草案の力
雪は相も変わらず精力的に、小憎らしい程に降り注いでおり、孝公の予測通りに、地にだんだんと降り積もって行く。
銀杏の並木道は一面が雪に覆われ様としていて、それは然も黄色い絨毯を白く染め上げようとする勢いが在った。
室内に目を遣れば、広間の囲炉裏の火はバチバチと弾けており、その上に吊り下げられた土瓶の湯は、グツグツと煮えたぎり、土瓶の蓋がその水蒸気に煽られて、時折パタパタと持ち上がる様に踊っていた。
子規は若君の渠梁が意を決して差し出した書簡をゆっくりと左手に持ち直すと、右手で封印を解き、カタカタと竹簡の音をさせながら、端から広げていった。
そして然も愛しいと言わんばかりの仕草を見せながら、目を広げた草案の冒頭に落としていく。
時折、カタカタと竹簡が音を立て、さらに広がりながら、目線は深々とその先に進んでいった。
子規が読み進める顔を、孝公は真剣な眼差しで見つめている。
囲炉裏の湯は、再び煮えたぎる音をピュ~と軋ませる様に哭き、囲炉裏の薪の火は遠慮する事を知らぬかの様に、時折、バチバチと弾けた音を響かせていた。
それ以外…辺りは静寂に包まれており、誰ひとりとして言葉を発する者は無く、皆押し黙る様に静かに刻を刻んでいる。
やがて、子規は書簡を読み終えると、一度勢いよく音を立てながら閉じて、目を瞑った。
孝公は声を掛けようとしたが、それを予測しての事か、子規は目を閉じたまま、右手で手のひらを孝公の方に差し出すと、それを止めた。
書簡は左手に力強く握られたままで、目を瞑ったまま、瞑想に耽っている。
孝公はその右手に押し留められる様に、子規の想いを感じて、待つ事にした。
子規は目を瞑る前に確かにカッとその眼を見開く様に、孝公を見つめた。
恐らく、かなりの驚きを子規に与えたのではないか…そう想って、時間を与える事にしたのである。
自分でさえ、衛鞅から書簡を見せられた時に、書簡を広げたまま、何度も読み返したのを覚えている。
心半ばで、一線を退き、自ら引退を決意して、銀杏邸宅に引き籠った子規の心の有り様を慮れば、多少の刻は与えねば成らない…そう気遣ったのである。
孝公も熱い気持ちの判る心の持ち主であり、子規もまた、孝公の溢れる想いをそこに感じていたのだった。
子規が目を瞑りながら、考えを巡らせている間に、読者諸君にもその草案の中身を御披露しておこうと思う。
それは孝公の短い序文から始まる決意の表れであった。
第一次変法の概要である。
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【秦国の法制度改革について】
この度我が国では、秦公・嬴渠梁の名に於いて、法制度の抜本的な改革を行う事にしました。
秦国は穆公の治政以降内乱が続いたため、国が荒廃し、上は公、下は民まで、千々に乱れました。
先の公・嬴師隰様(献公)の雍から櫟陽への遷都及び改革に依って、持ち直し、亡国は免れる事が出来ましたが、今なお国内は安定せず、民は貧しさに喘ぎ、魏に奪われた河西の地も取り戻せていません。
そこで富国強兵を成し、秦国を中原の大国と比肩する強国とするために、ここに法治の強化に依る新たな制度を確立する事に致します。
【主な指針】
1.行政改革
・法令を社会規範の要とする。
・国の目指す所は、農業促進と新たな農地開発である。成年の男子はそれに携わる事。
・女子には紡績等の手工業を奨励し、裁縫などに携わる事。
・自由な商業を禁ず。
・秦国公民は須らく此れを戸籍に登録するものとする。【戸籍登録】
・その戸籍に応じて所有地(農地)を付与するものとする。【所有地の付与】
・その戸籍(家族構成)と所有地の広さに応じて、税を納むる事を義務と為す。
【税の義務】
・農地に於いて粟などを、手工業によって絹などを多く納める者は、賦役を免除する。【賦役免除】
・その戸籍に於いて成人に達した者は、独立してその戸籍から外れ、新しい土地において新たに戸籍を登録するものとする。なお分家をしない場合は、その者には倍額の税を課す。【成人独立義務化】
・同じ町或いは集落(村)に住む者は、互いに伍ないし、什を基本として、助け合い、責務を同一とする。【連帯責任】
即ち、伍の中で法を犯す者が出ぬ様に、常に互いに目配り、気配りしておく事。
【相互監視】
また、万が一法を犯す者が出てしまった場合には、その者を出頭させる事。やむを得ずそれが無理と判断した時には、その者を告発する事。【密告奨励】
もしそれを隠し、出頭させぬ場合、或いは逃亡を助けた場合には、伍全てを同一の罪と為す。【連座】☆1
☆1_いわゆる什伍の制と呼ばれるものである。江戸時代の五人組制度の様なもの。
・禁じたにも関わらず、商業をする者、また怠けて貧乏になった者は奴隷の身分に落とし酷使して扱う。
・無駄を省き(質素倹約)、皆(国民)が努力し、国を強くする事に尽力する事。
・何人たりとも私闘を禁ずる。此れを犯す者はその実態に応じて刑を課すものである。
2.軍政改革
・国の目指す所は、富国強兵に依る軍備の充実と、河西の奪還であり、信賞必罰を棟とする。
・我が国では軍功(軍事功績)に基づいた爵位制度を新設する。例え民で在っても軍功が在れば爵位を得られる。各人の奮起を期待するものである。【爵位制度は別表に記す】
・自らの意志に依り、兵に志願する者には優遇措置として、税を免ずる。
・軍功のあった者は、その軍功に応じて、爵位を与えるものである。例えば敵の首1つを挙げた者は1等級昇進、首3つで2等級昇進となる。なお功績は逐次記録に残すので、実施検分を経て記録するもの也。
・公室や貴族で在っても、軍功が無ければ特権の剥奪を行う。【爵位の降下及び剥奪】
・逆に軍功があり、国家に功労がある者は、優雅な生活を保証する。
【爵位の上昇及び封地の加増】
・秦国国民は皆ひとえに国のために功績を挙げよ。
・軍に於いても、私闘を禁ずる。此れを犯す者は死罪とする。
【爵位等級制度(20等級)ー新設】◆
【以下官爵ー官秩600石以上の官】
20等級◇徹候
19等級◇?候(※関内候は漢代の爵位)
18等級◇大庶長
17等級◇駟車庶長
16等級◇大良造ー人臣最高位☆
15等級◇小上造
14等級◇右更
13等級◇中更
12等級◇左更
11等級◇右庶長
10等級◇左庶長
09等級◇五大夫
【以下民爵・吏爵】
08等級◇公乗ー民の最高位★
07等級◇公大夫
06等級◇官大夫
05等級◇大夫
04等級◇不更
03等級◇簪裊
02等級◇上造
01等級◇公士
【以上】秦国君主・嬴渠梁【印】
『ー注釈ー』
☆少なくともこの時期にはこの階級が実質の最高位だったと思われる。後年の大将軍であった筈の『白起』でさえ、大庶長では無く大良造である事を考えればそう推察される。
★公乗の身分の民が軍功を挙げた際に与えられるのはやはり公乗で、複数の爵位を所持した場合は子弟に分け与える事が出来た。
◆爵位は戦死や公務中の死で在れば、嫡子に同等の爵位を相続出来た。なお、病死など公務外の死の場合は2階級降級の爵位を相続出来た。
※不明(候である事は間違い無いと思われる)
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しばらくそのまま時間は経過していた。
景監達はその様子を固唾を呑んで見守っている。
やがて子規は目を開くと、その目からは自然と涙がツ~っと頬を伝っていき、その雫は書簡を握る左手の甲に落ちた。




