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真摯なる直訴

景監は趙良ほどでは無いにしろ、生真面目さではいい勝負である。何しろ衛鞅に振り廻された挙句の果てに、最後まで真面目に約束を守って、君主様との継ぎ目を果たした。誰にでも出来る事では無いだろう。


そしてその君主様にも一筋に仕えて来ている。彼は例え出世出来なくても、侍従としてずっと側に居て欲しいと主君に求められたなら、恐らくその道を選んだのではあるまいか?景監とはそんな男である。


但し、たまに調子に乗って、あわや大事件!?となる事もあるのだが…。


彼は今も相手の話しを親身に聞いてやっているのだ。『御相談が…』と話し始めた彼の提案は、いつの間にやら吹き飛んでしまっているが、彼はそんな事は忘れてしまったが如くに、秦初の相談事に想いを馳せてしまっている。


全くこれでは立場が逆転してしまっているのだ。横で冷静に聞いている黒龍は、その事に気づいているので、『またまた悪い癖が…』と危ぶんでいる。趙良さえも然り気無く、『あれ?あれあれ?」と気にはなっていた。


秦初は取り敢えず、自分が来た目的を正しく伝えると、「景監殿!そう言えば御相談とは何でしょうか?」ときっちりと軌道修正してしまった。


「「上手い!!」」


黒龍と趙良はいみじくも心の中で同じ言葉を発していた。景監はようやく気がついた様に、『こりゃあ、いかん!』と提案を切り出す。


「そうでした…お気遣い下さり重ね重ねすみませぬ!」


彼は気づいてはいないが、既に秦初のペースに乗せられてしまっているのだ。秦初には相手の事を気遣う癖があり、それが『吉』と出る場合もあり、『凶』と出る場合もあった。要は優しき君主に成るべく生まれた男なのである。


「我が君が仰有いますには、秦初様との面会に衛鞅様と私が同席しても構わないか聞いて参れとの事に御座いました…如何でしょうか?」


『そう来たか…』秦初は考え込む。彼としては、可能な限り始めの折衝は1対1で行うのが妥当と考えていたのだが、こんな機会はまたと無い。


今回の事にしても、強運で引き当てだだけの好機(ラッキー)に他無らない訳で、これを逃がせばまたいつ巡って来るか判らなかった。


『幸いにもここに居る三人は、今の私の話しを聞いていたのだ。これを利用しない手はあるまい!』


彼はそう考えるに至ると、景監に逆に提案を行った。


「そうですな…ちょうど良い機会ですから、ここに居る黒龍殿と我が配下の趙良にも同席して貰いましょう。それならば、その条件でも結構です!」


秦初の言葉が如何にも堂々としていたものだから、今度は景監の方が困ってしまった。けれども、ここは慎重になるべき所かも知れないので、彼はひとまず即答は追けた。


生憎(あいにく)とこればかりは私の一存では決める事は出来ませぬ。すぐに主君の許可を得て参りますので少々お待ち下さい。それにお部屋の広さが人数に合いませぬ所以(ゆえ)、宿の主にも広い部屋を用意させねば…今少しお待ち下さい!」


景監はそう言うと、一目散に戻って行った。


「趙良!」


「はい、何でしょうか?」


「ボソボソボソ…」


「判りました、直ぐに!」


超良は秦初の意向を胸に秘めると屋内に消えた。


『いい判断であった…景監殿も成長されておる!』


黒龍はそう想っていた。当初はどうなるかとハラハラして見ていたというのが正直な所だが、立ち直ってからは、相手の意向を踏まえた上で、勝手な判断をする事無く持ち帰る。


『報告・連絡・相談』の原理である。簡単そうな話しではあるが、なかなかこれが(まま)成らないのが世の(つね)である。


『それにしても秦初様のご提案もまた怪奇な事だな…何を考えておられるのやら、甚だ見当がつかぬ…』


黒龍は元々1対1の対面を望んでおられるのだと想い描いていたので、想定を外ずして来た秦初の狙いが今一つ判らなかったのであった。


黒龍がそんな事を考えている間にも、趙良が然り気無く屋内から戻って来て、秦初に敬礼する。


「どうであった?」


「は!承知したとの事です…」


「そうか、御苦労!」


「ははっ!」


黒龍はそれを横目で眺めていて、頭を(ひね)る。


『どういう?待てよ?屋内で関係者と言えば…でもそれがなぜかは判らぬ??』


彼は苦笑した。自分でも判らぬ事がある事自体が嬉しかったのかも知れない。


『こうなったら是が非でも、同席したいものだ…そうすれば答えが判るに違いない!』


彼は主君が前向きに検討してくれる事を願わずにはいられなかった。こんな面白そうな展開は久し振りの事である。彼は心が踊って止まなかった。


やがて景監は表に戻って来ると、秦初にこう告げた。


「秦初様!我が君の御意向により、貴方の願いは入れられました。なお、六人がゆったりと話せる部屋を宿の主が用意してくれましたので、皆様どうぞこちらへおいで下さい。御案内致します!」


「有り難い!景監殿、御世話を掛けました!」


秦初は即座に礼を述べた。


『しめた!答えが導びかれるのを、この眼で見れるとは…これは愉しくなって来たわい♪』


黒龍も心の中で期待している。そんな自分に改めて気づくと童心に戻った心地がしていた。




景監に案内され、秦初・趙良・黒龍の順で大広間に入って行く。広間には中央に卓があり、入口から遠い上座に渠梁が…上座の右隣が空いていて、左隣には衛鞅が立ち上がって彼らを迎えた。


渠梁は秦初が景監に招かれて入室すると、嬉々とした表情で出迎えた。


「秦初殿!嬴渠梁です。お初にお目に掛かる!」


「これはこれは君主様!お目に掛かれて私も幸甚(こうじん)に存じます!」


秦初は(うやうや)しく頭を下げる。趙良も後ろに控えながら、それに(なら)った。黒龍はそんな二人を眺めながら、微笑ましく笑っている。


「さぁさぁどうぞ、お掛け下さい♪立って居てはゆっくり話しも出来ない…」


渠梁は君主らしからぬ柔らかな物言いで席を勧める。秦初は渠梁の右側の空いていた席に(いざな)われた。腰を降ろす際に目が合った衛鞅が軽く会釈してくる。秦初も返礼として同じく会釈で返した。


さて卓には席が六席在るが、扉に一番遠い上座に渠梁、その奥側に当たり右手に秦初、彼の隣には黒龍が座っている。


手前の渠梁の左隣に衛鞅、彼の隣には景監がそれぞれ着席していた。そしてなぜか渠梁の正面、一番扉に近い場所に席がもう一つ設けられていたが、そこは空いていた。


景監は反射的に趙良を観るが、彼は秦初の背後を守る様に仁王立ちしている。そして秦初も強いて彼に座るよう求める気は無いらしく、全く気にも留めていないようだ。


「座らないのかね?」


衛鞅が微笑みながら尋ねる。彼は隣で景監が困っている様なので、助け舟を出したらしい。


(いえ)、お気遣い無く…」


趙良は手短に意志を伝える。


「衛鞅殿、景監殿、お気遣いは無用です。彼は私の守護が任務ですから…座りませぬ♪」


衛鞅は、口許に微笑みを称えながら軽く頷く。景監は改めて秦初の顔をチラッと見た。専任の警護を連れ歩くこの方は何者だろうかと!


「さて…ではさっそく話しに入ろうか?」


渠梁は座が落ち着くのを待っておもむろにそう告げた。そして秦初に配慮するようにやや右に首を傾けると、言葉を継ぐ。


「先程、景監から報告を受けたのだが、貴方の用件とは何ですかな?聞くところに依ると我が国にとって重大事とか?私は君主としてはまだ当代になったばかりで、未だ何も為してはおらぬが、聴く耳は持ち合わせておるつもりです。何かお困り事なら力に成りましょう♪今度、私はここにいる衛鞅も得た事だし、私だけで無く彼も力になってくれるでしょう♪」


渠梁は優しく包み込む様な仕草をみせた。子息が倒れてさぞや御心痛である事だろうに、この胆力たるや尋常で無いと、秦初は敬意を感じた。衛鞅も君主の言葉に同意する様に優しく頷いてくれる。


彼は二人の温かい人柄に触れて、これなら大丈夫だろうと懐から三つの書簡を取り出すと、手に押し戴いて、渠梁に差し出した。


「君主様、この三つの書簡は貴方と衛鞅殿にお預けします。そしてお役立て下さい。但し条件があります。必ず大切に保管し、紛失したり、公にしない事。そして私の願いを叶える事です!」


渠梁は書簡を手に取りながら、衛鞅と顔を見合わせている。衛鞅は手を上げて、渠梁を制すると、お任せを…と秦初を見つめながら、尋ねる。


「それは貴方のご説明とこの中身に依りましょう♪二つ返事ではお受け致しかねます。話しに依ってはこれはそのまま貴方に返さねば成りません。まずはご説明を願いたい!」


「ごもっともです♪私も無論の事、端からそのつもりですが、その前に私の覚悟を示しておきたかったのです!これは…謂わば私のみ成らず子家一族全ての願いであり、我らの総力を集めた極秘文書に成ります!簡単にいうと、この国を私物化する者の秘密とその名簿でしょうか?貴殿方が改革を進める上で、かなり役に立つ筈です。後は御覧になればお分かりになるでしょう…」


秦初は真剣な面持ちで二人に目を向けた。渠梁と衛鞅は再び顔を見合わせている。そして今度は渠梁が言葉を口にした。


「私と取り引きしようという事かな?それは出来ぬ!私はまだ貴方を知らないし、そもそも取り引きは好きでは無い…」


そう話す渠梁は少し眉を釣り上げて秦初を睨みつけている。しかしながら、秦初も動じず、表情を変えず、渠梁の目をじっと見つめている。


その目は何の曇りも無い、涼やかなもので、よく見ると、その目の奥には火花を散らす様な赤い(ほむら)が立っていた。渠梁は想わず溜め息を漏らす。


「正直に話そう…私は貴方に会ってみたかった。子規から聞いた時からずっとね!貴方はどうやら私が想っていた通りの人のようだ。そのお覚悟…大したものだ。だが考えてみて欲しい。交換条件で取り引きをした上で事を成し遂げたとしても、それは果たして正道と言えるのだろうか?貴方の為すべき事は正道では無いのかな?成らば応じよう、がしかし、正道であるならば取り引きしないで堂々と言いたまえ!それが人の道というものだ…違うかね?」


今度は秦初が溜め息を漏らす番だった。そして彼は何を想ったのか突然、クククッと笑い始めた。


当然、周りは驚いている。あの君主様の真摯な説諭に対して、冒涜する佐間は許されない。景監は勿論、黒龍でさえもいきり立つ勢いである。


只ひとり渠梁だけはそれを手を挙げて制し、秦初の言葉を待っている。秦初は一通り周りの反応を確認し終えると、急に真面目な顔に戻って、両手を合わせた。


「これは皆さん、失礼を!君主様、私は端から取り引きなど持ち掛けるつもりは在りませぬ。確かに貴方の仰有る通り、私の願いは…否、我が子家の願いは正道に基づく正当なものです。むしろ御正道を曲げているのは、貴方…いや貴方では在りませんな、今までの秦国の闇と言うべきですかな?」


急に核心に触れ始めた秦初の言葉に周りは一喜一憂している。そして"秦国の闇"と聞いた所で、皆が想い浮かべた人物は同じであった。


その時に突然一人の男が口をついた。


「秦初殿!その辺で前振りは十分に果たされただろう!そろそろ核心に入っては如何か?貴方が大勢を揃えたのも、この場の証人を作るためで御座ろう?もう十分に効果はあったと思うが?」


衛鞅であった。彼は君主の隣で只ひとり、とても冷静な面持ちで座の空気を読んで居たのである。


『やれやれ…やはり衛鞅殿は騙せぬか、君主様もほぼ似たようなものだったが…やはり、君主は君主だな…立場で物を言うとはこの事か…確かに効果はあったのだからもう良い…』


秦初はそう決断すると、はっきりと本音を打ち明ける時が来たと感じた。


「君主様!車家の再興は正道に基づく正当なものです。それを彼に返してやって欲しい!」


『彼?彼とは誰だ!』そういう眼で、皆が一斉に秦初の突き出した指の先を見た。


そこにはいつの間にか宿屋の主人が緊張した面持ちで佇んでいた。

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