05-06. さあ、踊りましょう
「ジーク先輩、大丈夫ですか?」
「うん、まあ何とか」
先輩はバルコニーのベンチにへたりこんでいる。
さすがに良心がチクチクと痛む。
「先輩って『女性の注意を引く』のがそんなに苦手だったんですね。闘技会よりぐったりして見えますよ……」
「そりゃ、思ってもない事を思ってもない相手に言わなきゃいけないなんて精神的拷問だよ……」
「その顔で生まれてきたのに、もったいないとは思わないんですか? 先輩さえその気になれば、そっちで天下を獲る事だって出来そうなのに」
「アデル……君は、僕を何にしたいの」と、先輩が私の冗談に眉をひそめる。
「僕はもう金輪際、好きでもない子に色目を使うような真似はしないからね」
先輩はキッパリ断言した。
実際のところは、半分くらい冗談ではないのだけれど、先輩はどこまでも真人間だ。顔で女の子を誑かそうとか、微塵も考えてないらしい。
なんて人間が出来てるんだろう……と感心していると、先輩は一つため息をついた。
「…………ところで一つ確認したいんだけど。レグルス殿下は君の本命ではなく、ソニア嬢の本命だったわけ?」
「そうです。言ってませんでしたっけ……?」
「うん聞いてないね」
先輩はがっくり肩を落とした。
「バカみたいだ、完全に勘違いしてた……」
勘違い? 一体何の話だろう。
首をかしげると、先輩は「何でもない」と誤魔化すように苦笑した。
「それはそうと……君から見て、僕はきちんと役目を果たせていただろうか」
「ええ、それはもう完璧以上でしたよ! 感謝してもしきれません!」
真っ直ぐ私を見る先輩に、力強く頷く。
「うん、それは良かった」
先輩は、嬉しそうに破顔した。
わ、まぶし……
私は目を細めた。その笑みはまるで、雲間から差し込む一筋の光のようだった。
「なら、約束は果たしたという事で、僕と踊ってくれるだろうか」
「はい、もちろんです」
静かなバルコニーで、遠くに楽団の奏でる音楽が聞こえる。会場のざわめきが微かに風に乗って届く。夜風は冷たいけれど、不思議と寒くはない。
先輩はすっと立ち上がって私の手を取った。体を引き寄せ、呼吸を合わせてステップを踏みはじめる。
吸い込まれそうなほど綺麗な青い瞳に、クソデカ眼鏡の私が映っている。先輩に全然似つかわしくないし、誰が見ても滑稽な組み合わせだろう。
なのに、先輩の瞳はどこまでも真摯だった。
やがて踊り終わって繋いでいた手が離れ、互いにお辞儀をする。
「──君が誰のものにもならないなら、それでいい」
顔を上げた先輩が微笑んで呟く。その声は、遠い会場のさざめきよりも小さな声であったので、すぐそばにいた私の耳にも届く事はなかった。
◇◇◇
さて撤収だ。もうこの舞踏会に用はない。「君はこれからどうするの?」と先輩に聞かれたが、「帰ります!」と元気に即答した。
「そう……馬車まで送っていこうか?」
「いえ、それには及びません。せっかくなので、ジーク先輩も楽しんでいってくださいね!」
先輩の申し出はさくっと断る。
ダンスの余韻を断ち切って、彼が何か言い出す前に、さっさとバルコニーから撤退した。
先輩とは友情以外の関係などあり得ない。馴れ合いが増えるのも好ましくない。
見とれてしまったのを誤魔化すように、そう自分に言い聞かせた。
華やかな会場からこそこそ退出する、その途中。
とある人物が私の目を引いた。
今、舞踏会の中心にいるのは、互いを見つめあって踊るレグルス王子とソニアだ。
誰が見ても恋に落ちたと分かる初々しい二人は、まるで一枚の絵画のようである。
しかし私の注意を引いたのは、甘やかな空気を振り撒く二人を貴賓席からじっと見つめる、美貌の男性であった。
あれはたしか──国王の従弟、ユーリ・ファトマ筆頭公爵。
──王立である学院は、王家と深い縁がある。そのため舞踏会には毎年、王族が招待される。
レグルス王子は卒業生であったので、今年は来賓として別の王族が出席していた。
それが、ファトマ筆頭公爵だ。
深い紺青の瞳と華やかな金髪。
美しい顔立ちに漂う気品。
賢く、魔法の才能もあるという、若き公爵。
それだけの資質に恵まれながら、彼は一度、王宮を追われた。
北方の教会を中心とした薬物汚染。それに関わったという疑惑が持たれたからだった。
そこで…………
──あ、思い出した。
過去と現在が重なって、何かがパチンと弾けるように、記憶が甦る。
"悪女"は、ファトマ公爵を同類だと認識していたんだ。
前回人生での私は、公爵とはほとんど面識がなかった。一度追放されたという事情もあり、あまり公には姿を見せなかったのだ。
だが、彼が王宮に呼び戻された後、何かの式典で一度だけ顔を合わせている。
その時、直感した。
こいつは自分の同類だ、と。
直後、私はすぐに行動を起こした。
レグルス王子に、「ファトマ公爵をもう一度追放してほしい」と懇願したのだ。
"悪女"の本能は、あの男が王宮に居着いたら、自分の競合相手──敵になるだろうと告げていた。
王宮に君臨する者は、二人もいらない。
競合したら、片方は蹴落とされるのみ。
だから私は、優位な立場を利用した。
王子に頼んで、厄介な敵が二度と王宮に戻ってこれないようにしたのだ。
私は立ち止まって、公爵をそっと観察した。
彼はソニアと王子を真っ直ぐ見ていた。
その表情は穏やかで、若い二人を祝福しているようにも見える。
──その瞳がふっと翳りを帯びた。その暗さに背筋が冷える。
だが、その翳りはほんの一瞬で消えた。
公爵は優雅に立ち上がって、王子とソニアに盛大な拍手を送った。それに感化され、会場全体がお祝いムードに包まれた。
一部、ソニアのライバルだった令嬢たちが歯軋りしながら二人を睨んでいるが、ジーク先輩に余所見する方が悪いのだ。
残念でしたぁ……!
清々しい気分で会場を見回し、もう一度ファトマ公爵に視線を戻す。
彼は変わらず、穏やかな笑みを湛えている。
だが──彼は非常に危うい存在だろう。
◇◇◇
「お帰りなさいませ、アデルお嬢様」
タウンハウスに到着し、私は侍女のマリアの出迎えを受けた。
「ソニア様の首尾はいかがでしたか?」
「バッチリだったわ、殿下はソニアと恋に落ちたの!」
ドレスを脱ぐのを手伝ってもらいながら、満面の笑みでマリアに応じる。「それはようございました」と無表情な彼女も心なしか嬉しそうだ。
寝支度を手伝ったマリアを下がらせると、私はポスンとベッドに倒れ込んだ。
ここ数ヵ月のあいだ、ひたすら心血を注いだ計画が成功したのもあって、心地よい眠気を覚える。
目まぐるしい一日が終わる寸前。
ふと頭をよぎったのは、ファトマ筆頭公爵の翳った瞳だった。
今の私では再追放なんか出来ない。
やりたいとも思わない。
でも、あの方の動向は、調べておいた方がいいかもしれないわ……
だが、考えようとしても、強烈な眠気が邪魔をする。私は思考を放棄して、ベッドに体を沈めて眠りの淵に落ちていった。




