01-04. 更なる目標
テストの翌日から、一心不乱に勉強に打ちこんだ。
家庭教師を増やし、朝から晩まで机にかじりついて、知識をぐいぐい詰めこんでいく。
そんな私を心配した両親に、「アデルは熱でおかしくなったのでは……」と、医者や変な祈祷に連れていかれそうになった。
しかし私はいたって正気だ。
むしろ、前回人生よりずっとまともになっているのですよ、お父様、お母様。
……でも、お二人の気持ちもよく分かるのよね。
砂糖菓子のように愛らしかった娘が、突然頭にハチマキを巻いて、ストイックな勉強の鬼になったら誰だって心配すると思う。
蝶よ花よと育てた箱入り娘が、ある日を境に、歴史やら数学やら、およそ貴族令嬢に必要ない学問に夢中になりだしたら、動揺するだろう。
だけど、こればっかりは仕方ない。
諦めていただくしかない。
心配させるのは心苦しいが、そうしないと私は首チョンパなのだ。
私は心を鬼にして勉強に励んだ。
その一方で、常に娘を気にかけてくれる両親に、「こんなにも私を大切にしてくれていたのね……」とホロリとした。
誰なの。こんないい人たちを市中引き回しのひどい目にあわせたの。
…………私か。大体自分のせいだった。
"悪女"だった頃の私は、全然周りが見えていない、清々しいほどのクズだった。だから両親を巻き込んでしまった。
でも、今度こそ、お父様とお母様には末永く幸せに暮らしていただきたい。有名ご長寿として、人々から祝福されるくらい長生きしてほしい。
そのためなら頑張るわ……!
◇◇◇
必死に知識を詰めこむ日々。
そんなある日の事。家庭教師が出した課題とにらめっこしていたら、ふと、一人の文官の言葉が甦った。
『このままでは王国は破綻してしまいます』
"悪女"時代に、何度か会った財務官。
彼は温厚そうな外見だったけれど、中身はとても気骨のある人物だったと思う。
あの時はうるさいなとしか思ってなかったけれど、彼は、私の凄まじい浪費癖だとか、それを咎めない王太子を粘り強く諌めた。私たちに疎ましがられても、けして苦言をやめなかった。
やりたい放題の王太子妃に、正面から意見するのは相当勇気が要ったはずだ。それこそ、いつ首が飛んでもおかしくなかったから。
本当に私は、どうしようもないアホだったのよね……
えーと、彼は、眼鏡をかけてて、名前は、アウ…………アウ…………何とか。
後で調べておこう。
頭のメモに付箋したその時、天啓のように妙案が閃いた。
──ただの"ド地味な優等生"になるだけなんて、もったいない。せっかく勉強するのだから、将来はあの文官の下で、国庫の管理を支えていく、というのはどうだろう。
国の財政が安定したら、反乱や隣国の侵略も起こりにくくなるはず。
そしたらギロチン回避の確率が上がるのでは──?
問題を解く手を止めて、私は考えこんだ。
──私は、今回の人生で王太子妃になるつもりはない。ミジンコほどもない。
それを選べば、処刑ルートに入ってしまう可能性が高いからだ。
でも、私が王太子妃にならなければ……未来はどう変わるのだろう。
私はかつての夫を思い浮かべた。
──ひたすら真面目で、ごく平凡な容姿の、王太子レグルスを。
彼と初めて会ったのは、私の十五歳のデビュタントの時だ。
美しく着飾った私に一目で恋に落ちたレグルス王子は、しかし、けして悪人というわけではなかった。どちらかといえば、最初は素直で真面目な性格だった。
でも真面目がすぎて、女性に対する免疫が全然なかったのよね……
ぶっちゃけるなら、レグルス王子という人物は、悲しいほどにチョロかったのだ……!
正直、王子を意のままに操るなんて、"希代の悪女"には造作もない事で、赤子の手を捻るより簡単だったわ。
となると。
私がレグルス王子と結婚しなくても、彼が別の悪女に惚れて、同じ道を辿ったり……しないだろうか。
想像して震えた。
ものすごくありそう。
そこでさっきの妙案に戻る。
あの財務官の下で働きつつ、レグルス王子が変な方向に行かないよう見張っていく、というのはどうだろう……?
……うーん、私にそこまで出来るかしら。
だって、元はかなりのアホだし。
失敗したら、またギロチン。
それもありえそうだ。
だけど……レグルス王子の件は、何か手を打った方がいい気がする。
でも、とりあえず将来はこれでいこう。財務官を目指して、国庫の運営に貢献する!
その目標から逆算していく。
国庫管理の部署に採用されるために必要な知識が優先だ。家庭教師の講義も組み直さなくては。調べなきゃいけない事もたくさんある。
私は問題を解くのを中断して、まず両親に話をすべく、椅子から立ち上がった。
────その後。
私は、あの文官について徹底的に調べあげた。手元の分厚いファイルをペラリとめくる。
彼の名前は、アウグスト・フェルメ。
現在の彼は、駆け出しの財務管理の文官だ。年齢は私の十二歳上らしい。
有能な人格者だと評判で、上司にも一目置かれている。完璧か。
そのアウグスト・フェルメのところで働く。それが私の新たな目標に加わった。
それからの私はひたすら勉強に励んだ。
一に勉強、二に勉強。
自慢の美貌をほったらかして、気合いのハチマキを締め、空っぽだった頭にぎゅうぎゅう知識を詰めこんでゆく。
元々中身がすっからかんだったせいか、私はあらゆる知識をぐんぐん吸収していった。
ギロチン回避で必死だったのもあるけど、以前の私は美容に命を懸けていた。持てる能力やリソースを全部それに注ぎこんでいたと言っても過言ではない。
今はそういうのを勉強に全振りしている。
やってる事は、実はそんなに変わらないかもしれない。
きっと私は一点突破型のバカなのだ。余所見せず、ひたすらコツコツやっていく方が合っているのだろう。
◇◇◇
────そうしてあっという間に、四年が過ぎた。
十二歳になった私は、花嫁修行をさせたがっていた両親の説得に成功し、難関試験もクリア。晴れて王立学院の教養科に入学する事が出来た。
嬉しすぎてちょっと泣いた。
壁にかけた制服の袖を手に取って頬ずりする。
グレーの縁取りが上品な、えんじ色のジャケット。そして膝下丈のチェックのスカート。
真っ白なシャツに、紺のネクタイ。そして金のネクタイピン。
やっとここまで来た。
明日から、学院の生活が始まる。