なら紅蓮先輩、軽音部なら速水先輩……
「なぁ、マイナ」
「ん……」
「……お前はお前ができる事しかできない。それは僕も同じだ。人にずべこべ言っても始まらない」
「……うん」
「だから……できる事だけしろ」
「う、うん……」
「……見てる奴は見てるのだから」
――
「こんばんは、月野さん……!」
勉強通話の前に、月野さんに通話をする。先日の事や今日の練習での事について話すためだ。
「こんばんは。えっと……何から話そうっか?」
「じゃあこの間の事からにしようかな……? 教えてもらった所には連絡したんだけども……」
「どうだった?」
「話した限りでは対応できないって……」
「そっか……」
表面的な事しかわからないから当然っていうのもある。俺の説明も下手だったかもしれないし……
「色々調べて教えてくれてありがとうね」
「ううん、大丈夫だよ。私も心配だけど……心配し過ぎても仕方ないよ」
「うん……。それで、練習についてなんだけども」
「練習……私、上手くなくってごめんね」
「いや、そんな事ないよ。それに上手いとか下手とかの話はそこまで重要じゃないんだ」
「えっと……じゃあ、どういう……?」
「どんなふうに練習に取り組んでるかを知りたい……んだよね」
「うーん、普通に……基礎練習してから曲に取り組む……?」
「月野さん、今って楽器は無いよね?」
「うん。それに夜はうるさくできないからこの時間はダメだね」
「じゃあちゃんと時間を作って見ないとだね……! 土曜日……かなぁ」
「その……もしよかったらマイナスくんはどんなふうに練習してるか知りたいな」
「俺? もちろんいいよ! 待ってね……準備するから」
バイオリンを持ち、練習部屋に向かう。そして準備をする。
「え、防音室があるお家なんだね……すごいなぁ。というかバイオリン?」
「あ……! そうだった。月野さんにはまだ教えてなかったよね……!」
無用なトラブルを避けるために、俺の家がどんななのかを話していない……波多野さん以外。
「育ちも良いし、音楽にも詳しいからちょっと察してたけどもね」
「そ、そっか……!」
「人には言わないから安心してね」
「ありがとう……! じゃあ、とりあえず……」
メトロノームをかけて、鏡の前に立つ。
バイオリンのG線をピチカート(指で弾いて)で鳴らして音を確認。
それから弓で弾く。弓全体を使ってロングトーン……ブレ無く一定の音が鳴り続けるように、音の具合と構えや弓の使い方がどうかを確認していく。
これを同じように繰り返して確認してから、次は弦を指で押さえて……の前に!
「つい集中しちゃうんだけども、何か聞きたいことがあったら遠慮しないで言ってね……!」
今回は基礎練習を見てもらうという目的なのだから、月野さんを置いてけぼりにしないように気をつけたい……!
「あ、う、うん。じゃあ早速なんだけど……バイオリンの練習とサックスの練習ってまるっきり違うと思うんだけども、マイナスくんからすると関係あるのかな……?」
「えっ……!?」
「えっ?」
月野さんの質問がどういう意味なのかを自分の中でよく噛み砕いてみる……
バイオリン、サックスは作音楽器という分類で、鳴らすだけで正しい音が出る楽器ではない。良い音が何なのか、自分の感覚で探す必要が出てくる。逆にピアノのように予め調律されているのは定音楽器と呼ばれるから練習のアプローチが変わるけども。
「えっと……じゃあ楽器の準備ができたら、まずは最初に何をする?」
「チューナーで音を確かめる……かな」
うん、それは何も問題ない。
「ロングトーンはやるよね」
「う、うん。それから曲の練習を始めて」
「そうなの!?」
「えっ……!?」
俺の感覚からすると基礎練習の時間が短すぎて驚いた……
「ごめんね、その……本当に聞きたいだけで、間違ってるとか言いたい訳じゃないから、教えてもらいたいんだけども……ロングトーンする時、何を意識してたかな……?」
「え……チューナーに合わせるためとかかな……?」
「そ、そっかー!」
カルチャーショックっていう奴なのかもしれない。ここで聞けなかったら俺、そういう視点があるってわからなかった。
「マイナスくんはロングトーンする時、何かあるの……?」
「聞いてくれてありがとう……! ロングトーンは今日の体調確認っていうのかな……? 運動で言うなら着替えて天気見てグラウンド見て、ヨシッ! って確認するための……?」
「じゃあ準備体操でもない……ってコト?」
「うん……この後が準備体操になるのかな?」
弦を押さえてピチカート、それから弓で弾く。
「これは思った通りの音が出せるか、出ているかの基礎練習なんだけども……」
「サックスだと楽器を押さえる……けども……」
「木管の場合でわかりやすく言うなら、高い音と低い音を出す時、吹き方が変わるよね。アプローチが違うっていうのかな?」
例えるなら、飲み物をストローで飲むのかコップから直接飲むのか……そんなような。
「あ、うん。それは確かに」
「それで音が変わるから良い音が出るように探す、確認、聞く練習が木管だとあるんだね」
「ごめんね……知らなかった……」
「ううん! 大丈夫! あっ! それとなんだけども……ちょっと聞いてもらってもいいかな……?」
弦を押さえて弓で弾く……押さえる指を微調整して音の色を変える……
「音が違うのはわかる……?」
「あ、うん。それはわかるかな」
「じゃあ、次はこれ」
音階練習の一部分を弾く。長調と短調のふたつ、最後の音は楽譜上では一緒。だけどその音にわかりやすく違いができるように弾く。ひとつは調の雰囲気に合わせた音を、もうひとつは調の雰囲気に敢えて合わせずに単純に音を鳴らす。
「その……どうかな?」
「うーん……どっちも良いなぁって思ったかな……?」
「あ、じゃあ、二番目の方のをもう一回!」
敢えて雰囲気に合わせずに音を鳴らす。次は雰囲気に合わせて音を鳴らす……
「あ、2回目の方がなんだか良い……?」
「わかる!? 嬉しい!! そう思ってもらえたならすっごく嬉しい!! ありがとう!」
「あ、いや……どういたしまして……?」
「楽譜上でだと同じ音なんだけども、意識するとこんなに変わるんだよね!」
「全然考えてなかった……それが灰野先生の言う、音を考えろって事になるの……?」
俺は思わず何度も首を縦に振る。そうなの! 音についての認識にここまで差がある事は驚いたけど、月野さんが話してくれて、聞いてくれてすごく嬉しいよ……!
「ここではこの音を出す! って決める。そういう事なんだ!」
「そうだったんだ……」
「自分の音をよく聴いてみて。加えて誰か別の人のサックスの音とか聴けるといいんだけど……」
どんな音が良い音か探すには、何が良い音かを知らないといけない……だから師事してくれる人は絶対必要なんだけど……
「動画とかじゃダメなのかな……?」
「全くダメっていうわけじゃないけども、オーディオの問題になっちゃうから生で聞く事ができるのが一番なんだよね。どうしたらいいかって教えてもらえるしね」
うーん……少し考えてから……
「週末って空いてるかな?」
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