一石を投じる
孝公と衛鞅は頭を突き合わせながら、机の上に広げられた書簡のあちらこちらに視線を移しては、あ~だのこ~だのと議論を戦わせている。
議論は次第に熱を帯びて、二人共その内に時間を忘れてしまっていた。
夜も更け、闇の帳が明けると、辺りはだんだんと白やんで来た。
幽かに陽の光が射し込んで二人の顔に当たる。
眩しさから、顔に手を翳す仕草をするや、二人は笑った。
「夜が明けてしまいましたね… 君主様はお疲れでは御座いませんか?」
衛鞅は少々根を詰め過ぎたかも知れないと孝公に気遣いを見せた。
孝公は日常茶飯事であるがゆえか、特段気にしている様子は見せない。
まだまだやる気満々だったのだが、はたと気付くと、
「そうだな…少し休憩を挟むとしょうか。続きはまた午後からと到そう。私も昨晩の議論で出た内容を検討しておきたい。後、少々仮眠も取る事にする。頭が冴えれば、また良い考えも浮かぶであろうからな。お主も少し寝ると良い。」
そう言って、二人は一旦引き上げる事になった。
衛鞅も実際はまだまだ気力・体力ともに充実していたが、それは気が張っているせいであり、思考も順示低下して集中力が落ちてくれば甚だ効率が悪い。
それが判っているので、切りの良い所で早目に声を 掛けたという訳だった。
「それではまた午後に!君主様もお休みになります様に。」
衛鞅はそう言うと引き上げた。
外に出ると、早朝のせいか、辺り一面には、薄い靄が掛っている。
秦が山に囲まれた地であるが由縁である。
あの坂を登って、宿に戻ると、早起きの亭主は、既に起きていて、朝の支度をしていた。
目敏く衛鞅を見つけた亭主は、
「衛鞅さんお帰りなさい。朝食どうされますか?」
と尋ねて来た。
衛鞅は、「いや結講、昨夜寝てないので少し仮眠を取るから、起こしてくれると助かる。午後にはまた続きがあるのでね。」
すると亭主は「お易い御用です。早めに起こして、ついでに昼食持って行きますよ。」そう言って心良く引き受けてくれた。
実に有難い事である。
衛鞅は礼を述べて、部屋に戻ると、そのまま倒れ込む様にいつの間にか寝てしまった。
一方、孝公はと言うと、衛鞅の書き記した素案と、昨晩話し合った際に自分で書き記した捕足のメモを持って、居室の奥に引き上げ、寝台に凭れ掛かりながら、しばらく睨めっ子していたが、こちらもやがていつの間にか寝てしまっていた。
こうして4回目の会見は、無事に一日目を終える事になるのであった。
二人はこんな毎日をこれから数日間送る事になる。
そして5日目の夜の事である。
ようやく二人の議論の結果 正式な新法の想案がまとまったのであった。
二人は互いに今一度その想案を読み直してみた。
「君主様、如何で御座いますか?」
衛鞅は尋ねる。
衛鞅としては、元々「此れは端初である」という割切りがある。
だから今回の布告する内容は「判り易い」事に拘りたかった。
恐らくそれは、彼が計画の全体像をしっかりと把握していて、俯瞰して眺めるが如く鮮明に計画の段取りが掴めているからであって、当面施行してみて反応を見たかったからであろう。
逆に孝公の立場からしてみると、草案を作ったのは衛鞅であっても、いざ布告する段になれば、自分の名において命ずる事になるので、一国の君主の立場に立てば慎重に成らざるを得ない。
二人だけの関係性において妥協する事など、出来ない相談であった。
だから彼としては、可能な限りの注釈を添付する事に依り、誤解を与えぬ様に万全を期したい考えだったのだ。
「説明を難しくし過ぎると、民が理解出来ず、追い込まれた様な窮屈さを与えてしまうと、新法の理解と受け入れに時間が掛かってしまい、結果として浸透に影響を与えてしまう事になる。それでは端初から、暗礁に乗り上げてしまう嫌いがあるので、最初は判り易く、取り組み易い事から始めたい。そして、1つ目が為せれば、段階的に受け入れる土壌が出来るのだから、少しずつ理解を深めていけば良い。」
衛鞅は、孝公を納得させるために、この4日間というもの、いろいろな例を挙げて、説明を試みた。
そして焦って色々な事を詰め込み過ぎると、逆効果 であり、単純な計画こそが、浸透のためには都合が良いのだという事を切々と説いた。
こうして2人の立場の違いに依る温度差は徐々に縮まっていったのだ。
そして5日目の夜に遂に考公の承諾が得られたのだった。
衛鞅の「如何か?」の問いは、この段階においては、「最終確認」と同義語である。
孝公はこれを最終稿とする事に同意したのであった。
「良かろう…これで行く事にする。」
孝公はそう言うと、
「衛鞅殿、本当に御苦労だった。此れで改革の端初に漸く立つ事が叶う…お主のお陰だ。感謝する!」
季公は一時的に苦しみから開放されたからか、満面の笑みを見せた。
そして衛鞅の両手を握りしめると頭を下げた。
衛鞅は恐縮して、慌てて自分も深々と頭を下げる。
そして努めて明るくこう応えた。
「私がこの機会に恵まれましたのは、ひとえに君主様の国を憂う気持ちが有ったればこそです。私はたまたまその答えを導き出したに過ぎませぬ。それにこの先、此れまでとは比較に無らない様な試練が、待ち構えている事で御座いましょう。君臣一体となって事に当たらねば成りませぬ。御存知の様に私はこの秦では『新参者』に過ぎません。君主様だけが頼りなのですから、それを努努お忘れ無き様に!」
孝公は、それを聞くと、ほくそ笑んだ。
とはいえ、それは世辞と受け取ったからと言う訳では無い。
先の献公の御世に「君臣一体」と成る為の融和路線を敷いた…からなのである。
それは永く続いた内乱の収束のためであり、君主が貴族に殺されたり、逐われたり二度とせぬ様に、「臣下は君主を敬い、君主はその代わりとして臣下の権利を認める。その上で信賞必罰に臣下は従う事。」そう取り決めた経緯が在るのを知っているからこそ、見せた苦笑いであったのだ。
孝公はこの融和路線が内乱を収束し、国内の和平に寄与した事は認めており、父の行った施策が決して誤りでは無かったと思っている。
しかしながら、いつまでもそれに縛られたままでは、秦国そのものが、崩壊してしまう。
そこで孝公は、即位の際その決意として、改革を推し進める事を高らかに宣言した。
自分と一緒に秦を立て直す施策を立案し、実行し、結果を出した者には、封地を授け、爵位を与える事で此れに報いると。
『……』
無論これは、既存の貴族達も含まれる話しなので、 そう成りたければ、立候補して自ら率先して事に当たれば良いだけの話しなので、文句を言う筋合いのものでは無い。
けれども保守的な一部の貴族の中には、内輪で不平不満を洩らす者も居た。
此れを抑え込んだのが、保守派の長老とも言うべき甘龍である。
甘龍は秦の権力の中枢に居座り貴族達を従えている、言わば影の支配者であった。
普段は率先して表に出て来る事は無い。
その代わり杜摯と言う派閥のNO.2の男を顎で使って居て、何か変化を齎す様な事が在った時には、ご注進に及んでくれるため、その都度指示を出して、貴族を煽動させていたのである。
(;^_^A…悪しき慣習の中心人物ですな…。
ところがこの甘龍が改革に不満を洩らす者を逆に抑え込んだのだから、皆不思議に感じたに相違あるまい。
孝公本人ですら、早速、抵抗を始めると踏んでいたのに全くその動きが見られないため、却って気味が悪かった。
ところが此れが甘龍の一筋縄ではいかない恐しさなのだ。
はっきり言ってしまうと、甘龍は孝公を君主とは仰いでいるが、それは献公・孝公と聡名な君主が二代続いたためである。
特に孝公は若いのに見上げた根性も持ち合せている将来有望な君主だ。
ならば様子を見てやろう…。
いったい何故か?
彼の思考は常に権力の中枢に在る事と既得権益だからである。
鯔のつまりは、その権力も既得権益も…秦という国が五体満足に存在していてこそ、罷り通るもので在り、国が無くなれば…困る(^-^;そういう事に為る。
なので聡明な君主が改革をやるなら、傍観して様子を観て遣ろうという事なのだ。
だからバカな貴族共が無駄に騒いだり、実力行使に及ばぬ様に、杜摯を通じて予め歯止めをかけたのだった。
甘龍が一番恐れている事は、秦が再びあの内乱状態にまた後戻りする事である。
甘蘢自身も内乱などはもう御免なのだ。
あの時代はただひたすらに屋敷に閉じ籠もり、流れ矢に当たらぬ様に耐え忍んでいた。
やがて献公の御世になり、命の心配が無くなると、三勤七休ののらりくらりとした執務を始めた。
七休といってもこの人の場合は休んでる訳では無い…その時間を有効に使って私腹を肥やす事に余念が無かったので在った。
但しそう簡単には尻尾を掴めない程の何とも鮮やかな遣り口で金を集め、それを時にはばら蒔いて、自分の派閥を作った、とんでも無いお人なのである。
その悪知恵をまともに遣えば、秦も少しは持ち直しが早かった事で在ろうが、本人にその気がまるで無いのだから仕方がない。
いつの間にか祭り挙げられて、派閥の領宗に納まり、尚且周りを影で操り始めたのであった。
しかも元々金儲けに特化した才能はあるのだから、ずる賢い事に違いは無く、政治抗争や謀略はお手の物なので、次第に相談に来る者は増えていき、献公の末期には既に上大夫として、揺るぎの無い地位に在ったのだ。
因みに杜摯も首班にこき使われたお陰?で左司空の地位まで登りつめている。
『……』
この2人を中心とした貴族連合を相手どって、此れから孝公と衛鞅の改革が始まるのである。
孝公は衛鞅の言葉にただ一言「判っておる!」と応えると、二人で草案の完成と此れからの挑戦に乾杯するので在った。
読者の皆様には状況を説明するに当たり、かなり詳しく深い所まで、彼ら悪党二人組の話を展開する事に成りましたが、孝公も実際此処まではまだ知っている訳でも無く、噂に聞く程度の悪巧みしか把握しておらず、衛鞅に到っては、外国人なので、噂噺すらまだ録に把握している訳では無いのです。
果たしていったいどうなるのでしょうか?
いずれにしても、この改革が、『君臣一体』の融和路線に一石を投じる、謂わば挑戦状となるのですから、その化学変化がどう転がって行くのか、お楽しみに♪




