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新法発布【後篇】~国恥~

皆、当時者である筈の甘龍が、怒りもせずに、冷静であり、そして一喝する事でその意図する姿勢を示したのだと感じていたのだろう。皆、ひとまずは落ち着きを取り戻した様だった。




実際のところを明かせば、甘龍自身でさえ、始めて内々にこの人事を耳にした時には、顔を(ゆが)めた。それは甘龍だけでは無い。


杜摯は周りに(はばか)る事なく、厚顔無恥にも渠梁の前で文句を垂れて、甘龍に(たしな)められたし、あの嬴虔でさえ、似た様なものであった。


「この私に太子の相手をして過ごせと言うか!」


そう豪語した。しかしながら、これも甘龍の機転により、収めたのである。


「大傅と言えば、周の定めた三公に当たるのです。大いに名誉な事ではありませんか?」


彼はそう述べただけであったが、これにより嬴虔は矛先を収めた事になる。そして渠梁がこれを捕促して兄を(なだ)めた。


「大将軍職は元々、大戦の際の臨時職の色合いが濃い。今後は法令上で正式にそう定める。だから、誰かがその任を拝命する訳では無く、今後国家危急存亡の折りには、兄・嬴虔を再びその職に任命する事すら(やぶさ)かでないのだ。よって心配するには及ばない…」


勿論、渠梁自身もこの時点での本音であった。こうして大将軍を解かれた嬴虔の、兵の一部は上将軍に昇格を果たした子巌の収める兵として、増員される事となったのである。


子巌は嬴虔が可愛がっている小飼いの将軍であるから、その移向も津々がなく行われる事になったのであった。甘龍自身も今は静観が大事と自らを戒め、今日の日を迎えたのである。




甘龍の一喝で事無きを得た黒龍は彼に軽く会釈して謝意を示した。その上で、人事書簡を主君に返すと、嬴虔に役目を引き継ぐ。


あうんの呼吸で再び場を眺めた嬴虔は、彼の務めの総仕上げを行った。


「これで人事は全て定まった。最後に改革の詳細を左庶長の衛鞅殿に御説明願う事にする。では左庶長・衛鞅、登壇し説明をお願いする!」


衛鞅はここまでの所で、人事異動までは無事に漕ぎ着けたので、安堵していた。それは渠梁にしても同じ想いであった。


「皆様、御主君よりの御下命に基づき、この度、我が秦国で施行致します、改革の骨子について発表させて頂きます!」


衛鞅は高らかにそう宣言すると、皆を一瞥(いちべつ)した後にゆっくりと話し始めた。


「改革の概要は主に、行政改革と軍政改革の二つです。そしてそれを改革の目的として大まかに分類すると次の四つに集約されます…」


「…ひとつ、国を豊かにするための農業促進と報酬制度…」


「…ふたつ、軍隊を強化するための軍事施策と報酬制度…」


「…みっつ、統治制度の形成と社会規範の見直し…」


「…よっつ、世俗の風習を正し、先進国家の風俗に改める事…」


「…私が御主君と話し合い、改革の骨子と定めたのはこの四点に集約されます。この改革は一朝一夕で成し遂げられる物では在りません。まずこの四つの指針に集約される問題を解決し、浸透させます…」


「…それが定着して来た暁には、第二次変法として、次に導入する施策の展開も既に考えてありますが、まずは改革の端緒としてはこの四項目を秦国国民に浸透させる事から始めます…」


「…富国強兵を叶える為には、この改革案に沿って進むしか道が無く、それは一朝一夕には適わず、この改革案の効果を信じて、諦めずに粘り強く、押し進める事が肝要となります!…」


「…詳しくは皆様にお配りした書簡を御覧下さい。同じ内容の物が、公表される新法の内容と成ります。今後はこの新法が社会規範の要と成りますゆえ、努々疎かにする事の無き様にお願い致します…」


「…何か御質問が在れば誠心誠意お答えします!それは今に限らず、いつでも仰有って下さって結構です!」


「では御言葉に甘えて、ひとつだけ…四つの項目を少し具体的に説明して頂けますか?後で精査したいのです。」


公孫賈(こうそんが)であった。彼は今まで渠梁の尚書であったが、今回の人事刷新の中で形式上は異例の出世を遂げながら、政治中枢からは蚊帳の外に追い遣られている。衛鞅はフッと微笑むと頷く。


「宜しいですとも!では成るべく簡潔にお話し致しましょう♪」


「恐れ入ります…」


彼はあくまで控え目にされど抜け目無く、結局説明を(うなが)す事に成功している。目立たないが厄介な(やから)である。


「まず一つ目の国を豊かにするための施策ですが、これは農業政策に重点を置く事です。我が秦は農地が未だに少な過ぎ、尚且つ、土地が痩せております。そのため国を挙げての農政を奨励し、民には農業に従事して頂きます…」


「…これはどうしても二つ目の項目にも関連して来ますが、今後、我が国が民に求めるのは、国を豊かにするための農業従事者か、国を強くするための志願兵か…という事に必然的になるでしょうね…」


「…さて農業を奨励し促進させるためには、民に一定の基準に基づき、農地を貸し与え、その中から定められた税を収めさせなければなりません…」


「…この場合、基準の根拠が【戸籍登録】であり、【所有地の付与】を経た上での【税の義務】という事になりましょう…」


「…これに競争意識としての【賦役免除】を報酬政策として加味します。他人より多くの生産性を上げる者に対する特別手当ての様な物だと考えて頂いて結構です♪これが一つ目の狙いと成ります…」


「…無論この場合の税とは現物の国庫への納入という事になるのは御承知の通りです!一つ目の説明はこれで宜しいですね?」


「いやぁ~詳しくて良く解り申した。」


公孫賈は納得という顔をした。


「次に二つ目の軍隊を強化するための施策としては大きく分けて二つの柱を掲げています。それは志願制度と信賞必罰の明確化です…」


「…先程、一つ目の説明で話しましたからお分かりでしょうが、民に国が求める内の一つが志願兵です!国は徴兵制度という強権を発動する事で、今まで兵力を確保して来ましたが、志願兵を募る事で、平時から訓練や教練を行う事が出来るため、戦闘集団としての習熟度が格段に違って来るでしょう…」


「…これはいわゆる職業軍人としての試みであります。兵に志願する者には優遇措置を設けて、税の免除を行うなど、報酬制度を絡めれば、志願する者も増えるでしょう…」


「…それに軍功に応じて報酬制度も在りますから、功績を挙げれば挙げる程にやり甲斐にも繋がるでしょう。その代わり厳格な罰則も在りますので信賞必罰は(おの)ずと徹底されましょう…」


「…報酬制度としては金品や土地の贈与、そして爵位の下賜(かし)を明文化します。予めその条件が理解出来れば、目的意識も自ずと上がりますからね!この項目の狙いはそこに在ります!宜しいですか?」


「成る程、成る程…これは巧く出来ておりますな♪」


公孫賈も尚書だったのだから、理解力には秀でていた。然も納得と言わんばかりに頷いている。


「因みにこの二つは切り離す事が出来ない表裏一体の様なものです。農業生産力が上がれば、石高が上がり、使える兵糧も増えますし、軍事資金も増えますから、装備品も整えられます!新しい兵器開発さえ可能と成る筈ですね!」


「そして三つ目の統治制度の形成化と社会規範の見直しとは、一言で表現するとすれば法の明文化でしょうね…誰に対しても平等に、その法に照らし合わせて賞罰を決める。当たり前の事ですが、好き嫌いで判断する余地は無くなります…」


「…そしてその行いが賞罰に照らし合わせるとどう判断されるのかさえ、予め判る訳ですから、罪を犯そうとする者の未然防止の歯止めにもなる訳です。秦国国民には、(すべか)らく賞される行いを奨励し、罰に該当する様な振る舞いは慎んで頂く…」


「…そのための制度が【戸籍登録】【連帯責任】【相互監視】【密告奨励】【連座】【成人独立義務化】等により明文化されていますから、詳細は各自で御確認下さい!」


「判りました…かなり綿密な内容ですね!熟読させて頂きますよ♪」


「最後に四つ目です。世俗の風習を正し、先進国家の風俗に改める事!まぁ端的に申しますが、今の中華の先進的世俗文化を定着させたのは、皆さん御存じの通り、大周国です!…」


「…周が天下を担う際には、その皇族から冊封された者たちが各地に根差しました。それが斉であり、魏・趙・韓の三晋であり、燕です!彼らの根っ子は元々は周の皇族ですから同族ですね♪…」


「…つまり現在の主流の世俗は彼らがこの時代に作り上げた規範が源に在りますので、彼らに追いつき、追い越すためには、我々もその世俗に従い、その規範を身につけた上で、初めて彼らと対等に渡り合えますし、相互理解も出来るというものです…」


「…相手に(おもね)るのが、お嫌ですか?だとしてもこうお考え下さい。あの有名な孫武の兵法書は、皆さんも御存知でしょう。そこにこう記されています。相手を知り、己を知れば百戦危うからずとね!…」


「…中華の主流の世俗を取り入れ、対等に付き合い、対等に闘い、結果相手を凌駕し、我々こそが主流と成った暁には、我々がその経過の中で昇華させた世俗こそが、この中華の世俗となる日が必ず来ます!そう考えれば、現在主流の世俗に迎合するのは、けして悪い事では無いのですよ!…」


「…私が秦国内の各地を廻った時に感じた印象では、秦は西の果てから興った西戎(せいじゅう)としての野蛮な風習がまだ到る所に残っています…」


「…例えば、言葉に出すのも(はばか)られる事ですが、一人の妻を複数の夫が共有するなど、中原(ちゅうげん)諸国から観れば、野蛮の最たるものです。そういった行為は改めさせねば成りません…」


「…我が秦国が西戎で在った事を恥じる事はありません。なぜならば、周だって元を質せば、同じ西戎の出身だからです!つまりは周に出来て、秦に出来ぬ事は無いのです!悪しき行為は改める…気がつき改める事こそが大切な事では在りませんか?」


もはや公孫賈は勿論の事、この場の全ての者が衛鞅の話しに聞き入っていた。彼の話しにはその根拠と説得力が在ったのである。


「これで私は御質問の四つの指針に対する具体的な説明を致しました。後は新法の発布をした後にこれらを浸透させて行くのが、我々の務めです!それでは、私からはこの辺で…」


衛鞅は主君である嬴渠梁を振り返ると、両手を合わせて拝手(はいしゅ)した。それを受けて渠梁は立ち上がると、皆を見渡す様に眺めた。


「どうだ!皆、納得がいったで在ろう♪今後はこの新法が秦国の規範と成るから、皆も一致協力体制で宜しく頼む!くれぐれも自分が規範の外に居るなどと思うまいぞ!この私ですらその法には縛られる存在なのだからな…」


「…これも全ては富国強兵のためであり、我が国が長い間、受けてきた恥辱を注ぐためでも在る…」


渠梁は深い溜め息を吐いた後に、黒龍を振り向いて、指示を下した。


「黒龍…頼む…」


黒龍はその足で直ぐに、入口の傍まで辿り着くや、あの記念碑(モニュメント)の白い幔幕を外した…。


そこには綺麗に磨きを掛けられた長円形の大きな石が鎮座している。そしてその石の表面に深く彫り抜かれた文字を目の当たりにした者は皆、我が事の様に(いきどお)り、慄然(りつぜん)とした。


そこには彫り抜かれた上で、文字を黒く塗り込んだ二つの文字がくっきりとそしてはっきりと浮かび上がって見える。


国恥(こくち)


そう彫られていたのだった。渠梁は唖然とその文字に目を奪われている皆を尻目に、戒めの石碑の傍に歩みを進める。


端と気がつき、衛鞅はまるでそんな渠梁の歩みに惹き付けられたかの如く、後を追う。やがてその他の者たちも同じ様に石碑の傍に集まった。そこで皆、膝を付いて主君を見つめている。


渠梁は静かに、そして腹の底から嗚咽(おえつ)を漏らす様に、その言葉を(ひね)り出す。


「私は長い間、この秦の現状を憂いて来た。苦しむ民…低下する国力…他国に侮られ土地を奪われ、先行きの見えない将来に…。これこそ正に【国の恥辱】即ち【国恥】である…」


「…私がこの戒めの石碑を彫らせた意味は、その恥辱を忘れぬ為だ。そしてその気持ちを皆にも共有して貰いたかったのだ!私は心に誓いを立てた。必ずこの恥辱を晴らし、富国強兵を成し遂げて、我が秦国と民が受けて来た苦しみの連鎖を断つと!…」


「…私は皆の居る今、改めてこの戒めの石碑の前で固く誓おう!天地神明に誓ってこの国恥を晴らすと!…」


「私も誓います!」


衛鞅も言い切る。


「「「「私も!私も!私も!」」」」


同じ気持ちを胸に秘め、皆が口々にそう叫び出す。そして渠梁が誓いの言葉と共に石碑に(ひざまず)叩頭(こうとう)するのに(あわ)せる様に、彼らも一斉に跪き叩頭した。


皆の気持ちがひとつになった瞬間で在った。

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