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四歩目

 三人はタクシーに乗り込む。床に動かない竜司を転がし、後部座席にライチと雛菊が乗り込む形だ。

 運転手がいるため、小声で会話する二人。

「タクシーとは贅沢だねー」

「時間との勝負ですから。こうしている間にも【門】から異客が侵入しているかもしれません」

「そのイカクってUMAのことでいいの?」

「その認識で大丈夫です」

「じゃあさっき言ってた魔術ってのは?」

 雛菊は視線をさまよわせたが、覚悟を決めたようだった。ライチの方へぐっと体を寄せて、囁くように話し始める。

「この世界には魔術が存在します」

「へー」

「……随分と反応が薄いですね」

「だってもう色々見てるし。門、だっけ。あれとか」

「話が早くて助かります。また、似たような技術として闘技というものもあります。魔術を世界を操る術と定義するならば、闘技は自己を操る技です。私がライチさんと力比べした時とかに使ってます」

「あれ合気じゃなかったの?」

「違います」

「へー」

 ライチはそれなりに驚いていた。だが、正直な話どうでもよかった。ライチはこれまでの人生で魔力だのオーラだの妖気だのを感じ取ったことはない。そのため、どうせ使えないと思っているためだ。

 ライチは運転手の様子を窺いつつ、口元に手を当てて囁く。

「一般人、ってのは、それらを扱えない人のこと?」

「その理解で問題ありません。まあ正確にはライチさんはもう一般人ではないんですが」

「そうなの? なんか不思議パワー身に付いちゃってる?」

「いえ、確かにライチさんの身体能力は驚異的ですが、ぎりぎり普通の人間の範疇です。ただ本家は異物――異世界由来の器物を扱える人間も異能者として扱っています。だからあのメイスを所持するライチさんも異能者ですね」

「異能者かぁ。なんかカッコいいな」

 ライチは自身の手のひらから炎が立ち上がる様を夢想し口角を上げた。しかし、実際はメイスを振り回しているだけであることを思い出し、そのギャップにダメージを受けた。

(あれ? 異能者ってより蛮族にしか見えない?)

 もし持っているものが金属バットだったら完全に昭和の不良だ。

「そ、そうだ。異世界ってなに。地味に派手な単語が混じってたけど」

「世界ってここだけじゃないんです。たくさんあります」

「へー」

「【門】は世界の裂け目みたいなもので、異世界とこちらの世界を繋げちゃっているんです。放っておけば勝手に閉じるんですが、その間に色々と入ってきちゃったり出て行っちゃったりします。そうしたことによって世界が混じり合うのを防ぐのが私たちの役目というわけですね」

「混じり合うとまずいの?」

「……あまり良くないです。それぞれの世界にそれぞれの世界の秩序があります。それを根底から崩しかねないものはできる限り排除したいとのことです」

「へー」

 ライチはその口ぶりに僅かに引っ掛かりを覚えたが、雛菊があまり聞かれたくなさそうだったため詮索は控えた。

 耳に唇が触れかねない距離で、雛菊はライチの外耳を食むようにして囁く。

「ちなみに今の全部極秘事項なので、人にしゃべったら殺されますよ」

「えっ」

「これでもう後戻りはできませんね」

 別に誰かに話すつもりも止めるつもりもなかったが、小悪魔のように笑う雛菊にどきりとした。まるで秘め事が共有できたことが嬉しい小学生のようで、あまりにあどけなく見えたからだ。

 やはり高校生というのは詐称なのではないかとライチが首を傾げていると、運転手が口を開いた。

「着きましたよ」

「はい、おつりは要りません! ライチさん、それ引っ張り出してください!」

「う、うん」

「まいど!」

 ライチが竜司を床から持ち上げようとすると、竜司は妖しい足取りながらも自分で出てきた。車に揺られている間に少しは回復したようだ。ライチが肩を貸そうとすると断られる。

 タクシーに乗ってから一五分以上は経っている。それなのにまだ痛みが響いているらしい竜司を見て、ライチは純粋な疑問を口にした。

「それ、まだ痛いの?」

「女には、わからない」

「あ、そ。けどちゃんちゃんと歩かないなら置いてくよ」

「わかってる」

 振り返らずに歩いていく雛菊に遅れないように二人は歩き出した。

「【門】ってこんな頻度で開くもんなの?」

「本来なら半年に一度程度です。ですが、オホハナ――大きな【門】が開いた後だと、小さな【門】が立て続けに開くことがあります。余震のようなものですね」

「昨日のは本震? 余震?」

「余震です」

「そっかー」

(大きい【門】だとドラゴンとか来たりするのかな)

 大きな【門】を想像し、ライチは少しだけわくわくした。小さな【門】ですら四メートルくらいの巨人が出てきたのだ。それより大きな【門】だと言うのならば、巨大怪獣のようなのが出てきてもおかしくはない。

 そんなライチの心を読んだのか、竜司が口を挟んでくる。

「そもそも大きいのは俺たちは対応しません。そういうのは本家の人間がやります」

「えっ」

 ライチが驚きの声を上げると、僅かに雛菊の歩みが鈍った。どうやら知られたくないことだったらしい。

 ずんずんと道とも言えない山道を登っていく雛菊は、数歩進んだ後に立ち止まった。そして、懐から見覚えのある目隠しを取り出し、顔に巻いた。

「人数が、要るので。私と竜司だけでは三級の中位までしか倒せません。竜司の調子が良ければまた違いますが」

「なーんだ。散々脅しててそれ? そんなに危険じゃないんじゃない」

「言っておきますが、三級の中位は羆程度だと思ってください。貴女は羆に勝てますか?」

「クマ? 無理無理」

 ライチは思わず笑ってしまい、そして、その笑みを凍り付かせた。ライチが聞き間違えていなければ、目の前の二人は羆に勝てると言っているのだ。それも、口振りからして、鎖鎌やらを用いた肉弾戦でだ。常軌を逸している。

 いや、魔術もあるのか、と思い直したライチは、竜司の方を見て再度噴き出す。

「えっ、何それ! デカっ!」

「聖剣エンタイジュ」

「えんた……? そんな重そうなの振り回せるの?」

 ライチは竜司がいつの間にか持っていた巨大な剣をじろじろと見る。いや、それは剣と呼んでよいのかわからない。何せ大きい。長さが一メートル近くある。それに幅が十五センチはある。重量にして数十キロはありそうな金属塊。柄と鍔のついた鉄板といった方が正しく思えた。

 竜司をタクシーまで担いだライチだから断言できるが、絶対にそんなものを竜司は持っていなかった。そもそも服の下に隠せるようなものでもない。

 どこから取り出したのだろうか、と思い、すぐに思考を放棄した。どうせよくわからない技術で取り出したのだ。説明を求めても答えは返ってこないはずだ。

 ライチも自身の鞄からメイスを取り出した。しかし、それを見て他の二人はぎょっとする。

「それ持ち歩いてたんですか!?」

「だってウチに置いておくの不安だったし。大丈夫、これ手に持たない限りほんと軽いから」

「そういう問題じゃありません! 絶対、絶対に鞄なくさないでくださいよ!?」

「はーい」

 武器を構えた三人が草木をかき分けていくと、少し開けた場所に出てきた。そこには蔦に覆われつくしている古い集会所のようなものが建っている。その荒れ具合からして二十年は使われていない。肝試しのスポットにでも使われていそうだ。

 その入口の扉の目の前に、裂け目があった。半径一メートルほどの穴が開いており、中からは赤紫色の砂浜と黒い海が顔をのぞかせている。

「私は結界を張るわ。竜司は周囲の索敵をお願い。何体入ってきたかチェックして」

「わかりました」

「私は?」

「ライチさんは念写をお願いします」

 そう言って雛菊はライチに古ぼけたインスタントカメラを手渡した。

「ネンシャ?」

「日付は合わせてあるので、そのカメラで【門】を撮ってくれればいいです。【門】全体がフレーム内に収まるように」

「よくわからないけどオッケー」

 ライチは構えてピントを合わせて撮る。すると、ジジジとカメラ下部のスリットから写真が吐き出される。

 適当にやったにしてはピンボケしておらず、良い発色の写真だった。

「おお、これが最近巷で流行りの」

「結界張ります」

「あっわかっ――つぅ」

 一瞬の頭痛と耳鳴りがし、ライチは思わず屈みこむ。それはどこか覚えのある感覚で、最近受けたばかりの痛みだ。

 手に持った写真を握りしめないように掲げつつ、反対の手で頭を抑えたライチは、心の中で呻いた。

(ああ、あれだ。昨日のだ。坂を上っているときに感じた、脱水症状っぽい何か。あれをちょっと薄めた感じ)

 蹲るライチの背中を雛菊は優しくさする。

「大丈夫ですか? 対象外にしても多少は効きますよね。これが人避けの結界です。普通の人ならここに近づけなくなります。昨日も張ってたはずなんですけど……」

「安心して。昨日もちゃんと張られてたよ多分」

「じゃあどうして突き破ってきてるんですか」

「ちょっと試合に負けてムシャクシャしてたからかさ」

「そんな理由で精神汚染を無視しないでください。一歩間違えてたら廃人ですよ」

「え、そんなにヤバそうなことしてんの?」

「普通の人なら大丈夫です。普通の人なら」

「じゃあ大丈夫か」

 ライチは差し出された雛菊の手を取って立ち上がった。

 どう見てもライチのことを見ている雛菊の顔を改めてみる。やはり目隠しは完全に目を覆っている。素材からして向こう側は透けて見えなさそうだ。ライチは目隠しの前でくるくると人差し指を回しながら尋ねる。

「それ見えてるの?」

「見えてませんよ」

「じゃどうやってんの?」

「視てます」

 意味が分からずライチが首を傾げていると、竜司が茂みを搔き分けて戻ってきた。

「入ってきたのは恐らくいませんね。さっさと閉じてしまいましょう」

「わかりました。ライチさん、昨日と同様に写真を構えてもらえますか?」

「はーい」

 ライチは雛菊を後ろから抱えるように腕を回し、掲げた写真の位置を調整する。今日は汗臭くないので匂いを気にする必要もない。存分に匂いを嗅ぎつつ密着する。

 顎を頭のてっぺんに乗せられた雛菊が困惑の声を上げようとした瞬間、竜司が二人を抱えて飛びのいた。

 七十キロを超える体重の自身を抱えて容易く飛びのいたことにライチは驚いたが、それを問い質している余裕はなかった。先ほどまでライチがいた場所で、巨大なザリガニの鋏のようなものがシャリンと刃を擦り合わせていたからだ。もし竜司が何もしていなかったらライチの頭は胴体から離れていたことだろう。

 ライチは無意識に自分の首を撫でながら、爆発しそうな心臓を落ち着かせるために口を動かす。

「か、蟹?」

「とは限りません。普通の蟹はあんなに大きくないですし、腕関節があんなにたくさんありません」

 雛菊の言う通り、伸びてきた鋏が蟹のものだとするなら、甲幅だけで三メートルは超えていそうだ。それに、【門】からこちら側だけでも腕が四回折れ曲がっている。【門】の向こうに本体が見えないことからも、もっと多くの関節を持っていることは想像に難くない。

「下ろすんで後は自分で避けてください。あと、お嬢は絶対に前に出ないでくださいね」

 竜司は五メートルほど離れた場所に二人を下ろすと、剣を持って飛びかかった。

 雑に振り回される鋏を避けつつ剣を振るう竜司だが、甲殻はかなり硬いらしく弾かれている。一方、鋏の方は刃の側が当たっていないというのに、周囲にある木を割りばしのようにへし折っている。

「うわぁ、すっご。あれ倒せるの?」

「本体がこっちに来ていたら私たちでは難しいです。ただ、【門】のサイズが小さいので腕を切り落とせれば勝ちですね」

「うーん、つまり無理そう?」

「音からして、鉄くらいの硬さはありそうですね……」

「あの剣ってなんか魔法の剣だったりしないの? なんでも切れたり炎出したり」

「たまに喋って光ったりするんですけど、それだけですね。あ、けど竜司の体に収納できるので職質が怖くないのは利点です」

「しゃべるんだ。可愛いな。ワタシ、セイケン。ゴビョウゴニ、ヒカリマス」

「あはは、そんな感じです。ひょっとして喋ったことありますか?」

「ロボじゃん可愛い私も欲しい」

「ちょっと黙ってくれませんか! こっちは真面目に戦ってるんです!」

 竜司が本気で怒っていそうだったので、二人は慌てて口を閉じた。

 どうするか、とライチが目で問いかけると、雛菊は親指と人差し指で写真を撮るポーズをした。首を傾げ掛けたライチは、先ほど撮ったばかりの写真の半分ほど消え失せていることに気づく。あの鋏に上半分を切り裂かれてしまっていたのだ。

(うわ、うわ、マジで危機一髪。遠足気分で来ちゃったけど、もう少し集中した方がいいかも)

 ライチは鋏が届かない距離を保ったまま、慎重にカメラを構える。今度はレンズを覗き込むことはせず、鋏を視界に捕らえたままだ。

 ジジ、と吐き出された写真を横目でチェックしたライチは妙なことに気づく。

「あれ、この写真蟹が映ってない。それと【門】も」

「そのカメラのおかげなので、壊さないように気を付けてくださいね」

「ふーん。魔法のカメラか」

 そこにない物を写せるようだったら珍しいが、あるものを写せないカメラはただの不良品。ライチの興味は目の前の蟹の腕に移った。

 戦況は先ほどから欠片も変わらない。竜司は関節を狙ったりもしている様だが、上手く狙えていないのか、弾かれ続けている。

 雛菊が欠片も戦闘に参加する気配がないことを見ても、鎖鎌の切れ味は剣以下のようだ。馬力を見る限り、鎖を巻き付けても逆に振り回されるだけ。

 手を出して良いのかライチは悩んだが、【門】の向こうから二本目の鋏が伸びてきているのを見て、声を出す間もなく踏み込んだ。

 一本目の鋏とつばぜり合いしている竜司の背中に伸びる二本目の先端目掛け、大上段からメイスを振り下ろす。

(できるだけ速く振り、握りこみは直前に)

 鉄骨同士が激突するかのような音が響き、竜司の胴体を狙っていた鋏は地面に叩き落される。勢いは殺せず鋏は土ごと竜司を巻き上げるが、竜司は器用に空中で体勢を立て直した。

「貸し一!」

 叫んだライチの足元から、今地面に突き刺さったばかりの鋏がライチの方に向かって襲い掛かる。この速度で反撃してくるのはライチの予想外だったし、この角度から反撃してくるのもライチの予想外だった。当然、避けられるわけもない。

 しかし、お腹から串刺しと思われたライチは何かに肩を押されて地面を転がる。目の端にとらえていたが、何か物が飛んできたわけではない。何かがぶつかったわけでもない。突如発生した衝撃波に吹き飛ばされた、としか言えない現象だった。

 受け身を取ったライチは慌てて立ち上がるが、鋏は二本とも竜司に向かって襲い掛かっている。

 竜司はそれらを一本の剣で器用にいなしつつ、振りむくこともせずにライチに向かって叫んだ。

「これで貸し借り無し!」

 口調からして竜司が助けたのだろうとライチは察したが、方法がさっぱりわからなかった。

(魔術って奴なのかな。それより鋏に全然ダメージなさそうなのはちょっとショック。握りが甘かったかなぁ? 次は関節を狙ってみよう)

 ふっと強く息を吐き、ライチは構え直す。そして、タイミングを計って再び蟹の腕に躍りかかった。

 狙うのは竜司と鍔迫り合い中の鋏。動きが止まっているため狙いを定めやすい。ただ、鋏が上から竜司を抑えているため、叩きつけはできない。

 メイスを打ち上げるため、先ほどよりさらにタイミングをシビアに。握りが早ければ早いほどメイスの重量で速度が落ちる。そう呟きながら、ライチはメイスを打ち上げた。

「ラァッ!」

 ぐぎょ、と先ほどとは違う音がし、殻が砕けるような感触がメイスを通してライチに伝わる。跳ね上がった腕の外殻は相変わらず無傷に見えるが、多少のダメージがあったことをライチは確信する。

 そんなライチの背中を、竜司が蹴り飛ばした。ライチを踏み台に竜司は宙をくるりと舞うが、真の目的はライチを転がすこと。

「打った後一々止まるな!」

「わっ、おっとぉ!」

 背中の上を鋏が通りすぎていくのを感じ、ライチは立ち上がらずにゴロゴロと転がって遠ざかる。そして、跳ね起きてメイスを構え直す。

「貸し一です!」

「昨日助けた分でノーカン!」

 ライチが関節を打った方の蟹の腕は、動きがやや鈍くなっている。関節の一つが明らかに動いてなく、また、それに引きずられてかスイングの速度も落ちている。

(もう一発!)

 ライチは今度は蟹の腕が伸びきった瞬間を狙う。竜司を切り裂こうとして空振りし、まっすぐに伸びた腕の根本の関節に対し、横薙ぎにメイスを振るった。

 先ほどより軽い破砕音。しかし、より明確な手ごたえがライチの腕を抜ける。

 もう片方の鋏を飛びのいて避けながら、ライチは笑みを浮かべた。

(やっぱ打ち上げよりはずっといいな。ただ重さで横軸がぶれちゃうからそこだけは注意。蟹の実が柔らかくて衝撃を受け止めてくれるのでフォロースルーも気にする必要なし)

 が、すぐにその笑みは固まる。今撃ち抜いた方の蟹の腕がかくかくと曲がり、ライチの顔面を薙ぎ払おうとしていたためだ。

「ひぁぁぁっアッ!」

 ライチが死ななかったのは、やはり竜司のおかげだ。竜司が空中のライチの腕を引き体を傾げさせたために蟹の腕は空振りする。

 ライチはその力に逆らわずに竜司の方に突っ込み、竜司の襟首を引っ張って上体を逸らさせる。視界の隅でぐるりと薙ぎ払われていた蟹の腕を躱すための動き。

 余計な節介ではあったが、竜司もそれに逆らわずに倒れる。ただし、地面ではなくライチの背中を台にして跳ね起き、そのままライチを抱えて距離を取る。

「ぐえっ」

「何回死んでたか理解してますか?」

「ごめん。でも役には立てそうでしょ」

 竜司は信じられない馬鹿を見る目でライチを見下ろすが、すぐにライチを放り出して蟹の腕の方へ突っ込んだ。

 それは蟹の腕の攻撃を引き付けるためだったが、蟹の腕もライチのことを敵と認識しているようで、一本はライチの方に伸びてきた。

 ライチはぎりぎりでそれを躱しながら、反撃の機会をうかがう。

 突き、薙ぎ払い、突き、突き。薙ぎ払いはモーションが大きくなるのか、鋭い突きを繰り返し出してくる。鋏は大きく、動きは素早く、少し反応が遅れればライチは即死していただろう。

 しかし、ライチはメイスを使うこともなくステップだけですべて躱す。多数の関節でぐにゃぐにゃと鞭のようにうねる蟹の腕の動きを予測できるわけもなく、すべては身体能力に任せた強引な回避。それを見て雛菊は拳を握りしめ、竜司は目を見開く。

 その危機感にぞくぞくと背筋を震わせながら、ライチは少しずつ前に進む。距離を取った方が安全だと思っていたが、たまに来る薙ぎ払いの速度が遠い方が早いからだ。

(一、二、一、二。意外とテンポは一定。威力は、当たったら死ぬかも。見えてないのにこんなに狙えてるの凄いなぁ。……って、ん?)

 ライチはちらりと【門】の方を見て、その隅っこに黒い球体があるのに気づいた。

 同時に、このままでも反撃のタイミングは来ないと思ったライチは、自分への突きを躱した直後に竜司の方に突っ込んだ。

 壊すのではなく怯ませるのを目的で適当にメイスを叩きつけ、もう片方の手で黒い球体を指し示す。

「あれ目じゃない?」

「っ……!」

 次の瞬間、竜司の剣を持っていない方の腕が振るわれ、黒い球体が弾き飛ばされた。

 それはライチの想像通り眼球だったのか、【門】の向こうから歯軋りのような轟音が響いてくる。そして、明らかに蟹の腕の動きが止まった。

(チャンスっ!)

 ライチは弓のように背筋を逸らして限界まで力を溜め、腕の撓りを加えてメイスを振り下ろす。狙いは二回目に殴った根本近くの関節。歪んだ甲殻を反対側からへし折るように、鈍色の金属塊を叩きつける。

 甲殻が砕ける音が響き、目で見てもわかるほどはっきりと亀裂が走った。淡黄色の中身が飛び出て薄赤色の体液が飛び散る。ライチの目にも明確にわかるダメージだ。

 さらには、ライチの背後で硬い野菜を断ち切ったような音が響いた。振り向くと、竜司が蟹の腕を半ばから断ち切っていた。

「やるじゃん!」

「ばっ……!」

 手を伸ばす竜司の目の前でライチの脇腹に蟹の腕がめり込んだ。ライチが叩き潰した方の腕が【門】に引っ込もうとして、先端がライチの体に引っ掛かったのだ。あたったのは鋏の外側のため切り裂かれはしなかったが、重機に巻き込まれた小石のように弾き飛ばされていく。

 地面をごろごろと転がるライチを尻目に、蟹の腕は【門】の向こうへと引っ込んでいった。竜司はどちらを優先すべきか一瞬迷ったが、悲鳴を上げる雛菊の方へ近寄る。

「ライチさん!」

「お嬢、先に閉じましょう!」

 竜司はカメラを雛菊の手から毟り取り、撮影。そして、雛菊を抱えこむ。

 雛菊は少し暴れるが、最終的期には理性が勝ったようで、自身の目隠しをはぎ取り呟く。

「ァム、トゥドゥ、ナノ、マィ――!」

「閉じました!」

「ライチさん、ライチさん!」

 雛菊が駆け寄り、ライチの頬を叩くと、ライチはごぼりと胃液を吐いた。

「……いっつぅ」

「大丈夫ですか!? 意識を保ってください! 寝ちゃだめですよ!」

「痛くて寝れないよ……肘いったぁ。折れてないこれ」

「失礼します」

「い゛っ」

 竜司がライチをひっくり返し、脇を触診すると、意外なことに骨は折れていないようだった。痛がり具合からして罅くらいは入っているかもしれないが、少なくとも肋骨が粉砕していたり折れて内臓に刺さっていたりはしない。

 腕で受けたにしても腕の骨も折れていなさそうなのがまた驚きだった。衝撃を殺す方向に跳んだのか、腕をクッションとして柔軟に受け流したのか、ともかく、重傷は負っていない。安堵からか引き笑いをしているライチを見て、竜司は戦慄を隠せなかった。

(この娘、本当に一般人か? ちゃんと調べた方が……いや、そこは本家が勝手にやるか。お嬢と近づけ過ぎないようにだけ注意を払えば)

「痛いー、死ぬー。雛菊撫でてー」

「こ、こうですか」

「いだいっ! やっぱ触んないで! あ゛っ、叫ぶと脇が、ぐぅぅ……」

「竜司! 医療班呼びましょう!」

 鬼気迫る表情で見上げてくる雛菊に対し、できるだけ落ち着いた声を意識しながら言い聞かせる竜司。

「いや、この程度なら病院で大丈夫でしょう。バイクと衝突したことにしましょう」

「でも、こんなに痛がってるのに……!」

「そんだけ叫べるんなら骨は大丈夫ですよ。それより後始末の準備しましょう。消毒班呼んでください」

「ほ、本当に? 本当に本当に大丈夫?」

「大丈夫です。上手く衝撃を逃したんでしょう」

 しかし、同様に必死の表情でライチは二人の服を掴んだ。

「待って、お願い。一つ、一つだけ」

 そう言って、切り落とされて残った蟹の腕を指差し、懇願するように。

「その蟹、私の分を冷凍しといてくれるよね……?」

 雛菊は思わず笑ってしまい、竜司は眉間に皺を寄せてため息を吐いた。

 勿論、蟹のような何かの腕は灰になるまで燃やされ、食べることはできなかった。


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