曲げない姿勢
深夜を通して、絶え間無く荒れ狂った吹雪は、やがて未明に掛けて次第に緩み始めて、陽が昇る前には津々とした粉雪に戻っており、外に出ても命の危険は無くなる程まで回復していた。
翌朝、早朝から寒い中を、何充に励まされた下男達は外に出て、一斉に庭や銀杏並木の坂道にかけて、雪掻きを始めた。
そして下女達も総出で朝の食事の支度を始める。
此れは子規邸側の孝公主従に対する配慮であった。
帰る道中の道を慣らし、寒さに配慮した温かい食事の提供である。
無論それだけに止まらず、起きて来た時の為の暖を取るために囲炉裏の薪は新しく追加されており、帰る主従の為に茅や菅、藁などで編んだ簑まで用意されて、準備に怠りが無い様に事細かい配慮が感じられた。
此れは主人である子規の意向を汲んだ何充の極め細かな采配に依るものであり、それを体現した下男下女たちの奮闘に依るものであった。
誰ひとりとして愚痴を溢す者も無く、しっかりとその意味を理解して、励む姿は、子規の一貫とした姿勢の表れでもある。
それは『教育』であった。
子規は渠梁に対して、『人は育てるもの』といみじくも語っているが、それは大言壮語では無く、身近に普通に体現されたものである事が、ここに証明されている。
理由を明確にし、なぜそうしなければ成らないのかを徹底して教え込み、理解させて、人を動かす…此れこそが人を教育する事の重要性なのだ…ということをそれは物語っていた。
この一件を観ても、子規という人は有言実行を胸に秘めた一本筋の通った人物で在ったと言えるであろう。
さて、彼らの朝早くからの総出の尽力に依り、孝公主従が起きて来た頃には、暖かい部屋での温かい食事が用意されて待っており、彼らは何の不自由も感じる事無く、しっかりと腹を満たす事が出来たのであった。
子規は朝の食事は自室で簡単に取り、それが終わると、何充を筆頭に朝から懸命に働いてくれた下男下女たちのもとを順に巡りながら労いの言葉を掛けた。
自分の意図をしっかりと受け止めて、その責任を真っ当してくれた者には感謝の姿勢で応えなければ成らない…それが子規の自分に課した戒めであり、彼自身の哲学であったのだ。
寒さ厳しい中を不平不満を少しも漏らさず、一心不乱にそれに取り組んで来た者達は、皆誇らしげな顔をしている。
そしてその姿勢を汲んで感謝の意を表してくれる主人の温かみのある労いの言葉に、皆嬉しそうに笑みを浮かべていた。
皆、やり遂げた満足感で自然と頬が緩んでいる。
人を自発的に動かす力、『教育』とは正しい視点で行えば、こんなにも短時間で物事を為せる業と成るのだ。
無論、教育その物には時間が掛かっている。
それが反復された結果として、早朝からの短時間で準備が済んだのだという事である。
上に立つ者の教育への理解力と、結果が出るまでの忍耐力、そして結果が出た後の労いの姿勢…それが子規の言わんとする『人は育てるもの』という言葉に集約されていたのであろう。
子規はそれが終わると、大広間に顔を出して、孝公主従に声を掛けた。
「おはようございます。昨夜はよくお休みになれましたかな?」
渠梁は子規の顔を見ると、とても嬉しそうに感謝の言葉を述べた。
「お陰様で吹雪の中を何の苦労も無く、暖かい部屋で眠り、朝から此れだけの御用意を賜り、叔父上の志には感謝しても足りないくらい、この渠梁…感激致しました。本当に有り難う御座います。」
渠梁は深々と頭を下げた。
それに倣うように、景監や黒龍も丁寧に頭を下げている。
「いや何…我が属人の努力の賜物で御座るよ♪我が君、此れが人を育てるというものなのです。お判り頂けましたかな?」
子規はそう言って笑った。
渠梁は彼らの世話や給仕をしてくれた者たちが、壁の側に並んで立って居るのをチラッと横目で見つめると、皆一様に誇らしげで、満足気な笑みを浮かべているのが判った。
『成る程…人は育てる者とはよく言ったものだ。叔父上は身近な所からしっかりとその根を下ろしていらっしゃる…大言壮語と取られかねない事柄も、こうして身近な所から根差した物に成っていると、有言実行なのだと理解出来るというものだ。もはや感心を通り越して、頭が自然と下がるという代物だな…私も、いや私達も此れを真摯に受け止めて見習わなければ成るまいよ…』
渠梁はそう感じていた。
昨日から始まったこの道行きも、今朝までの充実した時間を過ごす中で、大きな成果と為って一行を迎える事になった。
此れも全ては子規を始めとする、子規邸の心尽くしの賜物である。
愉しく充実したひとときもやがて終わりの時を迎えた。
孝公主従は、子規邸の気持ちのこもった労いの簑や菅傘を身につけると、彼らに別れを告げた。
「叔父上、とても温かい歓待をこの渠梁けして忘れませぬ…本当に有り難う御座いました。この身に頂戴した金言の数々、これから有り難く使わせて頂きます。」
そう言って改めて深々と頭を下げた。
景監や黒龍もそれに倣う。
子規は頬を緩めると愛おしそうに優しい笑みを浮かべながら、甥を見つめた。
「私に出来る事には限りが在りますが、いつまでも貴方の事は見守っております。」
そう言って清々しい笑顔を見せた。
渠梁は最後に、何充を始めとする下男下女たちひとりひとりの顔を眺めながら、笑顔で礼を述べた。
子規主従に手を振り、見送られながら、孝公主従は子規邸を後にした。
子規自慢の銀杏の並木道は綺麗に小手で押し固められており、時折、ザクッザクッっと歩く音を残す他には妨げるものが無い程に歩き易く舗装されていた。
孝公は感心しながら、『教育』の凄さを改めて感じずには居られなかった。
すると久しぶりの雪のせいか浮き浮きしながら歩いていた景監は、浮かれた余りか折角舗装された歩道を通り越してしまい、いきなりズボッと雪の中に嵌まると、その勢いのせいか腰まで雪に浸かってしまった。
景監は手をバタバタさせながら、半泣きで助けを乞うている。
「ヒエ~ン…我が君~、黒龍殿~早く助けて下さいよ~(T_T)…死ぬ死ぬ死ぬ~」
そう言いながら目を廻している。
渠梁と、黒龍は慌てて傍に寄ると、自分達が落ち込まぬ様に注意しながら、何とか協力して景監を助け出すのだった。
景監は助かった後もまだ目が廻っているらしく、
「すびませぬ…だすかりましだ…(>_<)♪」
と言葉に為っていない。
それを横目で見ながら、孝公は昨日の景監の立派な口上を想い出していた…(;^_^A
(^-^;『昨日は感動の余り目が潤んだものだったが、此れはちと大丈夫なのだろうか…』
この体たらくを観るにつけ、そういう考えが浮かばないでもなかった。
しかしながら、子規はこう言ったではないか?
『人は育てるもの』
(;^_^A『地道に育てていかねば成らんだろうな…』
孝公はそう想わないではいられなかった。
景監は黒龍に介抱されながら、未だに目を廻して佇んでいる。
そんな下界の人の営みとは関係無く、雪は変わらず津々とゆっくり降り注いでいた。




