密談
その日、杜摯はたまたま参殿していて、その帰りの道すがらの事であった。門を出ようと櫟陽宮の廊下の角を曲がろうとした時、偶然視界に入って来た光景にドキリとした。
想わず後ずさりして、柱の影に隠れる。そしてその視界に入らぬ様に気を配りながら、眼でその動きを追う。黒龍を先頭に蘭玉が歩いているが、ここまでなら、いつもの光景だから杜摯もやり過ごしていたに違いない。
けれども、いつもと違う事には、見知らぬ長髪の背の高い男が、何かを抱き抱える様にして、一緒に歩いていた。遠目で良く判らないが、子供を抱いている様に見える。そしてはっきりとは確認出来ないが、その衣には血が着いているようだった。
『これは何かあるに違いない…』
この男は日頃、甘龍の片腕として、宮殿内のあらゆる出来事をご注進に及んでいるため、妙に勘が鋭く働く。
彼は彼らから気づかれない様に、廊下の柱から柱へと移動を繰り返しながら、その動きをしつこく追い掛けた。すると、彼らは太子様の住いの方へと向かっているようだ。
『すると…あれはやはり太子様…』
杜摯はそう当たりを着けた。彼らはやはり、太子様の離宮に入って行った。杜摯はこれ以上付き纏うと、身バレすると考え、引き上げるかどうか迷っていた。不確かな情報を伝えると、後々甘龍様からお叱りを受けてしまう。
但し、自分も宮殿では割と目立つ身の上だから、かなり用心して振る舞わねば成らなかった。彼が迷っている間にも、離宮内は宮女と宦官の走り廻る音で騒しくなる。そしてそこに通りの良い女性らしい声が聞こえた。
「皆、落ち着きなさい!お前達が慌ててどうするのです!」
それは大后様の声であった。
『大后様がわざわざおいでになるのだから、あれはやはり太子様で間違いないようだな…』
杜摯はそう当たりをつけると、ますます引くに引けなくなってくる。彼はずる賢い顔になると、"良い事を閃いた"と言わんばかりの表情をして、その場を潔く立ち去る。そして足を向けた先は宮女や宦官たちが休息を行っている広間であった。
彼はその入口から覗き込むと、一人の宮女に視線を向ける。やがてその宮女は入口から覗き込む杜摯の存在に気がつくと、周りに気づかれぬ様、自然に振る舞いながら、扉の外まで出て来た。杜摯は指をクイックイッと動かし、合図すると、宮女を寂しげな場所へ連れ込む。
「何やら離宮が騒しいようだが、君♪何か知っているかい?」
彼はこれが初めてでは無い、慣れた口振りで宮女に問う。宮女の方も畏まって、聞いている。そうなのだ!この宮女は、杜摯が長い時をかけて飼い慣らす事に成功した、彼の間諜であった。
宮中の中でも君主の身辺は許より、大后の周辺もかなり厳重な検閲と調査があり、新しい者を送り込む事はおろか、古参の者も忠誠心が強く、買収が効く者は居なかった。
それに、そもそもこの二人の周りには、黒龍・買蔣といった目利きの鋭い、隙の無い人物が居て、四六時中目を光らせているので、暗躍する事そのものが難しかったのである。
蘭玉の周辺はどうかというと、割とボォ~っとしているかと想えば、こんな所には意識が行き届くのか、何度か潜り込ませたり、買収しても、比較的すぐに勘づかれて、適当な理由をつけては、遠ざけられてしまうため、苦労して工作する甲斐も無く、断念せざるを得なかった。
それに比べて太子の駟の周辺は、まだ本人が幼い事もあり、漏れ出て困る情報も無いせいか、幾分か防御も甘かったので、付け込む隙があったという訳だった。
それでも杜摯は、念には念を入れて、中堅の中から弱みの有りそうな者を調べあげて、味方に引き入れたのである。彼女の名前は『咲夜』と言った。
貧しい貴族の娘で、親が些細な言い争いから、富貴の者の馬鹿息子を殺めてしまった。本来ならば、そのままその貴族の親の手で、なぶり殺しにされてしまう所を、用意周到に網を張っていた杜摯の目に止まった。
この貧しい貴族は、"娘が太子付きの宮女である"という一点に依って、命が助かったばかりでなく、甘龍や杜摯から目をかけられる存在となった。
そうなると、例え『子の仇』といえども、下手に手は出せなくなる。しかも無理にでも手を下そうものなら、甘龍一派に睨まれて、自分が落とし入れられかねない。
『馬鹿息子のためにお前も苦労したのだから、この際きっぱりと諦めろ!』
そう、左司空の杜摯に引導を渡されたら、泣き寝入りをするほか無く、その見舞金という名目で、多額の金品と将来の地位を補償された事で、完全に押し黙ってしまった。
そして、杜摯は"父の命を救った恩人"という足長おじさんばりの演技力と行動力を発揮して、見事に咲夜の信頼を勝ち取った。
そして杜摯も頻繁に接触しないよう心掛けていたので、彼女の化けの皮が剥がされる事も無く、本人の心の負担も無く、今日ここに至るという訳である。
最初は何の事も無い日常の様子から徐々に始めて、少しずつ慣らしていくという手の込んだ事も行っているので、咲夜も悪い事をしているという気持ちに成る事無く、優しい杜摯おじさんが、事ある事に自分を気に掛けて下さっていると、想い込んでいたのであった。
杜摯の問い掛けに、"困った事を押し付けられた"咲夜は、『何て素敵なタイミングでしょう♪おじさんはわざわざ足を運んで、この私を慰めに来て下さったのね♪やはり私の足長おじさんだわ!』とひどく喜んだ。
だから、事の次第をスラスラと喋ってしまった。
「杜摯様、よくぞ聞いて下さいました。嬴虔様のお屋敷で、精神不安定に成られた太子様が、痙攣を発症されて大変なの!また舌を噛むといけないとかで、私達、宮女が交代で寝ずの番をする破目に為ったのよ!酷いと想いませんか?私、家に帰れる日が少なくなって困ってますの…何とか成りませんか?」
杜摯は話しを聞いていて、内心は呆れてしまっている。
『お前は宮女なのだから、仕事の一環で在ろうが…さもしい事よ!』
本音を言えば、そういう事になるが、そこは足長おじさんだから、言う事が違う。
「そうか…それは大変だね!でも咲夜、良く考えてごらん?太子様は今は大変な時だ。ここで優しくしてあげたら、君は太子様のお気に入りに成れるかも知れないよ!そうしたら、君も宮女頭に推して貰えるかもね!太子様はまだ五歳だ。子供心にきっと君の事を憶えてくれると思うな!」
成る程…ものは言い様である。この手の説得の仕方は彼の十八番であった。勿論、言葉の結果に責任を持つ気はそもそも無いし、どう為ろうが彼の知った事ではない。
『まあ…ゆくゆく生き残れたら本当に偶然、宮女頭くらいには成るかも知れんがね…』
とまぁ、こんな具合である。
但し、彼も苦労を重ねた上での唯一の味方で在るから、彼女が生き残ってくれた方が都合は良いので、いつも通り彼女には十分過ぎる程のお小遣いを与えて励ましてやった。
咲夜は毎回来る度にお小遣いをくれる杜摯おじさんが大好きだ。
「ところで、これは判らんかも知れんが、太子様を抱き抱えて連れて来た髪の長い男の人を知っているかい?知ってたら教えて欲しいんだけどな…」
「ああ!あのとてもハンサムで優しい方ですね?それが…私達、宮女には判りませんの!というのも、あの方は大后様のお客様だそうで、たまたま通りすがりに手伝って下さっただけなんですって!耳に金色の飾りを付けているんですのよ♪何てお洒落なんでしょう…お名前は存じませんが、また来るらしいって聞きましたわ♪今度判ったら教えますわ♪」
咲夜はこれが情報の漏洩だという意識は余り無い。杜摯おじさんの上手な誘導で完全に"日常のご報告"くらいにしか思っていなかった。気の毒ではあるが、彼にそう思い込まされていたのだった。
「そうだね…じゃあおじさん、また近々お小遣い持って訪ねて来ようかな?咲夜は賢い娘だから、おじさん毎回話を聞きに来るのが楽しみで仕方が無いよ!是非そのハンサムな咲夜の王子様の事、また聞かせてくれると嬉しいな…」
誘導力は天下一品である。誰にでも何かひとつくらい得意気に自慢出来る事が在ったりするものだが、杜摯にとっては、この手の事が得意分野だったのだろう。但し、それが公然と吹聴して廻れる内容のものかどうかは、また別の話しである。
「次の機会を愉しみにしているよ!」
杜摯はそう語り掛けるとニッコリと笑った。何にも知らない咲夜は、『また近々、会える♪』と嬉しそうに微笑んだ。
咲夜はとても喜びに満ちた気分だったが、周りの者に見破られると、おじ様に怒られるので、神妙な顔つきで戻って行く。彼はその背中を見送りながら、ほくそ笑んでいた。
『やれやれ… 馬鹿と鋏は使いよう♪などと言うが、可愛いだけの跳んだ馬鹿者だな…まぁでも良い鋏に成りつつあるから、これからが愉しみだわい!』
杜摯はそう呟きながら、手を後ろ手に組むと、のんびり櫟陽宮を後にした。甘龍への手頃な手土産が出来た彼は、ホクホクな気分で心は晴れやかだった。
【後書き】
今晩わ…お久し振りのユリウス・ケイです
(´▽`)♪最近、毎日ちまちま書いている
せいか、少し疲労が蓄積して来てヤバいです!
今回の『密談』如何だったでしょうか?コンセプトは、『優しさの裏に在る悪意』です!
古今東西、悪党という者は「私は悪人です♪」と表立って看板掲げながら歩いている人は余り見掛けません。その殆どは、優しくすり寄って来て人を騙します。
だから『甘い言葉には気をつけよう』などという言葉が生まれるのですね(^。^;)あらら…いったいいつの時代の標語でしょうか(笑)
なかなか悪党に焦点をあてた話を書く機会が無かったので、昨今の○レオ△詐欺や、童話の中で騙される子供たちなどを参考にして書いてみました。
歴史物の場合、なかなか悪党と呼ばれる人は作り難く、それは互いの主義主張の争いで在り、必ず勝者が紡ぐ物語が歴史であるからでしょう。
そういった意味では、今回悪党として描くのも初めてですし、その悪党コンビの甘龍さんと杜摯くんが今後どうなるかも愉しみにして下されば嬉しいです。
またその小悪党・杜摯くんの手の平で踊る咲夜ちゃんの運命も気になる所でしょう♪オオカミの手の平で踊らされる赤頭巾ちゃんが、今一番頭に描いているイメージです!
今後の展開にまた期待して頂ければ嬉しいので、宜しくお願いします(*´▽`)♪
筆者より




