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銀杏邸にて

「いきなり訪問して子規殿は快く迎えて下さるだろうか?」


孝公は押し掛けになりそうなこの流れに少々躊躇する気持ちが先に立っている。


すると黒龍は、落ち着き払った様子で快活に笑うと、


「そのくらいで調度良いのです。皆、子規様を恐れています。あの甘蘢様でさえ、一目置く程なのですから、それはやむを得ぬ事でしょうが、本来の子規様はざっくばらんを好まれますから、この程度の事でとやかくは申されますまい。坊ちゃまが会いに行かれるのですぞ!子規様はきっとお喜びになられる事でしょう。」


そう茶目っ気たっぷりに主君に(そら)んじてみせた。


「良し、ならば私も覚悟を決めるとしよう…」


孝公も(かす)かに笑みを見せる。


景監は二人の後を着いて行きながら、嬉しそうだ。


「黒龍殿が戻って下さり、本当に良かった。この人の存在は、やはり大きい。君主様をあらゆる面から補助(サポート)してくれるに違いない。」


彼はそう想いながら、ひとりウンウンと頷いていた。


やがてなだらかな坂道に入る。


道筋には銀杏(イチョウ)の木が植えられていて、連日の強風のせいか落ち葉がたくさん落ちている。


歩いていると然も鮮やかに(いろど)られた黄色い絨毯(じゅうたん)の上を進んでいる様な感覚に(おちい)る。


それ程に立派な並木道が続いており、これは子規本人が丹精(たんせい)込めて植えて、造り上げたそうである。


子家が誕生した時に、嬴氏で在った事を忘れるために、そうしたのだそうだ。


"子家を誇りとせよ"この銀杏(イチョウ)並木を眺めさせながら、三人の息子を子規は育てたのだ…子規邸に向かう道すがら、黒龍はそう説明してくれた。


人々が口を揃えてこの邸宅を"銀杏(イチョウ)邸宅(やかた)"と呼ぶのはその由縁である。


黒龍はそう言って話しを終えた。


その"銀杏(イチョウ)邸宅(やかた)”の前に到着すると、黒龍は門番に家宰を呼びに行かせた。


子規の家宰は黒龍と同い年でその付き合いは長い。


盟友と言った所だろうか?


彼の名前は何充(かじゅう)と言った。


何充は取り急ぎ、門番と共にやって来ると、黒龍に気がつき、言葉を掛けようとしたが、次の瞬間に視界に孝公の存在が入って来たため、慌てて居住(いず)まいを正すと、拝手しながら、「我が君!」と言って頭を下げた。


本来であれば、彼の主人は子規なのだが、常日頃より"君主様を(たっと)ぶ様に!"との主人よりの厳命が行き届いているせいか、子規の息の掛かった者は躊躇する事なく、皆そう呼んでいるのだった。


何充は恐る恐るといった呈で、「如何(いか)なる御用向きでありましょうか?」と尋ねた。


すると、黒龍が(あいだ)に入って、


「何充よ!君主様は子規様との面会をお望みである。お主の力で取り(はから)ってくれまいか?」


そう頼んだのだ。


何充は、深く息を吐くと、チラッと黒龍を見た。


その顔には、『お前はいつも厄介事を私に押し付ける』そう書いてあった。


しかしながら、仮にも主君の前である。


そうも言えまい。


そこで直ぐに、


(あるじ)の子規に尋ねて参ります。外も寒くなって参りましたので、どうか中にお入りになってお待ち下さいませ。」


そう言って、孝公と景監を客間に案内してくれた。


二人を客間に通し終えると、何充は神妙な顔でこう述べた。


(しばら)くお待ち下さいませ。お寒う御座いましょうから、直ぐに火を入れさせます。」


そう言うと、黒龍にやおら接近するや、小声で『お前は一緒に来い!』と告げた。


黒龍は孝公の顔を見つめると、『同行せよ!』と顔が物語っている。


黒龍はコクりと頷くや、何充と一緒に客間を出て、二人はその足で子規の元に向かった。


何充はその途中、小者に命じて、客間に居る大事なお客様のために、火を入れて部屋を暖める事、そして暖かい飲み物を出す様に、指示する事を忘れなかった。


子規は既に引退して居るのだが、その実、未だに国内の状態や諸外国の動向には目を光らせており、配下に情報を収集させては、その集めた書簡を読み(ふけ)ったり、情報を整理したりして、余生を送っていた。


こんな事をしているのを知る者が、仮に居たとしたら、余生を送っている等とは、露程(つゆほど)も思うまい。


"擬態(ぎたい)”と疑いを招いても仕方が無いくらいのものであった。


しかしながら、当の本人は最早(もはや)、政治に関わる事には全く興味が無く、歴史の変革期が間もなく到来するで在ろう事を信じて、その変革の(さま)を自分の目で是非見たいと、あらゆる手段を講じては、その渦の中心点がどこにあるのかを知ろうと試みていた。


その一環として、最近 流行(はや)りの「変法による改革」の中身の収集に力を注いでいた。


実のところ、孝公と衛鞅の新法に()る改革もこの時点では既に、決して真新しい試みでは無く、秦を含めた戦国七強と言われる時代が此れからやって来る狭間の中で、どの国も強国に成り、他国との力の均衡を打ち破って、少しでも自国が有利に立ち回れる様にするため、虎視眈々と法の改正に力を注ぎ、富国強兵を成し遂げようと、水面下では激しい変法導入が行われていたのである。


そしてその変法に拠る改革で、いの一番に結果を出して、一歩リードしていたのが、"魏国"であった。


魏国は文候の時代には既に戦国の覇王の地位を確立する程の大国と成り、李克(りこく)呉起(ごき)楽羊(がくよう)西門豹(さいもんひょう)という有能な人材の登用にも成功して、富国強兵を確立していた。


中でも呉起を大将軍として、秦の河西地方を奪取したのは、彼が魏兵を鍛練して軍その物を改革した賜物であったのだ。


ところが、富国強兵にいち早く成功した魏国は、明君の文候の死を皮切りに、武侯、恵王と続く中で、人を大事にしなくなった。


李克・楽羊・西門豹は既に亡く、呉起が宰相の公叔座と対立し、楚に出奔して以降、魏の国力は見る影が無い程、坂道を転げ墜ちて行く事になる。


そして魏国は近々でも衛鞅を出奔させてしまっているのだ。


そして楚の改革にも呉起は関わっていて、楚の悼王(とうおう)の時代・呉起を宰相に任用した変法に拠る改革が成功している。


呉起は国政や軍制の改革を断行し、軍の強化を図ったので、魏国との対立に勝利して、ここでも改革を大成功に導いた。


しかしながら、その改革には反作用の側面も有り、楚の門閥(もんばつ)貴族たちとの対立を深めたため、悼王の死去を契機に、呉起は反対派の貴族ら70余家の軍に襲われ、悼王の遺体が安置されている場所に逃げ込んだものの、その遺体に覆い被さったまま多数の矢を受けて、()(ころ)された。


それは悼王の遺体にも多数の矢が突き刺さる程の惨劇であり、この後、かなりの貴族達の粛清にも繋がる程の大事件と成ったのである。


さらに、韓の国でも、(しん)不害(ふがい)を宰相に抜擢した昭侯(しょうこう)の治世では、改革に成功し、国内も安定し、最盛期を築く事になる。


この申不害という人は、鬼谷子の弟子で、衛鞅の同門の士であった。


彼も法家であるためか、改革の素案の中で、衛鞅と同様の施策も散見されている。


彼の変法は『術法改革』と呼ばれ、陰陽術を組み込んだ独特なものであった。


申不害の改革の中身を見ると、中央集権化を徹底的に確立するために、貴族の私兵を没収して、国軍に組み入れたり、貴族の貯めこんだ私財を没収して、国庫に歳入したりと、かなりの強硬路線を進めている。


さらには、(あらかじ)め相手の貴族の弱みや罪を身内から密告させた上で、いきなり呼び出し、有無を言わせず処罰するなど、騙し討ちにする様なやり口で貴族の力を徹底的に弱める策を講じたりもしている。


しかしながら、結局のところ、韓の国の改革も、申不害の死で終わりを遂げている。


しかも相手を騙し討ちにする様な諸悪の根源だけが残るという最悪の状態に為った上での事である。


それに気づいたのかどうかは分からぬが、申不害は最期に自噴して果てる事に為ってしまった。


元々韓の国は建国の国君が信頼と信用で築き上げた『徳の国』で在ったのに、その後この騙し討ちにする様な方針が外交にも及んだため、いつの間にか信用の置けない『虎狼(ころう)の国』と呼ばれる様に為って、やがては滅びの道を進んで行く事になる。


この様に変法の中身は各国それぞれの特徴が感じられるが、どの国も結局のところ、一過性の改革に終始しており、改革の旗手が倒れてしまった後は、その改革も終わりを遂げてしまい、その後の継続性や発展には繋がっているとは言えなかった。


『我らが秦の國も、君主様が改革を宣言されているが、果たしてどうするつもりなのか…』


子規は無論の事、秦がこのままではいけないと思っているし、現君主・孝公の改革が上手くいってくれる事を願っている。


本来なら献公と子規の二人三脚が秦の改革まで手を伸ばす事が出来たなら、それが重畳(ちょうじょう)で在ったろうが、彼らは宗主と対立していた貴族連中を従えさせて、"君臣一体" とする流れまでしか手を伸ばす事が(かな)わなかった。


『献公様が毒矢に当たらなかったなら…今も健在で在ったなら…』


子規はそう想わないでも無いが、事実は変えようがなく、また献公が世を去った今、自分が政治の中枢に残って、その意思を引き継ぐ選択枝も在った訳だが、彼はあっさりと身を引く選択をした。


跡を継いだ孝公という聡明な君主に後事を託し、自ら身を引く事で、臣下としての立ち居振る舞いを率先して示し、他の貴族に対する戒めとしたので在った。


渠梁(きょりょう)坊ちゃんの手腕に期待してみたい…』


太子であった渠梁は聡明で我慢強い…常々そう感じていた子規は、その事が頭にあったのかも知れない。


そして彼の上には嬴虔(えいけん)という兄も居た。


嬴虔は威風堂々とした体格と気概を持った人物で、身体もデカく丈夫に出来ており、武勇に秀でた、正に偉丈夫(いじょうぶ)だった。


しかし体格に恵まれている分、時に他人を(あなど)る嫌いが有り、献公は為す事が堅実で他人を労り、痛みの分かる渠梁を太子としていた。


戦場では恐れる者が無い嬴虔も、この弟の聡明で人の心が分かる気持ちの有り様には一目置いており、この二人が協力して事に当たれば、自分の出番は無かろう…子規はそう感じた時、清々しいくらいに、あっさりと身を引く事が出来たのであった。


そんな事を考えながら、他国の改革の事蹟(じせき)を記した書簡に再び目を落とそうとした刹那(せつな)の事である。


家宰の何充が慌てて飛んで来た。


目を白黒させながら、主人である子規の顔をまじまじと見つめている。


子規は日頃、泰然自若としている何充が泡を喰った様な顔をしているので、少し悪戯(いたずら)心が沸いて来て、


「おい何充!どうしたのだ?合従軍でも攻めて来たか(´▽`)カカカッ♪」


旺暁(おうぎょう)に笑った。


すると何充はそれを(さえぎ)る様にこう応えた。


「殿!遊んでる場合ではありませんぞ…渠梁様…もとい君主様がお見えになりました!」


その言葉を聞いた子規は、途端に眉を潜めて、こう告げた。


「お前は何を考えておる…日頃から私は誰とも会わぬと言っておろうが!」


何充は『そんな事は分かってる…』のだが、困った事になったと顔をしかめた。


「それがそのぅ…既に客間にお通ししてあるのですが…」


それ以上言葉が出て来ない。


いくら主人の言い付けではあっても、家宰の立場では、さすがに一国の君主を門前払いになど出来る訳もない。


何充は仕方なく、チラッと部屋の外に目線をやると、助けを求めた。


子規は子規で、それを聞いた途端に頭を抱えていたが、やがて目を剥きながら何充の顔を見つめるや、


「通したのか?それを早く言え…参ったな。」


子規は口を(とが)らせながら、『チッ!』っと想わず擬音(ぎおん)を発した。


子規は引退して以来、政権を担う立場の人物の訪問は全て断わってきていた。


自分が未だに国政に関与していると、悪い噂が立たない為であり、また権力を手放したとはいえ、彼には影響力が残っているだろうから、それを利用した悪巧みが起きない為であった。


子規がこれ程にホトホト困るのは、いつ以来の事であろう…例え相手が君主様でも例外は無い。


むしろその方が影響(インパクト)が有り過ぎる。


すると突然、懐かしい声音が彼を包み込んだ。


「会って遣ってくれませぬか?」


子規は腕組みをしながら考え込んでいたが、顔を上げるとそこには黒龍が(たたず)んでいた。

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