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一筋の光明

さて、ここに一人の青年がいる。彼は年老いた父を支えながら生きて来たが、父親は長年、持病を患っていた。彼は御上の命により、身体の悪い父を文字通り支えながら、中央広場に集まっていた。


そんな時に降って湧いた様な申し出である。但し、彼だって当初は御上に不信感を抱いていたのだから、幾らお金を積まれても、まだ抗う気持ちの方が強かった。


しかしながら、そのお金が十金から三十金になり、新しい為政者である衛鞅という人の、生々しい実体験に基づく話しを聞くにつけ、だんだんと、"この人なら信用出来るかも知れない"と想い始めていた。


だから、五十金にお金が釣り上がるに及んで、申し出ようとして、父親に止められたのだった。


「お前は我らの土地が、貴族に奪われた事を忘れたのか?」


父親は常にそう彼を戒めて来たし、今もまた、彼をそう言って(さと)したのである。


あの時に御上は何もしてくれなかった。


そのために、苦しい使役に耐えなければ成らず、父親は身体を患う事になったのである。実際に身に降りかかった者にしか、その辛さや苦しみというものは理解出来ない物である。


それは青年も判ってはいたが、百金にその値が釣り上がった時には、父親の静止を振り切って、手を挙げ、申し出たのである。彼はそれだけのお金が在れば、父親の病を癒し、少しでも楽をさせてあげられると思ったのだ。




場の空気は一変した。一人の青年の勇気ある行動に、群集は驚きの声を洩らして見守っている。彼は衛鞅の傍まで手を挙げたまま、堂々と歩みを進めた。けれども、その表情にはまだ、不安な面影も見て取れたのである。


衛鞅は手を挙げた若者の手を取り、壇上に上げると、官僚に用意させていた百金を皆に見える様に提示した。


「「「おおお…」」」


群集は、叫びなのか、溜め息なのか、分からない様な、雄叫びを挙げた。青年も、実際にその金の塊を目の当たりにして、足がすくんでいる。けれども、もう後には引けなかった。


「この通りお金は用意して在ります。ここに居る皆様が証人と成りましょう。この若者が見事、大木を移動させるところを皆で見守ろうではありませんか?」


そう宣言すると、青年に「覚悟は良いね?大丈夫かい?頑張りなさい!」と言って励ました。青年は、衛鞅の顔を見つめると、無言だが、コクりと頷いた。その表情には、決死の覚悟を滲ませていた。


そんな青年の決意を、その瞳に感じた衛鞅は、微笑みを称えて優しく頷くと、その肩を軽くポンポンと叩いた。そして官僚達には、大木を彼に持たせてやるために、手を貸す様にと命じたのである。


大木は前述の通り8.3mもあるので、丁度その中間を肩に抱えて、バランスを上手く取りながら、進まなければならない。途中で休んだり、大木を取り落してしまえば、そこで失格となる。官僚達は立てていた大木を斜めにしてやり、青年がその中間を担ぎ易い様に、両端を支えてやった。


本人がバランスが取れて、一人で担げれば、いよいよ出発である。盛大な太鼓の連打と共に、その挑戦は始まった。中央広場に居た者達は、青年の歩みを邪魔せぬ様に、そのまま金魚の(フン)の如く、付いて行く。そもそも文官出身者の多い官僚とはいえ、元々は八人掛かりで運んで来た代物である。


青年が只一人で持っているだけでも大した物だが、歩みが進むに連れて、段々とその重さがずっしりと肩に食い込んでいく。彼は時折、顔を酷くしかめながらも、その都度、歯を食い縛って我慢した。


体格に恵まれた大の男でさえも苦しいだろうに、青年は文句一つ言わず、懸命に北門目指して、歩みを進める。まだ寒い最中(さなか)なのに、その眉間からは絶え間なく汗が吹き出て、顔中にダラダラと流れて落ちる。


時折、それが目に入るのか、彼は厭な顔をして、(まぶた)(しばたた)かせる。手で(ぬぐ)いたいところだが、生憎(あいにく)と重い大木を背負っているから適わない。


だからといって、目の前が見えなくなれば、歩みに支障があるし、誰かが代わりに拭ってくれる訳でもない。但し、このままでは目の前が見えなくなるだろうし、下手をすればバランスを崩して、大木を落としてしまうかも知れなかった。


彼は、大木のバランスを崩さない様に、その都度、首を左右に軽く振る事で、この危機をも乗り切った。こんな有り様であるから、既に彼の身体は汗にまみれ、その衣服はグッショリと濡れていた。


そしてその身体中から、湯気の如き白い水蒸気が辺りに漂う。呼吸は乱れ、疲労もだんだんと蓄積して来る。ますます大木は彼の肩にのし掛かる様に食い込んで来る。


だからといって、大木を反対側の肩に乗せ換える事も出来ないのだ。足もだんだんとふらついて来るから、腰を入れて歩かないと、大木を担いでいる右肩側に足を取られかねない。こんな苦境をその都度乗り切り、彼はそれでも挫けなかった。


彼にとっては、文字通り、まさに決死行となったのである。


ところが、この道行きは、それだけでは終わらなかった。こんな時に有り勝ちな話しだが、一行は途中、面白半分に絡んで来た酔っ払いにからかわれ、青年はその顔に酒を掛けられる始末であった。それでも青年は、酔っ払いに構わず、必死に大木を離さぬ様に気を配りながら、歩み続ける。


彼の望みは、病の父に楽をさせてやりたいという、親孝行の気持ちで一杯だったのだ。その孝道の心が彼を守ってくれたのかも知れない。彼は遂に北門に到着して大木を降ろす。


彼と行動を共にし、見守って来た群集達は、やいのやいのと大喜びしている。青年の勇気とその実行力を讃えたのである。


それを、待ち構えていた左庶長府の官僚達が、支える様に受け取り、数人掛かりで北門に無事に立てる事に相成った。青年は見事に役目を果たしたのである。群集の中で見守っていた彼の父親は、涙を流してその結果を眺めていた。


北門の小高い丘の上には、既に衛鞅主従が待機しており、その様子を誇らしげに見守っていた。


それを目に留めた群集は、一斉に大きな声で合唱する。


「「「払え!払え!百金払え!」」」


「「「約束守れ!百金払え!」」」


衛鞅はそんな群集の言葉に応える様に、両の手を前に突き出すと、これを一旦、制する。


いったいどうなるのだろう…群集はそんな気持ちで固唾を飲んで見守っている。約束は守られるのだろうか?皆、今では青年の味方である。誰もが、この結果が報われて欲しいと願っていた。


「皆さん!御安心なさい…私は約束は守ります!否、この衛鞅は勿論の事、我々、左庶長府の役人は、皆さんを失望させは致しません。これは今後、私達が必ず約束を守るという証なのです!」


彼はそう言うと、再び百金の収まっているお盆を官僚に持って来させて、その上に被せてあった目隠しの布を取り払った。盆の上ではキンキラキンの百金が見事に列を為して、その時を待っている。


青年はその疲労から、なかなか立てずにうずくまっていたが、景監と車英に両肩を支えられながら、ようやく衛鞅の前まで進み出た。その顔には、汗で出来た白い(まだら)の結晶が浮かんでいた。


「良く頑張った!君の父上も貴方が誇らしい事だろう…」


そう言って、跪いている青年の前でしゃがみ込むと、彼の両肩を抱える様に優しく抱き締めた。そして、再び彼の両肩を軽くポンポンと叩いて、その健闘を称えた。


衛鞅は青年と向かいあったまま、右手を差し出すと、百金の乗ったお盆を手に取り、「ほら♪これが君の努力の報酬なのだ!受け取りたまえ♪」と言って、青年の手許に両手を添えて差し出してやった。


彼は急に感極まったのか、その両の瞼には大粒の涙を湛えている。そして彼は謙虚にもそれを辞す様にこう応えたのである。


「私は自分がこれだけの事を成し遂げられるとは想ってもみませんでした。ただ必死だったのです!父に楽をさせてやりたかった…それだけです!だから褒美は始めの十金で構いません!私にはそれが相応しいのです…」


彼も今更ながらに、自分のやり遂げた事が畏れ多い事だと感じていたのかも知れない。百金を目の前にして、その価値に尻込みしてしまったのだろう。


しかしながら、衛鞅は被りを振って、再び若者を優しい瞳で見つめると、こう伝えたのだ。


「君は私が提示した規範を最後まで遵守して、反則を行わず、定められた条件の許、見事にその任務を全うしたのだから、これを受け取る権利があるのだ!恥じる事は何もない!堂々とこの百金を受け取りたまえ♪そしてこのお金で、お父さんの病を癒してやりなさい。この価値を受けるに、(なんじ)は相応しき(おとこ)なのだ!」


衛鞅はそう熱く語ると、再度お盆に両の手を添えて、差し出した。青年は大粒の涙を流しながら、これを受け取る。


辺りからは、自然と大きな拍手が巻き起こる。集まっていた群集が口々に、彼を讃える言葉を投げ掛けていた。そして約束を守った衛鞅という新しい為政者に対しても、讃える言葉が見受けられた。


青年とその父親は、涙を互いに流しながら抱き合っている。衛鞅はそんな彼らを優しい笑みを称えながら見つめていた。


この噂は、通信手段の乏しかったこの時代には珍しく、秦国全土に飛び火する様に拡がった。民の口コミの噂話は、旅人や商人などを経て、じわじわと拡がったのだと言うべきかも知れない。


衛鞅達の改革の種火は、こうして少しずつではあるが、前進する事と成ったので在る。

【後書き】


皆様、御愛読有難うございます。


これにて西夏国奇譚商君篇は第一部を完了する事になります。


また改めて必ず第二部を書きますが、しばらく構想期間を頂戴して、再びお会いしたいと想っています。


第二部は衛鞅が改革を進める中で、様々な苦悩を抱えながら、その都度決断を余儀なくされる心情の変化に御期待頂きたく思います。


そして秦初や関靖たちの匈奴への道行き篇もそれに交差して、再び衛鞅たちにも影響を与えて行く事に成るのです。


当初は匈奴篇を書いてから、第一部完了とするつもりでした。しかしながら『大木と百金の逸話』の四部作が筆者が考えている以上のまとまりを見た事で、ここで一旦、引き上げる事を決断しました。


しばらく韓信篇やこの商君篇に心血を注いで来たために、他の作品が停滞している事も理由の一つではありますが…。


それだけこの二作品に賭ける想いは半端な気持ちでは無かったのだと思います。


また良質な作品を目指して頑張りたいと思います。まだまだ稚拙な点も多々在りますが、今後とも宜しくお願いします。


私はこの作品を愛し、また大切に思っていますので、少し構想期間を下さいね♪


また第二部で是非お会い致しましょう。


第一部の御愛読有難うございました。



著者 ユリウス・ケイ

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