閑話 #2
◆引き続きジーク視点です。
その日、長期休暇の余韻に浸っていた僕は、珍しくボーッと学院を歩いていた。
楽しかった春休み。
領地に帰省した僕は、久々に両親や兄たちと一家団欒のひとときを過ごした。
そういう時間がなければ、学院生活は本当に耐えられない。正気を保つだけで結構な労力を要する。
ああ、新学年が始まってしまったな……と、ボンヤリ歩いていたのが悪かったのだろう。
「きゃっ」
僕は、一人の女生徒とぶつかってしまった。
相手が女生徒なら、失神とか悲鳴とか面倒な事になりかねない。げんなりしながらも「大丈夫?」と相手を気遣い、助け起こそうとしたが──僕の予想は完全に外れた。
顔半分を覆う大きな眼鏡。もっさりした前髪と二つ結び。ダボっとした制服に身を包んだ、小柄な少女。
彼女の反応は、予想していたそのどれでもなくて。
差し伸べた手を取る事もせず、平然と謝罪を述べると、そそくさと逃げるように僕から離れて行ったのだ。
喜色を浮かべるとか、失神するどころか、冷静に僕を見て顔をしかめてさえいた気がする。
眼鏡で顔が隠れてたから、正確な所はわからないけど、こんなにごく普通の対応をされたの、学院に来てから初めてじゃないか?
一人その場に残された僕は、頭を殴られたような衝撃を受けていた。ああいう子がいるんだ、と。
──それから暫くして、たまたま息抜きに訪れた屋上庭園で、僕は少女と再会した。
彼女は一人で昼食をとっていたらしい。ぼっちの仲間意識が俄然燃え上がった。
気がつけば、彼女に強引につきまとい、月に二回の密会──こう呼ぶといかがわしいが、単に他愛のない会話がしたかっただけである──要するに、密かに会う約束を取り付けた。
話してみると、彼女は僕に本当に興味がなかった。態度はとても素っ気なくて、僕はかなり雑に扱われていた。
その空気感がかえって心地よかった。
今までは、遠巻きに注目されるという訳の分からない状況だったから。
彼女はとても賢い。でも時々面白いことを言う。「友人作りのために、鍛えたケツ筋で小枝を折ってみせたらいい」とか「鼻から牛乳を噴射しろ」とか。
いや、領地の騎士や兄とそういう競争をした事があるから出来なくはないけどさ。
万が一、それを実行してクラスメイトにスルーされたら、僕は完全終了だ。ぼっちにもそれくらいの判断力はある。
月二回会うだけの彼女は、僕の心を救ってくれただけではなく、留年からも救ってくれた。
彼女の助けで追試をパスできなかったら、進級不可になり、学資の問題で、僕は自主退学を余儀なくされていただろう。
一緒に行った王立植物園やカフェでも、嬉しそうにする彼女を見ていると楽しかった。
この子と友人になって良かったと、僕は心から思ったものだ。
◇◇◇
そんな、ある日。
約束の日に屋上庭園へ訪れると、彼女はいつものベンチで横になって、穏やかな息を立てていた。
昨日まで期末試験があったから、真面目な彼女は寝る間を惜しんで勉強したんだろうな。暫く寝かせてあげようと、彼女の頭側の空いたスペースにそっと腰を下ろす。
その時、ふと悪戯心が芽生えた。
──彼女の素顔が見てみたい。
その誘惑は、振り払おうとすればするほど強くなった。
そもそも僕は、見かけほど大人ではない。座学で赤点を取るくらいにはバカだ。
顔のせいで清廉だの潔癖だのと思われがちだが、中身は悪ふざけの好きな普通の少年で、山で目についたキノコを食べ、幻覚を見るようなバカだった。
加えて、学院に入学してからは、そういうバカな事をしてふざける機会が激減していた。
僕の悪戯心は気づかぬうちに溜まりに溜まって、出口を求めていたんだろう。
今思えば、他人の秘密を暴こうとするなんて、最低の行為だと分かるんだけど。
……気がついたら、僕はそうっと彼女の眼鏡に指を伸ばしていた。ゴクリと息をのんで、眼鏡の弦に触れる。
その時僕が考えてたのは、彼女がどんな顔をしていようと僕の気持ちは何ら変わらない、って事だった。彼女への友情はそれくらいで壊れたりしない、と。
僕は悪魔の囁きに勝てなかった。眠っている彼女を起こさないように、そっと眼鏡をずらす。
だが予想は大きく外れて────そこにいたのは、まるで天使のような、絶世の美少女だった。
絶句していると、彼女の長いまつ毛が震えて、「んん……」と寝言が漏れる。あ、起きそう。
ヤバいヤバいヤバい……と僕は慌てて眼鏡を戻し、ベンチからガバッと離れた。
間もなく彼女は目覚めた。でも寝ぼけていて、僕が素顔を見てしまったなんて気づいてもいないようだった。
僕は胸の内で安堵した。
何事もなかったようにすっとぼけて、その日は解散。
その日の事はどうにか忘れてしまおうとしたが、彼女の美しい素顔は、僕の脳裏に強烈に焼きついて離れない。
同時に──あんなに綺麗な顔を隠さなくてはならない理由についても考えてしまった。
僕も外見だけは良い。だが、男だ。
無理やり嫌な目に遭わされる事はないし、いざとなれば相手を叩きのめす事も出来る。
でも、彼女は非力な少女だ。顔を隠しているのは何らかの……もしかしたら、トラウマ的な体験があるのかもしれない。
だとしたら、僕の行為は本当に卑劣な行いのように思えた。彼女の側に居続けたいなら、素顔を見たって事は絶対に隠すべきだ──
その後も、彼女とは普通の友人として過ごした。
一度、彼女が倒れた時は、生きた心地がしないほど心配した。でも、次に会った時は元気だったので安心した。
名前も聞けた。友人として認められたような気がして、とても嬉しかった。
だけど──
それが自分を欺くただの嘘だったと気づくのに、そう時間はかからなかった。
◇◇◇
────屋上から偶然レグルス王子を見かけた、あの時。
日頃、誰に対しても執着を見せない彼女が、レグルス王子を熱い眼差しで見つめていた。
表面上、僕は平静を装っていたけれど、内心ではものすごく動揺していた。
レグルス王子は、見かけ倒しの僕と違って、賢くて真面目だ。生まれながらの王族らしい気品も身につけている。
知的で真面目なアデルが、そんな殿下に惹かれたとしてもおかしくはない。
────でも、何故だろう。
ひどく胸が痛い。
そうなってから、僕はようやく気がついたんだ。
アデルが好きだ、という自分の感情に。
自覚と同時の、失恋だった。
…………というか、そもそも、バカで子どもじみた僕はアデルに相応しくない。
彼女が寝てるのをいい事に、こっそり素顔を見てしまうような人間なのだ。
それでも。
せめて友人として側にいて、彼女を応援したい。
アデルはきっと、王太子妃を目指したりはしないだろう。だとしても、力になれる事があれば、何でもしてあげたかった。
隣で真剣に論文を読んでいるアデルを眺めながら、僕はそんな事を考えていた。
(アデルが王子を熱心に見てたのは、心の中で全力土下座してたからです)




