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会見の行方

渠梁は余りの衝撃に呆然として、(しばら)く動けぬままであった。心は動揺し、千々に乱れた。()の精気の無い顔が頭に浮かんで想わず顔が歪む。


やがてハッと我に返ると、振り返って駟の走り去った方角を見つめた。既に息子の姿は無かった。渠梁はゆるゆると今来た道を戻り始めた。始めは緩やかに、そしてだんだんと早歩きにそれは成り、いつの間にか走り出していた。


ちょうど門の所まで戻って来た時に、馬車が走り去るのが見えた。それを心配そうに見送っている家宰の姿が見える。家宰は気配に気がついて、直ぐに渠梁の方を振り返ると、申し訳無さそうに、頭を下げた。


「君主様!私がついていながら申し訳御座いません!」


(いや)…お前は関係無いだろう。私が来た時にはお前は出迎えたのだからな…駟は!息子はどうなったのか?」


「はい…黒龍殿が保護されて、たった今、櫟陽宮に戻られました!」


「そうか…判った。」


渠梁は吐息を吐くと、少し腑に落ちないといった表情で家宰を見つめた。


「お前は何か心辺りがあるのだろう…だから頭を下げ、謝った。包み隠さず話してみよ…」


「そっ…それは…」


家宰はとても躊躇した様子をみせた。恐らく彼が言い淀むくらいだから、兄の虔に係わりのある事なのだろう。虔への忠節と君主への礼の狭間で板挟みに成っているようだった。


しかしながら、事が事であるから君主とはいえ、親子の情に身分の別は無い。当然、同じ人としての感情があるのは家宰にも理解出来た。ゆえに彼はたどたどしくも話し始めた。


「じ、実は今朝ほど主君より、駟様に与えるから野兎を檻に入れて持って来いと命ぜられまして、庭園に運びました。そして昼げを運んだ時には、駟様はとても嬉しそうにウサギと戯れておられました。御膳を下げに行った時には、駟様はもうウサギには飽きておられた御様子で、主君が与えられた懐剣を嬉しそうに高々と上げて、跳び跳ねておられた御様子で御座いました…私が見たのはそこまでです!君主様のお迎えが御座いましたから、直ぐに引き上げましたので、その後の事は知りませぬ…ですが恐らくは…」


家宰がそこまで話した時に、渠梁は手を上げてそれを制した。もう言わなくて良い!…そう言っているようだった。もはや聞かなくても想像はつく。駟は明らかに返り血を浴びていた。それは渠梁も見ている。家宰も見ただろう。


駟が恐らくはその懐剣で野兎を刺したのは、もはや疑い様の無い事実だろう。彼は実際、血糊の付いた懐剣と鞘を両手に持っていたし、渠梁を見つめた目は恐怖に怯えていた。それは自分が悪い事をしたという自覚の表れだった。


只ここで問題なのは、本人が自主的にしたものなのか、或いは兄に強制されたものなのかが、ハッキリと証明出来ない点にある。


勿論、渠梁は駟が自分の意思でやったとは思っていない。否、親としてはそう信じたい。それにあの拒否反応は、意思に反して強制された者の反応だった。


『兄上がやらせたのか…』


兄ならばそれくらいの事はやりかねない。そしてその理由も何となく想像はついた。彼は恐らく戦士の心を植え付けたかったのだろう。


『だが…駟はまだ5歳だぞ、そんな幼子にさせる事では無いだろう!』


だが、それが兄の虔なのだ。彼にとっては子供であろうが、大人であろうが関係ない。全ては秦という国を守るためだと信じている、馬鹿みたいな愛国者なのだ。


戦場で役に立たない者は、愛国者では無いと、本気で信じている。そして自ら先頭に立って自分の命を張って闘う気高い心の持ち主なのであった。彼の悪い所は、自分にだけで無く、他人にも厳しくそれを強要する点に在った。


『だからこそ、父は兄に跡目を譲らなかった…』


渠梁はそう思っている。君主足る者、下の者や民には慈愛の心を持って臨まねばならぬ。それが父・献公の想いで在り、同じ心を持つ渠梁に跡目を委ねた理由だったのではないかと渠梁は感じていた。


『どうしたら良いのだろう…』


渠梁は思案している。文句を言うのは簡単だし、罵声を浴びせたい程の心持ちではあるが、恐らくそうしても、兄の心には響かぬだろう。元々そんな事で自分の非を認める人柄ならば、子にそんな酷い仕打ちはさせぬであろうから…。


それにもっと言えば、兄は恐らく自分が悪い事をしたという意識は全く無いのだろう。そんな倫理観は元々無い人であったから、自分や他人を犠牲にしても、最前線で剣を振るう事が出来るのだ。


『まだ救いがあるのは、自分にも厳しく、自分を追い込む事が出来る人なのだという点にある…』


渠梁が悩んでいる点はそこにあった。彼は久し振りに、兄の酷い気質に触れて、心が苦しくなっていた。動悸がはげしく、発作が起き掛けていた。


けれども、改革を真の端緒に立たせる為には、どうしても兄の協力がいるし、その為には説得し、そのカリスマ性を役立てねば成らない。渠梁はその為に今日ここに来たのだ。


彼は決断せねな成らなかった。そして不本意ながらも、兄にこれから会って約束を取り付けねば成らないのだ。


『必ず協力させてみせる…』


彼は家宰を(なだ)めて下がらせると、再び踵を返して、兄の待つであろう庭園に足を踏み出した。もはや避けては通れない、後戻りの出来ない道程であった。




嬴虔は剣を振るいながら、舞っている。その剣の捌きは見事の一言で、身体の回転に合わせて剣を弧に描く様に振り回す。そして間髪入れずに突く。その剣の鋭い突きは大木の幹も貫き通す。


激しい猛りと咆哮を放つ人だから、さぞかし豪腕だけで鳴らす人かと思えば、『柔、豪を制す!』と言える程の、柔かな動きにも秀でていて、正に武神というべき人物である。


この人の残念な所は、全てがその逞しい身体と戦場に措ける精神力、そして武将としての優秀さに特化してしまっていて、人間性という意味では些かその能力に欠けていた点にある。


勿論、彼も親子の情や兄弟愛は人並みにある。けれども、女人を近づけず、愛した事も無く、只ひたすらに剣の道に生き、ストイックな生活を送って来たために、子供を可愛がるという点においては、まともな感性が無かったのかも知れない。


彼も弟の子供が可愛いには違いないだろうが、その愛情表現の仕方や、幼い子の扱い方などは、全くといってよい程、無知であったのだといえるだろう。だから彼は些かも悪い事をしたとは、この瞬間でさえ思っていなかった。


彼は駟を褒め称え、必ず将来、立派な秦の君主として成熟するだろう事を頭に想い描きながら、心の中で心底、喜んでいたのだから。


嬴虔は人の来る気配を敏感に感じ取ると、剣舞を辞めて、剣を下ろすと後ろ手に抱える様にして、目線を挙げた。その目線の先には、弟・渠梁の姿が在った。


「弟よ!久し振りだな♪元気そうで安心したぞ!忙しいのは理解しておるが、たまには顔を出してくれ!ここの所、戦が無いので退屈しておった所なのだ…うん(*´・ω-)?何だ!顔が強ばっておるな…何か在ったか?話なら聞いてやるぞ♪」


自分がその原因だという気持ちは、そこには些かも無い。彼は泰然自若としているばかりである。


渠梁は溜め息を漏らすと諦めの表情に為った。やはり兄は全くその問題点に気がついていなかった。そればかりか理由が判らず、渠梁を心配すらしているのだ。


『兄の道徳観や倫理観はな辺にあるのか…』


渠梁は想う。本人は一切悪気は無いし、そもそもその自覚さえ無いのだから、こちらは言葉に詰まるほか無かった。


「兄上…駟にウサギを殺させたのですか?」


渠梁は挨拶もそこそこに兄に問うた。落ち着いて話をするつもりが、やはり少し感情的になる。


「何だ!御挨拶だな…そうだ!私が命じた。駟に聞いたのか?さぞかし得意そうに言っておっただろう?私も『良くやった!でかした♪』と褒めておいたぞ!あれはきっと戦場に出ても良い采配をするに違いない、我が秦にとっては誠に喜ばしい限りだ♪お前も良い跡継ぎが出来て良かったのぅ~♪」


嬴虔はそう言うとほくそ笑んでみせた。自分がその才能を開花させたと謂わんばかりの喜びようである。渠梁は思っていた通りの反応に、諦めの境地になった。想わず溜め息が漏れる。


恐らくこの人には説明しても無駄だろうな…そう得心(とくしん)がいってしまった。そこで、もはや話を(こじ)らせるのは辞めた。ここで(くじ)けてしまっては、後に何も残りはしないのだ。彼は気持ちを強く持って交渉に入る事に決めた。

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