56・先生のお家にドキドキお泊り!
駅に向かうバスの中で『ソーラン節』の振り付けについての動画を見る……
「む、難しい……」
音楽なら聴いただけでもある程度イメージできる。楽譜だけでもそれなりにイメージができる。音楽についてならそれくらいできるくらいには好きで、のめり込んでる。だけどもそれ以外に関してはダメダメだから付いていくのもやっとで、振り付けについても団長の紅蓮先輩にめちゃくちゃしごかれてしまった……課題も出されたけども、明日までになんて無理かも……どうしよう……
バスが終点の駅に着く。そのまま降りて駅の反対側にあるいつものバスターミナルに向かう。頭の中で振り付けをイメージしながら……
「テルくん」
「ふあっ!? 上井先生!?」
そうだ、今日は先生の家にお邪魔するんだった!!
出かける事はあっても、家以外で会うのは滅多に無い。こうして外で待ち合わせするのはたぶん初めてで、上井先生はどんな恰好しているかちょっと興味津々に顔を向ける……普通にいつも通りの恰好だった!普段からカッコイイもんね!
「つい忘れていないかと思っていましたが予想通りでしたね」
「す、すみません……課題を出されてて、それに夢中で……」
「なるほど、期限はいつまでですか?」
「明日までなんです……」
「そうですか」
上井先生は微笑みながら歩き始める。俺はついて歩く。
「レッスンはもちろんですが、家に招いたのは私ですからね。課題についても手伝いましょう」
「い、いいんですか!?」
「ええ。さ、はぐれて迷子にならないようについてきてくださいね」
「は、はい……!!」
――
「まずは荷物をおいて着替えてください。それからレッスンを始めましょう」
「は、はい……!」
駅から歩いて五分くらい。俺でも見てわかる高級なマンションの一室が上井先生の自宅だった……!
ピカピカのフローリングに最低限だけども洗練された家具とインテリア、何より広々とした空間!
確かに俺の家はめちゃくちゃ大きくて広いけども、それとは違う高級感ってあるよね!
まさに上井先生のイメージ通り! 音楽家としても大人としても尊敬できてカッコイイよー!!
灰野先生の音楽準備室と正反対だ!!
「あー、すごいなー……! 流石、上井先生……!」
急いで着替えて上井先生の所に向かおう……あ、でも、上井先生は家庭教師してくれてるわけだけども、それだけでこの家で暮らしてるのかな……? パパたちがこれだけのお金を払ってくれてるのかなって思うと、上井先生とのレッスンって無駄にできないよね……
思いがけず、パパとママに改めて感謝の念が湧いてくる。がんばろう! 襟を正して上井先生の所に向かう。
「上井先生! 今日もよろしくお願いします!」
「ええ、よろしくお願いします」
――
「さて、そろそろ夕食としましょうか」
「はい! 今日もありがとうございます!」
上井先生は普段、何を食べてるんだろうなぁ……おもむろに冷蔵庫からなんかすごい食材を取り出してサラッと包丁とかを使ってササッとすごい料理を作ってもおかしくないんだよね……!
「何か食べたいものはありますか?」
「えーと……何でも大丈夫ですよ!」
「では、適当に用意しましょうね」
そう言って上井先生がキッチンに向かう。何が出てくるんだろう……何が出てくるんだろう……!!
冷蔵庫に手を伸ばす上井先生。そして取り出したものは……
冷凍食品!
「えっ!? 先生、料理しないんスか!?」
「おや、手料理を食べたかったのですか?残念ながらそれはまたの機会ですね」
「あ、いえ、先生が冷凍食品食べてるのが意外というか……!」
「時間は大切ですからね」
「そ、そうッスよね……! ご馳走になります! ありがとうございます!」
……
「明日までの課題はどういったものでしょう?」
「応援団で『ソーラン節』をする事になって、その振り付けをある程度覚えてこいってもので……」
温めてもらった食事やサラダ、スープを頂きながら上井先生と話す。
「勉強の課題ではなかったのですね。ふふ、『ソーラン節』ですか」
「すみません……何とかやるんで……」
「いいえ、付き合いますよ」
「ええー!? いいんスか!?」
いつもスーツでビシッと決めている上井先生が『ソーラン節』を!?
「ところで夕食後は普段、どう過ごしていますか?」
「えっと、お風呂に入って、それから練習したり楽器触ったりして……勉強して、それから寝てますね」
「よければその様子も見たいのですが、どうでしょうか?」
「えっ! えーと……構いませんけども……」
「テルくんは私の思っている以上にがんばっていますからね。特に音楽以外の事を」
「あ! 中間試験の結果についてとかッスか!?」
「そうですね、テルくんがひとつも赤点を取らなかったのは驚きました」
「勉強を教えてくれる友達のおかげで……」
「以前にも話した通り、テルくんの音楽家としての修練に支障が出るならば即刻、音大付属高校に転校させる所存です。そして試験の結果でテルくんも自覚すると考えていました」
「そ、そうなんスか!?」
「ですが乗り越えましたね。私が力を貸さずとも」
「いやいや友達のおかげです!運が良かったというかなんというか……」
「そんな友人と幸運にも会えた事も含め、結果ですよ」
まだ入学してから1ヶ月半。だけど、関わってくれてる誰か一人とでも会えなかったら上手くいかない事だらけだったなって思い返す。
「これからも俺、がんばらなくちゃですね……!」
「ええ、なのでこれからは私もサポートします」
「ありがとうございます! ってあれ? 今までも先生には色々お世話になってたと思うんスけど……」
「音を上げることを前提に見守っていたのですよ」
「そうだったんスかー!?」
「さて、食べ終えたら『ソーラン節』の練習ですね。その後にシャワーで汗を流すと良いでしょう」
「は、はい! がんばります!よろしくお願いします!」
上井先生に認めてもらえたんだなって思うとすごく嬉しくてたまらない!
――
「ここまでを完璧に覚えてこいって言われてるんスよ……」
動画や資料を見ながら上井先生に出された課題について説明する。
「なるほど……かなり無茶な課題ですね。これは先生に出されたものですか?」
「いえ、応援団の団長っスね。先輩っス」
「他の皆は踊り慣れているのですか?」
「初めての人もいるッスね……」
上井先生は眺めながら少し考える。
「まずはテルくん、どんな風に練習しようとしていたか拝見させてもらってもいいですか?」
「は、はい!」
動画と資料を見ながら、こうかな?こうかな?とひとつひとつ確認しながらやってみる。これの次はこれで……次は何するんだっけ?
「ふふ、初々しいですね」
「そ、そりゃ初めてなんでー……」
「ですがテルくんには音楽の素養がありますよね?」
「で、でも踊りとは別っスから……!」
「音楽の練習もそのようにやっていましたっけ?」
「え……あ、違います……」
「一概に全てが応用できるというわけではありませんが……まずは課題の所まで、座りながらでも上半身だけやってみましょう」
「は、はい……!」
確かに、全身で纏めて覚えようとしてどこがどうなのか抜けちゃう……ピアノでも左手だけ、右手だけで練習する事もあるもんね。
「そのうえでまずは流れだけを追いましょうか。ここでは動作ひとつひとつ完璧にするというよりは、何をするかを覚えるの優先しましょう」
「は、はい!」
「では、"エイトカウント"も取りつつ……」
「あれ……なんで"エイトカウント"なんでしたっけ……」
「……なるほど、教えたはずですが忘れてしまっていたのですね」
「す、すみません……」
――ダンスの振り付けにはある程度の法則がある。
ひとつの動作はひとつの『ブロック』として纏められており、その『ブロック』は(4拍子の曲なら)いくつかの『エイト』でできている。『エイト』は『1・2・3・4・5・6・7・8・』のカウントの事だ。
それぞれを具体的に使う場合、『ソーラン節』を例に挙げると『ブロック』は波を表現するブロック、網を巻くブロックという風になる。そして、網巻きのブロックは『4エイト』でできており、『4エイト目の7カウント』で飛ぶ動作がある、という具合に言葉にできるんだ。ちなみに、説明としてはこれはかなり乱暴かもしれない……もっと伝えたいけどもここに書くには長すぎるから省略なんだ……
そのうえで先生は、まずそれぞれのブロックを覚える事を師事してくれた。
「動きのキレやシルエット、そういったものは今は考えずにどのような動作をするかを少しずつ覚えて行きましょう。段階を踏むのが何より大事です」
流石、上井先生……! これなら何とか課題こなせるかも! 完璧には遠いかもしれないけども、全くできないよりはマシなはず!
――
「つ、疲れましたね……」
「ええ、お疲れ様です。とても眠たそうですが大丈夫ですか?」
『ソーラン節』の練習を終えてお風呂も済ませたら疲れがドッと押し寄せてくる。ベッドに入ったらそのまま秒で眠れそう……だけども。
「友達と勉強の約束してるんで、もうちょっとがんばります……!」
眠らないようにしなくちゃ……そういうわけで今日はまだ触っていないベースを取り出す。練習練習……
「おや、そのベース……」
「あ、これは先月に買わせてもらった奴で……パパの使うのは悪いなって思って」
「……なるほど……ふふ、しかしテルくんは熱心ですね」
「いやぁ、好きっスからね、音楽……! 夢中になっちゃって、楽しくて……」
「ええ、よかったです」
「あ! よかったら聞いてもらってもいいッスか?最近の曲で、皆に教えてもらったんですよー!」
――
「こんばんは、波多野さん!」
「マイナスくんこんばんは。今日はお泊まり……なんだっけ」
「そうそう、だからいつも通りできるか試したくて……付き合ってくれてありがとうね」
「ううん、大丈夫だよ。外出先でも勉強するなんて偉いなって思うから」
「いやぁ勉強については本当に波多野さん頼りだからね……いつもありがとう!」
「どういたしてまして。じゃあ、早速始めよっか?」
波多野さんといつもの勉強タイム……だけども、実は横に上井先生がいてけっこう緊張してる。様子を見たいだけ、という事だから口出しはしないつもりらしいけども、緊張するー……!授業参観ってヤツだ!
ちなみに、最近の勉強方法は『前回の復習・今日やる範囲の説明・問題を解く・間違った所を直す・応用』といった感じだ。タブレットも使って波多野さんとやり取りしている。俺の要領が悪くて何度も波多野さんに手間をかけてしまうけども、その度に根気強く波多野さんは教えてくれる。
そんな中で教えてもらったはずなのにわからない問題が出てきて、頭を抱えて唸る……
「答えは出なくても、どう考えたかをまずは書いてみようね」
「お、おう……前にも見たことある気がするんだけども……」
「ふふ、そうだね。がんばって」
うーん、絶対に正解じゃないのになっちゃう。けども一旦ここは進まないとだよね……上井先生はどう思ってるかなってチラっと目を向ける。先生は微笑んでる。波多野さんには上井先生の事は伝えてないから、聞くわけにはいかない……かなぁ。
とりあえず進んで進んで……そして波多野さんと振り返る。間違えた理由もゆっくりと考えながら、時間は過ぎて今日の分が終わる。
「お疲れさま。今日もがんばったね」
「今日も本当にありがとう……!」
「どういたしてまして。そういえばなんだけどもね、何か気になるものがあったりする?」
「えっ、あー……うん」
「そっか。チラチラ見てるみたいだからどうしたのかなって思ってたの」
「そうなの!? ごめん、集中してなくって……」
「ううん、そんな事なかったよ。がんばってたよ」
「そ、それならよかった……」
「じゃあ、また明日ね。おやすみなさい」
「おう、また明日!おやすみ!」
そして通話が終わる。
上井先生を意識していたのは違いないけども、波多野さんにはそれもお見通しだったのかな……!そんなふうに思っていると上井先生が声をかけてくれる。
「良いご友人ですね」
「あっ、はい……! もう毎晩付き合ってもらっちゃって……」
「私も安心しました。これからも頑張ってくださいね」
「あ、ありがとうございます……!!」
上井先生の言葉がすごく嬉しい。
そんな嬉しい気持ちを抱えたまま、ベッドに横になったらストンと眠ってしまった。
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