139・魔法使いと魔法のレッスン
あぁ、私は雲に包まれている……
雲はね、フワフワなだけじゃくて手触りも良くって、すごく気持ちいいんだよ……
わぁ……日差しが眩しい……
鳥さんも鳴いてる………ピピピピピピピピピピピピ……
ふふ、変わった鳴き声の鳥だね……
「ノンノン様、ノンノン様」
あっ、鹿倉さんの声だぁ……
女神様みたいな綺麗な声、うっとり。
「ノンノン様? ノンノン様?」
ふふふ、鹿倉さんにそんなに呼ばれると、なんだか嬉しくなっちゃうよぉ……
ずっと聞いていたいなぁ……
「ど、どうしたらノンノン様、起きてくださるのかしら……」
うふふ、鹿倉さん大好き……
――
「ご、ごめんなさい……こんな、こんな時間……」
「いえ、構いませんわ。それだけお疲れでしたのでしょう」
「朝ご飯……ありがとうございます……」
「ミヤネ様には良いように伝えてありますのでご安心くださいまし」
「い、良いように……?」
「お寝坊なんて、殿方にお話できます?」
「あ、ありがとうございます……!」
新しい1日、その初手から鹿倉さんにお世話される私。本当にダメ過ぎてダメ。
「あぁ、そんなに慌てて召し上がるなんて端ないですわよ!」
「す、すみ――」
「まだお口の中が空いてませんのに喋るなんていけませんわ! ゆっくり落ちついて召し上がりになって!」
ゆっくり首を縦に振る。
「簡単ですけれど、スケジュールと講座の場所も纏めておきましたわ」
ありがとうございます……せめて感謝のお辞儀モグモグ……
「とはいえ、同じ講座なので私と同行できれぱ遅れることも迷うことはないのですが」
ここの敷地、すごい広いから大変。
「ノンノン様が構わないのでしたら、一緒に参りませんこと?」
……えっ? 一緒に行く前提の話じゃなかったんですか?
「自尊心というのもありますし、せめて表向きには自立していると――」
「い、一緒に行くの、おねがいしても良いですか……?」
「頼まれたのなら、仕方ありませんわね」
鹿倉さん、ありがとう……
――
「あぁ、そういえばなのですけども、ノンノン様」
「は、はい?」
ホテルの廊下を歩いて、鹿倉さんと一緒に講座の場所へ向かっている。
ただの廊下でも綺麗だなぁって思うし、すれ違う人たちはおとぎ話の住人のように見えちゃう。
「昨日のバレエの続き、今日もなさりたいかしら?」
「えっ、えっと」
「難しい事を教えるつもりはありませんけども、厳しい指導はさせていただく所存、ですから無理にとは言いませんわ」
厳しい指導……!
鹿倉さんの厳しさ、なんとなく理解はしているけども、でも、鹿倉さんに教われるチャンスでもあるんだよね……
「ご、ご迷惑で、なければ……お願いします」
「ではなのですけども、ノンノン様」
「は、はい」
「バレエは一朝一夕で身に付くものではない事はありませんよね」
「はい……常日頃から心掛けて……あっ」
私は丸めていた背を正す。
「ええ、よろしい。常日頃から心掛ける事が大切ですわ」
……
「はわー! 運命の再会ですね!!」
「つ、土田先生……!?」
「お知り合いですの? ノンノン様」
「ノンノン!? 私もノンノンって呼んでもいいですかぁ!?」
「は、はい……」
ピアノの連弾講座、知ってる土田先生が担当なんて運がいいかもしれない……よかったぁ。
「えへへー、貴女はえっとー」
「鹿倉と申しますわ。この度はどうぞよろしくお願いいたしますの」
「土田です! 土田響子です! よろしくお願いします!」
土田先生、元気いっぱいだなぁ。
「えーっと、それじゃあ……」
土田先生は少し停止。それから思い出したようにしながらピアノに向かう。
「えっと、連弾でしたよね!?」
「はい、その通りですわ」
「じゃあ、やってもらう曲が……ええーっと……あれ、私ってカバン持っていました?」
「い、いえ……み、見てないですよ……」
「よければ探しましょうか?」
「楽譜とかがしまってあるだけですから大丈夫なんですけども……先に課題曲だけ弾いちゃいますね!」
「えっ、あ、はい」
ほわほわとしたまま土田先生はピアノに向かう。
――その瞬間から、なんだか空間が張り詰めたようで私は動けなくなる。
スゥっと土田先生が息を吸ったのを感じた後、目の前のピアノから音色が――蓋をしていないポップコーンみたいに、溢れてきた。
輝く光がパァっと差してきて、愉快で、楽しくて、世界中の人が笑顔で踊っているような感覚。
これもどこかで聞いた事がある。だけども名前は知らない……それでも世界をあっという間に駆け抜けていった。
「これを確か、弾いてもらうはずです!」
「……え?」
「あっ!? 楽譜が無いのでうろ覚えで弾いちゃったので安心してくださいね!?」
待ってくださいよ土田先生!
私、最近に鍵盤のドの位置とかちゃんとわかったような初心者以下の人間なんですよー!
どうしようこんなのできるビジョンが見えないごめんなさい鹿倉さん私なんかが――
「あの……恐れ入りますが土田先生」
「はいー?」
「私もまだピアノは未熟でして、到底弾ける曲ではないと存じますの」
「へっ!? あれ、今のこの講座ってなんでしたっけ!?」
「連弾の入門ですが、いかがでしょうか?」
土田先生はそれを聞いて考える。少し考える……
「確かにこの曲、入門じゃなかったかもしれません。すみませんー」
「おカバン、一緒に探してもかまいませんかしら?」
「お願いしますー!」
「ノンノン様も、手伝ってくださります?」
「あっ……はい!」
……鹿倉さんのピアノの腕は知らないんだけども、できない事はできないって伝えたのが意外で、その事に驚いた。
うん、だけども、それがすごい立派だなぁって私は思った……!
――
「そういうわけで、連弾の課題曲はくるみ割り人形の『行進曲』でした。ご存知ですよね!」
「私はもちろんですわ。ノンノン様は?」
「え、えっと……すみません……くるみ割り人形って名前は聞いたことしかなくて……」
「そうなんですか!? 良い曲いっぱいですよー!」
「耳にしたことはありましても、名前まではご存じないことはままありますの。土田先生、弾いていただいても?」
「はーい!」
元気いっぱいの土田先生が――ピアノに向きあうとまるで魔法使いのよう――息を一瞬吸う。
チャッ チャチャチャン チャン チャン チャン チャーン
おもちゃ箱から飛び出してくるような、綺麗なのに可愛らしくてワクワクしてしまうこの始まり。
名前は知らないけども聞いたことある!!
ここまで聞いたことがないけども、すごいキラキラしていて、こんなに楽しい曲なんだ……!
あれ、というか連弾ってふたりで弾く曲じゃなかったっけ?
土田先生のピアノを聴く限りだと例えふたりで弾くにしても難しすぎませんそれ??
ドゥララララランって流れるように鍵盤弾いたりできる気がしませんよ!?
「えへへ、すごい楽しい曲ですよねー!」
魔法が解けてあどけない土田先生に戻る。
楽しいのは同意ですが……
「くるみ割り人形は〜……オペラ? バレエ?」
「バレエですわ、土田先生」
「そうなんですね! それで、これは楽しい時の曲です! 誕生日みたいなイメージですっけ?」
「恐縮ですが、クリスマスの場面ですわ」
「わぁ、これはきっと鹿倉さんの方が詳しいですね!?」
「いえ、私がたまたまバレエで嗜んでいただけですわ」
「鹿倉さんってバレリーナでもあるんですね!? すごい!!」
「滅相もございませんわ。土田先生のピアノの前ではそんな」
「えへへへ……これって褒めてもらえたんですか?」
「御意にございます。ピアノのご指導ご鞭撻のほど、どうかよろしくお願い致しますわ」
「はーい! 一緒にがんばりましょうね!」
そう言って土田先生は私たちをピアノへと招く。けども鹿倉さんは歩き始めず……私を見る。
「あ、あの……つ、土田先生……!」
「はーい、なんでしょうー?」
「そ、その……わ、私――ピアノ、弾けません……!!」
「そうだったんですか!? え、えっとー……どれくらい弾けませんか??」
「全然です……全然……」
「そうなんですか……! じゃ、じゃあそこから練習で……え、えっと、だ、大丈夫ですか……鹿倉さん……?」
「はい。承知の上ですので、ご心配なさらないでください」
「わ、わかりました……! 私もがんばって教えますよ……!」
「ご、ご指導ご鞭撻のほど、よ、よよ、よろしくお願いします……」
土田先生はもちろん、鹿倉さんも改めてどうぞよろしくお願いします……!
――
「黒い鍵盤2つの左側、こちらがドになりますわ」
「はわ〜」
「ここから順番にドレミファソラシド……スムーズに指を運ぶために、ミまでは中指、ファからは親指で叩くと収まりが良いですわ」
「そうなんですね! 鹿倉さん詳しいです!」
「恐縮なのですけども、土田先生は私よりもよっぽど詳しいかと……」
「はえー……? うー……?」
土田先生に基礎の基礎を教わろうとしたのだけども、何を言っているのか全くわからなかった結果、鹿倉さんが丁寧に言葉にしてくれている。
それでも土田先生がまるで教わっているように見えてしまうのは、気の所為ではない。
「ええと……ひとまずはノンノン様、私の説明した通りに弾いてみてくださるかしら?」
「は、はい」
ドレミファソラシド
「では、今度はドシラソと降りてくださいませ」
「は、はい」
ドシラソファ……あ、えっと……?
あ、中指でミ、それからレド
「あら」
「あっ、な、何かダメでした……?」
「いいえ。ノンノン様が教えずともできましたので素晴らしいと思いまして」
「そ、そうなんですか……?」
「ええ。イジワルして敢えて教えずに弾いて頂きましたのに」
「えっ、で、でも、ただ、逆しただけ、ですよ……!」
「ノンノンさん、すごいですね!!」
大したことをしたつもりが全然無いのに、でもなんだかスゴい嬉しい。特に鹿倉さんに褒めてもらえたって事が……!
「それで……お次はいかが致しますの? 土田先生」
「はい! えっと、ウォーミングアップが終わったら次は早速、曲弾いちゃいましょうか!」
「……ええと、まずは楽譜を開きますわね。ノンノン様は楽譜は?」
「よ、読めません……」
「そうですわよね……」
楽譜を見ながら少し考え込む鹿倉さん。
「先生も楽譜、読むの苦手な方だから大丈夫ですよー」
「……土田先生、恐れ入りますがプリモの方だけを、まずはお手本弾いていただけませんか?」
「えっ。あ、は、はいー……!」
何故だか狼狽える土田先生と席を交代して、その様子を見守る。
「あのー……鹿倉さん。ぶわーって弾くのってダメですよね?」
「申し訳ありませんが、ノンノン様のお手本のために楽譜通りに弾いて頂いてもよろしいでしょうか」
「楽譜通り……楽譜通りですよね。はいー……」
土田先生、何故だかさっきの魔法使いモードにならず、むしろどこか緊張しながら鍵盤に手を伸ばす。
テッ テテテテッ テッ テッ テッ テー
「……ちゃ、ちゃんと楽譜通り弾けてましたか私……?」
「えっ……それはもちろんだと存じますけども……」
「わ、私も、そう思いますよ……?」
「よかったです……!」
「どうして緊張?されてるんですか……?」
「あ、はい……その、ここってすごい楽しい場面でして、フワーって、でもワーッ!ってなる感じじゃないですか! 私なんかだと、駆け出したくなるみたいな、そんな気持ちで弾きそうでそうなるともう感情が揺れると言いますか! でも、楽譜通りの音か不安でわからなくてぇ……」
「土田先生は、感性豊かで言葉では表せない機微を持つ方でいらっしゃいますのね……」
「ほわー! わかんないけども、たぶんそうかもしれませんー!」
やっぱりハッキリわかったけども、土田先生って説明ヘタだぁ……
――
「チャイコフスキーはご存知でしょうか?」
「は、はい。音楽家……でしたよね」
「ええ、『くるみ割り人形』や『白鳥の湖』の楽曲は彼が手掛けたものですの」
「バレエ……バレエですね」
少し休憩という事で、お茶を飲みながら鹿倉さんに色々と教わっている。
「ええ。そして、今回の曲は『くるみ割り人形』の『行進曲』ですわ」
「クリスマスだから……なんだかすごい楽しそうでしたよね」
「はい、クリスマスですからね」
「思わず駆けだしたくなるような……抑えきれないワクワクな曲でしょうかー」
なるほどなぁ……そう思うとすごい楽しい曲だ。好き。
「『くるみ割り人形』のお話はご存知です?」
「す、すみません……」
「私もわかんないですー」
「土田先生……」
「観た事はあるんですよ! 楽しいのはわかってます! でも、わかりませんでした!」
「ま、まぁ、バレエという特性上、わからない御仁もいらっしゃるでしょうけど、楽しんで頂けてるなら……」
「よかったら、教えてもらってもいいですか……?」
そう申し出ると、鹿倉さんはニッコリと笑って頷く。
「少女が王子様と出会い、それから夢の世界へと赴く一夜の物語ですわ」
……な、ななな、なんですって……!?
私は思わず両手で口を抑えてしまった。
「ちなみにですが、先ほど土田先生が演奏してくださった曲は『トレパック』と申しまして、少女を歓迎している場面の一曲ですわ」
「そうなんですね……!」
「あぁ、後は昨日、宮音様が演奏なさっていたのも『くるみ割り人形』の『花のワルツ』ですわ」
「あっ、あれも『くるみ割り人形』だったんですか!?」
「ふふ、やはり存じてなかったのですわね」
「ふわぁ、私も聴きたかったですねぇー」
あれ、土田先生はミヤネくんの先生じゃ……
「さて、そろそろ続きをなさいませんか?」
「わーい! やりましょー!」
「がんばります……!」
■取り上げた楽曲の参考動画
・バレエ『くるみ割り人形』より トレパーク ピアノソロ
https://www.youtube.com/watch?v=eEVKm81M8F4
・バレエ『くるみ割り人形』より トレパーク ピアノ連弾
https://www.youtube.com/watch?v=h2Ta1y6VXno
・バレエ『くるみ割り人形』より 行進曲 ピアノソロ
https://www.youtube.com/watch?v=7a8GkEgPhlA
・バレエ『くるみ割り人形』より 行進曲 ピアノ連弾
https://www.youtube.com/watch?v=cjnR_7IZXaI
難易度の観点として、トレパークと行進曲には雲泥の差があります。
動画を開いて頂ければこんなの初心者に弾けるかー!と一目瞭然かと思います。
行進曲もソロVer.と連弾Ver.があるうえで、易しい譜面から難しい譜面まで幅広くあります。
よかったら聞いてみてくださると嬉しいです。
●雑談
『くるみ割り人形』の『金平糖の精の踊り』もすごい大好きです。
https://www.youtube.com/watch?v=JQPOuLimhN4
こちらはピアノで弾いたものですが、オーケストラ編成での演奏もすごい大好きです。
https://www.youtube.com/watch?v=0901Am8LMJM
鉄琴のような音は『チェレスタ』と呼ばれる楽器で、この音がキラキラとした感じが本当に最高です。
また、『花のワルツ』についてもオーケストラ編成の方を置いておくのでよかったら聴いてください。
https://www.youtube.com/watch?v=XgtboV5Ycnw
もう最高に全てが最高なんですが、オーケストラの雰囲気とサビとも言えるメロディーをオケ全体で奏でる時が美しすぎてこれがオーケストラ!って感じが私は思ってしまって大好きです。
また、チャイコフスキーについてもそのうち語らせてください。
※よければブックマーク、あるいは評価を頂けると幸いです
※2026年1月18日(日)に京都文学フリマに出店します。
綺麗な本を作るので楽しみにしてください。




