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憧れと焦燥

『トントントントン…』お勝手の方角から小気味良い音が聞こえてくる。『パチパチパチ…』囲炉裏にくべられた(まき)は火花を散らせている。『シュ~ピュ~』囲炉裏に吊り下げられた土瓶からは蒸気が上がり、中のお湯は『グツグツグツ』と煮えたぎる。そんな音が耳に刺さり、秦初は目が覚めた。


辺りを見回すと、まだ薄暗く、そろそろ陽が昇ろうかという時分だった。部屋の中は、すっかり綺麗に片付けられており、朝げの支度が始まっている様だった。魯粛は既に起きて、(くりや)に立ち、支度に余念がないようだ。趙良は…と想って辺りを見回したが、やはり既に起きているのか見当たらなかった。


「(o≧▽゜)oおはよう御座います!若君…良くお眠りになれましたかな?」


顔を上げると、(くりや)から顔を出した魯粛がこちらを眺めている。昨晩飲み過ぎた筈なのに、そんな様子は尾首(おくび)にも見せない。それどころか、溌剌(はつらつ)とした表情で笑みを浮かべていた。


「(^。^;)おはよう♪昨夜は愉快で少し飲み過ぎたようだ。お前さんは相変わらず、酒は強い様だな!」


「(o≧▽゜)oいえいえ…何のこれしき!大した事ではありませんよ♪それにまだ陽も明けてません…若君だって早いお目覚めの方です。まぁ我々は若より遅く起きる訳にもいきませんからね♪何でしたら、まだ寝ていていただいても構わないのです♪」


「(^。^;)そうか…まぁでもせっかく起きたからな…時に趙良はどうしたのだ!」


「(。-∀-)あぁ♪趙良さんなら、朝早く起きて、馬屋で飼い葉をつけ終わると、外に出て雪掻きに精を出しているみたいですな…さすがに奴はタフです!まだ若いから、力が有り余ってるんじゃあないですかねぇ♪」


「(^。^;)こいつはどうも驚いたな…私も結構、体力には自信がある筈なのに、お前さんたちの身体の構造はどうなっているのかね?」


「(。-∀-)♪それはアレですよ…若は昨晩我々の倍は呑みましたし、尚且(なおかつ)、函谷関を抜けて来た足で、衛鞅さんの所まで行かれて、話し込んで来られたのですから、心身共に疲労されておいでなのでしょう。まぁ、酒もですが、御飯もたんとお食べになられていましたから、じきに身体もしゃんとして来る事でしょう♪心配は無いかと!あと朝げも今、(こしら)えてますから、また腹一杯食べて下さいね♪」


魯粛は言いたいだけ言うと、また首を引っ込めて、お勝手の作業に戻ってしまった。秦初はふと昨日の事を思い出して考え込む。色々な事があった。


初めて逢った衛鞅という御仁は、なかなかの人物に見えた。白雪殿が愛し、君主様が頼りにするだけはある。秦の改革はあの者の手腕に懸かっているのだ。これからの秦国がどの様に変わって行くのか…とても愉しみだな。


そして車英の事もある。義弟がまさか宿屋の主人とは驚いたが、それも義父・子規と義兄・子巌の配慮の産物だとはな…。義父の事だ…恐らくは車家の再興に向けた一環なのだろうが、どうする気なのだろう?車英の事には、この私も責任がある…。なんとかしなくてはな!


『そうだ!ここはひとつ義父に会ってその心の有り様を尋ねてみるか…』


秦初はそう想い立つと、外の様子が俄然(がぜん)気になって来た。そこで、腰を上げると、簑と菅笠を着込んで、軒を出てみる。途端に真っ白な銀世界が眼に飛び込んで来た。


「おはようございます!」


趙良だ。彼は雪掻き用の器具で身体を支えながら、右手を振っている。目の前の街路は、既に綺麗に整えられていて、歩くのにさほどの苦労も無さそうだった。


「おはよう!朝から精が出るね、御苦労様♪」


秦初は趙良に労いの言葉を掛けながら、歩み寄った。趙良は白い息を吐きながら、その(ひたい)には、じめっとした汗が(にじ)んでいる。


秦初は前後左右を眺めながら、改めて感心してしまった。屋根の上の雪降しは元より、街路も目に入る限り、舐める様に清めてある。


「これ、お前さんがひとりでやったのかい?」


無論、他にやり手はいないのだから、愚問だと自覚はあるが、余りの見事さに思わず漏れ出た言葉だった。趙良も、若君のポカンと呆けた顔を眺めているので、『驚いてる驚いてる…』と嬉しくなり、「ええ…」と応えた。


『してやったり!』と言った所だろうか。それだけではなく、盛られた雪も整えられ、邪魔にならぬ配慮がしてある。


『几帳面な奴らしいな…仮に今ここに彼が居なくても、整頓されたこの有り様を見れば、趙良の仕事と判るであろうよ。奴以外に、これほどの生真面目さを発揮する者はいないだろうからな…。』


秦初はそう想いながら、苦笑していた。趙良は訳が判らず、キョトンとした顔をしている。


「馬の世話までしてくれたそうだね!気になってたんだ。助かるよ!」


鮑叔(ほうしゅく)の世話がありましたので…管仲(かんちゅう)()ねますからね!大好きな人参以外もきちんと平らげてましたから、食はあるようです。歩様もしっかりしてますから、いつでも発てますよ!」


『ほお~』


秦初は内心またまた感心している。彼が今日、馬で長駆しても良いだけの、準備を完了させてしまっているのである。


『常に緊急に備える』


言ってしまえば簡単な事だが、常時それを怠る事なく、実行に移せる者は貴重であり、淡々とこなせる男…それが趙良なのであった。


「何から何まですまないな!そろそろ朝げの準備も出来た頃だ。行こうか?」


「はい!」


二人は連れ立って道を引き返すと、魯粛の待つ母屋へと戻って行った。


「良さん、御苦労様!おお、良い汗、掻いているね…広いからやり甲斐あったろう?」


魯粛は戻って来るなり、趙良に労いの言葉を掛けた。


「ええ…粛兄さん、いつもあれやってるんでしょう?大変ですね…」


「いやあ…何!慣れもあるのさっ。雪掻きひとつでも、訓練の一環だと思えば、"喜びもひとしお"だしな!我々にとっては"いざという時"に若君のために全身全霊を尽せなければ、親衛隊とは言えまい。"全ての根はそこに在り"さ!!」


魯粛はそう語った後に、当の本人が居る事を思い出して、「おっとっとぅ…」と、照れ隠しに頭を掻いた。趙良は生真面目に「ウンウン…」と腕を組んだまま頷いているが、秦初は、プププッと(むせ)びながら、「良い!良い!」と相槌を打った。


「さて、朝げの支度も整いましたんで、どうぞ召し上がれ!」


魯粛は切り換えるように、二人にそう告げた。今度は趙良もクスッと笑って、秦初と顔を見合わせながら、笑顔で「「は~い!」」と応えて腰を降した。


三人は今朝も和気あいあいと、朝げを愉しむ。雪掻きを頑張ってくれた趙良のために、食後に魯粛が甘酒を出してくれた。


「お前のお陰で、私までお相伴に預かる事が出来る♪」


秦初は趙良に目配せしながら、旨そうにグビリクビリと飲んでいる。


「何度、飲んでも美味しいですよね?」


当の趙良も嬉しそうだ。魯粛も、自分の実験の成果が褒められて、素直に喜んでいる。


「また作っちゃおうかな?そんなに褒められると、舞い上がりますよ♪」


「おう!舞い上がって良いぞ♪良きに計らえだ!!」


「そうですそうです♪」


こうして朝げの愉しいひとときも過ぎ、魯粛が片付けに入った頃、趙良は尋ねた。


「若君!本日のご予定は、如何致しますか?」


それは普段の生真面目な彼であった。『遊びの時間は終わりました…』彼はそう告げている。公私をきちんと分けないと、若君の従者は勤まらない。


彼がそこまで信念を持って、若君に仕える事が出来るのは、今でこそ兄と慕う、魯粛というひとりの男のお陰であった。


『粛兄に恥ずかしくない男に成ってみせる…』


趙良はそう想うのだ。ではなぜ彼はそう想い、励んでいるのだろうか?それは、彼ら二人の過去に起因していた。




趙良は本来、魯粛こそが親衛隊長として、若君に付く人物なのだと想っていた。彼は人柄と言い、人としての奥行きと言い、黄金兵団の中でも抜きん出ている、大きな存在である。


物言の理解力にも長けているし、戦略眼・戦術眼でも右に出る者は居ない。そして何よりも、身体が丈夫であり、個人戦で彼が唯一、勝つ事が出来ないのは若君だけであった。


趙良も腕には自信があるし、そうでなければ、今の地位にはなれないのだが、正直…魯粛には及ばないと想う。魯粛は太子になる前の秦初が中華に修業に出る際に、王が付き人に選ぶ程の逸材であった。


ところがである…彼はあっさりそれを断った。彼には【貴】印研究所で、自分の夢である"研究(実験とも云う)"を行う"道"があったのだ。


勿論、彼には研究員としての才能もあったのだから、仮にそちらの道に進んでいたとしても、十分に国に貢献出来た事だろう。


ではなぜ彼は、現在の道を進んだのか?…というと、それは"秦初の器に惚れたから"と言えるのかも知れなかった。


魯粛が断ったため、趙良が秦初付きになった!これは事実である。どれだけ時が経過しようとも、この事実が(くつがえ)る事は無い。


趙良も長い間、その事に苦しんで来た。だから誰にも負けない様に、日々の鍛練も、影の習練も、それは懸命に励んで来た。そして彼は、秦初が無事に太子と成るまで、身を挺して守り抜いて来たのである。


その結果が王に認められて、秦初が太子と成った後も、親衛隊長を仰せ(つか)っている。彼がその任を拝命するに当たっては、秦初も強く推してくれたと聞いている。


それでも、趙良の心のわだかまりは解消する事は無かったのであった。その理由は"魯粛" という稀代の逸材にあったのだ。


そんな彼の心を氷解する、ある転機が訪れる。ズバリそれは、魯粛本人との再会であった。




久し振りに観る魯粛は(ひょう)々としていて、緊張からは解き放たれたと言っても良いほど、穏やかな表情をしていた。いったい何が彼の身に起きたのだろう…そう思うくらいの違いが垣間見得た。


以前の彼はどちらかと言うと、近づき難いくらいの威圧感(オーラ)を放っており、存在その者が凶器と思える程、精力的な人であった。それで居て、頭の回転はすこぶる良かったので、王に認められていたのも不思議はなかった。


ところが、再会後の彼は、ニコニコ笑いながら闊達(かったつ)に話す気の良いおじさんで、誰かが困っていたら助けてやるし、酔っ払いが絡んで来ても、一緒になって話を聞いてやり、上手に(たしな)めて、気持ち良く帰してやるのだった。


見た目にも表情が柔らかくなり、穏やかにのんびりと過ごしている。剣の訓練の時でさえ、若い黄金兵を相手に「いいぞ!」とか「巧い!」とか、いちいち声を掛けてやりながら励ましている。


時には、見事な一撃だった場合には、わざと身体に当てさせてやり、若手に自信をつけさせる様な仕草をみせる事さえあった。無論、そこは老獪(ろうかい)であり、相手をして貰っている若手には、それが判らない様に巧みに顔をしかめたりして、「良くやった!」と手放しで褒めてやっている。


(たくま)しい精悍(せいかん)な彼はどこに行ってしまったのだろうと、そんな(あら)を頻繁に見せる魯粛に、趙良はやる瀬無かった。


そこで彼は思い切った行動を取る事にした。本人に直接問い(ただ)してみたのである。まさに生真面目な趙良ならではといった所か?


すると、魯粛は意外な話をして趙良を驚かせたのであった。彼はいったい何を語って聞かせたので在ろうか?


それは次回のお楽しみである。

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