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雪の降る日に

3人の馬は旅行く人々を上手に避けながら、一路櫟陽を目指す。


寒さはだんだんと強くなって、風も出てきた。


そのため馬の速さに比例する様に、雪の(つぶて)が絶えず刺すように顔に当たり痛い。


手綱を持つ手は凍えていて、気持ちを強く持っていないと、失いそうで怖い。


馬の革で出来ている手綱には少しずつ雪が染み込んで行くので、直接、(こお)るような冷たさが指に伝わって来るため、次第に指が(しび)れて来て、手の感覚が無くなって行くのが判った。


それでも三人はお互いに励まし合いながら、(みやこ)に向けて疾走する。


峡谷の谷間がちょうど風の通り道に為っているため、彼らの行く手からは、容赦無く吹雪が襲い掛かり、擂り鉢の底の道行きはだんだんと困難を極めていた。


「もうすぐ峡谷を抜ける筈だ!あと一息だから頑張れ♪」


秦初は始めての経験で先行きの見えない白夆を絶えず元気づけながら、「はぁあ!」と再び管仲に気合いを入れた。


愛馬・管仲も「ヒヒ~ン…ブルルル」と口を割って苦しそうに(あえ)いでいるが、気合いを入れられると、再び自分から馬銜(はみ)を取ってギアを上げる。


趙良の愛馬・鮑叔は生粋の汗血馬では無く、北の匈奴の騎馬の血統が配合された混血馬のため、寒さには適応しやすく、先頭を行く管仲と白龍を挟む様に気を配りつつ、最後方で揺ったりしたストロークを維持しながら、この雪道を愉しむ様について来ていた。


やがて峡谷の谷間を抜けると、辺りは見事な針葉樹の森が拡がり、目の前には黄河の支流が入り組み、再び視界に入って来る。


渭水(いすい)である。


「いやはや…やっと死地を抜けましたな…」


白夆はホッとした様に素直にそう呟いた。


「あの渭水を越えれば間も無く櫟陽の都に入る…そうすれば安心だから、あと少しだ…頑張れ!


秦初はそう言うと寒さで(あか)く染め上がった頬をやや膨らませて、白夆を励ました。


「いや~なかなか貴重な経験をさせて頂きました。白龍も頑張ってくれましたが、さすがに皆さんの馬とは比較にならない程、()れて来ています。何とか持ってくれて良かったですよ…おい!白龍、あと少しだ、着いたら飼い葉をたんとやるから後少し頼むぞ♪」


白夆は苦笑いしながら、そう口にすると、愛馬の(たてがみ)をクシャっと撫でる。


白龍は「ブルルル!」と(いなな)きながら、自らを奮い起たせる様に眼には気合いが溢れていた。


「私は櫟陽に着いたら、一路衛鞅殿の宿を探す。雪が降り積もる前に何とか辿り着きたい。趙良は義父(ちちうえ)に私の帰還をお知らせせよ!なぁに、櫟陽の中で私の命を狙う大馬鹿者も居るまい…喩え居たとしても、まぁ私には敵わぬだろうから心配致すな…私を殺すには一個大隊は必要だろうからな♪」


秦初は笑いながらそう(のたま)うと、趙良を安心させた。


因みに一個大隊とは時代にも依るが、約500~600人の師団にあたる。


古代ギリシャの傭兵国家・スパルタの戦士たちが、どれ程の人数を相手にして闘えたかは、歴史の闇に消えてしまっていて正確な所はもはや判らないが、スパルタに匹敵する鍛練を積む西夏国の人々が普通に相手に出来る数は10倍以上と言われているから、一個師団は大袈裟にしても、それなりの数にはびくともしなかったで在ろう。


趙良も言葉とは裏腹に、秦初が義父・子規の事をいつも心に留めている事は判っているので、今回は素直に指示に従って「承知しました…」と応えた。


「時に白夆殿はどうする…一緒に来るかい?」


秦初の言葉を受けた白夆は、ようやく安心から、平静を取り戻したのか、言葉尻にいつもの豪快さが戻って来ていた。


「いえ…私は姉上の命を受けていますから、さっそく定宿(じょうやど)を見つけて、拠点に出来そうな物件を物色しますよ…時間も限られていますので、そう安穏(あんのん)として居れません。皆様は私に御気遣い無く、それぞれの務めを果たして下さい。私もそう致します。何かあったら御相談には乗って貰えると助かりますが、取敢えずは自分の力で取り組んでみたいのですよ♪」


そう言ってカラカラと笑った。


三人はやがて渭水を渡りきり、櫟陽の都に無事に入る事が出来た。


ひとまずはここで三方に別れる。


「趙良…義父に宜しく伝えてくれ!薄情者の息子が帰還しているとな!後で逢いに行くから、何充にお得意の『羊肉と山菜の煮込み』を食わせてくれたら恩に着ると伝えておいてくれ…お前も好きだろう♪白夆も落ち着いたら来いよ!奴の料理は旨いぞ♪」


「はぁそれは愉しみです…是非♪」


白夆も御腹が空いたらしく、少し(よだれ)を滴しながら嬉しそうに頷いた。


「承知しました…なるべくお早めにお帰り下さい…」


趙良は拝手すると、


「では若君行って参ります♪白夆殿も首尾を願っていますよ♪」


そう言うと、愛馬・鮑叔に気合いを入れて、颯爽と駆け去って行った。


「では白夆殿!私も貴方の首尾を心から願っていますぞ!また会おう♪」


「ええ…姉上の言葉を是非、衛鞅殿にお伝え下され…私も頑張りますゆえ…」


白夆もそう応えると、二人は互いの愛馬の手綱に軽く気合いを入れた。そして馬を上手い具合に導きながら、二手に別れて歩いて行く。


雪はだんだんと地面を白く染め上げており、やがては降り積もる事を予感させた。


秦初は馬を進めながら、久し振りの都の風景に懐かしく観とれている。


子規に導かれて、ここに来て以来もう何十年が経ったで在ろうか…まるで故郷の様な感慨に(ふけ)りながら、菅仲の歩様は一歩また一歩と歩みを刻む。


『そろそろお昼時だな…よく考えてみたら三人で食事をしてから別れても良かったが…そうだ!魯粛(ろしゅく)の宿で何か美味しい物でも食わせて貰うか…』


魯粛とは、秦初と同じく西夏国から秦に埋伏している男で、有事の際には趙良と共に秦初の盾となる黄金の騎士である。


太子の親衛隊の中には、こうして現地に埋伏している者も居て、その正体はけして明かさない。


正体が明かされた時には、国に戻るか、他の地に移り済むほか無いからであった。


魯粛は日頃は漁師を営んでおり、渭水の河辺から船を出して、新鮮な魚介を取っては、自分の宿で客に出したり、自分で食べたり、時に採れ過ぎた時には早朝の市場に持って行って僅かな金銀に替えたりしていた。


そう…あの漁師が実は魯粛その人で在った。


魯粛はまだ秦初が来る事は知らない。


しかしながら、今朝は魚介が足る程採れたので、市場に寄って、親しい男に分けてやり、その後自分は宿に戻って、さっそく魚を(さば)きながら、料理の下拵(したごしら)えに夢中で取り掛かっていた。


するとそこに誰か近づいて来る客人がいる。


親衛隊の黄金の騎士には、ちょっとした機微の変化が判るのである。


(むし)ろ、判らなければ務まらない。


そしてそれが魚の動きを機敏に捉える事にも活かされていた。


ある意味、彼が漁師として優秀なのは当然と()える。


「おい♪魯粛帰ったぞ…」


『あ!若君だ♪』


魯粛は急に嬉しさが顔に込み上げて来て、一旦魚を放り出すと、ワクワクしながら出迎えに走る。


彼らが再会するのは、二年振りだ!


魯粛は心を踊らせながら、秦初を迎えた。

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