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ひと芝居打つ

「車英、本当にすまなかったな…」


話しの決着がみられると、渠梁は改めて陳謝した。


「そんな…私の方こそ、こんな大切な事を長らく黙っていて申し訳ありませぬ…」


「しかし、晴れて今日を迎える事が出来たのです♪喜ばしい事では在りませんか、私もお世話になった貴方が日の当たる場所に戻る事が叶い、嬉しいですよ!でも貴方にはすっかり騙されましたな、知っていたなら私も退屈しないで済んだ事でしょうに!タラレバですがね…」


「衛鞅様、買い被らないで下さい、私は元々は武官志望ですから、余り頭は良くないのですよ、むしろ身体を動かすくらいで調度いいのです!」


車英はそう言うと、ようやく緊張感から開放されたらしく、目尻が下がった。


「私も嬉しいです…貴方のところには業務上、何度も訪れましたが、気分が悪くなった事が一度も無い。衛鞅殿だって、彼に(しらみ)()いたり、(のみ)を潰したりして貰っているのですぞ!…国の見聞から帰って来た貴方は、とにかく泥々だったそうですから…良く尽してくれました。今後共、宜しく!」


「否、景監様の方こそ、気を遣っていただきました。こちらこそ今後も宜しくお願いします!!」


車英はまだ慣れないらしく、渠梁・衛鞅・景監との受け答えにも、辿(たど)々しさが残る。彼にとってはまだ宿屋の主人の方が性に合っているらしい。


黒龍はそんな車英の姿を眺めながら、彼の父君の在りし日の笑顔を想い浮かべていた。


『良かったですな…本当に良かった!』


黒龍は心の中で、彼の父君に向けてそう呟いていた。


そんな黒龍が自分の顔を眺めながら微笑んでくれている。車英にとってはそれで十分であった。


車英は今後はこの秦国の貴族の一員となり、政治に参与するのか…戦に出て敵国と戦うのか…恐らくは、彼自身がいみじくも語った様に、武官への道を突き進む事に成ろう。


秦初も念願を果たした今、豪奢(ごうしゃ)な料理を満喫した直後の様に、満腹感で満たされていた。彼はけして派手好みな手合いでは無かろうが、必ずや君主様の、そしてこの秦国の藩屏(はんぺい)と成ってくれるであろう事を、彼は確信していた。


「秦初様!お陰様で大願成就と相成りました…これも貴方のお陰です。貴方があの時に無事に逃がして下さったから今の私が在るのです♪」


車英は感謝の気持ちを捧げた。秦初は細やかな情愛の心でこれに応える。彼も長年のわだかまりが溶けた様な晴れやかな表情で笑った。


「おめでとう車英♪良かったな…長年の辛抱が報われて本当に良かった!…」


当初秦初は、もっと気の利いた事を言うつもりだったが、言葉に成らなかった。只、ひたすらに彼のこれからの飛躍に心を馳せていた。




渠梁と衛鞅は話が一段落した後、何やら二人っきりで相談をしている様子だった。それは渠梁の問い掛けに対して、衛鞅が(しき)りに助言を行っている様に見えた。


やがて方針が固まったとみえて、渠梁が代表して秦初に尋ねる。彼の手許には、先程、秦初から差し出されていた三つの書簡が握られていた。


「秦初殿!貴方はこの書簡の中身を私に献じる事で、問題の打開を計ろうとされた様だが、御存じの様にそれは不要と成った。幸い我々も中身はまだ拝見していないのだから、返還を望むのならば、お返ししても良いが…?」


渠梁は先程、取り引きには応じないと自らの強い意思を表明していた。仮にそこに(こだわ)るとしたら、彼の(こころざし)はこの際、返納した方が良いと考えたようだ。


『潔い御方のようだ…その姿勢には感銘を受けるが、もし仮にこの私ならば一応中身は確認するがね…まぁそれだけ清廉な御方なのだろうな…』


秦初は不遜にも再び大きな溜め息を漏らす。彼からすれば、相当な覚悟の上で差し出した物であるから、今さら『無用』と取り下げられても困る。


『まぁ…要らぬなら受けても良いが、本当に要らないのかな?まさかとは思うが…どうするかな…少々小細工に過ぎるやも知れないが、試してみる価値は在るか…』


秦初も相手を試す様で余り気は進まない。けれども彼ならば中身を見たいという欲求には抗えないだろうと感じているのだから、渠梁や衛鞅が例え清廉で公平な見方が出来る人で在ったとしても、所詮は人間である。


欲求には抗おうとも、条件さえ整えば中身を確認したいと思っても不思議は在るまい。秦初がそこまで相手の気持ちを(おもね)り、段取りを組んでやる必要は本来ないのだが、彼がそこまでする事にも理由は在った。


何故ならば、秦初は既にこの三巻の巻物には、端から端まで目を通しており、頭の中に叩き込んである。その上で、これは渠梁に渡してしまうのが一番良いと判断したから、渡したまでだ。


その際、ついつい自分がその価値を評する余り取り引き材料に使ってしまった事に、そもそも原因があるので、いきなり返すと言われて面食らったのだ。


『待てよ?渠梁様は正確には"返しても良いが?"と申されていたな…ここはやはり私が人肌脱いで、収めるのが筋というものだろう…』


秦初はそう決断すると、神妙に応えた。


「君主様!その儀には及びません。一度差し出した物です。私共も引くに引けません。それは貴殿方の方で煮るも良し、焼くも良しです!但し、かなりデリケートな内容も含まれておりますから、取り扱いには御注意為さる方が宜しいでしょう…」


彼はそれだけを述べた。条件はつけなかった。本当は厳重に取り扱い、けして敵の手には渡って欲しくないのだから、慎重を期して欲しい気持ちはあるが、ここで条件を着ければまた取り引きに為ってしまうだろうから辞めた。


相手も馬鹿ではない。それぐらいの事は考えて保管には気を遣うに違いない。その気持ちにある意味賭けたというべきだろう。


「判りました。では有り難くお受けする事にします♪御主君!それで宜しいですね?」


衛鞅だった。渠梁も頷く。どうやら秦初の予測は正しかったようだ。彼らも秦初の必死の想いが込められて、差し出された物である事は認識していた。


だから、このような回り道をする他無かったのだろう。ある意味互いに、ひと芝居打つ事になったのである。


『やれやれ…やはり衛鞅殿の入れ知恵だったか!食えぬ御方よ…だがそうなる事も見込んでの事だったのだろうな?必ずや私が配慮を行う事を想定していなければ出来ない事だ♪全く!油断成らぬ御方だ…』


秦初は衛鞅に微笑み掛けながら、「ではその様に♪」と告げた。衛鞅もコクりと頷きながらこちらを見返している。


「有り難く!」


衛鞅は秦初とのあうんの呼吸が上手くいった事に満足している様だった。彼らは互いを改めて認めあっていた。そしてこの(えにし)に感謝していた。




その日はそれで解散になった。渠梁と景監、黒龍の三人は馬車に乗り引き上げて行く。その際に、渠梁は衛鞅に対して、改めて明後日の朝に景監を迎えに寄越す事を伝えた。


「万難を廃して頼む!」


渠梁はそれだけいうと、秦初の方を振り向いて挨拶した。


「何か在ればいつでも言ってくれ!力に成ろう♪また逢おうぞ!」


秦初はその言葉に答礼する。孫沢の操る馬車はその一言を合図に鞭が入り、坂を転げる様に走り去った。


「では我々もこれで引き上げます!」


「ええ…ご苦労様でした。しかしながら、目的が果たされて良かったですな♪その一挙手一投足を拝見していて、この衛鞅も感銘を受けました。」


「いえいえ…貴方こそ!左庶長就任おめでとう御座います♪これからがいよいよ大変ですが、貴方ならやり抜けるでしょう…陰ながら見守っておりますよ!」


「有り難う♪私も善き知己を得たと感謝しております!また会いたいものですな♪」


「ええ…またそのうちに!ああ…そうそう、白峯はどうやら、やり手だったようです♪もう土地を得ておりました。今は家屋の改修工事で忙しくしている様です♪貴方も忙しくなりますからお約束はどうやら、叶えられますまい!もし暇なおりには、"白龍亭"だそうですから、逢いに行ってやって下さい!」


秦初は趙良が差し出した簡単な地図を受け取ると、そのまま衛鞅に渡した。


「さすがは白雪殿の弟御ですな…頼もしい♪判りました、折を見て是非に!!」


衛鞅はそう応えると、一呼吸置く様に吐息をついた。そしておもむろに言葉を添えた。


「時に秦初殿…貴方はこれからどうするのです?まだしばらくは秦国に御滞在ですかな?」


秦初もそれを聴いていて、改めて自分が秦国に留まる理由が消滅した事を自覚していた。


そうなのだ!彼は白雪の要件を果たし、車家の再興にも責任を果たした。そういった意味では、もう秦国に敢えて留まる理由は無かったのである。


『フッ…』彼は言われてみればその通りと、想わずほくそ笑んだ。


「そうですね…父に報告したり、兄に報告したりも在りますから、しばらくは留まると思いますが、元々私の当面の目的は他国を練り歩いての修行の道ですから、気が変わらぬ限りは長居はしますまい!」


「そうですか…それは残念です!でも改革の行方については、観ていて下されば嬉しい♪励みにも成りますし(´▽`)♪」


「ええ…勿論(o≧▽゜)o♪貴方の事、そして我が秦国の事は常に見守っている事でしょう!御心配無く♪」


「ではまた善き日にお会いいたそう♪」


「ええ…こちらこそ♪」


二人はこうしてしばらくの別れを惜しんでいた。車英も頭を下げる。秦初は彼に(はなむけ)のことばを添えた。


「車英!お前なら心配要らぬ♪君主様や衛鞅殿を助けてやれ!またな♪」


「はい♪兄上もお元気で、有り難うございました!」


「ああ!では二人ともまた会おう♪」


秦初は馬に跨がると、気合いを入れた。趙良もそれに続く。二人は馬上から改めて手を振ると、坂道を下って行った。


そんな二人が見えなくなるまで、衛鞅と車英も手を振りながら見送っていた。空には、真っ赤な夕日が彼らの行く末を見守る様に、大きな姿を空一杯に拡げていた。

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