06-07. 対峙
「彼女に何かしたら殺してやる」
薄暗い地下牢で、揺らめく炎の幻覚が見えたような気がした。燃えたぎるような憤怒を纏い、ジーク先輩が公爵に白刃を向ける。
それだけで人を射殺せそうな視線を、だが、ファトマ公爵は平然と受け止めた。「ほう、誰かと思えば」と呟き不敵に眉を上げる。
「私は貴様を知っているぞ、ジーク・ライヴァルト。近衛候補に名前が上がっていた騎士だろう。そういえば、貴様の家に横領の罪をなすりつける予定が、この女のせいで失敗したのだったな」
「何だと……!?」
「はっ、貴様のような下級貴族が、王族を手にかけるとほざくのか。面白い、やれるものならやってみろ」
皮肉げな嘲笑が浮かべ、ファトマ公爵が先輩を挑発した。ヒリヒリするような二人のやり取りに、「うわぁ」と頭を抱えたくなる。
いや、その挑発、絶対やっちゃダメなやつ……
顔からざざーーーっと血の気が引く。
だってこの人、逆行前はこの国の王と王妃を殺しちゃってるからね……!?
ジーク先輩は、殺ると決めたら、躊躇なく殺る男なのだ。絶対殺すマンになったら、おそらく誰も止められない。
もしそれで先輩が"英雄"になっちゃったら……この国はどうなるの。
背中がうぞぞとして、思わず公爵に「やめておけ」と警告したくなった。
が、私は寸前で思いとどまった。
時間逆行などという荒唐無稽な話をしたって、狂人だと思われておしまいだろう。話が拗れるのは目に見えている。
どうすれば……とハラハラしながら成り行きを見守っていると、公爵が不意に手を振りかざした。
瞬間、地面から光る蔦がまるで蛇のように伸びてきて、先輩の体を絡め取った。
「ぐっ……!」
手足や首筋をギリギリと締め上げられ、先輩が苦しげに呻く。
公爵が魔法の使い手なのは知ってたけど、捕縛の魔法まで使えたなんて……!
「先輩!!」
「さっきの威勢はどうした、小僧」
もう一度公爵が手を振りかざすと、床に小さな魔方陣が描かれる。
闇の中から出てきたのは──ロベルトさんだった。驚愕する私に、公爵が薄く笑った。
「どうして……」
「なぜ私が罪に問われなかったか、不思議に思わなかったのか? それはな、こいつのような協力者が、証拠を全て揉み消したからだ」
「くっ……」
「王宮には、他にも私の息がかかった者たちがいる。生半可な事では、私を罪に問う事など出来ない。例え王であってもな!」
勝ち誇った公爵が、ロベルトさんに向き直った。
「この男を縛り上げろ。後は嬲り殺しても構わない。煮るなり焼くなり、好きにしろ」
「はい」
無表情でロープを手にしたロベルトさんが、ジーク先輩に近づく。だがその時、
「……ぁああぁああぁっ!!」
先輩が裂帛の叫びを上げた。
同時に、魔法の蔦がバラバラになって消え去っていく。自由になった先輩は、剣の柄でロベルトさんを吹き飛ばした。ロベルトさんが壁にぶつかって床に落ちる。
さらに一歩、先輩は素早く踏み込んだ。
一瞬で間合いを詰め、先輩は鋭く剣を振り下ろす。だがそれは、ガキン、と音を立てて弾かれた。
不可視の魔法防御だ。それが先輩と公爵の間に立ちはだかっている。
だが先輩はそれに構わず、見えない盾に何度も剣を振り下ろす。
強固な魔法防御に叩きつけられる、全力の剣。それが五回ほど続くと、パキパキ……と何かが砕け散るような音が辺りに響いた。
魔法の盾が壊れたのだ、と私が理解する前に──先輩は公爵の首筋に切っ先をピタリと当てていた。
「妙な動きをすれば殺す」
「……貴様、王族に剣を向けて、ただですむと思うなよ」
ジーク先輩がすっかり公爵絶対殺すマンになっている。これはまずい。鋭い殺気を撒き散らす先輩を諌めようとした時、唐突に床が光った。
床に現れたのは移動の魔方陣だ。その光が消え去った後に佇んでいたのは──レグルス王太子とソニア、そして、フェルメ様だった。
「そこまでだ、ファトマ筆頭公爵。貴方の企てた悪事は、こちらで全部証拠を押さえている。無駄な抵抗はおやめください」
「……ちっ」
王太子が静かに告げる。床に膝をついた公爵が、小さく舌打ちした。
「アデル、大丈夫!?」
「まあ何とか……」
私のそばに駆け寄ったソニアが、私を見て「ふぁっ!!?」と裏返った声を上げた。
「え、えーーーーーーーっ!! ちょ、待って!? あなた、素顔はそんなに美人だったの!!????」
驚愕したソニアが「あなた本当にアデル!?」と叫んで、私の顔をペタペタ触る。
「あの、くすぐったいです……それより、拘束されてるのを何とかして貰えませんか……」
「あっ、そうよね。今ロープを切るわ」
風の魔法ですっぱりロープを切断したソニアが、私を支えて立たせてくれた。それから彼女は呆れたように先輩を振り返った。
「アデルの素顔にも驚いたけど、公爵閣下の防御魔法を気合いで壊すなんて、信じられない。あなた、やっぱり化物なのね……」
「一言余計だ」
むっと眉を寄せたジーク先輩を、ソニアが胡乱な眼差しで見る。その間に、フェルメ様がファトマ公爵の前に進み出た。
「私の部下、アデルハイデ・ローエングリム嬢の誘拐、並びに監禁の罪で、貴方を捕縛いたします。お聞きしたいことが山程ありますので、お覚悟を」
フェルメ様はそう宣告し、膝をついたファトマ公爵を落ちていたロープで手早く捕縛していく。ついでにロベルトさんも、きゅきゅっと一縛りだ。
この人、何気に手際がいいんだけど、妙な特技があるのね。一応文官、のはずよね……?
「では戻ろう。頼む、ソニア」
「はい、殿下の仰せとあらば。ああ、アデルと先輩は、この屋敷の前に馬車を用意しておくから、それで王宮に来てね。申し訳ないけど、移動の魔法は定員オーバーなの」
レグルス殿下に恭しく一礼したソニアは、私達にすまなさそうに告げた。特に異存はないので、先輩と頷き返す。
そうして捕縛した二人と、殿下、フェルメ様は、ソニアの魔法で慌ただしく立ち去っていった。
「……先輩」
「うん」
「どうしてここに……殿下やソニアやフェルメ様まで」
先輩は剣を納めると、深く息を吐いた。
「カフェの前で別れた後、君が馬車に押し込まれるのが見えた。それで、近くにいた君の馬車の御者に、ソニア嬢の家に知らせに走らせたんだ。
彼女は王太子妃に内定しているし、魔法も使えるから、きっとどうにかしてくれると思って。
僕は君を乗せた馬車を追跡して、ここで派手に暴れたってわけ」
「なるほど……」
「屋敷を半壊させたから、外は大騒ぎかもしれないね」
「半壊……」
一人で軽く制圧したんだろう、くらいには思ってたけど、屋敷を破壊したとまでは思わなかった。
さすが元"英雄"。石像をブン回したというあの母にして、この息子あり。
「何にせよ本当に助かりました……!」
ペコリと頭を下げると、先輩は頬をかいて、眩しそうに目を細めた。




