愉しき夕げ
やがて夕げの時刻と成り、陽は既に暮れて、夜の闇が押し迫って来ようとしていた。
雪は未だに津々と降っていて、既に銀杏並木は雪で真っ白に化粧を施されたが如くになっていて、まるで一面銀世界へと変貌を遂げた様に見えた。
時折、その重さに耐えかねた枝からは、塊と為った雪がドサッドサッと落ちて来る。
子規邸では夕げの前に下男が二人やって来て、囲炉裏の薪を継ぎ足してくれた。
恐らくは何充の采配に依るものなのだろう。
お陰で部屋の中の暖かさは、見事に維持されており、寒さを感じずに済んだ。
孝公と子規は改革の中身の事について、在れや此れやと議論していたが、そこに何充と黒龍が食事を抱えて入って来た。
彼らの後にはそれを手伝う下男下女も付き従い、さながら料理番の"電車ごっこ"の呈である。
何充と黒龍は勿論の事、下男下女らも日頃から何充にきちんと采配されて、鍛えられているので、テキパキと配膳を済ませると、終わった者からいそいそと退出していく。
見ていると、それは楽しく成る程テキパキとしており、先ず元々出されていた配膳をササッと片付けると、机の上に敷いてあった薄い板を取り払い、新しく持って来たきれいな板を改めて机の上に置く。
恐らくはこうする事で、机の上は汚れないし、敷いていた板は厨に持ち帰ると、きれいな井戸水で濯いで、壁に立て掛け乾かしておく。
そうする事で、また次の機会に交換が可能となる。
新しい板の上には、お酒の器と食べ物のお椀が、順序良く乗せられて行くが、日頃から配膳の練習でもしているのではないかと思われるくらいに、その動作には無駄が無かった。
最後に温かい酒の入った大きめの瓶が置かれると、下男下女たちは消える様に居なくなり、辺りは再び彼ら5人だけに為っていた。
「何充!御苦労だったな…お前はいつも手際が良いので助かる。」
子規は必ず何充を労う。
「勿体無い…大した事では在りません。」
何充はそう言うと、黒龍の方にチラッと視線を遣りながら、
「今夜は彼と私で厨に立ちましたので、ご馳走です。どうか御堪能あれ!」
そう言って黒龍に花を持たせた。
「ほぉ~!黒龍が厨に立つとは珍しい。それは愉しみだな…」
子規は愉快な驚きだ…とばかりに黒龍の顔を見つめながら笑みを浮かべた。
孝公は、幼き頃には黒龍の賄いで、暮らして来ているので、余り驚かないが、それが珍しい事なのだと聞いて、不思議そうな顔を見せた。
「若の好きだった鶏の腿の皮焼です。皮を火でよ~く炙ってありますゆえ、さぞかし懐かしい味で在りましょう。」
この時代は、火で炙って焼き込むため、大抵の場合は、皮は黒焦げに為り、焼いた後にそれを剥いで、中の肉を喰らう。
此れが普通の食べ方である。
そのため、皮をほど良く焼くなどという、そんな根気のいる繊細な作業をする者など他には居ない。
此れは黒龍が鶏の皮が馳走である事を良く知っていた証明であり、焼く前にはきちんと羽毛を取り去る事も忘れていないため、皮と肉を両方堪能する事が出来たのである。
幼い若君に対しての黒龍ならではの愛情であったのだ。
「ほぉ~黒龍自ら、そんな根気のいる馳走を作るとはな…此れは楽しみだ♪若君の来訪が無ければ、ご相伴に預かる事も出来なかったのだからな…有り難く頂く事にしよう。」
子規は食べ物には目がないので嬉しそうだ。
孝公も久し振りに食べるのだから、とても懐かしい。
とても嬉しそうに、黒龍に笑みを浮かべた。
「それだけでは在りませんぞ♪今夜は何充も腕を振るい、羊肉と山菜の煮込みを作ってくれています。此れはとても味わいがあり、旨いですぞ!是非ご賞味あれ!」
黒龍も何充を立てる事を忘れなかった。
何充は照れ捲っているが、とても嬉しそうに笑みを称えている。
「ほぉ~何充殿の煮込みも美味しそうですな!有り難く味わう事にします。」
孝公は何充の顔を見つめながら、直接礼を述べた。
「何充!良く遣った♪お前の煮込みは旨いからな…若君!是非、召し上がって下され、珍味ですぞ!」
子規からも君主様からも褒められた何充は瞼が熱くなり、目頭を押さえている。
そんなほのぼのとした空気を読まない男が約一名…突然皆が驚く程の奇声を挙げる。
彼は日頃はとても真面目でしっかり者なのに、食べ物だけには目がなくて、食べ始めるとついつい、自然と我を忘れてしまうのだった…(*゜д゜*)♪
「あ!本当だ♪此れは旨い(´▽`)♪」
入口の方からは景監が煮込みを食べながら、寸遯叫な奇声を挙げている。
「(´▽`)あ!此れも旨い♪」
景監は今度は皮焼に被りついて、またまた奇声を挙げた♪
孝公はこの場の和やかな雰囲気に、久し振りに愉しそうに、満面の笑顔を見せた。
「(゜Д゜#)コラ♪景監…あんまりはしゃいで、喰らうと喉に詰まるぞ♪気をつけよ。」
そう言いながら、子規と共に腹を抱えて笑っている。
黒龍と何充はそんな三人を眺めながら、厨に立って腕を振るって良かったと、二人で互いの顔を見つめ合いながら、久し振りに笑顔で笑った。
こうして愉しそうな夕げの一刻はあっという間に過ぎていったのである。
『……』
夕げが終わると、それを待ち構えていた様に、再び下男下女がそそくさと現れて、またテキパキと片付けを始めた。
配膳も置き板も撤去されて、また新しく薄目の板を敷いて行く。
そしてその上には、土瓶から取り出された湯で拵えた熱い御茶が置かれていき、再びいそいそと下男下女たちは引き上げて行った。
「さて…若君、草案の中身については、ほぼ議論し尽くしたと思いますが、他にも何か懸念が在ればお聞きしておきましょうか…」
子規は孝公が改革案をわざわざ持参して、自分に見せた上で、意見を求めた事に感謝していた。
献公様は自分を信じて政務を任された…子規はその事を想い出しながら、孝公の中に献公の意思を見た気がしたのかも知れない。
『判っていて、言ったのか…?』
それは不明である。
しかしながら孝公としては、わざわざ子規が前振りをしてくれた事で、話がし易く成った事にホッとしていた。
『一か八か相談してみようか…』
孝公は言い出し難い気持ちを奮い起たせながら、目の前で慈愛に満ちた顔で自分を眺めている子規に、ある提案を始めた。
「叔父上、実はご相談があるのですが…」
子規は『??』と首を傾げる様にこちらを見ている。
孝公は『ままよ…』と決意を固めると口を開いた。
「貴方の御子息をこの改革のためにお借りしたいのです。」
孝公はそう言うと、真剣な眼差しを子規に向けた。
景監と黒龍は、いよいよ本題に入った主君の気概を固唾を呑んで見守っていた。




