雪灯り
子規が黒龍と共に客間に到着すると、景監が部屋の外で彼らが来るのを待っていた。
客間に居れば暖かいものをわざわざ寒い廊下で身体を前屈みにしながら、腕を組む様にして寒さに堪えている。
その口からは白い息が漏れて、空に弧を画いており、その形がやがて端から次から次へと崩れて行き、形を留めない白いものは周りの空気に溶け込む様に消え去って行く。
石造りの家であるから割りと保温性があるかと想えば、そうでも無く、外気が直接流れ込まないだけで、外の寒さで冷えた石が内側も冷やしてくれるという、けして有り難くもないおまけが付いてくる。
景監は、渡り廊下から近づいて来る足音に気がついたらしく、こちらをチラッと見るや、背筋を正して拝手した。
「此れは子規様ご無沙汰しております…」
景監は思いの外、緊張気味に応対する。
子規もその挨拶に応える様に、チラッと景監の顔を一瞥すると、
「景監ではないか?そうか…お主は若君の侍従で在ったな…未だに勤まっているとは感心な事だ♪御苦労だな。」
そう言ってポンポ~ンと軽く背中を叩いた。
「ハハァ…我が君のお人柄ゆえで御座います。」
景監はそう言って照れて見せた。
「そうだな…私も期待しているよ…で!若君にお会い出来るかね?」
子規は単刀直入にそう切り出すと、口許に笑みを浮かべた。
景監はそれを受けて、室内に声を掛けた。
「我が君…子規殿が迎えに来られました。」
すると室内からは直ぐに孝公が姿を現して、互いに歩み寄ると、どちらから共なく抱擁を交わした。
「若君!(*^^*)ご壮健で何よりです…」
「叔父上もお変わりなく(^o^)♪…」
久し振りの対面である筈なのに、何の蟠りも無く、自然と言葉が相手を優しく包み込む…景監と黒龍はそれを眺めながら、ひとまず対面まで漕ぎ着けられた事にホッとしていた。
「さぁさぁ…こちらにどうぞ!若君、大広間でお話し致しましょう♪」
子規は孝公の背中に左手を回して優しく抱き留めると、右手で行く手を指し示した。
二人は笑顔で軽く歓談をしながら、歩みを進める。
景監と黒龍もその後ろから、のんびりと続いた。
『……』
大広間では何充が準備万端で待っている。
既に暖を取れる様に、広間の中央では、囲炉裏に火がくべられており、その上には大きめの土瓶が吊られていて、中にはグツグツと熱湯が湯だっている。
やや窓際に近い位置には壇が設けられていて、その上には席が対面に配置され、ゆっくり座って話が出来るように、配慮されていた。
子規はそこに孝公を招くと、上座に促し、自分は下座に座る。
2人が席に着くと、主人の子規が何も言わないでも、何充が采配した下男下女が、温めた酒とツマミを運んで来る。
お椀には山菜漬けは勿論の事、鶏を一羽潰して、それをひたすらに細かく砕いた骨付き肉が蒸された物が出されていた。
窓の外に目を向けると、折からの寒さが、やがて雪となって、雲の切れ間からは絶え間なく、津津と粉雪が舞って来ていた。
子規自慢の銀杏並木には、その雪が枝から枝へとまるで綿の様に乗って行き、白い化粧を施している。
子規邸の配慮に依り、孝公主従はお陰様で暖を取れる立場に或るものの、恐らく今正に外は身を切る様な寒さが刻々と浸透している事で在ろう。
『積もるかも知れんな…』
孝公は外を眺めながら、そう想った。
子規は孝公の顔を見つめると、
「若君!まずは乾杯致しましょう。久し振りの再会に…」
そう促す子規の瞳は優しさに満ちている。
「叔父上!有り難く…」
孝公もそれに応える様に笑顔を見せた。
二人の再会を我が事の様に喜ぶ景監と黒龍も嬉しそうにそれを眺めている。
何充はそんな侍従の二人にも席を勧めた。
入口の傍には侍従たちが控える席も設けられていて、何充の細かい配慮が見て取れる。
景監と黒龍は何充に礼を示す様にペコリと頭を軽く下げると、用意された席に座った。
それを確認すると、何充も彼らと席を囲む。
乾杯が終わり、ひとまず落ち着くと、温かい酒のせいか、冷え切っていた身体も漸くしゃんとして来て、その頬にも仄かに朱みが注して着た。
子規は孝公にもツマミを勧めながら、自らも山菜漬けを箸で取るや、口に放り込む。
「さて…若君、お話しとは何ですかな?」
子規は孝公が訪ねて着た時点で、ある程度の推測は持ってはいるものの、ここはお手並み拝見と、惚けた様に口を開いて見せた。
孝公は叔父上が一筋縄ではいかない器量の持ち主と判っているので、少し言い淀む様に一度窓の外に目をやった。
綿雪が積もった木々の枝の一振に、野鳥が止まり、チュンチュンと鳴きながら、突如としてバタバタと羽を拡げて、付いた雪の粉を振り落とすと、意を決した様に飛び立って行った。
それを見ながら、孝公も気持ちを固めた様に口を開いた。
「叔父上!私は今、この国の改革に着手すべく取り組んでおります。そして先頃、そのための人材登用を広くあまねく中華全土に求めました…」
ここまで話すと孝公は一度話を切って子規を見つめた。
「承知しておる…」
子規はそう応えると、こちらもその気持ちの端に寄り添う様に優しく微笑みながら、
「衛鞅とか言ったかな…貴方が熱心に面会しては話し込んでいるという話しは聴いておる。確か魏の出身であったかな?」
子規は最早、覚悟を決めて話を聞いているのだからと、けして隠し事はせずに、まず一手、明かす姿勢を見せた。
その語り口には些かの動揺も無く、落ち着いたものである。
孝公はそれを聞くと少々驚いた顔を見せたが、直ぐに気持ちを切り換える様に微笑むと、やれやれといった呈で、先を続けた。
「叔父上には敵いませんな…相変わらずの早耳です。恐れ入りました。そう…今その衛鞅という新しい才能の持ち主を得て、改革の端緒に漕ぎ着ける為に準備を進めているところです…」
そう言い切ると、顔に決意を滲ませた。
その眼をジッと見つめていた子規は、些かも揺るがない決意をそこに観て取ると、フッと口許に笑みを浮かべて、ウンウンと相槌を打った。
そしてゆっくりとその口を開くと、
「貴方の真剣さが伝わって来て、私も些か、かつての自分の志を想い出しています。私も主君・献公様と共に建ち、国を立て直すという命題に向き合っていた頃は、今の貴方と同じ様な気概に満ち溢れておりました。恐らく貴方の眼から溢れ出てくる輝きが私にも在ったでしょうからな…だから貴方の想いは私の心にも深く刺さりますし、今の貴方をとても眩しく感じます…」
そう言って一息着くと、窓の外に目を遣った。
銀杏の枝に積もった粉雪が、風に揺れながら、バサバサッと振り落とされて、時折、静寂を嫌う様に落ちて行く。
それを観遣りながら、子規は時代の新たな伊吹をそこに感じていた。
孝公はその子規の言葉に励まされ、やおら胸元から書簡を取り出すと、子規の目の前に両手で差し出した。
そしてやや顔はうつむき加減にしながら、こう言葉を添えた。
「叔父上、これがその衛鞅という改革の旗手と連日の様に話し合って認めた改革の素案です。ほぼ此れで行こうと、私の序文も添えてあります。是非此れを貴方に目を通していただき、助言を得たいと想っています…」
そう言って子規の目を食い入る様に見つめた。
子規はその真剣さに当てられたかの様に、大きく息を吐くと、書簡を両手で手に取った。
孝公が手に持つ書簡からは、彼の手の温もりが子規の両手にも伝わって来て、その気持ちの強さが感じられた。
孝公は書簡から手を離すと、両手を胸元で組んで、子規に丁寧に拝手すると頭を下げた。
子規も大事にその書簡を捧げ持つと、返礼する様に頭を軽く下げる。
景監や黒龍、何充はその主君達の気持ちのこもった話し合いを眺めながら、目に光るものを滲ませている。
外の空気はますます冷え込んで来て、雪は津々と降り続いていた。




