懐かしの我が家
「若君!本日のご予定は、如何致しますか?」
趙良の問いに対して、秦初はフッと相槌を打つと、真面目に応えた。生真面目な男が、問うているのだから、真摯に向き合ってやらねば為らない。
「そうだな…趙良!お前も知っている通り、衛鞅殿には昨日お会いして"白雪殿との約束"については、ひとまず守る事が出来たよ。だから、彼の事はしばらく放って置いても良かったのだが、ひとつ彼と約束をしたのだ!白峯殿とお引き合わせするとな…。」
趙良も頷く。
「それが宜しいでしょう。我々も手は借りたい程に忙しい身です。中華の者の事は、なるべく中華の者同士で応対させるのが良いと思います。」
「そうだな…実際そうなのだ。暇な様に見えて、我々も決して暇ではないからな…」
事実そうなのだ。なかなか昨夜の様に、身内だけで羽目を外す事など叶わない。たまにしかないゆえに愉しいひとときに成るのだろう。
「了解しました…時をみて引き合わせは実現しましょう。今日は取り敢えず義父君にお逢いしに行かれた方が良いのでは在りませんか?もうしばらくお会いされて居りません。白峯殿の件は、本人もやる気満々ですし、しばらくは自力でやると申しておりました。当面任せておかれては?」
「そうだな…そうしよう♪それにちょっと訳有りでな…子規殿に逢わねば為らんのだ!」
秦初は敢えて義父を子規と名指しした。太子と成ってからは、対外的な場でない限り、義父と呼ばぬ様に、当の子規から釘を刺されている。
『貴方のお父上は西夏王だけで良いのです!私は謂わば貴方様の師傅に過ぎません!』
子規はそう言って秦初の太子就任を我が事の様に喜んでくれた。
秦初はそんな事を思い出しながら、敢えてそう言葉に出したのだった。
「ところで、訳有りとは…気になる事でもあるのですか?私が知らぬ方が良い事でしょうか?」
趙良はきちんと立場を弁えて、恐る恐る尋ねた。
「差し出がましい様ですが…趙良にも話しておかれては?」
その時、ちょうど片付けの終わった魯粛がお勝手から首を出して、秦初に話し掛けた。
秦初はチラッと魯粛の方を振り向くと、ニヤッと笑ってそれに答える。
「魯粛…お前さんには感謝せねば成らん…長い間、良く義弟の面倒を観てくれたな♪ありがとうよ。お前が居てくれて本当に助かる。おっと!これは本心なんだぜ…勘繰るでないぞ(*´▽`)♪」
「判っておりますとも!車英は私にとっても大事な友です!だからこれは私からもお願いしたかった事です。」
「判っているさ…私も何とかしてやりたいと想っている…」
秦初は魯粛を見つめるとそう応えた。
「車英様とは…あの車英様ですか?若君が関靖様の所に預けたあの…」
「そうだ趙良!お前も手伝って貰ったから知っているだろう…その車英が今は秦に戻って来て、しがない宿屋の主人を営んでいるのだ…おっと!魯粛、誤解するなよ♪お前をしがない宿屋の主人とは思っておらんぞ♪」
「判っておりますとも!でも私はしがない宿屋の主人で良いのです!じゃないと引っ越ししなくちゃあ為らなくなりますからね(^。^;)それは困る♪」
魯粛は若君の顔を見つめながら、快活に笑った。秦初も連れて微笑む。
「そうだな!お前さんが引っ越しすると私も困ってしまうからな♪」
秦初はそう労うと、今度は趙良に応えた。
「まぁ…そういった訳で、人肌脱ごうという事に成った。そのためには一度義父の意見も聞かねば為らない。子規には子規の考えが在るやも知れぬからな…迷惑は掛けられんよ♪」
「そうですな…そういう事ならば、私も懸命にお手伝い致します。そうですか…あの車英殿が!」
趙良も感慨深く思い出しながらそう答えた。
「そういう訳で、今日は子規の銀杏邸宅にお邪魔するとしよう♪雪は止んだみたいだから、午後からでもゆるゆると行く事にする。魯粛!お前さんはどうする?」
「そうですな…私は出しゃばらぬ方が良いでしょう♪必要ない所に顔を出すと、正体を知る者が増え過ぎます…草の者は草の者らしく身を処するまでです!」
「そうか…判った!お前には苦労をかけるな♪すまぬ…では我々だけで行くとしよう。」
「若君!趙良が居るのです♪私は全く心配して居りませんがね(´▽`)♪」
魯粛はそう言うと、お勝手に戻って行った。
「任せて下さい!」
趙良は魯粛の背中に声を掛けた。魯粛は振り向かずにそのまま右手を挙げると、手を振った。
『任せる!』と言っているのだろう♪趙良は微笑みながら、『頑張ろう♪』と心に誓った。
昼が来るまでは、のんびりとした時が過ぎる。特に何をするでも無く、秦初は母屋を出て、雲の切れ間から射し込んで来る陽の光を浴びながら、散策に勤しんだ。
趙良はしばらくそれに付き合っていたが、秦初に声を掛けると、自分は厩に行って、管仲と鮑叔の世話をして過ごした。これから頑張って貰わねば為らないので、飼い葉をつけて、人参も与えた。
お昼前には二人とも母屋に戻って仕度に入る。すると魯粛がお昼御飯を作って出してくれた。
「私に出来る事はこんな事しか有りませんが、たんと食べてお出掛け下さい♪」
魯粛ならではの配慮であった。
「助かる!御馳に為ろう♪」
「粛兄♪助かります(´▽`)♪」
2人は美味しそうにそれを食べる。魯粛も一緒に御膳を囲みながら、愉しく過ごした。その顔は名残惜し気にみえた。
予定通り昼過ぎには、2人は魯粛に礼を述べて庵を後にした。街中を過ぎるまでは、どの道もきちんと雪掻きがされて居て、困る事にはならなかった。さすがに勤勉な秦人だけあって、どの道々も綺麗に雪が掻いてある。
街を過ぎる辺りから、雪の道行きと相成ったが、2人が危惧した程では無くて、馬の走行には妨げは無かった。たまに深めに積もった所は、馬を降りて、除雪しながら進む。趙良がいるから問題は無かった。
やがて懐かしい銀杏並木の坂道が見えて来た。秦初は感慨深げに辺りを見回す。そしてゆっくりと歩きながら、その景色をしばし眺めていた。
トントン!扉を叩く音にも想わず力が入る。すると、バタバタと足音を立てながら慌てて飛んで来たのは子規の家宰である何充であった。
「これは坊ちゃま!お帰りなさい♪昨日、あ!そこのお連れの方が連絡を下さいまして…お待ちしておりました。どうぞ、中にお入り下さい♪ゆっくりくつろいで下さいませ♪私は旦那様に伝えて参ります!そうだ…お部屋は昔のままにしてございますから、しばらくそちらでお過ごしに為られては?では失礼致します!」
何充はそういうと、またバタバタと行ってしまった。秦初は趙良に振り向くと、「入ろう♪」と行って、相槌を打つ。そしてそのまま廊下を真っ直ぐに進んだ。趙良も後に続く。
やがて渡り廊下を通り抜けると、その突き当たりは二股に別れて居て、右手が子規の庵に続いており、左手にも軒先が続いていて、その先には複数の家屋が見えて来る。そのまま左手にしばらく進むと三軒の家屋が斜めに折れ曲がった配置を形成しており、それは枝から別れる三葉のクローバーの様に見えると思って頂ければイメージが湧くだろう。
右手が今は独立した子巌の家屋で、今は使用されていないが、何充の手に依り昔のままに保たれている。真ん中が子良、そして左手が秦初の家屋で在った。勿論、子巌の家屋と同様に何充の手で綺麗に保たれていた。
秦初はその最も西に位置する家屋に入った。趙良も左右に首を傾げながらそれに続く。
「趙良…お前も懐かしいだろう♪ここはお前と心を通わせた場所でも在るからな…」
彼は先に歩きながら、そう言って、趙良をチラッと振り返った。趙良もしばらく懐かしそうに屋内の各部屋の中を眺めていたが、若君を見つめると、「えぇ…」と短く呟いた。




