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七歩目

 鋭いホイッスルの音が地下の空間で反響する。一定間隔で吹かれるホイッスルの合間に、竜司の厳しい指示が飛ぶ。

「一式を八往復」

「ひいっ」

「次、二式を一二〇秒」

「ふぃっ」

「よし。じゃあ四式を片足ずつ八セット」

「やっ! なんで三式じゃないの!? 四式はキツいんだって!」

「キツそうだからです。楽だってのはある程度習得できてしまってるので今はやる必要ないです。自主練のときにしてください」

「鬼! サディスト! DV彼氏ー!」

「彼氏じゃありません。さっさとしないとセット数増やしますよ」

 ライチは泣きそうになりながらも四股を踏むような姿勢を取り、摺り足を始める。拒否権などないということは、この半月ほどで嫌というほどわかっていた。

 ぷるぷると震え始める太ももを気合で黙らせ、ライチはなんとか命じられた訓練をこなす。こうしたことに慣れているのか、竜司の指示は生かさず殺さずといった具合だ。ライチがギリギリなんとかこなせる量を見極めて投げつけてくるのが性質が悪く、ライチも抗議しきることができない。筋肉が千切れそうになるとすかさず休憩を挟んできて、燃えるような熱が抜けきる寸前になるとすぐに再開してくる。すべてを見透かされているようで、片時もサボることができなかった。

 普通の人間なら泣いて逃げるような内容だ。しかし、並以上の根性と並外れた負けん気がライチの逃亡という選択肢を奪っていた。

「くぁ――……上等ッ!」

「余裕そうですね。元気が余っているなら回数増やしますか」

「待って違うの今のは気合の声! 苦悶の声といってもいい!」

 本当に? と疑いの視線を向けてくる竜司に対してライチが精一杯のアピールをする。しかし、なおも疑いの視線を向けてくるため、ライチは話題を逸らすことにした。

「そ、それより、もうちょっと派手なのないの? 空飛んだりとかさ」

「【飛脚術】はあくまで走行の拡張です。空を飛んだりはできません。なので、高所から飛び降りたりはしないでくださいよ。跳んでいいのは自分が跳び上がれる高さまでです」

「あっす」

「そもそもですね、そういった質問が出る時点で貴女は闘技のなんたるかを……」

 別方向からの小言が飛びそうになり、ライチが口角を下げていると、勢いよく雛菊が立ちあがった。

「招集! 【門】が開きました!」

 土に頬を擦りつけて伏していたライチは、救いの声に顔を上げた。

「やった!」

「仕方ないですね。訓練は中断です。お嬢、場所は?」

「近くです。走って五分ほど。行きましょう」

「私も行く!」

「えっと、どうしましょう。竜司はどう思います?」

 竜司は数秒だけ悩んだが、正直に答えることにした。

「推奨はしません。まだまだ【飛脚術】の習得には程遠いですし、体力をかなり消耗しています。まあ足手まといですね」

「やだやだやだ! 私も行くの! UMA見たいの!」

「お嬢」

「雛菊! 絶対足手まといにならないからー! 離れてみてるだけでもいいから! お願い! これでかっちょいいドラゴンが出現してるのを見逃したりしたら一生後悔するから!」

「ライチさんのモチベーションってそこから来てたんですか」

「嘘嘘。違うの。私、雛菊のことが心配だからサ。確かにちょっとだけUMA見たいってのはあるけど、違うから。ねっ」

「は、はい」

「ほら頷いた。雛菊が頷いたから私もついていくからねダーリン!」

「今のはそういう意味じゃないでしょう」

 竜司はため息を吐いたが、睨みつけてくるライチは諦める様子はない。雛菊と竜司は顔を見合わせると、仕方なしといった様子で頷いた。

「じゃあ遅れないでついてきてくださいね」

「近いので、タクシーはなしです」

「ヴっ、よ、余裕だし? ふんぎぎ、ほら、走れるしぃ?」

 脚をがくがくとさせながら立ちあがったライチを尻目に雛菊と竜司は走り出した。雛菊はちらちらと後ろを振り返っていたが、竜司は完全にライチを置いていく気の走り。スタート時点で階段ダッシュの時点でライチの心は折れかけたが、心配そうな雛菊の視線に思わず親指を立ててしまった。逃げるという選択肢がなくなってしまい、ライチは歯を食いしばって走り出した。

 他人の視線を気にする余裕もなく、ライチはただ必死に走る。闘技の使用など考える余裕はない。破れそうな肺に無理やり空気を押し込み、熱を持つ足を動かし続ける。

 正直なところその根性に竜司は感心していたが、それを表に出すことはなかった。少しでも表に出した瞬間、ライチが天井知らずで調子に乗ることは明白だったからだ。

 ランニングで五分の距離を四分弱で走破し、たどり着いた先は小さな公園だった。

 砂場は一つ、滑り台が一つ、ブランコは二つ。ベンチが一つ。ただそれだけの小さな公園。

「はひゅっ、っ、ぜー……あ゛ー……っしゃあ! ここ?」

 膝に手をついて息を整えるライチだったが、二人からの返事はなかった。

 疑問に思って顔を上げると、二人は深刻な顔をして公園内を見回していた。

「【門】がありませんね」

「場所は間違ってないはずですが、もう閉じてしまったのでしょうか。本当に小さな【門】ならそういったこともありますが、いや、でも」

「ちょっと俺は周囲を見てきます。お嬢は人払いを」

「はい」

 ライチも周囲を見回したが、やはりあの裂け目は見つからない。ライチは地面に座り込み、乱れた髪を撫でつける。

 少しの間休憩か、と息を吐いたのも束の間、地面に手を突いた雛菊が驚きの声を上げた。

「既に……?」

 同時に、甲高い女性の笑い声が響く。

 ライチが顔を上げると。三人の人が公園の入り口に立っていた。大学生ほどの女性が一人と、同じくらいの歳の大柄な男性が二人。女性の服装は雛菊そっくり、男性の服装は竜司そっくりだが、三人とも背中には薙刀を背負っている。

「あらあら、張ってある結界に気づかないだなんて、呆れたお馬鹿さんだこと」

「おまけにこんな時間に現れて。頭だけじゃなくて足も遅いだなんて救いようがありませんね」

「付き人を簡単に側から離すのもなっていませんね。まあその戦力が二人っきりでは……」

 人を小馬鹿にするような口調で雛菊を見下ろしていた三人は、そこで初めてライチに気づいたようだった。

 ライチとその三人は同時に雛菊の方を見た。そして、お互いを指さして同じ言葉を口にする。

「誰?」

 雛菊は嫌悪感を露骨に顔に滲ませながら、大きくため息を吐いた。

「ライチさん、この三人は、同業者です。私の親戚の三輪椿さんと、その付き人の鬼助きすけさん、麟斗りんとさん。椿さん、こちらは私の新しい付き人のライチさんです。どうぞよしなに」

 椿と紹介されたその女性はマジマジとライチの方を見る。そして、目を一切逸らさずにライチの方に寄ってきて、鼻と鼻が触れそうな距離で凝視する。

「近いんだけど。ツバキ? さん」

「雛菊さん。この間抜けそうな一般人を付き人に? なんの冗談ですの?」

「あ゛?」

 額に青筋を浮かべるライチを手で制し、雛菊は二人に距離を取らせる。

「ライチさんは竜司の婚約者です。一般人ではありません。少しですが闘技も……」

「お待ちくださいまし。今なんと?」

「いや、だから闘技も」

「その前ですわ。前!」

「竜司の婚約者で」

 直後、椿はがくがくと足を震わせ、三歩後じさりすると、そのまま後ろに倒れそうになる。慌てて鬼助が支え、麟斗が自身の鞄を漁り始めるが、椿は虚ろな目で宙を見ている。

「いや、まさかそんな。竜司さんがこんな粗野で見目の悪い女に心惹かれるなど」

「ねえ雛菊この縦ロール殴っていい?」

「本当です。少ししたら竜司が戻ってくると思いますので、確認してくれてもいいですよ。あとライチさん、メイスを構えないでください。この二人は敵ではないので」

 身を乗り出すライチを後ろから抱き着いて留め、雛菊は必死に制止する。よほど傷ついたのかライチの目つきが怪しい。たとえるならば、興奮した闘牛。

 そんなライチを意に介さず、麟斗は一歩前に進み出た。

「まあ本当であれば目出たいことですね。後で祝儀を送らせていただきます」

「あ、いえいえ、まだ婚約の段階ですので、お気になさらず。それより、ここの【門】はもう閉じられたのでしょうか」

「さきほど。手柄を横取りする形になってしまい申し訳ありませんが、世界の安寧には変えられませんので」

「そうですか。承知しました。ですが、次からは管轄を守っていただきたく。この辺りは私、三輪雛菊が任せられている土地です。場合によっては本家に申し出をさせていただかざるを得ません」

「それをして困るのはそちらだと思いますが、承知しました」

 言葉こそ丁寧だが、その声色には戦意が隠しきれていない。二人の間に飛び散る火花をライチは幻視した。

「それでは私たちは失礼させていただきます。ライチさん、行きましょう」

「おやおや、それだけですか。のんびり屋な貴女がたの代りに【門】を閉じたのですから、礼の一つでもあるものかと思っていましたが」

「わざわざ頼んでもいないのにご足労いただきありがとうございます。お手間でしたら今後は不要です」

「いえいえ、近くまで来ていたもので、この程度大した手間ではありませんよ。それに、先日貴女の付き人が怪我をしたと聞いたものでね、具合の方はどうですか?」

「あんなのかすり傷です! そちらこそ屍郎しろうさんの姿が見えませんが? 怪我でもなさったのですか? 人の心配の前に自らの身を省みるべきでは?」

「おやおやおや……」

 ライチはごくりと唾を飲み込む。相手の目がきゅっと鋭くなったというのに、雛菊は頭一つ分は大きい成人男性相手に一歩も退かない。何かあったら自分が間に入らなければ、と重心を前に移した。

 しかし、張り詰めた空気は爆発することはなく、麟斗はライチを一睨みして踵を返した。目的は達成したらしく、帰るようだった。

 鬼助と麟斗が椿を担いで場を去った瞬間、竜司が二人の前に姿を現す。

「打ちもらしはなさそうでしたよ」

「話聞いてたんですね」

 恨めしそうな顔をする雛菊に対し、竜司は飄々とした態度で肩をすくめる。

「椿さんは苦手なもので。別に敵ってわけでもないんだし、そこまで肩ひじ張らなくてもよいでしょう」

「嫌です! あの人たち、会うたびに私たちのこと馬鹿にしてきて……!」

「まあだいたい事実なんだから仕方ないんじゃないですか? こうして手伝ってくれるのも助かりますし、勝手にやる分にはやらせときゃいいじゃないですか」

 雛菊は不満を隠すこともなく頬を膨らませた。その可愛らしい子供っぽさにライチのささくれだった気持ちは急速に凪いでいった。

 ライチは雛菊を後ろから抱きかかえ、その頬を指でつつく。

「なんとなーく同業者ってのはわかったんだけど、土地の担当? 縄張り? みたいなのがあるの? ここら辺は雛菊が任されてるって話だったけど」

「そうです。椿さんたちは東北を担当しているんですが、境界を接しているだけあってたまにこうして手伝いに来てくれる感じですね」

「邪魔しにきてるんですっ!」

「東北。じゃあ雛菊たちは関東担当?」

 すると、なぜか雛菊はそっぽを向いた。

「……そうでふ」

「正確には北関東です」

「北? 東北ってくくりに比べるとずいぶん狭いね」

「せ、狭くても人口は多いです!」

「南関東は別管轄なので」

「あ! 本家ってやつ!」

「違います。三輪家とは別の組織です」

「じゃあ協会? ってやつ?」

「それも違います」

「南関東は、というよりは、東京は特別な場所なのれ……」

 濁した言い方にライチは首を傾げた。雛菊が担当地域の狭さを気にしていることはわかったが、その別組織とやらを気にしている理由がわからなかった。

(東京、首都、霞が関、永田町? 内閣総理大臣! って感じでもないか。政治家とはかかわりないって話だし……あっ!)

「わかった。天――」

 全てを言い切る前にライチは竜司と雛菊に口を塞がれた。

「それは口にしないでください。詮索も駄目です。分かっている人は口にするだけで呪われる可能性があります。できるだけ考えることもよしてください。何が起こるかわかりません」

「本当に駄目なんです。秘密主義過ぎて何が地雷かもよくわかってないんです。ですが記録に残っているだけでも三輪家の人間が三人は消えてます。絶対に何かはあるんです」

 ライチは二人のあまりの剣幕に諾々と頷き、さらに数度の念押しの後、ようやく解放してもらった。

 頭を振り、先ほどの会話をできるだけ脳内から追い出す。間違って口にしたくはないことらしいからだ。ライチはそうして思考を切り替え、落としたメイスを拾い上げた。

「おっけー。大体状況は理解した。他にも聞きたいことあるけど」

「時期が来たら話します。今は貴女がすべきは鍛練です」

「椿さんにみつかっちゃいましたしね……」

「ちょっと急いだほうがよさそうです」

 そう言って二人はライチの方を心配そうな目で見つめた。

 ライチは疑問を浮かべながらもその言葉に不穏な空気を感じ取り、緩んでいた頬が少し引き締まった。二人の視線から嫌な予感がするのだ。

 そして、その予感はすぐに当たることになる。

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