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雪の坂道

魯粛は秦初の為に新しい簑と菅傘を用意してくれていたらしい。


「若君にお会いするのを愉しみに、前々から準備しておりました。どうぞ遠慮無くお使い下さい!」


魯粛はそう言うと、嬉しそうな顔をしながら、それを差し出したのだった。


「有難い(*^^*)♪遠慮無く使わせて貰うよ!」


秦初はそう礼を述べると、魯粛の住まいを後にした。


外に出ると、(シン)々と降り始めた粉雪は、時折、吹雪(ふぶ)く風に乗って舞い上がり、頬にあたる。


「此れは少し急がねばならんな…道が予め判って要るから助かる。」


彼はそう呟くと、降り積もりつつある雪の上を、ザクッザクッと踏み締めながら先を急いだ。


やがて坂道に入ると、足を少しとられるが、気にする事無く一歩一歩ゆっくりと慎重に進んで行く。


すると、なだらかな傾斜が斜めに曲がっていて、辛抱強くそこを抜けて行くと、林道の先に開けた丘が見えて来た。


その丘の上に一軒の長屋立ての建物が建っている。


『どうやら…あれの様だな♪』


坂道を上がるにつれて、その傾斜はどんどん厳しくなって行くので、(やま)()ろしの風に乗って雪は(つぶて)(ごと)く絶え間なく顔に当たる。


秦初は時折、口を割って白い息を吐きながら、もう一息と、(おのれ)を励ます様に、丘を目指した。


ここまでの道中も感じていた事だが、行く手の先には判り易い目印が付いている。


どうやら、降り積もる雪の中を誰かが歩いたらしい足跡が坂の上まで1本の曲がりくねった線の様に続いているのだ。


それもだいぶん時間が経過しているらしく、その足跡の上からも容赦無く雪が降り積もっていて、恐らくはあと少し時間が経っていたなら、もうその痕跡も見極める事は困難であったろう。


『お陰様で助かるな…』


秦初はそう呟きながら、足を雪に取られぬ様に、慎重に坂道を上がっていった。


丘の上の一軒家に辿り着くと、割りと大きめの庭付きで、大きな銀杏(イチョウ)の大木が植わっており、石を几帳面に積み重ねて(こしら)えた塀が、その家の主の細やかさを(かも)し出している。


銀杏(イチョウ)とは懐かしいな…』


秦初も義父・子規の植えた銀杏の並木道を眺めながら育って来たから、少なからずこの家の主に好感を抱いた。


彼は扉をドンドンと叩きながら、「頼もう!」と大きな声を掛けて待つ。


するとバタバタバタと足音が家の中から聞こえて来て、やがてギィ~と(きし)む様な音と共に、バタンと扉が開くと、ひとりの男が慌てた表情で出迎えてくれた。


「大変お待たせしてすみません…(ゆう)げの仕込みをしていたもので…大変失礼致しました…あれ?」


「あぁ…」


二人はちょうど家屋の扉を挟んで向き合った状態で対面しているのだが、不思議な事にお互いの顔を眺めると、直ぐに相手の素性(すじょう)を認め合った。


「何だ!お前さん車英(しゃえい)じゃないか…」


「秦初様…」


「えらく久し振りだね…戻って来ていたとは知らなかったな…」


「えぇ…あの時は世話をかけまして(^^;)有難う御座いました…。」


彼は車英(しゃえい)と言って、秦初が子規に伴われて秦に来た年に知り合った友である。


秦に馴染みが無くて困っていた頃に、色々と世話を焼いてくれた人懐っこい奴で、当時は秦の名門貴族である車氏のお坊ちゃんであった。


ところが車英の父が貴族間の疑獄事件に巻き込まれて、潔白を主張したまま自裁(じさい)したのを契機に、車氏はお家断絶となってしまったのである。


当初は、車英に後を継がせて、名門の家名を存続させようという機運が高まったが、貴族達が(ことごと)く、『死人に口無し』を良いことに、車氏に罪を全て被せてしまった為に、車氏は断絶。


後に残された車氏一族も塵尻(チリジリ)に逃げた者はひとり残らず、貴族達に捕えられて、私刑という名の口封じをされてしまった。


逃げる(すべ)を持たず、後に残った女子供は、子規が身体を張って銀杏(イチョウ)邸宅(やかた)(かくま)ったので、貴族連中も下手に手を出す事が出来なかった。


唯一、その中で車英だけは秦初がいち早く声を掛けてやり、


「間も無く貴族たちの検分が来よう…まだ確かな証拠が無く、車家の疑いを晴らせずに申し訳ない。だが必ず義父(ちち)(うえ)が疑いを晴らしてくれる筈だ…今は時間を稼ぐより他に手が無いのだ…お願いだから私と一緒に来てくれ!お前を私は助けたいのだ!」


そう言って逃げる事を勧めた。


しかしながら車英はそれを断り、正式に無実を訴え出る事に(こだわ)った。


「秦初 義兄(にい)さん…義兄さんも私の性格は御存じの筈です。私は父上が私腹を肥やすなど、信じられませぬ。いつも民を第一に考える方です。だからこそ、民も父上を慕っておりました。私は父上を信じているからこそ、ここは譲れぬのです。」


秦初は車英と義兄弟の契りを結んでいた。


彼は車英を本当の弟の様に可愛がっていたので、こんな事で死なせる訳にはいかなかったのだ。


秦初は尚も粘り強く、車英を説得した。


「お前は清廉(せいれん)な性格だから、潔白を主張したいのだろうが、此ればかりは時間との闘いになる。万が一にも、一か八かで負けて仕舞えば、お前は死ぬ事になるのだぞ!その時に逃げ出す事になるので在れば、今逃げる事だ!この疑獄事件には必ず裏がある。お前の父上に罪を被せた(やから)は、必ず二手、三手を準備しており、跡継ぎであるお前も一気に始末して仕舞おうと、虎視眈々と待っているだろう…なぜ為らば、私が悪党の立場であるならそこまできっちり始末を着けるだろうからだ!お前はそんな見え見えの虎口(ここう)に自ら飛び込むつもりなのか?私はお前はもう少し利口に振る舞える男だと思っているのだかな…」


車英は秦初が並みの人物では無い事は理解していた。


そして自分に負けないくらいに清廉で、仁義を重んじる男だという事も判っていた。


車英は義兄を尊敬していたので、彼の懸命な説得に心を動かした。


「けど、私が居なくなれば家族はどうなる?」


車英は特に母や妹たちの事は心配であった。


「心配無い!義父が請け負って守って下さる…それよりも今は唯一の男子であるお前を守らねば、車氏は血脈が絶える事になるのだぞ!一時的な閉門など気にする事は無い…お前さえ生きて居れば、幾らでも再興は可能なのだ!義弟(おとうと)よ!覚悟を決めよ!」


秦初の熱い気持ちに、覚悟を決めた車英は一緒に行く事に決めた。


彼らは追っ手が回る前に、その網をすり抜ける事に成功したのである。


車英は秦初と一緒に函谷関を脱出して、一時的に周の都に拠点を持つ関靖(かんせい)の元に預けられた。


関靖は秦初の実弟であり、周で会計監として職責を全うしていた。


無論、表向きの立場であり、彼は将来は西夏国の丞相となるのだが、まぁ修行の一環の様なもので在った。


秦初の関靖に対する信頼は随一と言っても過言では無いから、彼なら必ず車英を守ってくれるだろう。


秦初は関靖に言い含めると、秦国内に取って返した。


その頃、既に子規の計らいに依り、車家の主立(おもだ)った者たちは、保護下に在ったので、最悪の事態は免れたのである。


但し、車家の無実を証明するためにはかなりの時間を要した。


その間に、車家は体よく跡継ぎ無しとして断絶してしまった。


そしてその数年後にようやく事実無根の証明が為されて、車家の人々は解放されたが、その時には既に家名断絶に為っていたので、車家の娘が、子巌に()す事で、人々は子巌家に吸収されて、権利を保有する事に為ったのであった。


献公の晩年に、車英の権利を回復させようとする動きがあったのも、子規の働きかけが大きかった。


子巌も妻の言葉を重く観ており、五大夫の力を存分に発揮して、事ある毎に車家の再興を訴えた。


貴族達は冷ややかな対応だったが、君主の威光には逆らえない。


ましてや既に、無実は証明されているのだから、異議を唱える事も出来ない。


あのまま献公さえ存命で在れば、事は為ったで在ろうが、献公の戦死でそれは頓挫(とんざ)してしまった。


子規と子巌の肝煎りで、国に帰参する事が出来た車英であったが、故郷に錦を飾る事は叶わなかったのである。


この丘の上の敷地は、元々は子巌が子規から譲り受けた土地であり、結果そこを車英に提供して、宿の主人としてその身分を秘匿させて住まわせたのだった。


銀杏の大木だけが、その真実を長年観ていて、子家の花紋である銀杏を、車英が家族を助け、自分の帰郷にも尽力してくれた感謝の気持ちで守って来て今に到るという訳であった。


「そうか…そんな事が在ったのだな…私は無実の証明が出来れば家名は再興されるものだと想っていたが、現実は厳しかった様だ…お前には長年苦労をかけてすまない(^-^;…」


秦初は修行で各地を転々としていた自分に出来得る限界に言葉が無かった。


「(^-^*…いえいえ秦初様には未だに感謝しております。義兄があの時に助けてくれなければ、今私は生きて居なかったでしょう。私が在るのは、貴方と関靖様、そして子規様と子巌様のお陰です!お陰様で、母上や妹たちにも生きて再会する事が出来たのです。無論、大っぴらには逢えませぬが、母上が存命の間に、逢えるなんて思ってもみなかったのですから、私は今、此れ以上の幸せは無いと想っています。只お国のために真摯に尽くす事が出来ずに、残念なだけです…」


秦初はその言葉を重く受け止めていた。


そして何とかしてやろうと想わずに居られなかった。


『そうか…魯粛の奴、知っていて見守っていたな!あいつらしい優しさなのだな…』


魯粛の立場からすれば、必要以上の事は出来なかったのだろう…そして秦初の修行には将来の西夏国の未来が賭かっているので、妨げる事が出来ない事も判っていた。


だからこそ、陰ながら見守ってやろうと思ったのかも知れない。


ちょうど良い機会を得たと思ったのだろう…。


『敢えて先入観を与えぬ様に、送り出してくれたのだな…』


秦初は魯粛の粋な計らいにも感謝していた。


「車英よ!今度改めてゆっくり話をするとしよう…今までの話を是非聞かせてくれないか?知っておきたい…」


秦初の言葉を受けて、車英は「喜んで!」と笑顔で応えた。


そしてふと気になっていた様に、尋ねる。


「義兄は私がここに居る事は、元々知らなかった様でした。何か御用があったのでは在りませぬか?」


車英はそう尋ねた後に、『あ!』と想いついた様に口に出した。


「もしかして、衛鞅様に逢いにいらしたのでしょうか?それならば、此方(こちら)で丁重に預かっております。どうぞ此方へ…囲炉裏の傍でお待ち下さい。直ぐに先方の意向を聞いて参ります!」


車英は…もとい宿屋の主人は、こうして衛鞅に客の来訪を告げに向かったのである。

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