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事の顛末

「やれやれ…とんだ大物が釣れてしまったね!」


青龍の膝下に立つと、秦初は大きな溜め息を漏らしながらそう呟いた。


彼はその男の身許を知らなかったが、いみじくも魯粛の口から漏れ出た名前に見覚えが在ったので、彼が既に甘龍の家宰のひとりで、恐ろしい男である事は自覚していた。


背の高い長髪の麗人…青龍はその居るのかどうかさえ疑っていた男を今正に目の前にしており、その存在が事実であった事を自覚せざるを得なかった。黄金の耳飾りが、その存在を彼に強く印象付けていた。


『やはり噂は本当で在ったのだ…しかも魯匠と知り合いであったとはな!驚いた…しかも何て恐ろしい程の強さだ!今、目の前に立たれてその尋常では無い力の源を感じる。身体から(ほとばし)る闘気が圧力となって、ひしひしと感じられるなんてどんだけの能力なのか最早(もはや)、理解が及ばぬ…』


彼は自分の身体の中から、一気に闘争心が萎えていくのを感じていた。こいつには敵わない…彼の本能がそう感じていたのである。そして彼はこうも想った。魯匠も同じくらいに似た様な化け物なのだと…!


「判った!無駄な抵抗はせぬ…殺せ!!」


青龍は死を覚悟した。魯匠の言葉を彼はそう受け取ったからである。魯匠はこう言った。


『青龍…運が悪かったな!悪いが諦めてくれ…』と!


ところが予想外の言葉が、長髪の麗人からは説き放たれたのである。


「いや…殺しはしないさ!我々はそんな野蛮な事はせぬよ♪まぁ、交戦中なら容赦はしないがね…今は状況が違う♪それに観ろ!この優雅な景色を…」


「…緑が生い茂り、その森の木々の狭間からは木漏れ陽が射し込んでいる。眩しいくらいにね!渭水からは河のせせらぎを感じるだろう?空気は澄んでいて、とても気持ちが良い!ちと寒いがね…まぁそれも自然の営みのうちだろうよ…」


「…そんなところで人殺しなんてな、この大地に失礼極まる事だ!それに今はこの秦国にとっては、新たなる旅立ちの時だ!命の尊さを大切に想う君主様の事を想えば、そんな気持ちを無駄にし、逆撫でする行為はけして出来ないね…」


秦初は切々と説く。想わず青龍は反射的に辺りを眺める。確かに彼の言う通り、周りの景色は雄大で美しい。青龍はそう感じた瞬間に驚きを禁じ得なかった。まさか自分が自然の恵みに対して、そんな気持ちになるとは…いったい何年振りの事であろう。


彼は恩義の為とはいえ、殺しを行い過ぎていた。そのせいで彼の心は段々と荒んで行き、自然と共に育った自分の背景をいつの間にか忘れてしまっていた事に気づかされたのだった。


彼は想わす、この男の表情を見返した。優しい顔つきで、その目は慈愛に満ちている様に感じられた。彼も昔はそんな目をして居た事が在ったのだろう…しかしながら彼の目は既に曇り、死んだ魚の目をしているのだろう。彼はそう自覚させられたのである。


こんなやる瀬の無い事はなかった。だが、それが真実であり、事実なのだ。彼は想わず唸った。


「俺を殺さないと後々面倒な事になるぜ!今、この場で殺す事だ。ここで(とど)めを刺さないと、きっと後悔する事になるぞ!」


そんな青龍の捨て台詞にも似た叫びも、目の前の男には通じないようだった。彼は至ってのんびりと、相変わらず優しげな瞳で青龍を見下ろしている。


「我が主人(あるじ)、秦初様はそんな事は為さらないさ!御主君は常に慈愛に満ち、お節介と言われようとも、困っている者に手を差し伸べなければ、おられぬ性格だからな!」


魯粛だった。青龍は想わず彼を振り返り、その瞳を見た。魯粛も、青龍の動きを封じながらも、然も本意では無いといった具合に、優しげな表情でこちらを見ていた。青龍は再び秦初を振り返った。


「判っただろう?お前を殺す様な悪意はここには存在せぬのだ。この大地の自然もお前を亡き者にはしないだろうし、我々にもその気は無い!どうやらお前は荒んだ心に抗えなかったようだな!派手に人を殺し過ぎたせいか、その心が淀んでしまっている…」


「…だがお前に直接会って気づいた事もある。お前は元々は勇敢なる戦士で、心持ちも真っ直ぐな男だったのだろう。聴いているぞ…奴隷として長年の間、苦しみ、やっと解放された先でも殺しをさせられていたのだろう?たしかに当初はお前も積極的に関わったのだろうが、今は後悔している、違うかね?」


秦初は淡々とそう言葉にする。そうする事で彼に考える時間を与えているのである。秦初は人殺しを助けたいのでは無い。しかしながら、彼が恩着せがましく暗殺を請け負い、強制されていた事も事実なのだから、反省と後悔の念を自覚させたかったのである。


『何も殺す事だけが幕引きでは無い。反省と後悔の念を受け止めたまま、彼がやり直す気があるのならば、別の地で(つぐな)いをさせる機会を与えても良いのではないだろうか?』


そう想っていたのである。魯粛も主君の考えは既に判っている。彼にしてみれば危うい判断とはいえ、この自分になついていた青龍という友に情けを掛けたい気持ちが無かったとは言えない。だから、主君の判断に感謝していた。


『こいつら…阿呆なのか馬鹿なのか…お人好しが過ぎるな!俺がその立場ならば遠慮なく殺しているだろうに…この俺の身を按じてくれるとは…どんだけ器が大きいのだろう、負けた!こいつらには闘う力も及ばなければ、懐の広さでも敵わない…とどのつまりは俺の完敗という事に為ろう…』


青龍は負けた事を悟ったにも拘わらず、久し振りに清々しいくらいに素直になれた自分を自覚して(わら)った。


彼が突然大仰に嗤い出したので、秦初も魯粛もびっくりした様に、彼を見つめている。彼はそれに気がついて、『失礼…!』と陳謝した。


「魯匠!そろそろ腕を緩めてくれないか?さすがに痛い…もう逃げも隠れもせんし、卑怯な真似はせぬ。お前の主君の気持ちはよ~く判った。私は確かに後悔している。そしてこの身がちぎられる様に、自分を罰したい気持ちで一杯なのだ…だからこの身の処分の仕方はあなた方に委ねよう。それで良いか?」


青龍のこの言葉に秦初は深々と相槌を打った。そして優しげな瞳で彼の懺悔の言葉を受け止めた。


「おい!魯粛、その男の拘束を外してやれ!もう大丈夫だろう…」


魯粛は若君のその言葉を待っていた様に、その縛りを解いた。彼には少し前から、青龍の戦意喪失と後悔の念はひしひしと伝わり、感じていた。身体を接触しているのだから、その心臓の鼓動の僅かな変化も切々と感じ取れていたからだった。


拘束を解かれた青龍は痛そうに腕を擦っている。そしてやっと腕が回る様になると、膝を畳む様に正座して、そのまま頭を地に擦り着ける様に、二人に対して叩頭(こうとう)した。


「私の裁きは全て貴殿方に委ねます。私も正直、もう殺しには辟易(うんざり)しておりました。貴殿方は天が私に使わした使徒なのでしょう。この身は既に枯れ果て、死んだも同然です。貴殿方が私を殺さないというので在れば、その判断を甘んじて受け入れましょう。どうかこの私に道をお示し下さい。いかようにも致しましょうぞ…」


青龍は観念した様にそう呟いた。彼の心底から悔いた本音であったと謂えよう。


「何もせんし、何も言う事はない。私は正直、今でも貴方の行為そのものには怒りを覚えている。しかしだ!貴方の境遇にも同情を禁じ得ない。成るべくしてなった…そう想えてならないのだ!今の貴方がそれを悔いているのも判っている…」


「…だから、これは提案だが、秦国を離れて故郷に帰ってはどうか?匈奴族の奴らも少し()に乗り過ぎているからな…」


「…こちらで少し、圧力を掛けてやろう♪さすれば粛慎(しゅくしん)族にもしばらくちょっかいは掛けぬ事だろう…貴方は仲間の粛慎を抑え込み、平和に暮らせる様に奔走したまえ!それが貴方の当面の仕事だ…」


「…そしてゆくゆくは安易に戦争を起こさず、死人を出さない国の在り方を考えたまえ!それが成せれば、これまで無為に死んでいった者の供養にも成る事だろう…毎日その事を思い出して、逸脱した行為は二度とせぬようにな…」


秦初はそう答えた。彼にとってはこれが精一杯の引き際であり、贈る言葉だった。


『これで果たして答えになるのだろうか…?』


彼はそう考えなくも無かったが、それ以上は言わなかった。そして魯粛にこう命じた。


「これから直ぐに彼の身柄を移送せよ!アムール川の流れる地まで彼を無事に送り届けるのだ!」と!


魯粛はキョトンとした顔でこう述べた。


「御主君!それは駄目です♪貴方には私が付いていると趙良に約束したのですぞ!どうしてもと仰有るのなら、貴方も一緒に来て下さい!そもそも匈奴に圧力を掛けるのでしたら、貴方が絶対不可欠ですぞ!!」


「確かに…」


秦初はそう苦笑した。ひょんな事から、彼らは趙良が留守なのを良い事に大冒険に旅立つ事になってしまったので在る。


それはいみじくも、衛鞅が左庶長に叙任される前日の事であった。皆、彼がこんな状況に陥り、北の果てまで行脚する事になった事は未だ知らない。趙良が知ったらどんなに驚く事か…魯粛はヒヤヒヤながらも、人肌拭ぐ気持ちに既になっていた。


秦初にとっても青天の霹靂であった。自分の情けや言葉が引き起こした事とはいえ、さすがの彼も驚きを禁じ得なかった。


こうして秦初と魯粛、そして青龍は旅人と成ったのである。

【訂正】


誤字報告あり


清々しあくらい→清々しいくらい

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