5. "英雄"が生まれた理由
◇◇◇
────何時間寝ていたのだろう。薄く目を開けると、視界に映ったのは知らない天井だった。
私、どうしたんだっけ……
ぼんやりしながら、小さく身じろぎする。
どこかのベッドに寝かされているようだ。
あの少年が、"英雄"だとわかった瞬間。
私は倒れて……ここに運び込まれたのだろう。
「あら、起きたのね」
衣擦れの音で、私の目が覚めた事に気づいたらしい。部屋にいた誰かに声をかけられた。
首だけ動かしてそちらを向く。すると、小さなデスクで書類を片付けていた白衣の女性が、私を見てニコリと笑った。
年は四十代半ば。丸みを帯びた穏やかな顔には、見覚えがある。学院の保健医ノーラさんだ。
彼女は「もう大丈夫そうね」と小さく笑みを浮かべて、状況を教えてくれた。
「あなた、屋上で急に倒れたんですって。騎士科のお友だちが、血相変えて、救護室に運びこんでくれたのよ。
軽い貧血だと思うからって、彼には講義に戻るように言ったのだけど、ひどく心配していたわ」
「きしかのおともだち」
「えぇ。彼、"氷の貴公子"って呼ばれてる、超有名人でしょ?」
「うわぁ……」
思わず頭を抱えた。
運ばれる途中で誰かに見られたりしたかな……しただろうなぁ……目立ちたくなかったのに……!
一人焦っていると、ノーラさんは「若いっていいわね~」とのほほんと笑った。
あの顔。何か……途轍もなく、大きな誤解が生じてる気がする。
そう、例えば、「地味な女生徒と人気者の男子が隠れてつきあってる」とかそういうの。
本気で勘弁してほしい……!
なんといっても、前回人生の私と彼は、「殺るか殺られるか」のサツバツとした関係だったのだ。私たちのあいだに、甘い関係なんて砂粒ほども存在しない。
それを全く知らないノーラさんは、私が慌てているのを見て、勘違いを加速させたようだった。「あらまあ」と笑っている。
本当に全然違いますから……泣きたい…………
「ふふ、とりあえずお友だちは置いといて、あなたの顔色はずいぶん良くなってるわよ。大丈夫そうなら、講義に戻る?」
ノーラさんに尋ねられ、私は少し考えてから首を振った。今はとてもそんな気分にはなれない。
「……まだ気分が優れないので、このまま帰ってもよろしいでしょうか?」
「もちろん構わないわよ。でも、荷物は教室にあるのよね?」
「はい……でも今は学年末ですし、教科書類は持ち帰らなくても大丈夫です」
「そう。では気をつけて帰ってね」
「はい。ノーラさん、ありがとうございました」
礼を言って、私は身支度を整えて救護室を出た。学院入口に馬車を呼んでもらい、帰途につく。
馬車に揺られながら。
私は細いロープを辿るように、"悪女アデルハイデ"の記憶を手繰り寄せていた。ぎゅっと目を閉じて、両手を組み、自分に強く言い聞かせる。
──思い出せ、アデルハイデ。思い出せ。
"英雄ジーク・ライヴァルト"は、なぜ、反乱軍に加わったのか。それが分かれば、対処のしようがあるはず……!
私は、必死に記憶を探った。
だが最初の人生──"悪女アデルハイデ"の記憶に、"英雄"にまつわる情報は多くない。
あの頃の私は、王国を揺るがしかねない反乱軍にも、ほとんど興味なかった。
世紀のアホだった私は、「烏合の衆である反乱軍など、わが王国軍に瞬く間に鎮圧されてしまいますよ」という側近の甘言を真に受け、高を括っていた。
自分に火の粉が降りかかるなんて、思ってもみなかったのだ。ホント、なんてバカ……!
──その時、ふと何かが引っ掛かった。
処刑前。何もかもに絶望して牢でへたりこんでた時に、牢番が何か……言ってた気がする。
『……がいい』
泡沫のように記憶が弾ける。
私はハッと顔を上げた。
──牢番は憎悪に満ちた目をして私を睨み、こう言った。
『"英雄ジーク・ライヴァルト"の家族は、横領の濡れ衣を着せられ、処刑されたのだ。俺の父も似たような冤罪で殺された。
お前が国を乱したせいでこうなったのだから、その報いを受けるがいい』
──うーん。自業自得すぎるわね、前回の私。
事実、あの頃は文官や貴族の不正が横行、まともな人ほど追放される、悪夢の時代だったのは確かだ。
牢番の話を確かめる術はもうないけれど、状況的に「それはない」と否定もできない。
仮に……"英雄"の家族が濡れ衣で断罪され、そのせいで、ジーク・ライヴァルトが反乱軍に身を投じたのが本当なら。
その横領事件は、私のギロチン回避と、王国の存亡に深く関わってくる。
それにしても、因果応報とはよく言ったものね……
牢番の言葉を思い出し、私は海より深く落ちこんだ。
「……それでも、先の事を考えないとね」
馬車に揺られながら、一人呟く。
こうなってみると、彼と顔見知りになってかえって良かったかもしれない。
私は、ジーク・ライヴァルト本人に聞いて、彼の家族が今のところ無事だと知っている。
ジーク・ライヴァルトは「春休みに家族と領地で過ごす」と話していた。
現時点で横領疑惑は発生しておらず、彼の家族は平穏に暮らしているのだ。
──では、もし冤罪が発生するなら、いつになるだろう。
前回人生の冤罪は、国が荒れた時期を考えれば、私が王太子妃になった後──おそらく十五歳以降。
今の私は十三歳だ。発生時期が同じなら、もう少し先。
ただ……私の選択が変わった以上、冤罪が発生しない可能性があるし、時期が変わってしまうかもしれない。
未来のどこかで、家族を冤罪により殺された"ジーク・ライヴァルト"が反乱軍を立ち上げれば、最悪、私や両親はギロチン行きだ。
彼が"英雄"になり、この国を滅ぼしたら……私も、お父様もお母様も終わり。
小さく唸って、天を仰ぐ。
貴族的に考えれば、力を持たない少年の内に"英雄"本人や彼の家族を潰す、という手もあるにはある。
でも、そのやり方を取れば、今の私も、"悪女アデルハイデ"と同じ場所まで堕ちてしまう気がした。
それに、"英雄"の母親は人外級の怪力らしい。
返り討ちにあうリスクは無視できない。
ならば。
私のギロチン回避のためにも、彼──ジーク・ライヴァルトの家族を、冤罪事件から守るべきだ、という結論になる。
…………もうやだ。
つかれたよー。たのしくあそんでくらしたい。
むずかしいことなんかかんがえたくない。
ポンコツだったかつての私が顔をのぞかせて、泣き言をいう。ですよねー、と今の私もげっそりと頷く。
でも、やるしかないのだ。
やるだけやって、いざとなれば、両親を連れて国外逃亡する準備だけはしておこう。
と、そこで……もう一つ厄介な問題を思い出した。
ジーク・ライヴァルトに救護室に運ばれた件だ。誰かに見られて、"氷の貴公子"のファンにやっかまれたら、かなり面倒くさいのでは。
もうすぐ長期休暇に入るから、その間に忘れられたらいいなぁ……!
完全に気配を消して、休暇まで仮病で休んでもいいかもしれない……
考え事に耽っていた間に、馬車はゴトンと音を立ててタウンハウスの前に止まった。
一つため息をついて馬車の扉を開ける。
ふと見上げた空は、よく晴れていた。
透き通るような青は、処刑の日の空と…………ジーク・ライヴァルトという少年の青い瞳に、よく似ていた。




