表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/99

密室の悪魔

杜摯はその足で甘龍邸に向かう。想わぬ手土産が出来たので、気分はホクホクしている。さぞや甘龍様もお喜びになるに違いない。


気持ちが高揚しているせいか歩みも軽く、翼が生えて今にも飛び立てそうな気分に為る。いかにも単純で在り、思考は短絡的だが、小狡(こずる)さと保身に掛けては天下に彼の右に出る者はいない。


果たして好き好んで彼の右に出たがる者が居るかどうかは甚だ怪しい物である。彼は短気で直ぐに癇癪(かんしゃく)を起こし、物事を大きくしようとする嫌いがある割には、後始末の事を考えず、いつも甘龍に怒られている。


『事を大きくする場合には、予め必ず落とし所を考えて、計画的に遂行せよ…それが出来ないのなら、前もって(わし)に相談するか、一旦断念するか、どちらかにせよ!(わし)はお前の尻拭いをする為に居るのではないぞ!』


彼はそんな時には亀の様に首を(すく)めて、項垂(うなだ)れている。今の今まで敵の首を取ったくらいの気分でいたのに、甘龍に詰めの甘さを指摘されて、意気消沈する破目になる事も多々あった。


杜摯は短気な癖に、実際には気の弱い小心者の面も持ち合わせているのだ。この小心者の面が、彼に小狡(こずる)さと保身を植え付けたと言っても過言では無いだろう。


但し、その割には間が抜けている面もあるので、先に述べた様に甘龍が尻拭いさせられる場面もあるのだ。馬鹿な子程可愛い等と良く言うが、その典型的な例が杜摯であった。


このように杜摯は悪党に似合わず、直ぐいい気に成るのでよく甘龍に叱責を受ける。彼はそんな時は決まって『お前は軽口を叩き過ぎる!』と一喝された後、先に述べた様に首を(すく)める様な仕草で黙り込むか、甘龍に見えない角度で膨れっ面に成る。


甘龍はそんな彼の仕草は当に見抜いているが、自分は既に老齢で杖もついて居るし、余り積極的に外には出掛けたく無いので、程々に大目に観ていると言った所で在った。


『あの詰めの甘さと鼻高小僧の悪癖さえ無ければのぅ…』


甘龍は、悪ガキが大人に成った様な杜摯の態度に日々業を煮やしていた。


「こんにちは♪おっ!青龍(せいりゅう)か…御主人様はいらっしゃるかい??」


杜摯の応対に出た青龍は甘龍の忠実なる家裁であるが、甘龍にはもうひとり赤龍(せきりゅう)という家裁が居て、その日に依ってどちらが応対に出て来るかは判らない。


青龍はどちらかというと、甘龍の懐刀であり、この時代には珍しく女真族の出身である。女真は中華のさらに東北部にひっそりと暮らす蛮族で、青龍は匈奴族の奴隷として使われていた物を、甘龍の息の掛かった者に拾われて、献上された者であったが、青龍刀の達人であった事から、甘龍に気に入られて、今では彼の庶人であった。


かたや赤龍の方は今や絶滅したとされる殷の末裔と言われている。これは甚だ眉唾な話しと(とら)えられている向きも在るが、こちらは頭脳明晰であり、甘龍の財産の管理を担っている程の男だ。ある意味、甘龍の陰の参謀と言っても良く、彼抜きでは甘龍の私腹も(まま)成らなかったであろう。


「杜摯様、主人は珍しくお庭の方で御座います。どうぞそのままお通り下さい♪」


「ほぉ~♪それは確かにお珍しい!いつも御苦労様ですな…」


彼はそう労いの言葉を掛ける。青龍も赤龍も(ただ)の家裁では無い。時と場合によっては、甘龍様は勿論の事、杜摯の盾にも為り得るので、大事に扱う必要があるのだ。


まぁ、打算と言えばそれまでだが、言わぬよりは良いだろう。随分とましというものである。人とは時に気遣ってくれる者を選ぶ場合もあるからであり、頭ごなしに使うだけが脳じゃないという事である。


甘龍はそれは見事な庭園を持っている。中華広しと言えども、綺麗な花を愛でるのに、これだけ色んな種類の花を集めては、栽培している所も無いのではあるまいか?


庭の端には小さいが整った形の池があり、今は水仙の花が咲いている。そして初夏には紫陽花(あじさい)も咲く。牡丹(ぼたん)椿(つばき)山茶花(さざんか)、ヤツデなども植えられている。今は椿や山茶花の花が見頃である。


庭の東南の角には桃の木も二本植えられているし、(かた)や西北の角には蝋梅(ろうばい)の木がこちらも二本植えられていて、今はこの蝋梅の黄色い花が見頃である。


春には桃の木の花が芽吹き、美しい(たたず)まいとなる。杜摯はどちらかと言うと、花より団子なので、桃の実が成ると、毎年必ずといって良い程貰える事から、その方が余程嬉しかった。


彼も少しは花に詳しくならないと…とは想うのだが、実利の方が喜びに繋がると、なかなか憶えない。それに引き換え、既得権益の亡者である筈の甘龍が、美的意識が高いのだから、世の中、摩訶不思議(まかふしぎ)なものである。


杜摯が庭の方へ赴くと、甘龍はちょうど池の端に座り込み、水中を覗き込んでいる。池の中では、小さな金魚が(つど)っては別れ、集っては別れしながら、スイスイと泳いでいる。


『しかし甘龍様も不思議な御方よ…この庭を初めて見た時には驚いたが、こんなご趣味があるとはな…実際に何度も見ているから信じられるが、そうで無ければとても信じられぬ…』


杜摯は庭の入口の方で、特に声を掛けるでも無く、甘龍の様子を眺めている。長年の付き合いから、急がせる事は禁物と、そんな事を考えながら、只ひとり離れて佇んでいた。


すると、その背中がおもむろに問うた。


「杜摯よ…ボォ~っとしとらんで、この美しい景色を眺めたまえよ♪お前はもう少し美的感覚を磨いてはどうか?」


甘龍はそう問い掛けるものの、こちらを向いたり、振り向いたりはしない。金魚の(せめ)ぎ合いを愉しむ様に眺めている。


杜摯はびっくりした様に 入口からようやく中に入り、話しが出来る程度まで歩み寄ると、花々を眺めながら、語り掛けた。


「甘龍様は、風流な御方ですな…この杜摯、とてもその域には及びませぬ。私にはどうも果実の方が良いようで…」


「'`,、('∀`) '`,、ハハハッ!それは比喩かな?それとも、そのまんまか…お前も自然の美を愛でて、のんびり構えよ♪そうすれば自ずと、気も長くなるし、悪巧みにも少しは美的感覚が備わるというものだ!!」


甘龍はこの時とばかりに巧みに痛い所を突いて来る。


『甘龍様には敵わない…』


杜摯は嘆息すると「はい!鋭意努力致します…」と答えるに止めた。さすがに御本人を前にして、嫌とも言い(ずら)い。


甘龍の方も、杜摯が本音で返事しているとは思っていなかった。だから心の中では『やれやれ…』とこちらも困った者だと嘆息していた。


「ところで…」


甘龍は尋ねる。


「何か(わし)に用があったのでは無いのか?」


相変わらず背中越しに気を散らせながら、愚にも衝かぬ話しに付き合っていた杜摯は、突然、甘龍が核心に触れてきたので、少し慌てる。


直ぐに居住まいを正すと、それに応えた。


「はい!定例のご報告の他に、本日は二つ面白い事が在りましたので、お知らせしておきます♪」


杜摯は、またぞろ…いつもの鼻高小僧の癖が先に出る。無論、背中越しでも、もはや甘龍には感じ取れていて、心の中で『チッチッチッ!』と歯軋(はぎし)りしていた。


「申してみよ!」


甘龍は言葉を放った時には、既に平静に戻り、そんな事は感じさせない。


『このくらいの気持ちの切り換えが奴に出来れば、この(わし)も安心なのだがな…』


彼はそう想い苦笑した。杜摯は心持ち、甘龍の両肩が揺れている様な気がしたが、気のせいかも知れぬと、変顔に成りつつも話し始める。


「まず、お昼前に主君が嬴虔様の屋敷に(おもむ)かれました。お戻りは夕刻を少々廻っておりましたな!」


「その話しなら、聞いておる。新しく改革を行う衛鞅という小僧を(しか)るべき地位につけるための相談だろう。実はな、既に黒龍から赤龍を通じて打診があったので、後押ししておいたのだ。儂は特に異論は無いとな!」


杜摯はまたまた驚いている。


「な!…甘龍様、なぜその様な事を承諾したのです?それでは我々が改革に、賛同している様な誤解を受けますぞ!貴族たちに示しがつきませぬ!」


杜摯は口を(とが)らせながら、反論する。甘龍は今度こそ、盛大に「チ!チ!チッ!」と舌を鳴らして、仕方無いと重い腰を上げて、ようやく振り返る。


「だから、お前は考えが浅いと言っておるのだ!儂の日頃の話しをちゃんと聞いておるのか?儂は改革には賛成だ!やらせてみたいと本気で思っておる。そしてその指揮を取るためには、然るべき地位が必要なのはお前も判るであろう。そこいらにたむろしている(あん)ちゃんが出来るものでは無いのだからな…」


甘龍は毅然(きぜん)とした態度で杜摯を見つめている。


「それはそうですが…」


甘龍は再び嘆息すると、念を押した。


「これは前に、お前にも話しておいた筈だが、今一度はっきりさせておく。儂が改革に賛同しているのは、枯渇(こかつ)した今の秦では、もはやこれ以上の甘い汁が吸えぬからだ。改革により、秦が今よりも富み、豊かな国になれば、また刈り取れる恵みも増す事だろう。何!心配するな、いつの世も不正腐敗は世の経だ!しばらく泳がせておくだけで、その土壌をわざわざ(うるお)して下さるのだぞ!むしろ感謝して(しか)るべきであって、改革の邪魔をしては成らんのだ!だからこそ、お前に命じて貴族の煽動(せんどう)を辞めさせておる!これが(わし)(まご)うこと無き、真意である。これでお前も良く判っただろう。奴等には安心して、のんびりやらせておけ!後は、然るべき時期にその果実を獲るのみである。要はこの改革が、成功しても良し!失敗しても良しだ!良いな?」


「はあ…良く判りました。さすがは殿!この杜摯の考えが浅うございました!」


「判れば良ろしい…では話の先を続けてくれ!」


「はい!こっから先は、お愉しみの情報であります。まず一つ目は、嬴虔様のお屋敷から戻られた太子様が、痙攣(けいれん)を引き起こされたそうで、今、櫟陽では大変な事に成っております。私の間諜の話しでは…」


「何!(うさぎ)を…ふんふん、宝剣で…うんうん、血だらけで…成る程な!」


「そう言う訳ですから、この先、何か付け入る隙が出来るかも知れぬと引き続き見張らせております!」


「良し!判った…お前にしては、目の付け所が良い!引き続き探らせてみよ…で、もう一つは何か?」


「はい!実はこれは私が宮殿から退出する時に見掛けたのですが…」


「うん?何…長髪の見知らぬ御仁か…ほぉ~大后様の客人なのか…ふんふん、判った!」


「これも私の一存で恐縮ですが、可能な限り調べるように()(もの)には伝えてあります!」


甘龍はそれを聞いてほくそ笑んだ。


『成る程…こやつはこの度の独断専行を、認めて貰らいたいのだな?まぁ良い!今回はこやつにしては上出来だからな!それにたまには褒めてやらないと、腐っても困る所以(ゆえ)な…』


そう考えた甘龍は、判った上で今回に限っては独断専行を不問とし、褒めておく事にした。


「良くやった!褒めて取らす♪但し、いつもの様にいい気になって、こっから先でしくじらぬ様にな!気持ちを引き締めて(のぞ)み、片時も目を離さぬ事だ!良いな?」


本来、片時もは言い過ぎだが、すぐ気を抜くこやつにはこれくらいでちょうど良かろう♪甘龍は念のために、そう釘を差しておく事も忘れなかった。


「はい!承知しております。私も引き続き、気を配っておきます。殿!それはそうと、あの花壇だけ、淋しい様相ですが、どうなってるんです?」


花には詳しく無いのだから、止めておけば良いものを、いつになく甘龍に褒められたものだから、ついつい気持ちが大きく成って、杜摯は調子に乗ってしまった。


「ほぉ~お前もようやく自然の美に目覚めたかな?それは喜ばしい事だ♪まぁ良い、話して進ぜよう。あれは牡丹でな、初夏の頃に花を咲かせる。大きくて綺麗な花だな…池の端の紫陽花もその頃だから、これからも愉しみが尽きない。そして春がやって来れば、お前の好きな桃の花が咲く…いやお前の場合は、その後の"実"の方であったかな?」


甘龍はそういうとガッハッハと豪快に笑った。


「お前も少しはこれを機会に、自然の美を愛でる事だな…美味い物を喰らうのも良いが、美意識を高めるのも、何かと役に立つものだ。次回から花の名前を逐次、聞いていくゆえ、必ず憶えておく様に!」


甘龍はそういうと、再び池の端に座り込んで、金魚と(たわむ)れている。そして、「もう良いぞ!」と言って、背中を向けたまま右手を挙げて振った。


結果的に…杜摯は言たい事を言われたまま、体よく追い払われたので、後味はけして良くなかった。そして、余計な事を調子に乗って言ったため、要らぬ宿題を与えられてしまったのだった。


『口が(すべ)った…』


杜摯は"後悔、先に立たず"と()やんだものの、後の祭りだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ