道は切り開くもの
「秦初というのは面白い男で在ったな♪」
帰りの馬車に揺られながら、渠梁はそう呟いた。景監も黒龍も同意する様にコクりと頷く。彼らも子規邸でいみじくも子規の分析を聴いていたので、噂通りの男だったと図らずも感じていた。
特に黒龍は元々幼少期の秦初を間近に観ていたのだから、『ご立派になられた』と感慨無量であった。しかしながら、その黒龍でさえも秦初がなぜ秦国に仕える事が叶わないのかは未だ判らないのである。
あれだけの人物なのだから、秦国に仕えてくれればきっと役に立って下さるに違いない。彼は昨日今日と二日に渡って、接してきた秦初からそう感じ取っていた。
『それにしてもよく我が君が誘いを掛けなかったものだ…いつもの我が君ならば、配下に欲しがっても不思議ではなかった筈…なぜなのだろう?』
黒龍はそんな事を考えながらも、口には出せないでいた。
「しかし…子規と言い、子巌と言い、秦初と言い、子家の者たちは相変わらず秦国の為に尽くしてくれる。父上があの子規を大切になさっていた気持ちが、今日よく判った気がした。」
渠梁は感慨深げにそう語った。
「子規様は、元々霊公様の御兄弟の御子息…先代様にとっては従兄弟に当たります。そして我が君にとっては叔父君に当たられ、本来で在れば嬴氏一族に当たるのでしょう?私には何か子規様のお気持ちが判る気がします♪」
景監はそう呟く。渠梁も黒龍もそんな景監を微笑ましく観ている。彼が自らの頭で考え、自分の確固足る意見として、堂々と口にするのは珍しかったからである。
「そうだな…子規様は嬴氏を割って子家を興された時に、嬴氏とは決別し、その身を処して、貴族の身分に降格された御方だ!そしてそうしなければ、父上の親政を輔佐出来ぬと感じていたのだろう。あれだけの才能の在る御方だ…父上の脅威に成ってしまっては、助力出来ぬとの英邁な御判断であったのだろうな…」
「そうですな…我が君の仰有る通りかと!」
黒龍も渠梁の考えに同意を示した。
「時に我が君!あの方…秦初様をお気に入りに成られたのなら、なぜ誘いを掛けなかったのですか?黒龍はそこが不思議で成らなかったのですが?」
「私も当初はそう思っていましたが、秦初様から感じた雰囲気では、端からそういう気持ちは無さそうに感じましたが?」
景監も再び自分の意見を口にする。黒龍もその場に居たのだから、秦初の発言は聴いていたので、そう言われればそうかも知れないと感じていた。
彼はその時には車英の件を優先させる為の方便だと思っていたのだが、改めて景監の言葉を受けて、それもあり得るか…と想ったのだ。
二人は主君がどう感じているのかに、大いに興味が在ったので、自然とその視線が渠梁に集まる。渠梁もそれを感じたのか改めて口に出した。
「私も当初はその気であったのだ。無論、子規には止められたが、あの時にはまだあわよくば説得したいくらいに思っていたし、その自信も在った。だが今日、実際に秦初殿御本人にお会いして、彼は私の配下で満足する様な器では無い事が判ったのだ。だから、敢えて誘うのを辞めた。端的に言えば、そういう事に成るかな?我が秦国のこれからを考える時には非常に残念でならないがね…」
渠梁自身は既に踏ん切りがついているらしい。但し、国の為を想えば、一人でも優秀な人材は欲しい。そういった意味では、多少なりとも後ろ髪を引かれていたのかも知れなかった。
「本当に宜しいのですね…」
黒龍は残念そうに想わず愚痴を溢した。渠梁はそんな黒龍を励ます様にその肩を軽くポンポンと叩いた。黒龍は自分の気持ちを代弁してくれたのだろう。渠梁はそう想って嬉しかった。
『気持ちの判る奴よ…でもこれで迷いは無くなった…何でもかんでも、自分の思い通りに成ると想ったら大間違いだ…想いの半分も達成出来れば重畳と言うものだからな♪』
まずは改革の端緒に立てた事、そして車英を得た事、これで満足すべきで在り、欲を掻いてはいけないと渠梁は自らを律したのだ。そして改めて、2人の顔を眺めながら語り掛けた。
「なぁに…私には、そしてこの秦国には、衛鞅という稀代の道標となるべき男がいる。あの様な聡明な男を天はよくぞこの国に与えてくれたものだ!彼はこの国の羅針盤であり、その指針を明確に示してくれる事だろう…そして景監、お前の様に正義感があり、愚直だが忠節に厚い臣もいる。そして外交や調整役には欠かせぬ黒龍もいる。子規や子巌も居るし、今回の事で車英も必ずや力と成ろう…こんなに私を支えてくれる者たちが居るのだ、これ以上何を望む事が在るだろうか?」
彼は景監と黒龍の肩を強く抱き寄せて、大切な縁に感謝していた。そして彼の懐には大事そうに三巻の巻物が差し込まれていた。子家の温かい恩情に触れて、彼は心に温もりを感じていた。
一方、秦初は趙良と共に山間に映える夕陽をのんびりと眺めながら、ゆっくりと坂道を下って行く。趙良はやや後方から若い主君を見つめながら、然も不思議そうに感じていた。
『若君は単なる強運で片付けられたが、何というか不思議なお力が備わっていらっしゃる…どちらかというと運が主君に引き寄せられている様にさえ見えるのだから、もはや説明の仕様が在るまい…』
彼はそんな瞬間を今までも嫌という程、観てきていたので、正直…至極当たり前の様に慣れてしまっていた。
しかしながら、今日再び強運に恵まれて、それを見事に利用して、目的を達成する佐間をこの眼で見た時には、自分の眼が一瞬、可笑しく成ってしまったのではないかと想える程にたまげてしまっていた。
『この人は少し可笑しいのではないか?』
そう想える程にそれは鮮やかな顛末だったからである。彼は再び腫れ物でも見る様な素振りで、主君を見つめていた。
「おい!趙良♪そんなにガン見されたら顔に穴が開くからそろそろ辞めてくれないか?お前はまるで森羅万象の極みである飛仙を視る様な、奇妙な眼でこの私を観ているが、私は至って普通の人間だ!まぁ多少の運は在るがね♪だがもはや終わった事だ!そんな過去を振り返る依りも、あの美しい夕陽を眺めて観ろ…とても雄大で心が安らぐだろう?刺々しい荒んだ心には清き魂は宿らない。のんびりと美しい物を観て、それを素直な気持ちで愛でる…そういった豊かな心にこそ、運気も引き寄せられるという物だ♪まぁそれが確かな事かどうかは私にも判らぬが、邪念を持たず、他を顧みるくらいの余裕が在ってこそ、物事は成し遂げられると私は思っている。お前も少しはごく当たり前の事に感謝し、森の息吹や生き物の吐息に耳を傾けてみるくらいの余裕を持つ事だな…そうすれば私の気持ちの一端に触れる事が出来るだろう♪」
秦初は趙良を冷やかし半分といった表情で見つめながらも、そんな含蓄ある言葉で締めた。趙良は完全に理解した訳では無いにしろ、主君の言わんとした事が何となく判る気がした。
『果報は寝て待て…』まるでそんなお気楽な事を当たり前の様に言われた気がしたのだった。
『大船に乗った積もりでいろ!って事かな?』
この普通で無い感覚の我が主君に趙良は例える事の出来ない心の強さを感じていた。『強き心』それこそがこの御方をのんびりと構えさせている要因なのではないかと、何となく感じていた。
『そうか…それだけでは駄目なのだ!若君が言わんとした事は、気構えであったのだな…前進を続ける努力、言い方を変えれば、道を切り開くって事なのかも知れない…』
"道は切り開くもの"その信念が在ってこそ、巡り巡って運気も引き寄せる事が叶うのかも知れぬ…趙良はそんな事を当たり前の様に実践している秦初だからこそ、物事を成せるのだ!とそんな気がしていた。彼は改めて、空一杯に広がった夕陽を眺めた。
彼は主君が感じた様に、その美しい情景にしばし心を踊らせていた。そんな趙良をいつの間にか微笑ましく眺めている秦初であった。




