在野の士人たち
この後、秦に到着した衛鞅は、紆余曲折を経て孝公の目に留まる…。
孝公はその日から、寝る間も惜しんで衛鞅を召し出し、これからの秦のための改革案を、頭を付き合わせて話し合うのであるが…それはまだ先の話…。
ー秦の都・櫟陽ー
衛鞅は秦が募集している新たな人材に応募しようと考えていた。
『そのためにはまず、秦の現状を自分の目で汲まなく確かめる必要がある。』
実のところ、求められている提言をまとめるためには、まず秦国内の各地を訪問し、その目で事実を把握し、民の生の声を聞く事から始める必要性を感じていた。
そのため、秦に到着後すぐには提言を草案せず、孝公の召集の場にすら現れる事はなかった。
ー櫟陽・孝公の執務室ー
孝公は、彼の求めに応じて、中華全土から日々集まって来る在野の士を、温かく迎えていた。
その準備に抜かりはなく、配下の景監に命じて怠りなく進めて来ていた。
その甲斐もあり、各地から召集に応じて秦に来た士人たちは、様々な草案を練り込み、すでにかなりの数の提言が提出されていた。
孝公の執務室には景監が次から次へと提出された提言書を持ってきて、彼の机の上に積んで行く。
孝公はその提言書の山から、ひとつひとつを大事に手に取りながら、広げて見ていく。
流石に中華全土から集まって来た逸材の改革案だけはあり、どれも才能を感じさせる物ではあるのだが、孝公は今ひとつ物足り無さを感じていた。
実施に当たっての現状の認識が欠けており、行動に移した場合の具体的な方針が弱く、早晩息詰まる事が目に見えていたからである。
当然、召集後に孝公は皆の前で、こう話をした。
『時間を与えるので、我が国の各所を回り、現状を見て頂いた上で、草案をまとめて欲しい。』
そう依頼を行っていたのである。
そのために各地を安全に巡るための通行証(手形)もわざわざ発行し、当座の資金と共に与えていた。
もちろんそれに応えて各地に散り、現状を見て廻る人たちも居た。
が、中には櫟陽に留まったまま、各地から参じた者達と交流を深めるために、日々酒を酌み交わす事にのみ終始する人たちも居たのである。
各地から遠い秦に参じた在野の逸材とはいえ、実のところその殆どは功名心、つまりは、名を挙げたい人たちが多く、西の辺境である秦に留まり、腰を据えて事に当たろうという気概を持つ者は少なかったのである。