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景監の誓い

孝公は腹に力を込めて、最大限の勇気を振り絞った上で、子規に提案をしたのだが、子規の返事はかなり意外なものであった。


そこには、今までの友好的な気持ちは最早(もはや)無く、いきなり深い溝を作られた様に孝公には感じられた。


「若君…それは私の一存ではご返答致しかねます。」


子規はかなり真顔でさらっと応えた。


なぜかは判らぬが、態度が急に疎遠になった気がしていた。


孝公は逆に『??』と首を傾げている。


『それはダメです…』


そう言われるのならば、まだ諦めもつくと言うものだが、子規は『私じゃ御期待に沿えない!』そう言っているのだ。


「それはいったいどういう…」


…意味でしょうか?と孝公は尋ねようとしたのだが、子規はその言葉を(さえぎ)る様にこう付け加えた。


「若君…私の息子たちには、新法が発布される前から、独立心を芽生えさせ、既に独立もさせております。此れは私の教育方針です。つまり私はある意味…新法の先を既に歩いているらしいのです♪」


子規はそう言うと、再び笑みを見せて、孝公を見つめた。


『何だ…そういう事か。』


全ては孝公の誤解であったらしい。


余りにも緊張していたためか、身体に変な力が入り、子規の態度を誤って見てしまったのだとようやく気づいた。


子規本人は泰然自若としているだけで他意は無かったのである。


彼は孝公が理解した事を見て取ると、話を続けた。


「私には息子が三人おりますが、今言った様に、それぞれが独立しており、嫡男の子巌は既に秦国の五大夫です。此れは私の跡継ぎですから、国に貢献するのは当たり前…ゆえに本人がやる気に為れば、説得は楽でしょうな。ただ彼は軍人としては役に立ちますが、政務の方はいささか苦手だと私は見ています。それでも良いなら、声をかけると宜しい。後は今言った様に、本人の意志次第と言った所です。」


子規はそう言うと、ひと息入れて、茶を(すす)った。


「次に次男の子良ですが、此れはかなり利発な男です。親の私が言うのも何ですが、若君の今回の目的には一番合う男でしょう。政務にも精通しており、即戦力としてお役に立ちましょう。しかしながら困った事には、こやつは今、秦国内に恐らく居りません。元々次男ですから、その身は軽いのです。彼は鬼谷子の弟子になったと聞いております。鬼谷子の真髄(しんずい)は御存知の様に、法家としての理念に在りますゆえ、彼はそれを学んで生かす事を念頭に、各国で自分を高く評価してくれる所に就職するつもりではないかと?無論、彼が望むので在れば、若君が雇い入れるも良しですな…此れも本人次第とお考え頂いて結構!」


子規の説明は、さすがに実の親らしく、子供の長所と短所をしっかりと押さえており、放任主義なのだから、私に気兼ね無く、息子と直接交渉してくれというものだった。


ところが、最後の三男の事になると、子規の言葉は少々歯切れが悪かったのである。


「最後に三男の秦初ですが、名前でお判りの通り…私の実の息子ではありませぬ。彼はさる私の恩人から預かって育てた養子でして、育てたと言っても、短い時間を共に過ごしただけであり、親らしい事はほぼしておりません。彼は常に修業と称して、中華全土を放浪しながら学んでおり、たまに顔を見せるだけなので、親の私でも彼の所在は判りかねます。運が良ければその内戻る事でしょうな…ひとつ言えるのは、私が言うのもおこがましい事ではありますが、彼は三人の中でも全く掴み所の無い男です。頭は切れるし、軍人としても優秀。我が実子では恐らく太刀打ちは出来ぬでしょう。そして訳在って彼は秦国には仕える事は出来ぬと推察します。私が言えるのは以上ですな…。」


子規はそう言うと説明を終えた。


孝公は説明を聴きながら、最後の秦初という男に興味を抱いていた。


子規は『彼は秦に仕えぬ…』そう言ってはいるが、それ程に優秀な男ならば、誘ってみる価値はある様に想った。


ただ摩訶不思議(ミステリアス)なベールに包まれた人物のようだから、首を縦に振る保証は無いと言えた。


『衛鞅の相談相手にはやはり子良が一番合うやも知れんな…』


孝公はそう想いながら、新しい才能を手に入れる為の手筈を考えなければ…そう、感じていた。


「叔父上…ご説明に感謝致します。」


孝公は拝手して礼を述べた。


その上で改めて子規に自分の希望を伝えた。


「実は…この(たび)の改革を促進させるに当たって、衛鞅を左庶長に任じようと考えています。そしてその左庶長府の任官人事を今考えているところなのです。そのための人材として景監を考えていましたが、あの者は私付きの小飼(こがい)で手放したくは無いのです。そのため、叔父上のお子の内から人材を得ようと考えた次第です。今話に聞いた事を念頭に、こちらで勧誘してみます…」


子規には隠し事は出来ない。


何しろ、当初は面会自体も彼には迷惑だろうと考えていた。


それを曲げて彼は面会に応じてくれただけでなく、自分のために正面から真摯に向き合ってくれたのだから、自分もその信頼に応えなくては成らない…そう感じていたのだ。


だが、余りにも正直に伝え過ぎて、此れではまるで景監の代わりと想われてしまう嫌いはあった。


しかも当の景監も聞いているのだ。


孝公も言葉に出した後に、それに気がついたが、少し遅かった。


『(--;)不味い…』


孝公はそう感じたものの、何とそれを当の二人が救った。


「(*`▽´*)ハハハハッ♪若君は正直ですな…まあいいでしょう。我が愚息に代わりが務まるならば、それはそれで結構♪こんな事は要は受け取り側の感情の持ちようで変わるものです。私は何ら不服は在りませんぞ。ですが、考えてみて下さい。景監殿は、しっかりと若君の務めを果たして来たのでしょう?今回も人材募集の任をしっかりと務め、衛鞅という改革の旗手を秦に導きました。正直、此れだけの大功を立てた者を、いつまでも貴方の手駒で置いておく程、秦国は人材が余っているのですか?彼は昇進させた上で、左庶長府の主席書記官にすると宜しい。」


子規はそう述べて、孝公の正しい判断を期待した。


孝公は子規の話に真険に耳を傾けていたが、その言葉は、彼にとっては非常に耳の痛い内容だった。


孝公の失言については、幸いにも子規が"侮辱”と取らなかったため、事無きを得た。


しかしながら、子規は景監をもっと人材として、生かして使う事を、逆に提案して来たのである。


『人は育てるもの』子規がこの面会でいみじくも伝えたかったのは、その点であったのかも知れない。


孝公は、成り行き上、景監の意志を確めたく為ってきた。


そこで景監の方に振り向くと、声を掛けた。


「景監…叔父上はこう言ってくれている。お前はどうしたいのか、正直に言いなさい。遠慮は要らぬ…」


孝公は景監に優しく語り掛けると、その返事を待った。


彼の中では、子規の言葉が深く胸に刺さっていたので、既に気持ちは固まっていた。


景監が望めば、その気持ちを入れるつもりだった。


『人は育てるものか…金言だな。育った(ひな)は翼を持つとはこの事なのだろう…』


孝公はそう想い決断したのであった。


すると景監は、迷うでも無く、こう応えた。


「私は左庶長府の主席書記官になりたいと思います。でも誤解しないで下さい…衛鞅殿を手伝う事は、即ち我が君の改革の一端を担う事だと存じます。私は我が君のお役に立ちたい気持ちに変わりは在りませぬ!しかしながら、それは我が君の傍に居る事では無く、我が君の改革を成功させて、国を豊かにするという事だと思っています。私は貴方の想いに寄り添って、その一翼を担う事こそが今までの恩に報いる事だと想ったのです。」


景監はそう述べると、ひと息ついた。


そして再びゆっくりと口を開くと、こう話を継いだ。


「勿論、任命するかしないかは我が君に委ねます。私はそれに従うのみです。」


景監は清々しい顔をしている。


「ね!言った通りでしょう?人はいつの間にか育っているものです…」


子規はそう補足した。


孝公も景監の立派な口上に胸が熱くなった。


そしてゆっくりと口を開くと景監を見つめた。


「叔父上はかなりお前を買ってくれている。私も当初はそうしようと思っていたのに、自分の我儘(わがまま)でそれを白紙に戻してしまった…本当にすまなかった。だが、叔父上の言葉で目が覚めた様に思う。そして景監…お前の口上は嬉しい驚きであった、そして心が熱くなった…立派な志だ。私はお前を少々見くびっていたかも知れんな。気持ちは良~く判った。お前は衛鞅を助けてやれ!それが私の為にも成る。そうだったな?」


「はい!我が君。私は与えられた自分の任に忠実に、そして誠実に邁進(まいしん)する所存です。」


景監はそう宣言しながら、孝公と子規に対して拝手した。


「良し!良くぞ申した…景監頼んだぞ♪」


孝公は景監に日頃見せない程の、熱い眼差しでそう告げたのである。


「はい!」


景監は決意も新たに、その眼には輝きを宿していた。


そしてその目頭からは熱いものが流れ出していた。

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