03-03. 王太子
「レグルス王太子殿下……ですね」
彼は、将来の部下になるであろう側近候補に囲まれ、階下の入口にいた。
そこそこ整ってるが、どこか茫洋とした顔立ち。高貴な血筋を感じさせる気品と、生来の生真面目さが同居した少年。
灰色の髪に少しくすんだオリーブ色の瞳は、ノース王家によくある色だ。
記憶の中の、初めて会った時の彼より、少し幼いだろうか。
でも、違いと言えばそれくらい。
屋上庭園の下にある建物入口で、貴族子息たちに囲まれていたのは、この国の王太子であり、かつての私の夫──レグルス王子だった。
彼の姿を見た瞬間、思った。
──いやもう、ほんっとーーに申し訳ない……!!!!
何はなくとも、全力土下座だ。心の中で。
殿下にはどれだけ土下座しても足りない。
……前回人生のレグルス王子は、"悪女"に対する免疫が皆無だった。私に捕まりさえしなければ、まともな王になる道もあったと思う。
いや、確実にあった。
しかし、"悪女"に一目惚れした結果。
妃の横暴や我が儘を許し、国を乱れさせ、最終的に反乱軍を率いる"英雄"に討たれた。
元凶であった私は、彼を見捨て、王都から逃げようと画策した挙句、捕まって処刑。
最低にもほどがあるわ……と今さらながら思う。
でも、時間は巻き戻った。
前回の記憶を持ったまま、私は人生をやり直す機会を与えられた。
今の私は、レグルス王子に王太子妃として取り入るつもりは欠片もない。王国存続のために、財務官になって微力を尽くす所存だ。
断頭台なんて、絶ッッッ対に拒否する。
──ちなみに、我々をぶっ殺したのは、私の左隣にいる男なんですけどね、ええ。
レグルス王子に遭遇したら、動揺して取り乱す自分を想像してたけど、意外と冷静でいられた。それにホッとする。
遠目で見る分には、平気。
もちろん罪悪感はある。でも平常心を失くすほどじゃない。
…………それにしても、不思議な巡り合わせね。
私と王子を断罪した"英雄"が隣にいて、一緒に王子を眺めてるなんて。
複雑な気分で隣をチラッと窺うと、何故かばっちり目が合った。
「何ですか先輩」
「いや…………殿下を熱心に見つめてたから、少し意外で。アデルが誰かに興味を持つなんて、珍しいよね」
「失礼な。私だって、他人に興味を持つ事くらいありますよ。先輩も、私を"動く本棚"とか、"機械人形"だと思ってたんですか?」
「えーと、"動く本棚"って何……?」
「同級生に影でそう呼ばれています」
「そんなの、思ってないよ」
彼は苦笑して、「殿下が気になる?」と私に尋ねた。
「そうですね……いずれ王となられる方ですから、まあ、多少は」
当たり障りなく答える。
熱心に見ていたとしたら、内心土下座してたからだ。それ以外に他意はない。
なのに、先輩の解釈は、予想の斜め上へすっ飛んでいた。
「もし、アデルが願えば……君の身分なら、王太子妃も難しくないんじゃない?」
「ふぁッッッ!!?」
のけぞって驚愕する私から、王子に視線を戻し、先輩は淡々と続ける。
「殿下は僕と同学年の教養科で、真面目な方だと評判だ。君のような子なら、相性がいいかもしれない」
「いえ、そんな……私なんかが、おそれ多いですから!!!」
ほんとやめて! ぞっとするから!!!!
仮に王子との縁談が来ても、全力で潰す。何がなんでも潰す。
"悪女"に戻ってしまいかねない道は、全力でお断りだ。
頭が吹き飛びそうな勢いで、高速で首を横に振っていると、美しい少年は困ったように苦笑した。
なんておそろしい事を言うのだ、こいつは……
バクバクする胸をぎゅっと押さえて、私は王子に視線を戻す。
うん。やっぱり見たら反射的に土下座したくなる。
…………結婚なんてとんでもない。
先輩から思ってもみない話をされて、私は相当狼狽えていた。だから気づかなかった。
隣の少年が、ひどく複雑な顔をしていた事に。
──間もなく、王子と彼を囲む集団は、建物に入って見えなくなった。
「……私たちも、そろそろ戻りましょうか」
「そうだね。また、半月後に」
少年は穏やかな笑みを浮かべ、先にベンチから立ち去った。私は少し待ってから、時間差で屋上の入口に戻る。
廊下を歩きながら、レグルス王子との初遭遇を思い返す。
入学以降、レグルス王子の行動範囲と被らないように、細心の注意を払ってきた。
そして今日の初遭遇。
つまり、気をつけてさえいれば、学院内で王子と出くわす可能性はほとんどないと言っていい。これは安心だ。
私は軽い足取りで教室に向かった。
◇◇◇
帰宅して、お風呂に入った後のリラックスタイム。
私は自室で、侍女のマリアに髪を整えて貰っていた。
伸びて不揃いになった毛先を少しだけ切って、香りのないオイルをすりこむ。これで十分。
ド地味な優等生で行くと決めてから、肌や髪の手入れは最低限しかやってない。
髪を下ろし、眼鏡も外して素顔を晒す。
普段は絶対に眼鏡を外さないけれど、部屋にいるのは、子供時代から側にいる、気心が知れたマリアだけ。だから問題ない。
正面に目をやると、輝くような美少女が鏡に映っている。
結局、手入れしても、何もしなくても、私の容姿に大した変化はなかった。
呪いのようだと鏡を見るたびに思う。
ついため息がこぼれてしまう。
鏡から目をそらし、侍女のマリアに話しかけた。
「そういえば、今日、学院でレグルス殿下をお見かけしたの」
「さようですか。どのようなお方でしたか?」
「そうね……とても真面目そうな方だったわ」
「噂に違わず、ですね。殿下は、お嬢様と同じく、教養科に在籍しておられると聞いております」
「そうみたいね。学年は二つ上だけど」
「年回りも丁度良いのですね…………もしお嬢様がお望みでしたら、旦那様の権限で、殿下とのお茶会をセッティングしていただく事も可能でしょう。
勉強好きのアデルお嬢様とは、案外気が合うかもしれませんよ」
「冗談はやめて。私はそういうのはいいの」
何このデジャブ。昼間も似たような会話をしたわ。
顔をしかめた私を鏡越しに見て、マリアは「それは大変失礼いたしました」と笑った。
それから、マリアはふと表情を改めて、真剣な声音で言った。
「私は、お嬢様の進む道を応援しております。世界の命運は、あなたにかかっておりますから」
「何それ。大袈裟ね」
マリアは普段冗談は言わないのに珍しい。
くすくす笑っている私に、マリアは小さく微笑するだけだった。




