献公の導き
黒龍の出現は、子規を動揺させるには十分だった。
それというのも、彼は子規が引退したのと時を同じくして、大后様と公主様を守る様に存在そのものは無論の事、噂一つ聞かなくなっていたからであった。
"表舞台から姿を消す"およそ家宰の立場にはそぐわない形容ではあるが、彼の場合はそれに当て填まらない。
献公様が会議を招集する時、彼の存在は常に壇上の隅に在ったし、時には勅を代読したり、通告したりしていた。
さらには、貴族達の間を日夜往復しては、献公様の意向の徹底に寄与していたので、誰もが顔を知る重要人物となっていた。
おそらく彼の知己の多さは、この頃に育まれたものだと思われる。
特に彼自身から直接、"身を引く"様な話しを聞いた訳では無いので、彼の心の中まで見透す事は出来る筈も無かったが、彼の盟友である何充のところにも一度として顔を見せていない様だし、彼を外で見掛けたと噂する者も皆無であった事を総合して考慮するに、子規が勝手にそう想い込んでも仕方が無かったと言えよう。
「黒龍か…参ったな。」
子規はやっとの事でそう口に出すと、
「元気そうで何よりだ…お前の差し金だったとはな…相も変わらず厚顔で遠慮の無い奴よ!」
そうズケズケと言い放った。
「閣下も変わらぬ毒舌振り…久し振りに耳にして、お陰様で長年積もりに積もった蜘蛛の巣が吹き飛び、風通しが良くなりましたぞ…感謝致します!」
黒龍はニヤッと笑うとそう返した。
その際に念入りに、耳の穴をホジるのも忘れない。
そして二人共に相手の顔をまじまじと見つめ合うと、けたたましくゲラゲラと笑い出すのだった。
片方は元々、相国と言って良い程の実力者である。
幾ら黒龍が君主様の家宰であろうが、対等で或る筈は無いのだが、この二人の間にはそんな事は関係がなかった。
あの時代の国難を乗り切った者同士にしか判らない…特別な感情がそこにはあったのだと言える。
そして黒龍が、献公と子規を助けて、大車輪の働きを演じてみせた結果が、今日の平静な日常を回復出来た一助に成っているには違いないのだから、子規としても感ずるものが在ったのだろう。
黒龍にしても、無論相手が大物である事は心得ているが、公私の別は理解した上での事で、他意は無かった。
私人としての二人は似た者同士であり、毒舌家としても比類がなかったのだ。
「お前ら二人の言葉の応酬を聴いていると、笑い転げて早死にしそうだから止めてくれ…(´▽`)♪」
生前、献公はいみじくもそう語ったそうである。
子規はそんな事をふと思い出して、
「天命だな…」
そう感じたのだった。
彼は霊の存在など勿論信じる程のお良しでは無い。
彼は至って現実的に物事を分析して来た。
けれども、そんな彼でさえ…
『息子の話しを聞いてやってくれないか?』
そう献公に頼み込まれて、背中を押されている気がしたのだった。
「黒龍よ…道中、誰にも見られていまいな?」
子規は観念したらしく、そう尋ねた。
「そうですな…元々坊ちゃまは"御忍び"でしたし、私の気づく範囲では、誰にも見られておりませぬ…大丈夫かと!」
黒龍は長年仕えていた相手だからか、言葉の機微を即座に理解した。
「それで良し!ではこうしよう。お前たちは本日ここに来なかった。私もお前たちには会っていない…。その方向であれば会おう。お互いのためにもその方が良いのだ…どうだ、約束出来るかね?」
子規はそう言って、黒龍の顔を見つめた。
彼はその覚悟があるのかどうかを問うているのだ。
黒龍はコクリと頷くと、
「それで結講です!」
そう言って真顔で子規を見つめた。
「何充、大広間にお通しする。先に行って準備せよ。私は黒龍と一緒に君主様を迎えに行く。」
子規はそう宣言するように指示を出した。
何充は「承知致しました。」そう応えるや、そそくさっと退出していった。
「黒龍、お前の強引さには負けるよ…まだまだ現役で十分行けそうだな(´▽`)♪」
子規は(´▽`*)カカカッと笑いながら、黒龍の肩を軽くポンポンと叩いた。
すると黒龍は急に神妙な面構えをして、
「私では無く、献公様に背を押されましたな?」
そう言うと、子規をまじまじと見つめた。
子規はそれを聞くや、背中にゾクゾクっと悪寒が走った。(;´д`)
「気色の悪い事を言うな…本当に出たらど~する?」
と途端に顔を青ざめながら、真険な顔で必死に抗義する。
それを聞くなり、黒龍は、然も可笑しいと言わんばかりに(*`▽´*)ゲタゲタと笑い始めた。
「おやおや、現実的な筈の貴方も案外と俗物でしたな…これは楽しい発見だ!(*^^*)安心なさい…そんな訳が無いでしょうが!」
黒龍は子規を安心させるように、そう慰めた。
するとその瞬間に、渡り廊下の向こうから、一陣の風が不意に渡って来て、彼ら二人の顔に当たった。
(^_^;)))
それは妙に温もりがあった。
そのため黒龍でさえ、一瞬ドキリとしたものだったが、子規は相当にビビってしまった。
青ざめていた顔が、かなり硬直してしまっている。
そもそも室内で風が起きる訳も無いし、生温かい風を実際に、その身に受けた彼は、
「やはり天命だな…」
と呟いた。
そしてやおら黒龍の方を向き直るや、真顔でこう口にしたのだった。
「殿のお導びきかも知れんな…」
黒龍もすっかり真顔に戻るや、
「そうかも知れませぬな…」
そう応えた。
その後、二人は渡り廊下を一路、母屋の方へと向かうのだった…。
子規は献公の面影を想い出しながら、
『私に出来る事はしてやろう♪』
そう決意も新たに、孝公を迎えに母屋へと歩を進めるのだった。
【誤字の訂正】
「元気そうで何よりだ…お前の差し金だったとはな…相も変わらず厚顔で遺慮の無い奴よ!」
『遺慮の無い奴よ!』→『遠慮の無い奴よ!』
に改編。




