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旅立ち

秦初と魯粛は青龍を信じて(いおり)に連れて帰った。無論の事、平静を装いながらも、人に観られぬ様に注意しながら戻って来る。青龍は囲炉裏の側で火にあたりながら待たされ、魯粛はとっとと旅支度に興じている。


一方の秦初は旅の前に(うまや)に入って汗血馬に飼い葉をつけている。管仲と孫武は秦初に人参(ニンジン)を餌付けされて嬉しそうにヒヒ~ンと鳴く。しばらく出番が無かったのだから、彼らも嬉しそうだ。


彼はその側で寝転がって寝藁(ねわら)に擦り擦りしながら、眠そうな牝馬の褒姒(ほうじ)に声を掛けた。


褒姒(ほう)ちゃん起きなさい♪出番ですよ~♪大好きな人参(ニンジン)たんとあげるからね♪」


その言葉で、ピクリと耳を立てた褒姒はノッソリと立ち上がり、こちらに可愛い瞳でニコニコしながら、口を出した。そこに人参を差し出すと、嬉しそうに咥えて、ポリポリ噛みながら、喉を鳴らす。


秦初は三本ほど人参をやると優しくその(たてがみ)を撫でてやった。褒姒は何となく、その意味を感じ取ったのか喜んでいる様に見えた。彼女にとって旅は久し振りの事なのだ。


大抵の場合は、兄の孫武だけが出掛けて行き、自分の出番は訪れなかったからである。秦初も彼女が自分の使命を自覚したと感じたようだ。三頭に、「頼むぞ!」と声を掛けると、いったん母屋に戻って行った。


魯粛はさすがに手早く、既に準備は万端である。しかしながら、秦初は夕方まで待つように念を押した。余り昼日中(ひるひなか)から目立つのは不味い。魯粛は何の問題も無いが、連れ歩くのは青龍である。


甘龍の息が掛かった守備範囲の中で、余り堂々と動く事は危険である。関係者に偶然、見咎められないとは言えないからだった。秦初は青龍に固く約束した。必ず故郷に帰してやると…。


喩え相手が誰だろうと、彼は一旦、約束した事は履行する。男同士の約束だ。反古には出来なかった。その為には、危険は成るべく避けて、用心するに十分過ぎる事は無い。


彼らは一旦、取れ立ての魚を調理して食べる事に成った。せっかく取ってきた魚だ。捨ててしまう訳にもいかない。食材となった以上、ちゃんと責任を以て、食べてやらないとその命に申し訳が立たない。昼げついでに腹ごなしにもなる。


魚は焼いて食うだけ。煮込んで食うだけ。そういう習慣しか無かった青龍にとって、魯粛の作る(まかな)いはとても新鮮だった。彼の調理は焼き魚でも、煮込み汁の場合でも手間が掛かっていて、とても美味であったからだ。


それに始めて食べる(コメ)という食い物にも関心を惹かれた。甘龍様でもこんな旨い飯は食べていないだろう…。柔らかく炊いてあるせいか歯応えは残っているし口当たりも良い。麦や(ひえ)等とは訳が違う。


彼はそれこそ夢中になって食べている。まさかこんな機会が訪れようとは想いもしなかった。彼は始めて、魯粛という男が、多彩な才能の持ち主だと気がついたようだ。


彼はその時に内心、彼らに降伏して良かったと想っていた。青龍は既に反省を示しているのだから、この際彼がどう想おうが、もはや彼らは気にしないと言うだろうが、やはりそれでもそんな事を唐突に聞いたなら、誤解を受けかねないと想い、口に出しはしなかった。


昼げも済んで、腹も満たされると秦初は二人に策を授けた。函谷関までは、夕暮れの暗がりを頼んで進み、人目を避ける事。そして函谷関は暮れと共に閉じるのだから、そのギリギリの時刻にそこを抜ける事。


そして旅券は恐らく見せないで済むだろうが、念のためにと青龍には渡した。それは明らかに偽造された新しい身分であった。彼が青龍として関を抜ける為には、主人の甘龍の裏書きがいる。


それは無理な事だし、なるべく国外に脱出している事を悟られたくは無い。鯔のつまりは、新しい身分と名前で脱出した方が都合が良かったのである。


偽造と言っても、西夏国の技術力は馬鹿に出来ない。人ひとりを造り出す事など雑作も無かった。実際、青龍が暗殺した人の中で、何人かは行方不明扱いに成っていた者もいたから、その中で裏書きのいらない人を見繕う事からそれは始まっている。


そして子規の三男、秦初の客人という扱いにしてしまえば、全く問題無かったのである。魯粛の方は、あくまで宿屋の主人であるから、余り国外に出るのは頂けない。


そこでやむを得ず、秦国を出国する場合には、必ず子規の家宰である何充(かじゅう)の名前を借りていた。これは予め、子規や当人の何充には断りを入れてあるから、問題無い。


何充はそもそも家宰であるから、子規本人が出国しない限りは国を出る事は絶対に無いので、名前貸しなど問題が無かったのだ。但し、何充は秦初や魯粛が西夏国人だとは知らない。主人に言われて承諾しているに過ぎなかった。


こうして夕暮れ時になると、秦初と似非(エセ)何充、似非(エセ)の客人の三人は、それぞれ管仲、孫武、褒姒に跨がり(いおり)を出発した。三頭は汗血馬だから、足が速い。


街中こそ用心して進んだが、街を抜け、街道に出るや、目も当てられぬ程の高速で一路、函谷関を目指す。擂り鉢状の底を抜けるのも、今回は雪も降らず、生粋の汗血馬だけの道中なので、速い速い。


予定通りに函谷関の閉門前には、関に辿り着いてしまった。青龍は馬の尋常成らざる躍動とその速さに度肝を抜かれている。世の中にこんな凄い馬が居ようとは思っていなかったらしい。


改めてこの二人の得体の知れない様子に畏怖を感じていた。いったい何者なのだろうと…。秦初と名乗る魯匠の主人は匈奴に圧力を掛ける為にわざわざ付いて来ると言っていた。


『あの凄まじい力で、我ら粛慎が圧倒された匈奴に圧力を掛けるだと?』


青龍はそれすらも考えが及ばない。しかしながら、自分が圧倒されたこの二人である。それに体感した者だけが知る彼らの凄さは、あの匈奴の男たちの力さえ悠々と圧倒していたのである。


だからあの匈奴に圧力を掛けても不思議は無かった。但し、戦争を仕掛ける場合に数の論理は絶対である。特に砂漠での戦は、馬対馬の同程度の武装で在れば、平地戦ににおける数の論理と同等である。


数が多い方が圧倒的に勝つ。それをこの二人はどうするつもりなのだろうか?まさか二人で立ち向かうとはさすがに思わないが、だとすると仲間が大勢居るのだろうかとふとそんな事を青龍は想っていた。


するとその時に成って、おもむろに秦初が念を押す様に尋ねて来た。


「青龍よ!この関を越えれば、もう後戻りは出来ん!覚悟は良いのだな?」


「無論です!私は残念ながら、もはや未練は御座いません…よくよく考えてみれば、甘龍様には十分過ぎる程の恩は返していますから、私が喩え出奔したとしても、もう追手は差し向けますまい…そんな未練がましい事をするのは、赤龍だけでしょう…奴は私といういびる対象が居なくなると、寂しいでしょうからね!」


「それならば良い…では行くぞ!二人とも我に続け!」


秦初はそういうと、馬を降りて、列に並ぶ。二人もそれに倣った。さすがに閉門前だから、そんなに大仰な列では無いので順番は直ぐに回って来る。


「お前は…」


秦初は偶然の出会いに驚いてしまった。監督官は臨済(りんぜい)である。過去の話を御笑覧あれ!『憧れと焦燥』『矜持と誓い』

彼は魯粛が趙良に絡まれた時に鍛えてやっていた黄金騎士団の若手のひとりである。そうなのだ!黄金兵は函谷関にも紛れ混んでいるのである。


「お出掛けですか?」


「あぁ…ちとこの客人を送る次いでに匈奴を懲らしめる事に成った。お前もそのつもりで待機していてくれると助かる…」


「え…ええっΣ(Д゜;/)/真面目に言ってます?」


「大いに真面目だ!なぁ?」


秦初は魯粛に声を掛ける。魯粛は両手を広げる様にして『やむ無し!』と伝える。


『Σ(-ω-;)…マジですか…魯粛副隊長までその気とは??趙良隊長が知ったら仰け反りそうな事案だな…こりゃあ…』


臨済は絶句した。彼は今、趙良が居ない事を知っている。別件で今朝ほど出掛けたのを観ていたからだった。が!太子様は口に出した事は履行される方なので頷くほか無い。


「承知しました…備えておきましょう!」


彼はそう言って送り出すほか無かった。無論、旅券など顔パスで通す…否、立場上そうもいかないので、確認する振りだけに(とど)めた。どうせ魯粛副隊長は顔で分かるし、目的はこの客人を逃がす事だろう。


「行ってよし!」


彼らはその言葉に後押しされる様に飛び出して行く。顛末を観ていた青龍は、この秦初という男の仲間が至る所に潜んでいるのだと、末恐ろしく感じながら、それを眺めていた。


彼は早々と降伏して、彼らを敵に回す事を避けられた自分を幸運な男とさえ思い始めていたのである。


『世の中には上には上がいる…井の中の(かわず)とはまさにこの事だな!』


青龍は横で並走する秦初と魯粛を交互に観やると、底冷えを感じさせるような戦慄を覚えずにはいられなかった。彼ら三人の旅はまだ始まったばかりである。

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