窓辺のおとぎ話は廃宮の王女を溺愛する
天から降り注ぐ雨は大地を潤し、地中に染み込み、やがて豊かな清流となり海へと流れ、水蒸気となり雲をつくり天空に還る、この循環を司るのは、複数の水の神。
風は、水のように目に見えるものではないが、やはり世界を巡り循環している。
そして、この世界の生き物が呼吸とともに吐き出す魔素と呼ばれるものを浄化して散らすのが、複数の風の神。
魔法を使えるものは、わずかしかいない。
しかし使えずとも魔力は全ての生き物の内に血液のように存在する。それが、呼気として体内から少しずつ少しずつ微量に排出され、時間をかけて集まり魔素溜まりが形成されて、そこから誕生するのが恐ろしい魔獣。
過去には、魔獣に蹂躙されて滅亡した国が幾つもある。
ゆえに魔獣が生まれぬように魔素を浄化して散らす風の神は、人々から深く尊敬をされて信仰を受けていたが、風の神は姿が様々であった。人間の姿の神もいれば、鳥や獣、果ては風の神なのに水中に棲む魚の姿をしている神もいた。
だが何よりも重要なことは、風の神は世界を巡る旅をやめて留まって土地神にもなることが稀にある、これが人々にとって大事であり切望することであった。
土地神となった風の神がいれば、その土地は常に浄化されて魔獣が生まれることがなかったからである。
「苺ちゃん、はい半分こ」
赤い瞳の黒い小さな蜥蜴に、リリーベルはクッキーを半分に割って差し出した。
必要最低限の家具しかないリリーベルの部屋は、がらんとしていて空気さえ静止しているような冷たさがあった。
リリーベルは、白百合の紋章をかかげるセルジア王国の王女だった。しかし、正式なリリーの名前を持ちながら、父王から冷遇され幽閉に等しい状態であった。
リリーベルの母親である側室の実家が、苛酷な政争に敗れて爵位も領地も没収されて一族郎党が処刑台に登ってしまったからだ。後ろ楯もなく財産もなく国王の寵愛もない、罪人の身内となった側室。もし正式な王女の名前を所有する5歳のリリーベルの存在がなければ、母親は処刑された家族のもとへ突然の病死として送られていたかもしれない。
危機を感じたリリーベルが、爪が剥がれ指から血を流しても母親にすがり付いて、ともに死ぬ覚悟でしがみつかなければ。
「お母様とご一緒する! 無礼者! お母様に近づくでない、第六王女リリーベルが触れることを許しておらぬぞ!!」
リリーベルは小さな身体で覆い被さり絶対に母親から離れなかった。誰にも指一本さわらせず、王女の名前を使い苛烈に威嚇した。
最終的に母親が助命されたのは、リリーベルを可愛がってくれている異母兄の王太子が手を尽くして理由をつけて庇ってくれたからだった。
そして国王は、罪のない王族の血を流すことは禁忌とされるため、王家の血を継ぐリリーベルを処分できない代わりに王宮の隅にある廃棄された古い建物に母親ともどもリリーベルを幽閉したのだった。
以来リリーベルは、廃宮の王女と呼ばれるようになったのであった。
廃宮での生活は質素なものであったが、家族を処刑されたショックで寝込みがちになった母親と幼いリリーベルには、慎ましくても平穏であることが最優先だった。
母親は優しかったが、すっかりと病弱となり日毎に痩せていった。リリーベルは母親の負担にならないように、聞き分けのよく大人しい子どもとして部屋でひとりで過ごすことが多くなった。でも、寂しくて。とても寂しくて。鏡の前で笑って笑いかけて、自分で自分の頭をナデナデ撫でて。それでも、寂しくて寂しくて。
だから絵本で読んだ、おまじないをしたのだ。
月の光が差し込む窓辺にお菓子とミルクを置くと、妖精を招くことができるというおまじないを。
王太子の配慮により生活は保証されているとはいえ幽閉されているリリーベルにとって、お菓子は貴重である。1日に1度もらえるお菓子を食べずに、毎晩お願いしながら窓辺に置いた。
《妖精さん、妖精さん、リリーベルとお友達になって下さい》
毎日毎日、心をこめて祈ったが妖精は現れなかった。
しょんぼりと花の盛りをすぎた向日葵のように俯いて、朝になると干からびたお菓子を食べ、夜になるとリリーベルはささやかな願いとともに新しいお菓子を窓辺に捧げた。
《妖精さん》天使が囁くような愛らしい声で。
《妖精さん》心をこめて。
《リリーベルとお友達になって下さい》召喚者に有りがちな高圧的な口調でもなく、命令する内容でもなく、ひたすら丁寧に優しくリリーベルはこいねがった。
《どうかリリーベルとお友達になって下さい》
そうして1ヶ月がたち2ヶ月がたち、1年がすぎた。
リリーベルの一途な願いが天に届いたのか、寒い冬の夜に。
冬の風と水が混ざり合って空からひらひら舞い落ちてくる風花の、白い雪片が窓の外を飾り、地上に積もった雪を月光が照らす雪月夜にリリーベルは窓辺で出会ったのだ──恐ろしい祝福のごとき、美しい災禍のごとき、人ならざるものに。
窓辺のミルクを飲む、10センチほどの半透明の黒い蜥蜴の姿があった。
「……もしかして妖精さん? それとも蜥蜴の幽霊さん?」
絵本で見た妖精とは姿形がだいぶと異なるが、あきらかに普通の蜥蜴ではない。だが、リリーベルにとって妖精でも幽霊でも問題はなかった。重要なのはリリーベルと友達になってくれるのか、その一点であった。
「えと、えと、蜥蜴さん。リリーベルはリリーベルと言います。あの、あの、あの、不躾ですがリリーベルとお友達になってもらえませんか?」
蜥蜴は、ちろりと舌を蠢かして顔を上げた。
手足は短く、尾はしなる鞭のように長かった。闇夜が徐々に沈殿したような漆黒の色は半透明ゆえに、不思議な影の揺めきがあった。
血の結晶のように赤い蜥蜴の目が、リリーベルを見つめる。
「赤いお目目、綺麗。つやつやの苺みたいです」
リリーベルも、身を乗り出して蜥蜴の赤い目を覗きこむ。
「苺、知っていますか? 赤くて美味しいのです、リリーベル大好きなのです」
これがリリーベルと黒い蜥蜴との初めての出会いであった。
その夜から毎夜あらわれる蜥蜴の存在は、寂しいリリーベルのささやかな灯火となった。
蜥蜴は人間の言葉は喋れない。会話はできないが、側にはいてくれる。それだけでリリーベルは幸せだった。
リリーベルが、赤い目から〈苺ちゃん〉と蜥蜴を呼んだ時、蜥蜴は驚きで目を見開いた。不気味だの醜いだのと詰られることはあっても、〈苺ちゃん〉などと言う可愛らしい名前で呼ばれることは初めてだったからだ。
「苺ちゃん、はい、クッキーを半分こ」
と、リリーベルはおやつを蜥蜴といっしょに食べて。
「苺ちゃん、ミルクもどうぞ」
と、リリーベルはミルクを蜥蜴といっしょに飲んで。
「苺ちゃん、苺ちゃんといっしょだと凄く美味しいね」
と、リリーベルは嬉しくて笑った。
小さな蜥蜴もリリーベルの側は居心地がよかった。気味が悪いとか不快とか、リリーベルは他の人々のように罵ることはなかった。それどころか蜥蜴を綺麗と言い、〈苺ちゃん〉と生まれて初めて可愛く呼んでくれた。リリーベルの側は、蜥蜴は蜥蜴のまま警戒の必要もなくゆったりとくつろげて、誰からも恐れられることもない安心できる場所であった。
もっとも蜥蜴の本性を知れば、人間は手のひらを返して敬い尊ぶであろうが、蜥蜴を追い払い罵ってきた者たちに慈悲を与えるつもりなど欠片もなかった。
しかし蜥蜴は、旅を長い間続けて流れてきたがリリーベルのためならば留まっても良い、と思うほどにリリーベルに惹かれていた。
そしてリリーベルと蜥蜴が出会って半年後のこと。
ある日、リリーベルはメイドからストロベリーポットをもらった。名ばかりとは言え王族であるリリーベルを見下して優越感に浸るメイドが多い中で、このメイドだけがリリーベルに日頃から丁寧に接して優しく世話をしてくれていた。
「私の家は苺を栽培しているのです。これは苺専用の鉢で、この薄緑色の苺が真っ赤な色になれば甘い苺が食べられますよ」
ストロベリーポットには5粒の苺がついていた。
メイドは、いつも寂しそうにしているリリーベルの気晴らしになれば、と熟す寸前の苺をくれたのだ。
それにメイドは、もうすぐ廃宮を去る。
王国の森深くで大きな魔力溜まりが生成されつつある、という噂が密やかに流れているのだ。王宮の上層部が隠しているが、騎士が王国中から必死の形相で召集されている現状に、真実は知る人ぞ知る噂となってポロリポロリと漏れていた。
機敏に立ち回れる者はすでに王国を脱出し、大農園を営むメイドの家族も移住を検討している状態だった。身分違いの恋に悩んでいることもあり、メイドはこの機会に家族とともに他国へ移り住む予定であった。
今までは周りの同僚の目を気にしていたが、仕事を辞めてしまうのだ。最後の仕事と、メイドは堂々とリリーベルに優しく接していた。
「ありがとう! 凄く凄く嬉しい!」
リリーベルが喜んだこと。久しぶりに子どもらしい無邪気な笑顔で、ストロベリーポットを抱き抱えるように受け取った。
リリーベルは、結ばれたポニーテールをピョコピョコ跳ねさせ飛ぶような足取りで自室に戻ると、ウキウキと夜を待った。仲良しの黒い蜥蜴に苺を見せるのだ。そして苺が赤くなれば、いつも半分こするクッキーのように仲良く食べるのだ、と楽しく計画をする。
けれども太陽はまだ天空高くにあり、夜は遠かった。
なので植物には光が必要だと思い出したリリーベルは、ストロベリーポットを持って廃宮から出た。母親は完全に幽閉されているが、リリーベルは王女の身分をまだ保持しているので、廃宮の出入りについては制限がゆるかったのだ。
普段ならば廃宮から離れることはないが、この日は嬉しくて、つい少しだけ歩いてしまったのである。
廃宮の後ろには湖があり、そこから廃宮の横を通って王宮の庭園まで水路が引かれていた。
水路には魚が泳いていたが、日差しを浴びて魚の影が水底にも泳ぎ、水中の魚と水底の影が重なり離れ交わり、まるで舞踏を踊っているようにリリーベルには見えた。
川のように大きな水路の水の底には橋や道が作られており、それは地上の設備がそのまま沈み魚の住居となったみたいな趣があった。
橋の周辺には水底から水面へと伸びる木々、水中で咲く美しい花々、鮮やかな水草で水の底は小さな森が緑と成し、鳥は飛ばずとも魚が泳ぎ、風が吹かずとも水が流れ、まさに別世界のような幻想的な水中の世界が形成されていた。
そして地上では。
蝶々が優雅に舞い。
花蜜を目指す蜜蜂の羽音と。
鳥の羽ばたきがリリーベルの耳に聞こえた。
空は青い宝石のように澄みわたり。
風が透明な水晶のように木々の葉を鳴らして。
花が水辺に群れ咲いて、水面に照るるようであった。
リリーベルは、ストロベリーポットをもらって嬉しくて。
花の蜜の甘い香りと木々の緑の爽やかな匂いを含む風に頬を撫でられて。
水が綺麗で空も綺麗で、木漏れ日に光る地面が星の雫みたいに美しくて、空気が虹の破片のごとくキラキラと輝いているように感じて。
うっとりとするような美しさに見とれて、風に背中を押されるようにリリーベルは、魚を追って水路沿いに進んでしまったのである。気がついた時には遅かった。庭園の近くまで来ていて、リリーベルは慌てて戻ろうとしたのだが。
「あら? 廃棄物がいるわ」
「いやだわ、綺麗な庭園が汚物で汚れてしまうわ」
「王家の恥のくせに、よくも歩き回れることね」
と、リリーベルの異母姉である王女たちに取り囲まれてしまったのである。
逃げることはできなかった。
王女たちが伴っている侍女や護衛たちが、リリーベルを中心として人垣をつくっていたからだ。
リリーベルはまだ幼いと言ってよい年齢である。
悪意をたっぷりと含んだ王女たちに、青ざめてぶるぶると怯えた。
異母の兄弟姉妹たちと顔を会わす機会などほぼほぼなかった。それでも会えば必ず暴言や暴力でもって虐げられているリリーベルは、震える身体で立っていたが、水の中へ沈むような心地だった。息すら苦しく、手を必死に伸ばしても誰一人として助けてくれる者はいない。
第三王女が、リリーベルからストロベリーポットを奪い取り投げ捨てた。ガシャン。鉢は砕け、落ちた苺を第三王女の靴が踏み潰す。
「あ……」
リリーベルは、喉が締め付けられているみたいに声が出なかった。唇から涙のような息がもれる。
リリーベルをいたぶる嗜虐の表情を浮かべて第二王女が、侍女から鞭を受けとった。
鞭で打たれる! リリーベルは指先まで白く染めて手を強く握りしめて全身を強張らせた。
口元を酷薄な笑みで歪めて第二王女が鞭を振るった瞬間、不意に眩い稲光がした。
雷鳴が轟く。両翼を切り落された天使の悲鳴のような音を響かせて、庭園の木が真っ二つに裂けた。
「「「キャアアアッ!!!」」」
甲高く絶叫する王女たちの手を侍女たちが引っ張り支えて、護衛たちが冷静に肉壁となり、一塊の濁流のごとく王宮へと素早く走り去る。
ぶるぶる震えるリリーベルひとりを残して。
誰も庇ってくれなかった。
誰ひとりとして声すらかけてくれなかった。
リリーベルの視界には、第三王女の宝石のついた靴でぐちゃぐちゃに踏まれた苺の残骸と、わずかに煙を黒くなった樹皮に纏わす木が、美しい庭園を背景として映った。
まるで雅やかな姉王女たちと、地面にうずくまるしかない自分との対比のように。
リリーベルは、砂時計の最後の砂の一粒が落ちるように泣き出した。ずっと泣かなかった。泣くことができなかった。廃宮でずっと我慢だけの毎日だった。でも、耐え続けた心が限界だったのだ。
グラスから溢れてしまった水のように、積み上げた積み木がガラガラと崩れるように決壊した心のリリーベルは、
「苺ちゃん……、苺ちゃん……」
と、唯一の友達の名前を繰り返した。
何も持たないリリーベルがすがれるものは、小さな黒い蜥蜴以外になかった。
「苺ちゃん、助けて」
「俺の嫁になるならば、助けてやろう」
涙をこぼすリリーベルの目の前には、黒い蜥蜴が空中に浮かんでいた。
一瞬だけポカンとしたリリーベルだが、我に返るとあたふたと慌て出した。
「苺ちゃん、お日さまにあたって大丈夫なの? 体は熱くなっていないの? それに苺ちゃん、お喋りできたの?」
第一に蜥蜴の体を心配するリリーベルに、
「ホンにおまえの心は清いなぁ。おまえが俺を夜の妖精か幽霊と思っていたから、それらしく振る舞っていただけだ。信じているおまえが可愛かったからな」
と、蜥蜴が赤い目を愛しげに細める。
「俺は姿は蜥蜴だが、本性は風なんだ。風の神って知っているか?」
ふるふる首を振るリリーベルに、黒い蜥蜴は喉を鳴らして笑った。
「まぁ、いい。とにかく俺はおまえが気に入った。俺はおまえを嫁にしたいが、おまえは俺の嫁になる気はあるか? 蜥蜴の俺は嫌か?」
家庭教師も世の常識を教える者も、リリーベルにはいなかった。
ゆえに、蜥蜴との結婚に躊躇はまったくせずに即断即決で大きく頷くリリーベルだった。
リリーベルは、人間は人間と結婚をすることを理解していた。が、絵本では竜や狐や魚とも女の子は結婚していたので、愛情があれば人間以外とも結婚は有り得るものだと思っていたのだ。
だって、大好きだから。
大好きだから一緒にいたい。
結婚すればずっと一緒にいられる、とリリーベルは子どもらしい驚異の三段論法で結論したのである。
「大好きな苺ちゃんと結婚する!」
泣いていたリリーベルは、満開の花のような笑顔で宣言をした。
「よしっ!!」
言葉と同時に黒い蜥蜴は月の輪郭のような淡い光に包まれ、姿を変えた──人間の若い男性の姿に。
褐色の肌に銀色の髪、深紅の切れ長の双眸は研ぎ澄まされた刃物にも似た鋭さがあり、無駄のない肉体の威風堂々とした男性だった。
小さな蜥蜴であったのに男性の身長は2メートルを越え、軍服のような衣装を着ていることもあって醸し出す威圧感が凄まじかった。
びっくりして瞳を丸くするリリーベルを、男性が優しく両脇に手を差し入れ持ち上げる。プランとリリーベルの短い手足が揺れた。リリーベルのポニーテールがクルンとリスの尻尾みたいにカールしていることもあって、まるで巨木と子リスである。
「風の神は愛した相手の姿になるのだ、子作りのために。俺の父親である風の神は虎の姿をしていたが、黒竜に恋をして黒竜に変化した。だから俺は黒竜として生まれたが、黒竜だと体がデカすぎて世界を巡るのに何かと不便だった。それで魔法で小回りのきく黒い蜥蜴の姿に変わっていたんだ。俺は、父親の風の神の力と母親の黒竜の力を継承した故に、かなりの魔法が使えるのだ」
説明をされても、顔によくわかりませんと書いてリリーベルはきょとんとしている。
「まぁ、いい。そのうちな。さて、と、質問だが、リリーベルは王国が滅んだ方がいいか?」
リリーベルは、小さな両手で男性の頬を挟んだ。瞳には、彷徨う夜の海に建つ灯台のような揺るぎのない光があった。
「苺ちゃん、どうしてそんな事を言うの? いじわるな人が多いけど、異母兄様はお母様を救ってくれたし、ストロベリーポットをくれたメイドもいる。悪いことがたくさんあっても、時々よいこともあるもの。それにリリーベルは王女よ。王女は国を守るのよ」
導く指針のようにきっぱりと言うリリーベルに、男性はご機嫌な顔で笑った。リリーベルの透き通る空のような水色の瞳と男性の赤い目が合わさる。
「さすが俺の嫁。俺の水色。幼くとも誇り高い王女殿下だ。よしよし、では王国を延命してやろうか。魔力溜まりを浄化するかしないかは風の神の気持ち次第なのだ。風の神の仕事は、風を世界に巡らすことだけだ。だが、愛しい王女の願いならば神の名にかけて全て叶えてやろう」
男性は、リリーベルを片腕で荷物のように小脇にかかえると、王宮へ向かって足を踏み出した。再びリリーベルの短い手足がプランと揺れる。
男性は長く生きていても蜥蜴の自分を迫害する人間に、正確には人間の生活に興味を持ったことはなかった。それ故に男性は子どもの扱いに関しての知識がなく、リリーベルはリリーベルで不遇な待遇に慣れてしまっていたので文句を言うことはなかった。
結果として、たくましい腕に干された洗濯物状態もしくは小荷物配達状態のリリーベルは、手足とカールしたポニーテールを水面を右に左に漂う花びらのように揺り動かすことになってしまったのだった。
「苺ちゃん、どこへ行くの?」
「悪い人間をお仕置きに王宮へ行くのだ。魔力溜まりを人知れず消滅させてやるより、公明正大に高く恩を売ってやろうと思ってな。かなり大きな魔力溜まりだから、王国内外に知れ渡っていることだし」
男性は、ニヤリと口角をあげる。
「魔獣が誕生すれば王国はもちろん周辺諸国も滅亡の危機だ。その対応策の会議が、王国内外の青い顔をして冷や汗を垂らした重鎮を集めて王宮で開かれている。さてさて、どうしてやろうか? 可愛い俺の水色を虐げてくれた償いは何がよいだろうか?」
くくッ、と喉を鳴らす男性の身体にザワザワと葉擦れの音みたいな風が纏いつく。
どんどん不穏な気配に変化してゆく男性に、
「苺ちゃん、お異母兄様をいじめないで?」
と、リリーベルは愛らしく首を傾げた。
リリーベルの澄んだ水色の瞳で上目遣いにジッと見つめられて、
「ホンにおまえは……」
と男性は苦笑をもらす。
「よしよし、可愛い俺の水色の頼みだ。俺は風の神だ。何であっても叶えてやろうぞ」
男性の言葉にリリーベルは、真夏の向日葵のような笑顔を花咲かせたのだった。
【ちょこっと】王太子の憂鬱
王太子は数日前の出来事を思い出していた。
あの厳つく立派な風の神が「苺ちゃん」と名乗った時、会議室内の人間は全員もれなく目が点となった。が、肩を震わすことすら許されない。相手は風の神である。
「魔獣の発生による王国の滅亡か、魔力溜まりを消滅させて国王を含む王族の処分か、どちらを選ぶ?」
風の神の冬の星のように冷たい言葉に真っ先に応じて椅子から立ち上がったのは、東の隣国だった。
「我が国にお任せを。ただちに挙兵をして王族の征伐をしてみせまする」
西も北も南の隣国も続く。
「「「いえ! 我が国が!」」」
「戦争は禁止だ。俺の水色は国を大事にしている、国土を荒らしてはならぬ」
「「「「では、暗殺を」」」」
四ヶ国が声音を揃えて恐ろしいことを平然と宣言する。どの国も自国の存亡がかかっているだけに形振りを構っていられない。
国王は蒼白になって王座で震えている。
風の神の膝の上に、ちょこん、と座っているリリーベルが、
「お願い、いじめないで」
と口添えをしてくれる姿に、王国側の人間は深く感謝して感涙した。
「王太子、おまえが国王となり王族を粛清しろ」
一斉に全ての人間の目が王太子に向けられた。
王国側からは哀願を。
周辺諸国からは、わかっているだろうな? という厳しい目を。
こうして魔力溜まりによる王国滅亡の危機は去ったが、王太子は胃痛と闘う日々をおくる事となったのだった。
【ちょこっと】王子と王女
リリーベルの口添えにより処刑は免れた王族(分別のある清廉潔白な王族は除外)は、神への厳格な信仰の神殿の下男と下女になった。
一部には同情されていた王族たちだが、
「廃棄物を鞭打ったくらいで、わたくしがどうして罰せられるの!?」
という王女の不平の言葉が広がり、一気に厳罰ムードとなった。
特に神殿は「神のご寵愛様に何という罰当たりなッ!」と大激怒。
周辺諸国からの監視も入って、王族たちは靴すら与えられずに日の出から日の入りまで休む間もなく働かされることとなった。
そして不満を言う度に、かつてリリーベルに鞭打ったように、今度は自身が鞭で打たれるのであった。
【ちょこっと】メイドの結婚
リリーベルにストロベリーポットをくれたメイドが結婚した。相手は恋人だった、貴族の三男である。
身分差があったが今やメイドは、神の寵愛深いリリーベルのお気に入り、という人々からの垂涎の位置にいる。メイドが平民であっても、貴族家から諸手を挙げて歓迎されての結婚だった。
メイドは、その後も夫ともども長くリリーベルに忠実に仕え、リリーベルを支え続けた。
そして毎年届くメイドの実家からの艶々の甘い苺は、リリーベルをとても喜ばせたのだった。
「カルテット、4/10000。」
という、超溺愛の苺ちゃんと正反対の女神様が登場するファンタジーを連載しています。
もしよかったら、よろしくお願いいたします。
読んで下さりありがとうございました。